夕暮れの橙
おれたちの高校は、一応進学校ということになっているので、授業は大体7時限目まである。田舎県の地元の進学校だから、教育の質はたかがしれているだろう。将来のことなんてまだ分からないし、そもそも大学に進学できるかどうかが怪しいけれど、とりあえず今は、自分たちができることをやるだけだ。
というわけで、おれと冬、そして予定通りに揃った誠と実里の4人は、校舎3階に位置する第三演習室で、帰宅部集会を開催していた。
今日の活動内容は、週末課題の消化。陽キャの実里も意外にもやる気で、集会開始から30分ほど経った今も、数学の問題に手こずっている誠に、根気強く解法を説明している。
「だぁ~か~ら~、xに2を代入するんだってば!!」
「いや、だ~か~ら~!その2ってどっから湧いてきたんだよ!!」
「もう、だぁ~か~ら~‥‥っていうか、わたしのマネしないでよ!!」
誠がいちいち茶々を入れることもあって、2人の週末課題はなかなか進まない。
田代誠。「誠」と書いて「まこと」だ。
誠は、1年生の冬、約一ヶ月の不登校をした。理由は、登校手段が無かったからだ。誠は高校がある市とは別の市に住んでいる。田舎だから電車もないため、誠が住んでいる市からうちの高校に通うには、バス登校か、もしくは送迎を頼むしかない。おれは事情を詳しくは知らないが、誠にはそのどちらの登校手段も無かった。「まあ、おれ、クラスに馴染めてるわけでもねえし、わざわざ必死にチャリ漕いでまで学校行かなくてもいっかなって」諦めたようにそう言って、誠は約一ヶ月間、学校に来なかった。
たかが一ヶ月。されど一ヶ月。一ヶ月の不登校期間がある誠は、2年生に上がった今なお、周りとの学力の差を思い知らされる場面に出くわす。
誠の不登校は、誠のせいじゃない。それでも、誠の学力不十分は、誠が背負わなければいけないハンデだ。
そんな理不尽な状況に置かれているにも関わらず、誠は平然としていた。今だって、堂々と実里に「え、正弦定理?何だっけそれ」と質問している。正弦定理は、ちょうど誠が学校に来ていなかったときに教わった内容だ。
「ええ~!?正弦定理、忘れたって言うの?今までどうやって問題解いてたのよ」
「いや、忘れたっつーか、みんなが正弦定理習ってたとき、多分おれ学校来てなかったし。だから、今までこの問題解けたことねぇんだよ!!」
「はぁ~!?不登校だったってこと!?何してるのよ!!」
「いいから、その『正弦定理』っていうの、何のことか教えろよ!!いや、教えてください!!まじわかんなくて困ってる!!」
再三言うが、誠は来たくなくて学校に来なかったんじゃない。来られなかったから、学校に来なかったのだ。
誠は、そのことを自ら進んで口にしない。だから、このことを知っているのは、何人かの先生と、おれや冬などの一部の人間だけだ。大半の人間が、先ほどの実里のように、誠の不登校を怠慢か何かだと思い込んで、非難する。誠自身も、その非難が正当なものであるかのように振る舞う。
本当のことを言えば良いじゃないか。誠は何も悪くない。
誠の学校復帰後、おれは一度だけ、誠にそう提案したことがある。でも、その時すら誠は「いや、実際さ、おれが頑張って朝早起きすれば、チャリ漕いででも登校できたわけだしさ。完全におれに非が無いってこともないんだよ」と言った。諦めたような顔だった。まるで、日が暮れていくのをただ1人で眺めているような、そんな表情をしていた。
かと思ったら、誠はぱっと明るい表情を作って「ま、おれには日暮がいるからさ!いろいろ、よろしく頼むぜ~」なんて、おちゃらけた態度を取った。
帰宅部は大体陰キャ、なんて言ったけれど、おれは誠のことを陰キャだとは思えない。おれたちが知らないだけで、誠が家庭の事情を色々抱えているのは明確だ。そんな中でも暗い表情を見せない誠は、陰キャとかの言葉ではくくれない。
田代誠。「誠実」の「誠」と書いて「まこと」だ。
一見ふざけているように見えて、その実、真面目だ。みんなが知らないだけで、誠は本当に良いやつだ。
「あ、やべえ。もうこんな時間か」
誠の声に顔を上げると、時刻は午後5時45分。青かった空も、すでに橙色に染まっていた。
「じゃあ、おれ、先帰るわ。おつかれさん」
「え、待って、もう帰るの?まだ余弦定理もマスターしてないじゃない!」
慌てて誠を引き留める実里に「じゃ、次回もよろしく~」とおちゃらけて、誠はすぐさま去って行った。
「せめて正弦定理は覚えておいてよー!!」と叫ぶ実里。多分実里は知らないと思うが、誠はこれからバイトがある。もちろん、学校には内緒で、だ。おそらくバス代を稼ぐために、やむを得なかったのだろう。果たして、誠に、正弦定理を記憶しておく余裕があるかどうか‥‥
あれ?っていうか‥‥
「実里って、なんで帰宅部なの?」
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