シテン篇

ある人斬りの物語

 それは、とても弱い男の人生だった。

 百人斬りの異名を持つ人斬りにして殺し屋。佐々斬り小次郎ささぎり こじろうが、華国異国より来た刺客との死合いにて不覚を取った瞬間に見たのは、今際の際にしてはとても長い自らの物語歴史であった。

 倭歴757年。史上最悪の外交全大陸争乱終結から十年以上が経過するも、倭国内は未だ、各所に根深い空襲の爪痕と復興政府の手が伸びない貧民街が乱立する陰鬱と混沌が満ちていた。鍛冶職人の息子として生まれた彼の故郷の村鈴舎もそのひとつであった。

 760年代後半。物心がついた頃には、自らを取り巻くひもじさを充分すぎるほど理解しており、それが富や力に対する強い渇望へと繋がった。この当時の若者にしてはそれほど珍しいことではない心情であるが、彼にはそれに加えてある種の"才"があった。それは特定の分野、種目というよりも万能的で、あらゆる事をそつなくこなすことができる器用さと言った方が正しいかもしれない。しかし、その才能から来る驕りが彼の抱く渇望を増長させ、様々な厄介ごとを引き起こす原因となってしまう。さらに、彼の才能を惜しむ者の擁護がさらにそれを加速させる悪循環を生み、成人を迎える頃には完全に腫物を扱うような立場となっていたが、それでも絶えず自分を気にかけてくれていた女性がおり、彼自身もその女性を心の支えにするようになっていった。

 778年。女性からの説得もあり、かつては毛嫌いしていた実家の鍛冶屋を継ぎ、野心を燻らせる生活をしばらく続けていたが、その仕事の関係で訪れた祇族しぞくの蔵にて、自らに語り掛けてくる二振りの刀と出くわした。それが妖刀、佐々斬り小次郎だった。打刀と脇差のそれぞれから溢れる毛色の異なる渇望に共鳴した彼は、思わずそれを手に取ってしまう。

 それは、持った者を血に飢えた人斬りへと変えてしまう代物であったが、彼がその狂気に飲まれることはなかった。何でもそつなくこなしてしまう彼の"才"が、ここでも活かされたのである。そこで妖刀は、彼が抱き続けていた富と力への渇望に目を付けた。理知で冷酷な打刀は、悪手により富を得た有力者を見抜かせ、享楽的な脇差は、彼が幼少より抱き続けた嫉妬と鬱憤を晴らす行為として彼を人斬りへと誘った。

 その結果、彼は平常と狂気を併せ持った人斬りとなり、後に100人斬りと噂されるほどの血塗られた功績を積み重ねることとなる。その過程で得た財は全て愛しの女性との豊かな生活の実現に費やされたが、女性は彼から漂う血の匂いに早くから勘づいており、心が離れだしていた。

 783年。彼が女性の心変わりに気づいた時にはもはや修復不可能な段階にまで行き付いており、さらに彼の正体も垣間見てしまった女性は遂に彼の元を去ってしまう。その喪失感を紛らわすためか、その後の数年間は正に修羅の如き様相だった。

 789年。それが変わるきっかけとなったのが、裏社会で既に伝説と化していた横谷横丁。通称殺し屋横丁の人間から声をかけられたことだった。裏側とはいえ、今更社会の一部となることをはじめは拒むも、自分の元を去った女性が、身ごもっていた彼の子どもを産み育てていたが病によって亡くなり、子どもが孤児となってしまった事を聞かされる。妖刀の意のままに血を浴びる生活に、もはや一縷の充足も感じられずにいた彼はそこに郷愁にも似た潤いを見出す。

 790年。彼は親方たちの手を借り、ただ虚しく積み重なるだけとなっていた財産を全て投げうち、新たな自分戸籍を手に入れ、自分の子ども-登美子を娘として引き取り、横谷横丁で刃物店を開業し、新たな生活を始めることとなった。裏社会の深淵とも言える場所に居を構えさせたのは、それまでの人斬りとしての所業に対する報復を抑えるための配慮であると同時に、狂気の妖刀佐々斬り小次郎を長年使いこなしてきた彼を退のは惜しいという親方たちの思惑、さらに妖刀が原因ではあるが彼自身の人斬りに対する渇きを捨てきれない弱さも絡み合っての結果であった。その全てを満たすために、彼は男手一つで娘を育てる父親の裏で、享楽のためでなく裏社会の殺し屋均衡を保つ者として人を斬る二重生活をおくることになる。結局は、女性が心変わりする原因となった状況から脱却できていない事に再び悩み始めることになり、娘の登美子に自分の正体が露見することを何よりも恐れるようになる。

 794年。そんな彼にとって救いとなったのは、皮肉にも時代の変換により殺し屋横丁を含む裏社会に衰退の波が押し寄せたことだった。人斬りの機会も減り、刃物店としての表の顔の時間が増えていった。その過程で、同じ商店街の住人であり、同じ殺し屋である薬屋の女性と男女の仲に進展した。勿論、妖刀による誘惑と渇きに苛まれる夜もあるが、娘との慎ましやかな生活を望む意志が、彼に新た強さを与えていた。

 799年。護り屋まもりやと呼ばれる新たな競合相手も幅を利かせるようになり、裏社会には完全に斜陽の気配が訪れていた。しかしそれは彼にとっては、完全に人斬りとしての自分を捨てる絶好の機会でもあった。身近な友人たち殺し屋たちも彼の新たな門出を後押しする言葉をかけてくれていた。その最中に舞い込んできた久々の大口の殺しの依頼。彼はそれを最後の奉公のつもりで引き受けてしまった。相対する者の中には、人斬りとしての彼に執着を見せる異国華国の刺客。勝負は一撃。呆気ない結果であった。何よりもこの状況でそんな隙を見せたことに驚いたのは、彼自身だったかもしれない。彼の物語は遂に終劇に到達し、力なく地に倒れようとしている彼が最後に抱いたのは、一人残す事になる登美子への謝罪と、自分に対する不思議な満足感であった。

 結果として彼は二つの事を知らないままにこの世を去った。人斬りから離れつつあった彼の代わりに、彼と同じ"才"を受け継いだ娘に妖刀が毒牙を伸ばしていた事。その事実を掴んだがそれを利用し、新たな想い人を娘に殺させた事を。それが、彼にとってせめてもの幸福だったのか、結局妖刀の呪いを断ち切ることができなかった事への罰であったのかは、もはや誰にも分からなかった。

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