夢の代償
雨に沈む
傘を持ってきていない俺は、入口の近くで急に降り始めた雨を疎ましく見ていた。
今日は濡れて帰ることになるなあ、とさしたる感傷も無く見ていたつもりだったが、俺の拳にはいつの間にか力が入っていた。
ハッとなり、己の拳に目を向ける。これから先、俺は雨が降る度拳を握ることになるのだろうか。
「よっ。何してんだ、傘忘れたのか?」
横から声を掛けられ、拳から力が抜ける。その底抜けに明るい雰囲気はまさに元気そのもので、むしろこれくらいの方がこちらとしても気持ちが楽になっていい。
「そうだよ。寧ろ堀田が持ってるのがおかしいだろ、今日の天気予報で雨なんて言ってなかったし」
堀田。ただただ気が合うだけで何か仲良なったエピソードがある訳でもないが、大学に入ってから仲良くなった人たちの中でも取り分けよく絡む奴だ。学部は違うが、履修する講義が被ってるのが多く、よくこうして一緒に帰ることが多い。
「折り畳み傘はいつでも持ち歩くべきもんだ。どうだ、入ってくか?」
「生憎だが、男と相合傘はしたくないものでね」
「そうかい、じゃあ帰ろうぜ」
今流行りのゲームや可愛い同級生の事、面倒くさい課題等、思い出にもならないような下らないことを話しながら下校する。そこまで強い雨じゃないことは幸いだったが、9月の雨は肌寒く、髪や服が濡れる感触は何とも不愉快だ。そう感じていると、反対側の歩道に俺と同じく傘をささずに歩いている女性を見つける。だが、彼女の身体は、どこも雨に侵されてはいない。
「おー、シシャって実体が無いって聞いてはいたけどマジなんだなあ。お前もそうだったら良かったのにな」
「大きなお世話だ」
シシャ。それは2ヶ月前から突如として現れた者達の事だ。現れた、というよりは復活したというべきか。彼らはかつて死んでしまった人達の形をしており、記憶もまた死んだ時のまま。しかし、彼らは実体が無く物に触る事も人に触れる事も出来ない。さしずめ、魂だけが蘇った状態と言うべき存在。それがシシャだ。
「しかし、ホントに居んのねシシャって。信じらんねーよな」
「まあ絶対数は少ないらしいし、今回シシャを見られたのもある種幸せだったのかもな」
「俺はちょっと怖いけどな。言い方変えれば幽霊みたいなもんだし」
その後は再び特筆すべき事も無い会話をして、駅で別れた。オレはそこから下宿先へと数分歩き、部屋へ帰った。
俺は電気も付けず、洗面所からタオルを取り出して髪の毛を拭きながら外の景色を眺める。
シシャ。彼らは、言ってしまえば死の世界の住民だ。本来交わることの無い俺らとシシャの世界が繋がっている今の状況は、世界のシステムのようなものがおかしくなっているということなのだろう。
でも、システムがおかしくなった事なんて今の俺にはどうでもいい事だ。そのシステムは、もしかしたら俺がおかしくしてしまったかもしれないけど、それでも、俺はあいつに会えるなら…。
「…七橋、お前もこの世界に来ているのか?」
ポツリと、呟いた。
ドンドンドン!ドンドンドンドンドンドンドン!
突然壁から轟音が響き、俺はハッとする。
「おーい、鍋作りすぎちゃったんだけど一緒に食べない?」
壁の向こうから声が聞こえてくる。俺は呆れ半分に、了承の意を込めて壁をドン、と叩いた。
「いやーごめんね、でも君も食事代浮くし悪い話じゃないだろ?」
「壁が薄いからってあんな呼び出し方やめてくださいっていつも言っているでしょう」
目の前のキムチ鍋をお互いパクパク頬張りながら話し続ける。
「この時間は君と私以外出かけてるみたいだから他の人に迷惑はかからない、大丈夫大丈夫」
「はあ…」
隣の部屋の阿野沙羅さんは僕より2つ年上で、こうしてたまにゲリラ的に食事に誘ってくれる。いい人ではあるが、中々問題行動を起こす人でもある。
まあ俺も呼ばれる度にその行為に甘えている以上、あまり強く非難はできないが。
談笑しながら鍋を囲んでいると、つけっぱなしのニュース番組が、シシャの話題に移った。
『…こうして、蘇ったシシャの佐藤さんは家族の人達と感動的な再会を果たしました。いや〜、いい話ですよね』
『ええ。シシャが現れたことで、強い喜びを感じている人はこの世界は多いことでしょう。さて、続いてのニュースです。全国各地でシシャへの…』
阿野さんはテレビの画面を見ながら独り言のように言葉を発する。
「シシャって、聞けば聞くほど不思議よね。死んだ人が蘇るなんて。今まで人類が試しても試しても出来なかった死者蘇生。何をどうして蘇生したのか気になるわよね」
「…まあ、思い当たる節が無いわけでは無いですけど。正直今でも信じられませんよ」
「ふぅん?でも私は嬉しいわ。もしかしたら、あの人が戻ってくるかもしれないんだもの」
僕はテレビに流れているデモ隊と警察の衝突を見ながら、何も言わず阿野さんの言うことに同調する。
あの人、というのは初めて聞いたが、それが誰かを聞く勇気は無い。
もしかしたら、蘇ることを望む人が誰かを聞くことは、その人の暗い過去を掘り起こすことに繋がりかねない。
「そうだ。話は変わるけど、今週末買い物に付き合ってくれない?ご飯奢るわよ?」
「今週末はすいません、里帰りするつもりなんで」
「あ、そうなの。あれ、確か…7月にも里帰りしてたわよね?」
「ええ、なるべく帰れる時に帰りたいと思ってまして」
「そうなんだ、それは残念ね。リラックスしておいで」
そうしてキムチ鍋を食べ終わった僕は、洗い物だけして自分の部屋へと戻り、ベッドに寝転ぶ。
俺は疲れて、そのまま眠りに落ちていく。
一回目の里帰り。あの時見たものが全て夢であったなら、どれだけ良かっただろう。
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