第3話 刷り込み

 クリアゲージの中に十個の卵が用意されていた。何も聞かされていない僕は神楽坂さんに何をするのか質問する。

「これはただの卵じゃないわ。この中には雛がいるの」

「もしかしてヒヨコですか?」

「えぇ、そうよ。もうすぐ生まれる頃かしら」

「ヒヨコを使って何をするつもりですか」

「犬くん。ヒヨコは孵化した瞬間、既に目が見えていてすぐに歩き出すことができるのを知っているかしら」

「えぇ。それくらいでしたら知っていますよ」

「それは何故か分かるかしら」

「さぁ、どうしてでしょう」

「答えは簡単。万が一、孵化した瞬間に外敵に襲われても逃げることができる為よ」

「なるほど。でも凄いですね。生まれた瞬間から目が見えて歩き回れるなんて人間だったら天才ですよ」

「そうね。それとヒヨコにはある習性があるのを知っているかしら」

「あれですよね。確か、初めて見たものを親と認識するやつ」

「そう。それを『刷り込み』と言うのよ。今回はその習性に対する実験を行うわ」

「一体どんな実験を行うんですか?」

「これを見なさい」

 神楽坂さんが持ってきたのはネジ巻き式のニワトリだ。文字通り備え付けのネジを回すことで回す分、動くオモチャだ。

「今回はこのオモチャが親と認識するかどうかの実験よ」

「いや、神楽坂さん。いくら何でも無謀ですよ。生き物ならまだしもオモチャを親とは思いませんよ」

「犬くん。だからこその実験じゃない。見て! 卵にヒビが入っている。生まれるわよ」

 クリアゲージの中を見ると孵化寸前の卵が動いていた。生命誕生の瞬間である。神楽坂さんはオモチャのネジを巻き、スタンバイさせる。すると、雛は一斉に孵化して殻を破って出てきた。

「今よ」

 神楽坂さんはクリアゲージの中にニワトリのオモチャを投入した。

 するとヒヨコ達は一斉にニワトリのオモチャに群がり出した。

「犬くん。大発見よ。オモチャでも親と認識したわ」

「信じられない。こんなことが起こるなんて」

「ヒヨコはオモチャでも刷り込みは可能と」

 神楽坂さんはメモ帳に書き込んだ。この時の神楽坂さんはいつも以上にテンションが上がっていた。動物のことになると夢中になれるらしい。

「ところで神楽坂さん。このヒヨコ達の出所はどこなんですか?」

「あぁ、これ? 生物科の成田教授に借りたの。あとで返すから安心して」

 毎回、実験の為に必要な生物や器具はその人から仕入れているみたいだ。しかし、一般の生徒に普通はここまで貸してくれない。神楽坂さんだからこそ成立している。その辺の事情に関して僕は一ミリも知らない。いや、むしろ知らない方がいいのかもしれない。

 ちなみに今、僕たちが使っている実験室は一般人立ち入り禁止になっているところだ。これもまた神楽坂さんだけが使える特権になっている。そのおかげで僕もこうして出入りすることが出来ると言う訳だ。神楽坂さんの謎はまだまだあるが、物語を進めるにつれて知って頂ければ幸いだ。何といっても僕と神楽坂さんが知り合ってからまだ半年くらいしか経っていないので僕自身、何でも知っている訳ではないからだ。

 大学の校内ではよく行動を共にすることは多いが、大学の外に出てしまえばほとんど顔を合わせることはない。いくら親しくしても神楽坂さんは人間嫌いだ。極力誰とも関わりたくないのは察している。

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