八日目 祈りを捧げるのは

 教会、というものでは、十字架というものにかけられた人の像に向かって人間たちが手を組んでいた。どうやら、それは祈っている、らしい。

 はじめに知ったのはいつのことだったか。それを見たときから、なぜか惹かれて仕方がなかった。自分は悪魔という異端の存在で、人間にとっては、まして教会にとっては特にいてはならない存在。惹かれていいことなんてないとわかりきっている。

 けれど、本を読み上げる朗々とした声やきれいに並んだ同じ服の人間、朗読の声しか響かないしんとした教会の空気が好きだと思ってしまった。聞いているのが心地良い、だなんて。

 いけないことだとわかっていたから、悪魔は教会の人々の前に姿を現さない。だって、怖がらせてしまうでしょう? 意味もなく怖がらせるのはいけないことだ。気づかれてしまわないように、悪魔はそっと教会の朗読の声を聞いていた。それが日課だった。ひっそりと聞いて、その場を去るのがいつもの日課。

 そもそも、悪魔が人間の世界を勝手に訪れること自体がよろしくないのだけれど。本当は人が好きだから、こっそりと伺ってしまうのだ。

 複雑な人間関係も、社会も、よくわからない。けれどその生き方や、振る舞いが、自由なようで好きだった。密かな憧れだった。……だから、人間の信じるものにも興味をもった。祈る姿は、かっこよく見えたから。祈る、を、自分もやってみてもいいのだろうかなんて、すこしだけ。

 それなのに。

 ああ、やっぱり、やっぱりぼくが祈るなんてだめなのだ。まさか仲良くなんて、そんなことできるはずもなかったのだ。改めて思い知る事実に、もう知っていたはずなのに涙が止まらなかった。

「おい、追いついたぞ、もう諦めるんだな!」

 どたどたと走ってくるいくつもの足音。振り返らずとも、悪魔狩りだかの人たちに追いかけられているのだろう。

 今日も、こっそりと眺めて去るつもりだった。そっと去ろうとして、かたんと音を立ててしまったのだ。それが運の尽きだった。悪魔だ、我々を喰い殺そうとしているのだ、と。

 悪魔だから、人間を騙したり殺したり食べたりする、恐ろしい悪魔だから。

 仲良くなってみたかった、という嗚咽混じりの呟きは、怒号にまぎれて消えた。



 それを、こっそりと見ていた一人の修道女がいた。

 本当は、毎日の聖書朗読に訪れているのを知っていた。コウモリにも似た翼をもつことから悪魔であるとわかるのに、どうしても襲ってきそうには見えなかったのだ。だから、今日にも話しかけようと思ったのに、教会だからか皆彼を追い立ててしまった。彼の涙を、誰も見なかったのだろうか。

 そんな人間もいたことを、彼はついぞ知ることはない。

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