第1話-6「株価急上昇」

「学校には来てるって噂だけどね。保健室登校してるって」

 風の噂で、いつ聞いたかも覚えていないが、同じクラスメイトの話であれば。

 横井も小耳にはさんだことがあるようで――らしいな、と頷く。

「そういえば今日保健室行った時も一番奥のベッドだけカーテン閉じてたな」

 横井が記憶を探るように宙を覗いて言った。

 桐也もつられて記憶を探るように宙を覗いたが。

 偶然、記憶の底にあった話を思い出した。

 桐也は口元に手を持ってきて、小さい低い声で横井に話した。

「僕らは事情を知ってるから何とも思わないけど……知らない人にしてみればいつ行っても閉じられてるから気味悪いってちょっとした怪談話になってるみたいだよ」

 横井もノリを合わせて若干かがんで……小さい低い声で返す。

「あぁ……俺も聞いたことある。保健室の地縛霊だろ……。かつて保健室で死んだ生徒がいて、その霊を鎮めるためにベッドを一つ捧げ続けてるって……」

「僕ら自身も立花を見たことってないだろ……? もしかしたらその話が本当なのかもしれないよ……」

「確かに……。ってそんなわけないけどな」

「まあね」

 普段通りのトーンに戻って、お互い笑い合う。

 特に示し合わせたわけでもないが、同じ波長で会話を楽しむことができた。

 おそらく横井がこちらに合わせてくれているわけで。

 これまでそれほど横井と話したことがあるわけではないのだが。

 相手のノリに瞬時に合わせて会話を膨らませる。

 やはり一口に人付き合いがうまいと済ませられるものではないと感じる。

 今日一日で横井の株価が急上昇していた。

「これで全部かな」

 心の中で横井との会話の楽しさと感心とを抱き、散ったプリントを拾い終える。

 結局ノート二冊分は少なくともあった。

「ありがとうな。助かった」

「全然かまわないよ。むしろ僕の方が感謝したいくらい」

 本当に。

 気づけば心が軽くなっている。

 先ほどまでは二万円を心の中でずっと復唱していたのに、今では。

 横井もお互い様だな、と口の端を上げると、

「それじゃそろそろ行くわ。先生待たせてるしな」

 最初に行くといってから少し時間がたってしまっている。

 机の上に置いてあった鞄を拾い上げると、空いたもう片方の手を軽く振りながら。

 じゃあな、とこちらまで元気が出そうな笑顔を置いて横井は教室を出ていった。


 一人になった教室――横井がいなくなるだけで随分と寂しく思えた。

 逆に横井一人だけで普段と遜色ない華やかさや賑やかさを感じていて。

 最後の最後まで株価を上げていった。

「さて、横井が終わるまでは暇だな……」

 ここまでの流れからして少なくとも十五分程度はかかっている。

 中途半端に余った時間を持て余す。

 何もない時間に、次第に空きができ始めた心の中に、また二万円がやってくる。

 ――二万円。貯金はもうない。今週末までに返ってこなければ……

 深いため息をひとつ。

 空気が抜けるのと同じく、体の力も抜け机に突っ伏す。

 なんとか二万円が返ってこないかと。

 ――犯人でも誰でもいいから僕の二万円を返してほしい。

 それが桐也の頭を支配したすべてだった。

 もう一度、深いため息を一つ。

 空気が抜けるのと同じく、意識も手放していた。



 しばらくして、教室にガタンッという音が響いて桐也は飛び起きた。

 寝ていたらしい、と、音の発生源はどうやら自分らしい、と。

「やばい、寝てた。時間は――」

 横井が教室を後にしてから三十分。明らかに寝過ごしている。

 先生も職員室で足を上下にゆすりながら待っていることだろう。

 頭ははっきりと動いていないが、職員室に行くという使命感だけで立ち上がる。

 桐也は急いで職員室へと向かった――。

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