第1話-12「財布」
「確認しておくが、犯人を見たといったのは横井だな?」
念を押すように立花が問う。
桐也が強く頷いて、そうだねと返すと。
「見たのはいつの話だ?」
「四時間目だよ。体育の時間中、怪我して保健室に向かう途中で見たって」
「四時間目……。あぁ、あのいかにも軽薄そうで吹けば飛ぶような知性しか持ち合わせていなそうなぺらっぺらな男か」
「随分な言い様だね……」
「怪我の治療が終わった後も終業のチャイムが鳴るまで十分くらい養護教諭とぺらっぺら喋っていたよ。用が済んだのならさっさと帰ってほしいものだ。静かに読書を楽しむこともできなかった」
数時間前の不愉快さを思い出してか、立花は半眼で早口にまくしたてる。
桐也はあまりの剣幕に苦笑いする以外なかった。
「他に犯人の目撃者はいなかったんだな?」
「残念ながら」
放課後の担任とのやり取りの中で聞いてみたが、新しい情報はなかった。
こうして整理してみると犯人を見つけるのは難しいのでは、と桐也は思う。
だが、立花は何か得心した様子で。
「君、四時間目から起こったことを詳細に話せ」
「どうして?」
その立花の思考についていけない桐也は。
立花に助けを求めるように疑問を返して。
立花は面倒くさそうに答えた。
「私がその事件を解決してやる。運が良ければお金も返ってくるだろう」
「本当に!?」
身を乗り出して大きな声で訊き返す桐也に。
立花はやはり顔をしかめて。
「だから大きい声を出すなといっただろう」
「あぁ、ごめん……」
声といっしょになぜか体まで縮こませて桐也は謝る。
しかしお金が返ってくるかもしれないという事実に、心を躍らせて。
「四時間目が始まったころからでいいかな?」
口元に手を持ってきてこそこそと話す桐也に。
あぁ、と頷いて立花が返せば。
桐也は起きた出来事を一つずつ話し出す。
「まず、四時間目は体育で内容はサッカー、前後半二十分の試合形式だったんだ」
ひとつひとつ、思い出すように桐也が語り始める。
立花は情報を読み取り、必要なものと不必要なものとを分別するように目を閉じて聴いていた。
「準備体操が終わってすぐ始めたんだけど、サッカー部の横井みたいに運動得意な人は前後半フルで、僕みたいにそうでもない人はどっちかだけ。出てない間はピロティで休みながら応援してたんだ」
「あぁ、今日はやけにうるさいと思ったらそういうことか。ピロティで騒がれると保健室まで響くから次からは別の場所にしてくれないか」
「それは難しいんじゃないかな。みんなで休める日蔭はあそこくらいしかないし」
「だったら静かにしてくれ」
「それこそ元気のあり余った男子高校生には無理だよ」
じとりと薄目に睨む立花に。
桐也はどうすることもできないと控え目に笑った。
居た堪れない空気に耐え兼ね、桐也は足早に続きを話す。
「前半は横井の活躍で僕らのチームが圧勝だったんだけど、前半終わり際に横井が怪我しちゃったんだ。一人で走り回ってたから疲れて足がもつれちゃったんだろうね。足をひねったみたいだったから保健室に行こうってことになって、誰が付き添うか決めようとしたら、大した怪我じゃないからひとりで行けるって横井が言ったんだ。みんな心配はしてたけど、サッカー部ならこういった怪我は日常茶飯事だろうし、本人が一番よくわかってるだろうってことで、横井は一人で昇降口に向かっていったわけ。それでこの時に犯人とすれ違ったんだろうね」
うんうん、と頷きながら桐也は言った。
長々とした説明になってしまって、うまく説明できているかは微妙な所だったが。
立花は変わらず目を閉じて考えているようで。
特に問題はなさそうで桐也は一安心した。
桐也は同じように、出来事を一つずつ思い出しながら、なるべく丁寧に説明を続けていく。
「それで横井がいなくなった僕らは一気に押し返されて後半はボロボロ。完敗だったよ。横井の怪我で少しごたついたから終わるのがぎりぎりになっちゃって――」
そして順調に波に乗った桐也は、そのまま今に至るまでを恙なく話し終えた。
すべてを聞き終えたところで、立花は一つ頷いて。
「ところで一つ質問なんだが、君個人は犯人を見つけてどうしてやりたい?」
真っ直ぐ桐也の目を見据える立花に。
長々と話して少し息を整えていた桐也は、ただならぬものを感じて。
息も頭も落ち着けて真面目に考える。
――犯人をどうするか。
皆のお金を盗んだ犯人を。
桐也の大切な妹の笑顔(二万円)を奪った犯人を。
犯人を捕まえたところを想像して。
だが果たしてどれほど想像したとしても桐也は――
「特にどうしたいとかはないかなぁ」
と、何とも言えない答えしか出せなかった。
犯人を警察に突き出すなり罵詈雑言を浴びせるなりあるのかもしれないが。
桐也個人としてはそれらはどうでもよくて。
「お金が返ってくればそれだけでいいからね」
本当にそれしかないのだ、と。
むしろそれがなければ犯人が捕まったところで意味はない。
「何ならお金だけ返ってきてほしいかも。変に面倒に巻き込まれたくないし」
はっと気づいたように桐也は言う。
犯人が捕まって事情聴取とかになれば余計に無駄な時間を取られるかも、と。
勝手な想像だが、こういった警察の仕事は無駄に時間がかかるイメージがある。
そうなればアルバイトや家事の時間が奪われてしまう。
ただでさえギリギリな生活が完全に崩壊してしまうだろう。
桐也は厳しい顔で深く頷いた。
「そうか」
考え事に集中していたせいで立花がそれをどう受け取ったのかはよく見ていなかったが。
だが立花の顔に浮かぶのは少なくとも険しい表情でなく。
「なら何の問題もないな」
そういう立花の顔は悪い顔だが、それはどこか楽しそうで。
桐也は自然と笑顔がこぼれた。
「それじゃあこうしよう」
そして立花はスカートのポケットから財布を取り出した。
桐也には財布のブランドも何もわからないが、シンプルだが小綺麗なそれは見ただけで上等なものであるらしいことだけは分かった。
何をするのか、と立花を見つめていれば。
次の行動に桐也はぎょっと目を剥いた。
立花は財布を開くとひっくり返し、中身をすべて出し始めた。
小銭が甲高い金属音をたてながら机の上やら床に転がる。
いくつかの小銭は転がってごみ箱の隙間や教室前面の黒板の下まで行っている。
「ちょっとちょっと何してるの! なくしちゃうよ!」
桐也は叫びながら落ちた小銭を必死で追いかけた。
床をきれいに転がっていく小銭に、桐也は頭を机に打ち付けた。
立花は痛みに声を上げる桐也を気にすることもなく椅子に座ったまま、残ったお札やカードを手で取りだして乱雑に机の上に置くと、財布も机の横に置いて桐也の方に手を出して言った。
「君、紙とペンを」
桐也は一度小銭を追いかけるのをやめて立ち上がって。
「なんだよ偉そうに。僕は君の小間使いじゃないんだけど」
「こっちは君の二万円を取り戻そうとしてるんだ。それくらいしてくれてもいいだろう」
「そう言われると何も言えない」
ぐうの音も出ないとはまさにこのことで。
桐也は反意を示すことをあきらめる。
「ほら、早く」
「わかったよ。なんでもいいね?」
「文字が書ければそれでいい」
何をするのか全く読めないが、桐也は鞄から筆箱とノートを取り出した。
筆箱からボールペンを、ノートは一枚破って、立花に渡す。
「ん、ありがとう」
「どういたしまして」
「それじゃ残りの小銭も拾っておいてくれ」
そっけなく受け取ると次の仕事を命じて立花は何かを書き始めた。
逆らえない桐也は小銭拾いを再開するが。
立花の荒い人使いに、眉間にしわが寄り口はへの字に曲がっていた。
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