第1話-13「明後日に」
「おい、横井の机はここで合ってるか?」
そう問う立花は、椅子から立ち上がり、紙を折りたたんで財布に入れながら。
向かった先は横井の机で、椅子を引いた。
「そうだけど」
桐也の答えを聞いて立花はその――横井の机に財布を入れる。
「君の財布を横井の机なんかに入れてどうするの?」
小銭を拾う手は止めず、目線だけ軽く立花の方に向けて問うた。
立花は再び自分の机に戻ると、広げたお金をポケットに突っ込んで、
「まぁ気にするな。どうせ明後日にはわかる」
まともに答える気のないらしい立花に。
桐也は首をひねりながらも、明後日にはわかるならいいか、と考えることをやめ。
とりあえず目に見えうる範囲の小銭は拾い終えただろうと、
「ほら、小銭拾い終わったよ」
「ご苦労」
桐也はいくつかの丸い硬貨を握りしめた手を突きだして。
その手の下に、受け取るために小さな手のひらを上に向けて立花が差し出した。
小さくこすれ合う金属音をたてながら硬貨は立花の手の上に落下して。
立花はそれもポケットに突っ込んだ。
「僕のお金はいつごろ返ってくるのかな?」
桐也は一番気になっていたことを訊ねる。
「さっきも言ったが明後日だろう」
「本当!? よかった、それなら間に合うよ」
間に合うというのは、今週末の妹の誕生日にということで。
桐也は心底うれしそうに、顔から感情が溢れていた。
立花は水を差すのを躊躇うように、付け足した。
「あー、運が良ければ、の話だぞ。戻らない可能性もあるからな」
「分かってるよ。でも戻ってくる可能性があるだけで充分だよ!」
立花がいなければそもそも戻ってくる可能性すらなかっただろう、と。
目の前にいる小さな少女に、祈りを捧げたいくらいの気持ちで。
屈託のない生気をありありと表したような顔を向ける桐也に。
「それならいい」
立花はそっけない返事でもって応えた。
「ありがとう」
邪気のない、ただ真っ直ぐ向けられる謝意に立花は。
「そう直接的に礼を言われるとむず痒いな。それにまだお金は返ってきてないんだ。実際に返ってきたらでいいだろう」
背中辺りがこそばゆくなるのを感じて。
顔を逸らしながら言った。
「それじゃあ明後日にまたお礼を言うよ」
「そうしてくれ――また明後日会う流れになってないか?」
「そりゃそうだよ! お金が返ってきたか君に伝えないといけないし」
何を当たり前のことを、というように桐也が軽く頷く。
しかし立花は乗り気でないようで、口の端を下げながら。
「私は一人静かに読書に勤しみたいんだが……」
ただでさえ今日は時間を浪費してしまったんだ、と付け加えて。
言い終えるとわざとらしく大きなため息を吐いた。
「明後日、教室で、絶対だよ」
ひとつずつ、間違いなく確認するように言葉を切っていう桐也に。
「あぁ、わかった。どうせ明後日は私もまた教室に来なければならないんだ。放課後に待っていれば愛しの私に会えるとも」
「うん。それじゃあ今日はこれで。またね」
「……君はそれを素でやっているのか?」
またもや無表情になった立花に、桐也は疑問符を浮かべて。
そんな様子を見た立花はこの男相手に冗談を言うのはやめようと誓って。
そんな諦観を露も知らぬ桐也はと言えば、
「え? 何の話?」
至極純粋なご様子で、本当に伝わっていないらしいと少し恥ずかしくなる。
ここまで会話のペースを乱されるのは初めてで。
「いや、もう何も言うまい。また明後日に会おう」
「うん、また」
明後日にまたこいつに会うのか、と立花は心の中で頭を抱えて。
桐也は終始変わらぬ心からの笑顔を浮かべていた。
◆◆◆
立花と別れた桐也は、家に向けて自転車を漕いでいた。
初夏に差し掛かる昼間の間、制服のワイシャツは身体を蒸しじっとりと汗がにじんでいたが。
陽が沈み始めると気温も下がり、自転車で切る風が心地よく頬を撫でる。
いつもの道を進みながら、なんだか今日はいろんなことがあったと物思いに耽る。
学校に行き、放課後バイトのある日はバイト先に行き、終われば家に帰る。
それだけを繰り返した日常のなかで今日はあまりに目まぐるしくて。
お金が盗まれ、普段はあまり関わりのない横井と会話し、初めて立花と会った。
二万円がなくなったことに気づいたときはひどく気を落としたが、横井の優しさや、立花という珍しい人にも会えて――自分のために動いてくれたその優しさに、心から感謝する。
桐也はアルバイトや家事をしなければならないこともあって積極的に人とかかわるタイプではないが。
――あの二人と関わりを持つことができてよかった、と。
お金ももしかしたら明後日には返ってくるかもしれない。
もし返ってこなければその時はその時でまた考えよう、と思って。
桐也は夜の澱みのない空気を胸いっぱいに吸い込んでペダルを踏み込む。
片方を柵で区切られた線路を脇にして、もう片方を一戸建てが並ぶ住宅地にして。
等間隔に並んだ街灯と一戸建てから漏れる部屋の光、そして自分の漕ぐ自転車のライトが照らす夕暮道は、夕陽の橙と人工の黄色い光が溶けるように混ざっていて。
たまに電車が通ると車窓から漏れる光が道を一気に黄色く照らす。
そんな電車を横目にして、桐也はふと思った。
――いつから電車に乗っていないだろうか。
中学校の頃は登下校に電車を使っていたが。
高校からは少しでも節約するために自転車に切り替えた。
家――住んで二年ほどになるそこはようやく家と遠慮もなく言えるようになってきたが――から高校まで自転車で一時間ほど。
電車を使えば三十分もかからず通えるはずだが、自転車で通えない距離でなければ、電車賃ももったいない、いい運動になるということで自転車通学をしている。
どうせ週の何日かはアルバイトがあるし、アルバイト先は駅から少し距離がある。
それも含めて自転車通学が好都合だと桐也は考えている。
アルバイト先は自転車通学だからそこを選んだというのもあるが。
こうして貯まったお金で妹の笑顔が守られるなら安いものだった。
桐也は今週末の妹の誕生日を思って頬を緩めると、またまっすぐ前を向いて家に向かってペダルを漕ぐ足に力を入れた。
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