弱いひと 3/4

 仕事中に告白をするのも迷惑をかけてしまうので、休みの日に映画でも見に行って、その後にしようと思った。

 こういうとき女性同士だと誘いやすくてたすかる。あっさりと映画の約束を取り付けて、コースから告白の場所まで、完璧な計画を建てた土曜日の朝。珍しく千堂さんが寝坊をした。

 ドトールで二時間待ちぼうけを食らったあと、慌てた声の千堂さんから電話がかかってきた。

 いつもクールな千堂さんが慌てて謝罪を繰り返す様子が珍しくて、つい笑みがこぼれてしまう。「あの子、尻に敷かれるタイプよね」という翼さんの言葉が思い出される。確かにそうかもしれない。


「もうお昼時ですし、ごはん買っていくので、千堂さんの家で食べませんか?」

「え、ああ良いよ。うちくる?」


 このうちくる?にドキッとさせられる。カッコいい。


「はい。それまでに顔を洗って綺麗な格好をしておいて下さいね」

「綺麗な格好は保証できないけど、顔を洗って部屋を片づけておくよ」

「じゃあそういうことで。住所を送っておいてください」


 駅前にある、個人経営のハンバーガーショップでセットメニューを二つ買う。味が良いとかなり評判の店だ。やや値は張るが、千堂さんのことだからお金は出してくれるだろうし、寝坊の埋め合わせと考えればちょうどいい品だと思う。

 千堂さんの住んでる家は、駅から少し歩いた所にある、単身者向けのよくあるマンションだった。出迎えてくれた千堂さんはシャツとデニムに着替えていたが、パジャマ姿も見てみたかったと思う。

 部屋は一人暮らしとしては比較的綺麗にしているほうだ。地面に物が散らばっていなくて、ゴミもちゃんと捨てられていて、洗い物が溜まっていない辺りが、ちゃんとしている人の家だと言える。洗濯物も干しっぱなしになっていない。下着が吊るしたままになっていたら理性が保てないところだった。危なかった。

 机にハンバーガーを並べてお昼ご飯にする。机に灰皿がないことに気が付く。


「そういえば、禁煙でも始めたんですか?ここ何日か吸ってないですよね」

「あぁ、吸えないところも増えてきたからね。臭いが嫌いな人も多いし」

「私は好きですけどね」


 千堂さんのことじゃないのに、好きという言葉を発した事実に緊張が走る。その後の言葉が上手くつながらず、静かにポテトをかじる。千堂さんも黙々とハンバーガーを口にしている。

 少し冷静になって部屋を見渡してみる。確かに散らかってはいないが、よく見ると本が積み重なっていたり、予備のボックスティッシュが部屋の隅に置いたままになっていたりと、生活の後が感じられる。

 ハンバーガーセットを食べ終わり、ゴミをまとめた後、のんびりとした空気が流れる。千堂さんがコーヒーを淹れてくれて、テレビを眺めながら味わう。頭が休みの日だからか、千堂さんは表情も薄くテレビの画面を見つめている。

 テレビでは東京の洒落たカフェの特集をやっていて、読者モデル上がりのタレントと、最近流行りの若手芸人が店の紹介をしていた。企画の意図的に無茶な笑いを狙いに行けない芸人は、無難なコメントで当たり障りのないロケを行っている。求められているのは笑いではなく、トークに慣れていない美人タレントをリードしての進行能力なのだろう。

 チラリと千堂さんを見ると、どこから取り出したのか、飴を口の中で転がしていた。口元が寂しいのだろうか。


「無理に禁煙しなくても、吸っていいんですよ」

「いや、大丈夫。流石に三日坊主は良くないから」


 本音を言うと、食後に一服している姿も見てみたいというだけなのだが、我慢するというのならまぁいいかと思う。

 なんて事のない中身のない会話だったけど、こうしてのんびりとした空気の中でダラダラと過ごすのも悪くない。買ってきたご飯を食べて、適当なテレビを流して、コーヒーをちびちび味わって、一緒に暮らしていると、こんな日々を送るのだろう。

 そう考えると、幸せな気持ちがいっぱいに広がっていく。このままずっと同じ空間で、同じ時間を共有していきたいと思う。千堂さんも同じ思いを持っていてくれれば良いのだけど、多分そうはいかないかなと思う。


「私のせいで出遅れちゃったけど、今から映画でもいく?」


 気を遣ってくれたのだろう。私としては本当にこのままのんびり過ごすのも良いんだけど、普通は気まずいよなとも思う。


「うー。どうしましょうか。お腹がいっぱいで、おやすみモードなんですよねえ」


 ずっと千堂さんの家にいたいと思うし、外でデートもしたい。どっちがいいかと言われればかなり迷う。これは難問だなぁ。


「千堂さんは出かけたいいですか?」

「うーん。正直言うと、最近バタバタしてて、このままゆっくりするのも悪くないと思ってる」

「いいですね。じゃあこのままお家デートしましょう」


 私のお家デートという言葉に、千堂さんは困ったように笑う。先輩を困らせるのが後輩の仕事だ。

 窓から外を見ると曇りのない晴天が広がっている。梅雨も明けて気温も上がってきた。暖かな陽気がさらに心地良く感じる。千堂さんは今のうちにやらないとと言って洗濯機を回し始める。

 穏やかで幸せな時間だった。


 そして痛恨のミスを犯す。私はガッツリとお昼寝をしてしまい、気が付けば夕方だった。




 気が付いて最初に思ったのは、ここはどこだ?ということだった。知らない部屋で目が覚めて、ボーっとした頭から徐々に現状を把握して。


「っっっっ‼‼」


 ガバッ‼って音が聞こえるくらいの勢いで体を起こす。


「あ、起きた?ご飯作るけど食べてく?」


 台所から千堂さんが顔を出す。色々を恥ずかしくて黙ったまま頷く。上手く力が入らない足でふらふらと台所へ行くと、チキンライスと溶いた卵があったのでオムライスを作るらしい。


「何か手伝いましょうか?」

「あとは焼くだけだから大丈夫」

「ご飯はよく作るんですか?」

「たまに。外食ばっかだと食費がね」


 手際よくオムライスが作られていく。焦げ目のない柔らかそうなふわっとしたオムライスだ。

 お昼みたいに向かい合って食べる。お店で出てきても通用しそうな味だった。千堂さんは「こればっかり作ってるから」と謙遜していたけど。胃袋を掴むには十分すぎるクオリティだった。

 その後二人で洗い物をした。柑橘系の洗剤が良い匂いをしていて、テフロンの小さなフライパンと、お皿をふたつ、コップをふたつ、アルミ製のボール、スプーンが二本、菜箸、小さな木のまな板を洗っていく。言葉もなく黙々と作業は進み、蛇口から水が流れる音だけが一定のペースで耳に入ってくる。

 こうやって並んで洗い物をしていると、まるで新婚の夫婦みたいだなと思った。

 横目で千堂さんを見ると、口元が少し微笑んでいるようにも見えた。


「千堂さん」

「なに?」

「私、千堂さんのことが好きです」

「ん?」

「私は恋愛対象が女の人なので、もちろん恋愛としての好きですよ」


 千堂さんは、ぽかんとした表情で私を見ていた。


「付き合ってほしいとは思っているんですけど、いきなり言われても困りますよね。返事はゆっくりで構わないので、私とのことをちょっとだけ真面目に考えてくれると嬉しいです」

「あ……うん」

「じゃあ今日は帰りますね。今日はありがとうございました」


 ささっと荷物をまとめて靴を履いて、見送りに来る千堂さんと向かい合う。


「オムライス。めちゃくちゃ美味しかったです。それと大好きです。それじゃあまた明日」

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