電撃 後編

「飯島さん、聞いてますか?」


 目の前に滝口さんの顔があった。そこはいつものイタリアンレストランだった。


「あ、ごめん。一瞬考え事をしてた」

「珍しいですね。飯島さんがぼーっとしてるのって」


 今日も二人で来て、何気ない話を続けていた。


「そういう時くらいあるわよ。で、なんだっけ?」

「今までで一番仲が良かった友だちの話ですよ。いましたか?親友」


 そうだった。滝口さんの幼馴染の話から友人の話になったんだった。そこでまた花のことが頭をよぎった。目の前に座っているのが彼女だったら、どんな話をしているだろうか。


「そうね。誰かしらね」


 少し嘘をついた。友達と言われると、真っ先に千堂花の顔が思い浮かぶ。

 誰にも言わずに抱え込んでいるから執着するのかもしれない。誰かに言ってしまえば、何か楽になるのだろうか。


「高校の時に、三年間仲が良かった人がいたわね。彼女かな。前に少し話したよね、景花女子大に行った友達がいるって」

「覚えてます覚えてます」


 食い気味に乗り出してくる。いつもと違ってこう言う時は堂々と目を合わせてくる。


「一年の、いつだったかなぁ五月くらい?から少し話すようになって、卒業まで友達付き合いが続いたかな」

「で、どんな人だったんですか?」

「私とは全然タイプが違って、髪も短くてボーイッシュな感じね。落ち着いた感じでゆっくりと話す人で、聞き上手だったわね」

「なるほど、ボーイッシュ」

「バレンタインには後輩の女の子からチョコもらうタイプだったよ」

「お、王子様……」

「共学だったんだけど、男子よりもらってたよ」

「いますよねーそう言う人」

「見た目が良かったのよ。手足の長いモデル体型で、独特な雰囲気を持っていて、落ち着きがあって、あと帰宅部なのに運動神経が良かった」


 それに、周りに流されず、芯があって、私の拙い絵を褒めてくれた。それだけじゃない。髪を切れば気がついてくれるし、ペンを変えれば良いのを使ってるねと一言言ってくれる。自分のことを見てくれている。その事実が与えてくれる満足感が、私の心を強く握って離さなかった。


「なるほど、モテそうですね。今は何の仕事されてるんですか?」

「知らないわ。高校卒業してから会ってないの」

「遠くの大学へ進学しちゃったんですか?」

「いや、そう言うわけじゃないんだけど……」


 その時、ふと本音が漏れた。


「好きだったのよね。彼女のことが」


 自然に言葉が出てきた。なぜ滝口さんにこんな話をしようと思ったんだろう。誰かに吐き出したかったからか、それか滝口さんが受け止めてくれそうだったからか、とにかく自然に口から漏れ出ていた。


「気まずかったのよ。向こうは友達だって思っているのに自分は恋愛感情を抱いていて、どういう風に接していいのかわからなくて、それで連絡を取りづらくなって」


 一度出てきた感情が奥の方から押し出されてこぼれ落ちてくる。


「会っても辛いだけだから、このまま気持ちが風化したらいいなって思って、そのまま。でも実際思い出すことも少なくなってきているし、これで良かったんじゃないかな」


 本当に?今、自分に嘘をついている。そんな自分がなんだが嫌になった。


「いや、違うわね。良かったと思っているわけじゃないかな。未だに引きずっているわけじゃないけど、でももっと別の結末があったんじゃないかって思う。好きって言えばよかったのに、怖かったのね。綺麗な友情の形を崩したくなくて、逃げたのよ。卒業式の後はしばらくひとりで泣いていたわ」


 なんでこんな話をしているのだろう。滝口さんは静かに私の話を聞いていて、その瞳に言葉が吸い込まれていくようだ。自分にとって嫌な話をしているのに、不思議と心地良い。


「今もああいう終わり方をして正解だったかわからない。でも、告白をしていたら何か変わっていたのかどうか、それもわからないし。後悔ばっかりね」


 話は終わりと、ワインを一口。言葉を吐き出して空いた口の中に、白ワインの甘い味がしっかりと広がっていった。


「そうですね。みんな色々と事情がありますし、状況も違うので私から偉そうなことも言えないですけど」


 少し考え込むように視線を落とす。次に顔を上げた時、たまに見せる穏やかな大人びた表情をしていた。


「せっかく飯島さんが貴重な昔話をしてくれたわけですから、私もとっておきの秘密を話しましょう」


 そうして私の眼を真っすぐに見て、ゆっくりと話し始めた。


「最初に飯島さんと二人でご飯を食べに行ったあと、酔い潰れた私を迎えにきてくれた幼馴染がいたと思うんですけど」

「麻里佳さんだっけ?」

「そうです。実は私たち、中学の終わりから高校の途中まで付き合ってたんです」


 思わぬカミングアウトに、私の心臓が飛び跳ねた。でも、表向きは冷静に受け止めたように見えただろう。感情を隠すのは得意だ。


「麻里佳とは小学校からの仲だったんですけど、中学の終わりの頃に、これは恋なんだなぁって気づいてしまって。でも私は感情を隠すのが全然できなくって、話が全然できなくなって、それでそっけない態度をとっていたら大喧嘩になっちゃって、今もあれが人生最大の大喧嘩だと思います。で、麻里佳の方から話をしようって呼び出されて、何が不満なのかとか、言いたいことがあるなら言えとか、的外れなことばっかり言うもんだからこっちもムカついてきちゃって、勢いで告白したんですよ。そしたら向こうも同じ気持ちだったらしくて、付き合うことになったんです」


 そんなこともあるものなのか。事故みたいな告白が上手くいくなんて、俄かには信じられないが、嘘ではないんだろう。


「そのまま高校の時も付き合ってたんですけど、ほら、恋人同士だと友達とは違うんですよ。だって他の女友達と仲良くしてると嫉妬してしまうんですよ。かといって男の子と話してても嫉妬するし、もう喧嘩ばっかり。友達の時は許せたことも付き合ってると許せなくなって、凄くギスギスしてて、まぁお互い子供だったんですよ。凄く精神的に消耗しちゃって。で、気付いちゃったんですよ。麻里佳とは一生の友達でいたいんだって。一緒に大人になって、上司の悪口言いながらお酒飲んで、お互い老けてきたねって軽口叩いて、しわしわのおばあちゃんになっても隣にいる、人生の戦友みたいな、そう言う関係。で、お互い話し合って友達に戻って、今に至るわけです」


 初めて二人の姿を見たときの独特の空気感は、こういう過去によって築き上げられたものだったのか。熟年の夫婦のような、というのはあながち間違ってはいなかったのだ。


「今も付き合いたいとか思わないの?」

「ありません。今の関係に満足してますし、向こうは絶賛片想い中らしいですし」


 そう語る滝口さんの顔は、凄く穏やかでスッキリした表情だった。自分の生き方に満足している人間の表情。

 その時唐突に気がついてしまった。私が時折感じる、彼女の大人びた一面の正体を。

 滝口さんと幼馴染は、現実にちゃんと向き合ったんだ。お互いの関係について話し合って、喧嘩して、紆余曲折を経て理想の関係を築き上げたのだ。

 一方の私はどうだろうか。綺麗な友情を壊すのが怖くて逃げ出した臆病者だ。

 衝突して、壊れた後により強固な関係を築く。滝口さんの大人びた顔は、そう言う経験を経てきた人間の持つ、一種の余裕のようなものだ。例え再びぶつかり合うことがあっても、自分たちなら乗り越えられるという自信がある。だから怖くないのだ。


「まぁあくまでうちらの話なので、飯島さんが告白してどうなったかは分からないですよ。ちょっとした自分語りなので」


 そういうと、少し恥ずかし気に水を口にする。これは説教とかアドバイスとかではなく、互いに秘密を話しあっただけだ。だから私からのレスポンスも期待してはいないだろう。そういう話として聞いておけばいい。

 今回は私が滝口さんに尊敬の念を抱いただけだ。彼女の持つ包容力というか、母性のようなものの源泉を知ることができた。歩んできた歴史が、今の滝口香織という人物を作り上げている。年下の可愛い後輩だと思っていたけれど、私よりもずっと現実と向き合って戦ってきたのだ。

 その時、背中の辺りにピリッと電気が走ったような感覚があった。何事かと顔を上げると、今までとは世界の見え方が変わっていた。店内はこんなに明るかったか?パプリカの色はこんなにも赤かったか?BGMはこんなにはっきりと聞こえていたか?照明の光が輝いていて、自分たちのいる世界が映画のワンシーンのように思えた。そして、滝口さんはこんなにも……。


 あぁ、そうか、これが恋に落ちる瞬間か。

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