悪癖を持った刺客

 彼は殺し屋刺客としては、不適格な男だった。

 その最たるが、結果的に彼が若手の殺し屋によって首をへし折られるとなった。

 倭歴わノれきにして759年。

 かこくの中流階級の長子として生まれた彼は、実にごく普通の家庭でごく普通の生活をおくっていた。それはとても平凡で退屈な日常の繰り返しであったが、史上最悪の外交全大陸争乱の傷も癒え切らず、貧困層が国民の七割を超える時代のかこくにおいては、充分に羨望の対象となる身分ではあった。ただ、思春期も半ばを迎えた頃から、彼の心に鈍色にぶいろもやがかかるようになった。

 日々の暮らしの中、好きな食事を摂り、学び舎で勉学に励み、友人たちとの遊びの中でも、楽しさも喜びも感じないのだ。心だけでなく肉体そのものにも鉛が混ざったかのような重みを感じ、肌の表面が沸き立つような、息づかいの拍子テンポが速まるような、胸の奥底が熱くなるような感覚が、何をするにしても感じることがなく、その不感具合が普通ではないと彼自身が理解するのにも時間はかからなかった。

 皮肉にもその鈍さと靄が、彼に意欲的な人生をおくらせた。しかし、それは勿論傍から見ていればの事であり、様々な活動・知識に触れても、彼の中に昂ぶりと言えるものは芽生えなかった。多感な時期であるはずの10代の半分以上を実感のない模索に費やした彼が、犯罪に目を向けることになったのは致し方ないことだったかもしれない。しばらくは犯罪紛いの遊びをする程度だった。かこくでは本にしろ、映画にしろ、過激で反社会的な表現物への規制が厳しかったからだ。

 商店では、万引き犯を思わせるような仕草をしながら何も盗らずに出たり、政府の役人や見るからに上流階級の人間をしばらく尾行したりと、あっても怪訝な目で見られる程度の行為を繰り返していたが、結局は幼稚なごっこ遊びの域を出ていない事に気づいた彼は、遂に陰領犯罪の世界へ足を踏み入れようかとも考えていた矢先、陰領の方が先に彼に手を伸ばしてきた。その手の正体は、貧困な家庭故に反社集団陰領に入った学生時代の先輩であった。本来は陰領いんりょうの側から手を出さないのが掟であるが、彼の渇きに気が付いていた先輩は一冊の本を彼に渡した。それは発禁処分後、闇での増刷が続けられているかこくで最も有名な猟奇殺人鬼の手記であった。

 法律や倫理というくさびを持たない、その人殺しの綴る言葉に彼が感じたのは感動や歓喜を通り越した親愛であり、これにより彼は自分が目指すべき場所は陰領いんりょうにあると確信する。

 以来、彼の活動はからへと変わった。

 かこくに古くから伝わる実戦的な拳法"ウーピン"の道場へと通い、犯罪に関わる知識を吸収しはじめてたのだ。周囲の人間も普段から様々な分野に手を伸ばしていた彼を知っているので、彼の中に起きた変化に気づく者はおらず、将来は警察か軍人でも目指してるのかと思い込み、の仕込みだとは夢にも思われなかったのだ。

 そして、その後に起きた二つの出来事が彼を完全に陰領いんりょうへと誘うことになる。

 ひとつは、両親が事故で他界し、天涯孤独の身となったこと。

 もうひとつは、ことだった。

 拳法ウーピンの技術がかなり身に付いた頃から、彼は露骨に身なりのいい服装をして、移動に使う道に比較的治安の悪い地域を選ぶようにしはじめた。偶発運命を装い、誰かを手に掛ける機会を得るためである。そしてそれは彼にとっては最良の結果を出すこととなった。絡んできた暴漢は複数で凶器を持ち、第三者の目には明らかに彼が圧倒的不利な状況だったからだ。彼にとっては初めての実践であるが、彼は自分でも驚く程に冷静で、自分に向けられた敵意ある意思最高の負情に心地良さすら感じていた。その感覚の影響か、彼には暴漢たちがそれぞれどのように自分に仕掛けてくるかが手に取るように分かり、刹那の打ち合いで形成は逆転。最後の相手が逆上して襲ってきた所を、咄嗟の反応を装い、道場では禁じられていた急所への打突を正確に行った。暴漢は即死だった。目撃者も多く、彼にとっての不利な状況なども有利に働き、彼は罪に問われることはなかったが、それ無罪に至るまでの間、自分の中に湧き上がる血が煮えたぎるような昂ぶりを隠し通すことにとても苦労した。

 彼は遂に、自分を見つけたのだ。

 そして、陰領いんりょうには彼の本性に気づく者がいた。ほとぼりが冷めた頃、殺しの余韻が消えかかっていた彼の元に陰領いんりょうからの誘いが訪れ、彼は拒むことなく日向ひなたの世界に別れを告げた。

 倭歴わノれきにして781年。陰の刺客"ザン・リー"が誕生した。その名前新しい名は、例の殺人鬼から引用した。

 躊躇いもなく、殺し仕事を愉しむ彼を陰領の世界は重宝し、彼にとっても殺しによって得られるを臆面もなく感じられる充実した日常が続くこととなったが、昂ぶり楽しさを知った彼はその代償として、飽きマンネリを知ることになった。ただの単純な殺しでは、心が沸き立たなくなりはじめていたのだ。その原因のひとつが敵意殺意の不足だった。針のような刺さる負情の刺激は、陰領いんりょうでの名が知られることに反して消えつつあること感じていた。彼にとっては盤石な地位の獲得として喜ぶべき物ではなかった。

 倭歴わノれき790年。かつての鈍色にぶいろもやとは違った渇きを感じ始めた頃に彼の元に舞い込んだのは、以前倭わこくに渡り、戻る事のなかったに関する情報だった。依頼が失敗しただけでなく、自分の痕跡を消すために無関係な人間にも多数の犠牲者を出したことにより、かろうじて繋がりを持っていたわこくの裏社会とかこく陰領いんりょうの関係は完全に断絶状態に至った。

 そこに、ザン・リーは活路死路を見出した。

 わこくへの片道切符を手に入れるため、雇い主と敵対する複数の組織の頭目を仕留めるという不可能に近いシノギ仕事をやり遂げ、わこくへと渡った。彼の来訪は本人同意の元、事前にわこくの裏社会に流されていたため、以前の事件を知る者たちからは早々に命を狙われることになるが、そのことごとくを返り討ちにしていった。

 その最中で、裏社会の幹部である親方おやかたからの誘いの話もあったが、彼はそれを全て断った。それには敵意を欲していたという理由の他に、表社会からは完全に存在を消しているわこくの裏社会の在り方が、陰領という日向の元でもその存在が身近であったかこくのそれとあまりに違うことへの違和感もあった。さらに決定的だったのが、殺し仕事を愉しみ昂ぶりを感じることに否定的な態度を取られたことだった。

 その昂ぶり悪癖が命取りとなる。

 とまで言われるも、彼にしてみれば、愉しむ訳でもないのに人殺しを行うわこくの殺し屋の方が理解し難いものであり、彼らの持つ流儀や美学も単なる綺麗事の戯言にしか思えず、そんなものは遠からずに潰えると考えていた。

 倭歴わノれき799年。事実、彼が自分と同じ匂いを感じた組織護り屋デパートに雇われてから数年後、歴史あるわこくの裏社会は衰退への道を進んだ。高ぶる獲物の絶滅に憂いを感じつつも、彼は趣味殺しの手を緩める気はなかった。

 その中で、最も彼が執着したのが、横谷横丁殺し屋横丁の殺し屋佐々斬り小次郎ささぎりこじろうであった。妖刀の事実は知らずとも、彼から放たれる憎悪と殺意に満ちた波動に、彼はそれまでにない昂ぶりを感じた。幾度もの死合しあいの末、複数の殺し屋と護り屋が入り乱れる混戦の最中、佐々斬りの不意を突いたザン・リーの一撃が、遂に百人斬りの侍の命を奪った。

 その瞬間、彼の中にかつて感じたのと同じ、血が煮えたぎるような激しい昂ぶりが沸き起こり、彼にとって人生最上の瞬間が訪れた。しかし、そんな隙だらけな状況を、わこくの殺し屋が見逃すはずがなかった。

 もし、陰領いんりょうの人間が、ザン・リーが"若手の殺し屋に背後を取られ首をへし折られた"などという話を聞けば、絶対に信じることはないだろう。しかし、愉しむ訳趣味としてでなく、必要な事単なる仕事として殺しが行われるわこくの裏社会では、彼の持つ悪癖昂ぶりは絶対的な強みではなかったのだ。

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殺し屋横丁×護り屋デパート Aruji-no @Aruji-no

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