第1話‐9「似ている」

 順番を待っている間に寝てしまった桐也は、起きると急いで職員室に向かった。

 寝ぼけていたので、鞄を持つことも忘れて。

 話を終え、職員室を出たところで桐也は自分が何も持っていないことに気づいた。

 桐也は昇降口に向けていた足の方向を変え、教室にまた戻ってきたところで立花に遭遇した、ということになる。

 そのあっけらかんとした桐也の口ぶりに立花は。

 呆れたように、開いた口から力が抜けるようなため息をついて。

「盗みを働かれたその日に荷物を誰もいない教室に置きっぱなしにしたのか」

 それでもまだ足りないのか、表情は一切変えず首を小刻みに横に振って。

「君の危機管理能力はペットとして飼い慣らされ野生の本能を失った犬以下だな」

 と、わかるようでわからない例えで桐也を評価した。

 犬か。犬は好きだな。と頓珍漢なことを考えつつ。

 だがよくない評価を受けたということに対して一応反論しておくことにして。

「仕方ないだろ。焦ってたんだから」

 しかし桐也は反論したことを後悔した。

 立花は笑っていない笑顔になって、桐也に向かって言葉の弾丸を浴びせた。

「泥棒がその仕方なさを汲んでじゃあ今回は盗むのをやめておきますねとでも言うと思っているのか? 私が本当に泥棒だったのなら君はお金のみならず鞄ごと取られていてもおかしくなかったわけだが」

「それはそうだけど……」

「だけど?」

「なんでもないデス……」

 こうなったら桐也が何を言おうと無駄であると、経験から分かっていた。

 感情のない笑顔で詰められているときは下手に刺激しないのが正解だ。

 それに桐也は口論が強いわけでもなければ。

 おとなしく引き下がる以外の選択肢はなく、

「僕が全面的に悪いですすいませんでした」

 と、少し投げやりに謝罪する。

 果たして立花は満足したか、と立花を見れば。

 最早最上級の笑顔。後光がさしてまぶしさすら感じる笑みを顔に浮かべて。

「別に謝ることはないよ。君が鞄を教室に置き忘れて、その結果盗まれたとしても私には何の関係もないからね」

 桐也は目を剥いて口を横に引き結んだ。

 なるほど、この少女はこれまで出会った女性の中でも特に厄介だぞ、と。

 だがそれを口に出せば命が危ないと、心が大警報を鳴らしていた。

 何とか思いとどまった桐也は。

「えーと、何をそんなに怒ってらっしゃるので?」

 だがそれでも地雷を踏みぬく選択を選んでしまう。

 立花は後光も、笑みも、言葉を紡ぐ口以外の全てを止めて答えた。

「全然怒ってないよ。これっぽっちも」

 桐也の背筋に冷たいものが走った。

 笑顔でピクリとも動かない立花に、桐也は筋肉の一つも動かせずに。

 唾を呑む音さえ聞こえそうな空間に、だが桐也は残された意志を振り絞って。

 腹の底からなんとかひねり出した言葉でもって打開策を探した。

「犯人と間違えて取り押さえたことに怒ってらっしゃるのでしょうか?」

 そう問う桐也に、だが立花は応える気がないようで。

「でもそれに関してはもう謝ったというか。こういっちゃなんだけどあんまり怒ってばかりだと体に良くないよ? ホルモンバランスも崩れちゃうし成長も悪くなっちゃうよ。ただでさえ小さいのに」

 そこまで言って、桐也はしまったと思う。

 ここまで言ってから思うのでは遅すぎるのは間違いないが。

 ずっとどこか重なるところがあると感じていたためか。

 だんだんと妹に対する感じと同じように接してしまった。

 ――それでいつも妹にはこっぴどく怒られるのだが。

 桐也の不躾な言葉を聞いて、立花も同じだったようで。

「君はアホのふりして私を怒らせてからかっているのか? そうでないなら君は正真正銘のアホだな!」

 ついには笑顔も無くなり、小さな顔が怒りで満ちていた。

 細めた目でこちらを見る立花に、桐也はとんでもないというように手を振って。

「怒らせようだなんて思ってないよ。ただつい君のためを思って」

「私のためを思うなら今すぐそのアホの口を閉じろ! そして二度と話すな!」

 立花は小さな体を精一杯伸ばして、桐也の口を指さした。

 桐也も少しだけ体を仰け反らせて、口を引き結んだ。

「君ほどデリカシーのない人間は初めてだ」

 立花は腕を組んで嘆息した。

 桐也はあまりに怒らせたらしい立花に申し訳なさを覚えて。

「ンんん」

「君と話しているとこちらまでアホになってしまそうだ」

「んんーン」

「それじゃ、私は帰るよ。もともとプリントを取りに来ただけなんだ」

 そういって手に持ったプリントをばさっと手で軽くはたいて。

「早く帰って本を読みたいよ」

 疲れた、というようにため息をついて教室の引き戸に向かって歩き出す。

「ンん。ンんんん! んんん」

「君もこんなところで時間を無駄にせずさっさと帰るんだな。少しでもそのアホを治すために勉強した方がいい」

「んんんーン。んんんっんんんんんん」

「……」

 突然、立花は押し黙り――。

「ん? んーん。んんんんんん?」

 桐也が呼び掛けても何の返事もなく。

 さらに何事かと尋ねようとしたところで。

「いい加減にしろ! 君は本当に私をどうにかさせたいのか!? どうかしてるのは君だぞ! さっきからんんんんもごもごと!」

 大きく息を吸って、きっ、とこちらを振り返ると、立花は一息に言った。

 桐也は思わず驚いて変な声を漏らしそうになる。

「んん! ンんんん!」

「普通に話せ!」

「君が口を閉じろって言ったんじゃないか」

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