シテン篇
ある人斬りの物語
それは、とても弱い男の人生だった。
百人斬りの異名を持つ人斬りにして殺し屋。
倭歴757年。
760年代後半。物心がついた頃には、自らを取り巻くひもじさを充分すぎるほど理解しており、それが富や力に対する強い渇望へと繋がった。この当時の若者にしてはそれほど珍しいことではない心情であるが、彼にはそれに加えてある種の"才"があった。それは特定の分野、種目というよりも万能的で、あらゆる事をそつなくこなすことができる器用さと言った方が正しいかもしれない。しかし、その才能から来る驕りが彼の抱く渇望を増長させ、様々な厄介ごとを引き起こす原因となってしまう。さらに、彼の才能を惜しむ者の擁護がさらにそれを加速させる悪循環を生み、成人を迎える頃には完全に腫物を扱うような立場となっていたが、それでも絶えず自分を気にかけてくれていた女性がおり、彼自身もその女性を心の支えにするようになっていった。
778年。女性からの説得もあり、かつては毛嫌いしていた実家の鍛冶屋を継ぎ、野心を燻らせる生活をしばらく続けていたが、その仕事の関係で訪れた
それは、持った者を血に飢えた人斬りへと変えてしまう代物であったが、彼がその狂気に飲まれることはなかった。何でもそつなくこなしてしまう彼の"才"が、ここでも活かされたのである。そこで妖刀は、彼が抱き続けていた富と力への渇望に目を付けた。理知で冷酷な打刀は、悪手により富を得た有力者を見抜かせ、享楽的な脇差は、彼が幼少より抱き続けた嫉妬と鬱憤を晴らす行為として彼を人斬りへと誘った。
その結果、彼は平常と狂気を併せ持った人斬りとなり、後に100人斬りと噂されるほどの血塗られた功績を積み重ねることとなる。その過程で得た財は全て愛しの女性との豊かな生活の実現に費やされたが、女性は彼から漂う血の匂いに早くから勘づいており、心が離れだしていた。
783年。彼が女性の心変わりに気づいた時にはもはや修復不可能な段階にまで行き付いており、さらに彼の正体も垣間見てしまった女性は遂に彼の元を去ってしまう。その喪失感を紛らわすためか、その後の数年間は正に修羅の如き様相だった。
789年。それが変わるきっかけとなったのが、裏社会で既に伝説と化していた横谷横丁。通称殺し屋横丁の人間から声をかけられたことだった。裏側とはいえ、今更社会の一部となることをはじめは拒むも、自分の元を去った女性が、身ごもっていた彼の子どもを産み育てていたが病によって亡くなり、子どもが孤児となってしまった事を聞かされる。妖刀の意のままに血を浴びる生活に、もはや一縷の充足も感じられずにいた彼はそこに郷愁にも似た潤いを見出す。
790年。彼は親方たちの手を借り、ただ虚しく積み重なるだけとなっていた財産を全て投げうち、新たな
794年。そんな彼にとって救いとなったのは、皮肉にも時代の変換により殺し屋横丁を含む裏社会に衰退の波が押し寄せたことだった。人斬りの機会も減り、刃物店としての表の顔の時間が増えていった。その過程で、同じ商店街の住人であり、同じ殺し屋である薬屋の女性と男女の仲に進展した。勿論、妖刀による誘惑と渇きに苛まれる夜もあるが、娘との慎ましやかな生活を望む意志が、彼に新た強さを与えていた。
799年。
結果として彼は二つの事を知らないままにこの世を去った。人斬りから離れつつあった彼の代わりに、彼と同じ"才"を受け継いだ娘に妖刀が毒牙を伸ばしていた事。その事実を掴んだある者たちがそれを利用し、新たな想い人を娘に殺させた事を。それが、彼にとってせめてもの幸福だったのか、結局妖刀の呪いを断ち切ることができなかった事への罰であったのかは、もはや誰にも分からなかった。
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