第1話―7「犯人は現場に戻ってくる」

 ――それから数十分。

 寝過ごしたこと、大金を持ってきたことをとやかく言われ。

 反論できずに桐也はぐぐぐと唸り。

 昼休み以降の顛末を一通り聞いて、担任との話は終わった。

 残念ながら、犯人は捕まっておらず、目ぼしい情報もないということだった。

 桐也は二万円を――それで買うはずだったものを、思い返す。

 ――今週末までになんとか工面したい、と思うが。

 桐也は頭を抱える。

 貯金はすでになく、アルバイト代も当分先だ。

 できることは、何もなく思えた。

 犯人が捕まらない限り、桐也が二万円を手にすることはないだろうと。


 ――犯人が捕まれば二万円は返ってくるのでは?


 至極当然なことに気が付いて桐也は、顔を上げた。

 床を見ることをやめ、真っ直ぐ廊下の先を見る。

 桐也の教室は廊下のまだ少し先――一番奥から二番目の二年二組。

 廊下の奥まで、同じように並ぶ教室は、どこも電気はついていない。

 教室の窓に差し込んでいるだろう夕日の紅い陽が、廊下まで影を伸ばしている。

 

 幸いなことに犯人の特徴は分かっている。

 であれば近隣や、街の人に聞いて回れば何かしらの情報は得られるかもしれない。

 そうなると少しの時間も惜しい。

 桐也は教室に向かう足を速めようとして、立ち止まる。


 ――教室に何かが入る影が見えた?


 位置的には間違いなくまさに桐也が向かおうとしている教室に。

 昏くてよく見えなかったが、何かが入っていくのが見えた。

 桐也は止めた足を再度動かして――教室に向けて走り出す。

 まさか、と桐也は思う。走っているからか、緊張感からか、心臓が高鳴る。

 教室の近くまで来ると息を殺して――引き戸の影から中を覗く。

 逆光でやはり昏く、その姿をはっきりと捉えることはできないが。

 人らしき影が机を漁っていることはかろうじて認識できた。

 ――まさか、犯人だろうか。

 桐也は疑惑を深めた。こんな時間にある人影など普通ではない。

 それに、と桐也は思う。

 犯人は犯行現場に戻ってくるというではないか。

 実際、目の前で行われる机漁り――何かを盗ろうとしているように見えるわけで。

 であれば、と桐也はついさっき考えたことと結び付けてさらに思う。

 こいつを捕まえれば二万円がかえってくるのでは!?

 あまりに短絡的で、論理が飛躍しまくった展開。

 だが二万円を盗られ、今週末の楽しみを奪われた桐也に今更冷静な思考なんてできるはずもなかった。


 ――桐也は教室飛び込みながら叫んだ。

「動くな!」

 しかし突然動くなと――しかも獲物を狩るような猛った顔を向ける男に迫られて。

 影は一瞬体を震わせて桐也を視界に収めると、当然逃げ出そうと走った。

 桐也は体を翻し、影が逃げる方向にそのままの勢いで追いかける。

 果たしてその影は――走っているが走っているとは思えない速さで。

 つまりとても足が遅くて。

 桐也は悠々と追いつき、それを床に組み伏せた。

 それは桐也を振り払おうとひどく暴れるが――やはり力が弱いのかさほどの抵抗力はなかった。


「暴れるな! おとなしくしろ!」

 桐也は足を馬乗りになるように押さえつけ、腕を両手で抑えた。

「なんだお前は! 離せ!!」

 床に押さえつけられ、絞り出すように甲高い声を上げる犯人に。

「またのこのこと戻ってくるとはいい度胸だ! 僕の二万円を返せ!」

「何の話だ!」

「しらを切るつもりか? お前がお昼休みにお金を盗んだ犯人なんだろう!」

「盗み? 犯人? 全く話が見えないぞ!」

 桐也は鬼気として犯人を詰めるが、それは知らないと認めようとはしない。

 完全な平行線。

 だが犯人が簡単に認めるはずもないだろうと、桐也も思う。

 故に桐也はこの話で、逃げ場をなくす――

「嘘を吐くな! だったらそこの机でごそごそ何をしてたんだ!」

 犯行現場まで目撃されていれば、さすがに言い逃れもできようがない。

 勝利を確信し、桐也は次の言葉を待った。

 そして犯人は口を開き――

「あれは私の席だ!」

 少女はそう言い放った。


 誰もいない――桐也と少女だけがいる教室に、その声は溶けて消え。

 グラウンドで部活をしている生徒たちの声だけが、窓から小さく飛び込んでくる。

 窓から差し込む紅い夕陽は床に張られた茶色の木製タイルを淡く染め、椅子や机から伸びる長い影は――どこか物悲しさを感じさせる。

 青春の一ページとして、若々しさを感じさせる普段の爽快さと違って、心に残るようなこんな優しい風景もいいものかもしれない、と桐也は思って。


 桐也の下から聞こえてくる甲高い声に青春は露と消えた。

「いつまで私の上に乗っているんだ!」

 急いで教室に霧散しそうになっていた意識を頭に詰めなおして。

 桐也は少女に問いかける。

「私の机?」

「そうだ」

「何をしてたのさ?」

「溜まったプリントを取りに来たんだ」

 そういう少女の手には大量の――ノート二冊分はあろうというプリントが握られ。

 そういえばかなりプリントが溜まっていたな、と横井との会話を思い出す。

 ――なるほどそういうことだったかと桐也は何度も頷いた。

 そして今一度少女とプリントと机を順番に見て。

「ということは君は犯人じゃないの?」

「さっきからそう言っているだろう!」

 耳を突くような高い声で少女が叫ぶ。

 桐也は思わず頭を引いて目を瞬かせたが、犯人ではないと理解して。

「それは悪いことをしたなぁ。ごめん」

「悪いと思っているなら早くどいてくれないか」

 少女は恨みがましそうに細めた目で桐也を睨んだ。

 桐也は拘束を解いて少女の上から退いた。

 少女は上体を起こして床に座ると、手首をマッサージするように揉み込む。

 ひとしきりそれを終えるとゆっくりと立ち上がった。


 少女の背丈は桐也のちょうど胸辺りで。

 桐也が一七五㎝であることを考えても女子の中で低い部類に入るのではないか。

 さっきまで腕を掴んでいたが、思い返すと簡単に折れそうなほど細かった。

 背と腕だけでなく、見た感じ顔も足も、そもそも体全体的に小さかった。

 だが――それでも確かな存在感を放っていて。

 その小さな足で支えて立つ体は寸分の歪みなく。

 こちらを見やる眼は一切の濁りなく、頭の中まで見透かすようで。

 その体を構成する全てが、代々継がれる意匠で完璧に作りこまれた人形のようで。

 同じ空間にいれば決して無視できないような、威圧感があった。


「全く。人を突然犯罪者呼ばわりとはとんでもないやつだな」

 その言葉も、怒りを含んでいるだろうが、どこか無感情的で。

 桐也は――だが特に気にするでもなかった。

「ごめんごめん」

 普段通りに、頭を掻きながらあっけらかんと謝った。

 その様子に少女は僅かに眉を寄せたが、また無機的な表情で続けた。

「謝罪を繰り返すのは本心から謝罪していない人の特徴の一つと言われる」

 ただ事務的に、少女とは無関係な言葉として。

 少女は桐也をしかと視界に捉えることもせず。

 桐也は少女をしっかりと見て、軽さは抑えるようにして頭を下げて――ごめんなさい、と謝った。まではよかったが――

「でも君も悪いと思うんだよね。こんなひと気のない中、机を漁ってるなんて不審者以外の何物でもないじゃない」

 少女は今度こそ面食らったように目をぱちくりとさせ。

 今度こそ眉根を顰めて桐也を間違いなく視界に捉えた。

「だから、ひと気のない時間に、こっそりと来てるんじゃないか」

 怒気を孕ませて桐也に迫る少女は。

 上目に桐也を睨む姿は、だが全く恐さがなかった。

 飄々として、桐也はもう一つ――ずっと気になっていたことを訊ねる。

「さっき自分の席って言ってたけど、ということは君が立花さん?」

 一度もクラスに顔を出さず、保健室登校を続けていて。

 それ故に学校で怪談扱いされている立花。

 溜まった大量のプリントを持っているこの少女が――

「そうだ」

 立花利依、その人らしい。

 初めて見た立花に、桐也は物珍しさを感じて。

 思わず頭の先から足の先まで正面からじっくりと観察し。

 少し首を傾けて横から確認するようにさらに覗き込む。

 やはりクラスの女子と比較しても小さいからだだと、再認識して。

 桐也は浮かんだ疑問を一つ投げた。

「生きてるの?」

「それはどういう意味だ?」

 心底意味が分からない、と言いたげに目を細める立花に。

 桐也の方が背が高いはずなのに見下ろされている印象を抱いた。

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