夢の…

@axel04

プロローグ

俺たちが過ごしていた川の麓の学校は色々な動物を飼育していて、亀や鯉、兎、ヤギなんかもいた。そして、それらの動物は代々飼育部が世話をしていた。だが、朝昼放課後の餌やりや飼育小屋の掃除など面倒が多く、入る人が毎年少ない。俺が3年生の時に所属部員が1人という有様で、廃部の危機に瀕していたが、その1人が精力的に活動をしているため、今のところは問題ないらしい。

うちのクラスの七橋は、そのたった1人の飼育部員だった。クラスの誰とも仲良くしようとせず、いつも気だるそうな様子で日々を過ごしているあいつを、おれは正直バカにしていた。いつも仏頂面で斜に構えているあいつを見て、つまんない人生送ってるなと勝手に憐れみ、見下していた。が、その評価は一瞬で覆ることになった。

ある日、クラスのゴミ出しを押し付けられた後、校舎へ戻ろうと歩いている途中、俺は池の鯉や水槽の亀に餌を与えている七橋を見た。驚きを隠せなかった。いつも不機嫌そうなあの男が、ああも優しげな笑顔を湛えているとは。初めて見る七橋の表情に釘付けになっていると、七橋は俺の視線に気付き、いつもの仏頂面に戻って攻撃的な目線をこちらに寄越した。俺は怯むことなく、歩み寄る。

「いい顔だった。クラスでもああしとけばいいのに」

立ち去りそうにない俺の様子を見て、七橋は目線を動物たちに移す。

「クラスの奴らと仲良くしても何の価値もない」

「こいつらの飼育には価値があるのか?」

当然だ、とこちらに興味を示すこともなく兎小屋へと入っていく。

「人間なんて打算と欲望でしか動かない。そんな世界で生きる現実に興味はない。動物たちは愛情を持って接すればそれに応えてくれるし、何より愛らしい。この“夢”さえあればなんでもいい。それより、何の用だ」

用という用なんてものはなく、物珍しさに惹かれているだけだったが、あの笑顔をもう一度見たいと、俺は切実に思っていた。

「うん…強いて言うなら、友達になりたい、かな」

「…は?」

心底意味がわからないという顔だった。無理もない。

「お前はなんで僕と仲良くなりたいんだ。お前になんのメリットがある」

「もう一度あの笑顔が見たい、と思ってね」

それに、仲良くなったらクラス内で何かしら小言を言われるだろうと考えると、むしろデメリットの方がでかいかもしれない。

それを承知している七橋はやはり怪訝な顔をしたままだ。

「…訳が分からん」

「まあ七橋だし、一朝一夕で仲良くなれるとも思ってないし。だから、毎日七橋が餌やりをするのを見に来てもいいかな?邪魔はしないし、なんだったら手伝うよ」

一連の活動を終え、小屋から出てきた七橋は、やはり変なものを見る目で応えた。

「好きにしろ。ただし、絶対に手伝うな。この時間は誰にも邪魔されたくない」




こうして、俺と七橋の奇妙な関係が始まった。俺は普通程度には友達もいるので、クラスで関わることは一切ない。放課後の飼育部の活動を、俺がただ見ているだけ。

時間が経つにつれ、飼育部において異物だった俺は、いるのが当たり前という状態になり、七橋と世間話をする程度には仲良くなった。七橋の今までの態度から考えれば、相当な進歩だろう。

お互い高校三年生、受験も控えストレスの溜まりがちなこの時期、愛らしい動物たちによって支えられていた。

11月某日、亀の冬眠の準備のために、そこかしこの落ち葉を集めていた時のことだった。

「今更だが、見てるだけでつまらなくないのか」

「動物は見てるだけでも楽しいよ。それに、楽しそうにしてる七橋もね」

「本当に君は変わっているな」

二人称が君になったのも、密かな前身のポイントだ。

「今まで、僕には友達と呼べる友達はいなかった。僕はそういう人間だしなと思っていたし、それを不幸と感じたことはなかった。でも、君みたいな物好きと出会えたのは幸福だよ。今は、中々楽しい」

「中々くすぐったい言い方だな」

「どうだい、鯉に餌をやってみないか?」

その提案に、俺は驚く。七橋が、自分の“夢”の時間を与えることなんて考えられなかった。

「いいのか」

「友達なら、ね」



晴れて友達となった俺たちだが、特に変わることも無い。あるとすれば話す内容が増えたことくらいだ。話す、というより七橋の独り言のような話に俺が相槌を打つというものが多いが。

12月。試験も間近に迫っていたが、やはり飼育部の日常は変わらない。この日もいつも通り取り留めのない会話をしていた。

「『この世と死の世界は薄い膜で隔てられていて、僕はその薄い膜を破って死の世界を覗いてしまった』」

「それは?」

「アメリカのネバダ州で行われた核実験に参加した兵士の言葉さ。この世界と死の世界は膜で隔てられているって言うのは分かる話だけど、僕は違う考え方をもっている」

へえと相槌を打ちながら、七箸は理系にも関わらず、よくもそんなことを知っているものだ、と感心する。

「この世界と死の世界を遮るもの。僕は、“門”があるんじゃないかと思ってるんだ」

「門?」

「ああ。通ったら二度と開くことの無い堅牢な門。死んだ人の魂はその門を通って死の世界へ行く。その扉は死の世界からは開くことは無いし、こちらの世界からの干渉も死に際で無ければ不可能。だから死者はこの世に蘇らないし、僕達は楽には死ねない」

「中々面白い話だな。その門はこの世界のどこかにあって、そこにたどり着いた時に人は死ぬってことか」

「いや、門は誰しもが持っていると思う。以前命の重さは21グラムなんて話を聞いたことがあったけれど、それは命だけじゃなくて門も含めた重さなんじゃないかなと、僕は考えているのさ」

そう言いながら、掌の餌を池へとばら撒く。鯉たちは思い思いに餌を食べ、まだ欲しいと言わんばかりに僕たちの方に泳いでくる。こういう光景は何度も見ているが、やはり愛らしい。

「まあ、こんなものは妄想でしかない。門と言うのは個別のものではなく、君の言うように全ての命を司る唯一無二のものかもしれないし、そもそも死の世界も無いかもしれない」

とはいえ、ともう一度餌を撒き、活発に動く鯉たちを見ながら呟いた。

「その門はどんな事があっても、僕達が干渉してはいけないんだ」



毎日息抜きがあったおかげか、俺と七橋は無事受験に合格することが出来た。

俺はこの街から出たくて、遠くの大学に行き、七橋は生物の研究がしたいと、地元の大学に進むこととなった。

自由登校期間中にも毎日飼育部に顔を出し続けた結果、何か特別な思いを抱くことも無いまま卒業を迎えた。俺が遠くに行くことになり、クラスの友達は涙を浮かべながら別れを惜しんでくれた。七橋とは、クラスの中ではずっと話さないままだった。

地元を出る日、クラスの友達が見送りに来てくれた。七橋にも出立の日は教えておいたから、来てくれることを期待したが、残念ながらその姿は見えない。とはいえ、それもあいつらしいと思いながら、友人たちと感動的な別れを果たし、電車に乗った。

窓の向こうの移りゆく景色を見ていると、七橋から一通のメッセージが届いていた。

『旅立ちに立ち会えずにすまない。だが、他の友達もいる中で僕がいては居心地が悪くなってしまうだろうと思ってね。これからの大学生活、お互い頑張ろう。それと、飼育部が結局誰も入らなかった関係で、卒業後もあの鯉達をできる限り世話してもいいという話になった。君が帰省した時、高校の飼育部を訪ねてくれ。きっと僕はそこにいる。待っているぞ、友よ』

初めて会った時から考えると考えられない文面だな、と頬を緩める。

次に会える日が楽しみだ。なるべく早く帰省することを、俺は心に決めた。














だが。

次に俺がここを訪れる時には、帰るべき場所など全て無くなっていた。

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