罪深き夢

思い足取りで歩き続け、俺は飼育部の活動場所に着いた。

「逃げずに来たか、まあそこは褒めてあげるよ」

既にそこにいた七橋が好戦的な笑みを浮かべながらそう言った。

「ようやくだ。ようやく僕はお前を殺せるんだ。昂るよ」

友達にはっきり殺すと言われるが、俺はたじろぐ事無くまっすぐ七橋を見つめる。

「どうやって?シシャに実体は無い。刃を持つどころか殴ることもお前には出来ないはずだ」

「おいおい、お前はもう気付いてるだろ?僕はお前が嫌いだけど、能力は過小評価するつもりは無い。白々しいよ」

確かに、確証は無かったが十中八九七橋が肉体を取り戻していることは想像がついていた。

それは、あの手紙だ。俺はあの時、なぜ送られてきたのか、という疑問よりどうやって手紙を送ってきたのか、という疑問が強かった。実体が無ければ文字を書くことも、手紙を投函することも不可能だ。しかし手紙は俺のところに届いている。つまり七橋は何らかの手段で手紙を使うことが出来た。

もちろん、誰かに代筆を頼むことも出来たはずだが、七橋が俺を呼び出す理由と言ったら、俺を殺すこと以外には無い。七橋は殺す手段が整い手紙も出せる状態、つまり肉体を取り戻したのでは無いかと予想していた。

「七橋が肉体を再び得たことは分かる。俺が聞きたいのはその方法だ。お前は一体どうやって…」

「魂のない肉体に僕が乗り移ったのさ」

「魂のない…肉体?」

七橋は尚も邪悪な笑みを浮かべながら話す。

「人間は、大きく二つの物質で構成されている。器たる肉体と、その器を操作する魂。シシャはその器を持たない人間と言える。つまり、その器を得ることが出来れば、真に人間として復活出来るのさ」

俺は悟る。魂のない肉体とは、つまり死体だ。魂だけが無くなって、無用の長物となった肉体に、七橋の魂が憑依した、ということだ。それでも、やはり解せない。

「死体なんてそんな見つかるものじゃ…」

「まあね。でも探せば見つかるものさ。シシャになりたいなんていう馬鹿な人間がたくさん自殺してるからね。その中の誰かの器を僕が使わせて貰っているのさ」

確かに、経緯はどうあれ死ぬ人は増え続けている一方だ。七橋の言う器は、多分探せばすぐに見つかる。でも、他人の身体を利用することに、俺の人としての倫理観が拒絶している。

しかし、七橋はそんな俺の様子は露知らず、高らかに叫ぶ。

「僕は、人間に戻ったんだよ!陽の暖かさ、そよ風の涼しさ、地の堅さ…シシャになって久しく忘れていた感覚だよ。ああ、肉体とはなんて素晴らしい!」

だが、と顔を強ばらせる。

「まだ不完全だ」

「不完全?どういうことだ」

「そのままの意味さ。本来入るはずのない魂に、器は拒否反応を示す。肉体に乗り移っても、一週間程度で身体は朽ちてしまう」

「…おかしいだろ。だったら何でお前の身体は今綺麗なんだよ」

「朽ちた肉体からまた別の肉体に移ったからだ。当然だろう」

「そんなに死体ってのは見つかるものじゃない」

「そうだな、そこは僕も困らされた。まあでも、直ぐに解決したが」

「解決、だと?」

「ああ、そこらの人間を拐かして、殺せば済む。簡単な話だ」

普通のことだと、七橋は顔色を変えることなく話し続ける。その様子に俺は戦慄した。

誘拐事件が起きていたことは知っていたが、その犯人がまさか七橋だったとは。しかもそのことに対してなんら罪悪感を覚えていない。

「お前、自分が何をしているのか分かってるのか。人を殺して、自分の身体にして…そんなことが許されると」

「別に誰かに許してもらおうなんて思っていない」

俺の言葉を遮って、七橋は続けて話す。

「それに当然のことだ。人が生きるのに誰かを踏み台にすることなんて。いや、むしろ死んだ彼らは幸せだろう。誰かにとって価値のある死なんだから。わけも分からず死んでいく人に比べたら、幸せとしか言いようがない」

狂っている。いや、シシャにとっては正常なのかもしれない。それ程に、俺と七橋の間には壁が出来ていた。

「おっと、話を戻そう。僕は三人ほど自分の身体的特徴と合致する肉体に憑依した。でも、少し朽ちるのが遅くなっただけで、結局はダメだった。でも、お前なら。かつて、唯一僕の友達だったお前なら、魂の波長も似通ってるから拒絶反応も起こらないはず。だから…」

七橋は懐にあるナイフを俺に突き付ける。

「お前の身体、僕が貰う」

そう言った瞬間、殺意を持って走ってきた。振り回されるナイフを、俺は躱し続ける。

「おまえは罪を背負った。だったらさっさと贖え!」

叫びながらナイフを振り回し続ける。しかし、慣れていない肉体で機敏な動きは出来ていない。俺は紙一重で躱し続け、ナイフで突いてきた七橋の腕を手刀で捌き、ナイフを落とさせた。

「これ以上は…!」

「黙れ!」

七橋のおおきく振りかぶった拳が俺の頬を直撃し、仰向けに倒れ込む。

七橋は即座に胸に跨り、両手で俺の首を絞める。俺はポケットに手を突っ込んだ。

「お前は、その身で俺に罪を償うんだよ。安心しろ、大事に肉体は使ってやる。お前はシシャになるがいいさ」

扼殺される。そんな状況においても、未だ俺は躊躇っていた。しかし、商店街で死んだ人達の顔が脳裏に浮かぶ。死の間際、最後の力を振り絞り、覚悟を持って俺は“それ”を七橋の胸に突き刺す。嫌な感触だった。多分、一生忘れることはできない。

七橋は何も気づかない。

「無駄だ、所詮肉体を傷付けてもおれの魂は何ともない。例え、心臓が潰され、ても…」

七橋の顔に苦悶が滲んでいく。しかしそれでも、何が起きているか分かっていない。

「お前、何を…」

「鍵を刺した。七橋の魂に。お前はもう、動けない」

「か、鍵…?」

七橋は目で刺された場所を追う。そこには、俺が商店街が拾った鍵があった。

力無き手で首を拘束されながら俺は話す。

「これは俺が門を開けた時に使った鍵だ。本当は俺の魂で閉めたかったが、生者の魂では門は干渉できないらしい」

七橋は察した。これから俺がしようとすることを。

「まさか…」

「…そうだ。お前の魂を利用して、門を閉じる」

俺は覚悟を決めた。七橋の魂を利用するということは、すなわち七橋の魂を殺すことになる。自ら蘇らせようとした友人を、殺す。その覚悟を。

「何故だ、僕は、肉体を得て、人間として、蘇ったはずだ…」

俺は歪む七橋の顔をまっすぐ見て言う。

「…死んだ者は、蘇らない。いや、蘇ってはいけないんだ」

「!」

俺は刺された鍵を再び握る。

「ふざけるな…」

七橋は歯を食いしばりながら怒る。

「ならば、どうしてお前は、僕をこの世界に…!なんで、なんで…!」

俺はただ一言しか言えなかった。

「…ごめん」

あの時とは逆回りに、鍵を回す。

七橋の魂は光りだし、粒子となっていく。

七橋は苦しみ悶えながら、呟いた。

「ちくしょう…」

その瞬間、生と死を分つ門は再び閉じ、世界からシシャが消えた。







門が閉じて一週間。世界はあるべき姿に戻った。だが、全てが元通りという訳では無い。シシャになろうと自殺した人は大勢いた。駅前の商店街の道路には、あの時の血の後が生々しく残っている。

後にシシャ騒動と言われた一連の話は一応これで終わりではある。

しかし、俺の背負った罪はいつまでも残る。俺が愚かな夢を見たばかりに、取り返しのつかない過ちをおかしてしまった。

多分、俺はいつかこの罪を償う時が来るだろう。いや、そうでなければ、七橋に申し訳が立たない。





もはや何をする気も起きず、自室のベッドで項垂れる。薄い壁の向こうからは、耳を塞ぎたくなる嗚咽が聞こえてくる。

「どうして…どうしてまたいなくなっちゃったの?ずっと一緒にいるって、今度はいなくならないって言ってたじゃない…ねえ…答えて…お願い…」





愚かな夢は、まだ続く。

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