往時
「この刀はお前を守る刀だ。刃毀れさせておく訳にはいかない」
弾かれたように爽葉は彼の背中側から横顔を見た。彼の柔らかい猫毛が、爽葉の頬をくすぐる。
「こいつはもう相当ガタがきている、これは応急処置にしか過ぎない。金を惜しまず直ぐに新しいのを買え。足りないなら俺のを貸してやる。……どうした」
じっと見つめてくる爽葉に、斎藤は
「ハジメは、同い年に思えない。言葉選びが良い……選び方が大人だ。雰囲気も落ち着いている」
「そうか?」
「お前はなんだか、こう……。不思議な人だ。とても謎めいた匂いがするけど、惹きつけられる芳しさだ。そういや、よくよく考えたら僕等は歳だけじゃなくて、入隊時期も場所も同じだな」
「爽葉、お前は捕まって此処に来ただろ」
はて、とふざけて首を傾げる彼に苦笑する。斎藤は爽葉と同じく、京都での最初の隊士募集時に参加した。しかし、近藤達とは既に顔見知りで、試衛館にも出入りしていた。先に京入りしていた斎藤は、元より彼等と京都で合流する約束していたのだ。
「近藤さんには、江戸で世話になった。口論の末に旗本を斬ってしまったりして、追われていたところを助けてもらったんだ」
「おやおや、出だしから波瀾万丈の予感だな。言葉尻からして、まだまだありそうですねえ?」
にたにたとにやける爽葉に、斎藤が不敵な笑みを浮かべる。
「やくざ者の縄張り争いに加勢したり、借金の取り立てもしたことがある」
「ほえーっ。こりゃまた意外な!」
「旗本との諍いきっかけに、当時出入りしていた試衛館で暫く世話になった。その後、父の友人を頼って京に上ったんだ。彼は道場を開いていて、そこの師範代を務めながら近藤さん達が来るのを待っていた」
爽葉は斎藤の背後から横へと、滑るように身体をずらした。昔語りをしながら、斎藤は拭紙で下拭いをした
「でも、ハジメが喧嘩して人を斬るなんて本当意外だなぁ。この浪士組一物静かなハジメにも、血気盛んな時期があったのか」
「弾みだった。俺の性格は変わっていない」
彼が無邪気な赤子のように斎藤に手を伸ばす。よく見れば彼の手は綺麗な手をしていた。絹のように
「おいだから、危ない。爽葉」
斎藤は、爽葉側に
「どんな理由があったのかは知らないが、きっと其れ相応の訳だったのだろう?」
爽葉は、うずうずと手を捏ねた。彼は義理堅い。幽寂とした佇まい、口下手で恥ずかしがり屋。やるときはやる男だが、比較的慎重派。そんな彼が感情任せで人を斬る筈がない。
「殺すつもりはなかった、のだが、こう言えば言い訳がましいだろう?」
「人によりけりだな。総司が言うと嘘臭いし、左之助が言えばちゃんちゃらおかしい」
短気の原田など即座に喧嘩を始めそうである。
「若い武士の旗本だった。女人にあらぬ理由をつけて絡んでいたから間に入ったのだが、なかなか腹の虫が治まらなかったようでな。向こうが真剣勝負をしろと五月蠅かったので、そうしてやったら死んでしまった」
「お前は自身の練達すぎる腕前を、把握しきれていなかったんだな。皆も言っていた。ハジメはずっと天才だったって」
「買い被りすぎだ」
使い終わった打粉を彼の空き手に渡す。彼はふわふわとした触感を楽しんでいるようだ。
「同期らしい会話しようぜ。どーよ、天才青年君的に、浪士組は」
なんだそれ、とちょっと笑って、斎藤は考えてみる。切長の目が、更に細まった。
「この忙しない時代と環境の中でも安心ができて、居心地が、良い。俺は言葉足らずで、経験も少ない若造だが、此処の奴等はいつも暖かく接してくれる。俺の話を聞いてくれる。俺の剣を見てくれる。此処より他に、居たいと思える場所など無い」
「近藤さんが大将っていうのが得心のいく組織だよな」
「ああ。大将は彼しか務まらない。ずっとあのままでいて欲しいものだ」
彼は花笑むと、仕上げにと、油塗紙で
「今日は珍しくよく笑うな。ハジメ?」
「何故お前はいつも、俺が笑うと嬉しそうなんだ……」
その時、スパーンと勢いよく障子が開け放たれた。
「あーれ、お前等何で俺抜きで同い年会したんだよ。混ぜてよ!」
振り向くと、不貞腐れた藤堂が廊下に仁王立ちしている。腰に手を置いて高い位置で長髪を括り、前髪を分けてその綺麗な顔立ちを晒していた。瞳は大きく、薄過ぎない唇。鼻筋は通っており、愛嬌を添えつつやたらと品の良い造形をしている。伊勢国の津藩主、
「おー。噂の
「なんだそれは」
「血気盛んが幸いして、いつも戦闘時に真っ先に斬り込んで行くからなんだと。この前の戦闘でも斬り込み隊長を担ったらそんなあだ名が付いたらしい。その過多な血の気をハジメに分けてやったらどうだ」
「勇猛果敢と言ってくれよ。このあだ名、俺は結構気に入ってるんだぜ」
「誰が付けたんだ」
「まっつん」
誰?と斎藤は小首を傾げる。
「忠司さんのことさ」
最近入隊した松原忠司のことである。年齢は土方と同じ二十八。兄貴肌で、山南と並んで浪士組では数少ない生粋の温厚な性格の持ち主である。彼は年下の面倒見がとても良く、最年少組の三人に対しては尚の事、可愛がり性が疼いて抑えられないらしい。彼は爽葉の為にいつも懐に
「刀の手入れしてたのか」
「うん。僕一人でできないから、頼んでやって貰っている」
障子を後手で適当に締め、三角を作るように藤堂も胡座をかいて座る。斎藤の手許に視線を落とす。彼の手つきからは、刀への愛情が見て取れた。
「何の話しをしてたんだ」
「僕等二人とも京都参加の同い年だねーって」
「そっか。俺等が京に上って直ぐだもんな」
「江戸にいた頃と今は変わらない?」
「うん。変わらないかなぁ。人が増えて余計楽しくなったけどな!」
藤堂の、嫌味の無い元気な笑顔が咲く。斎藤の
「今と変わらず、朝から竹刀の音が響いていた。門弟の俺等がひっきりなしに出入りしていたが、顔ぶれは試衛館派の幹部と同じだから、確かにあまり変わり映えはしないな」
「松五郎さんとかも居てさー。田舎暮らしも良かったよなぁ。稽古して疲れて、皆で飯食って縁側で雑魚寝して、また稽古して。あ、松五郎さんがそろそろ帰東するから宴を開くらしいぜ」
「あの人は最後まで家茂候警護に当たるのか。近藤さんも土方さんも、相談役の帰郷は寂しいだろうな」
斎藤が茎を入れた柄に目釘を打ち、刀身を傷の目立つ鞘に納めた。
「できたぞ」
触れた時にちくりとした鞘のささくれを削って、爽葉に渡す。
ぱぁっ。彼は綻ぶ。
「ハジメぇー、ありがとうよぉー。切れ味が増すなぁ。んー、愛おしいぜー」
返り血が染み込んで黒ずんだ鞘に頬擦りする彼を見て、
「うちが京都に留まることに関して許可は下りたのか?」
「今日近藤さん等が嘆願書を提出しに行っているから分からない。吉報を持ち帰ってきてくれると良いけど」
「どうなるだろうな。松平候は近藤さんのことを大層気に入っているようだし、俺は許可が出ると思う。芹沢さんは一緒に行かなかったようだし、な」
「どうせまた、土方さんと山南さん辺りが仕組んだんじゃねーの?」
「あの策士の二人ならやりかねんな」
彼の乱暴狼藉は京都守護職の松平候の耳にまで入っている。彼の酒癖の悪さは天下一品、金策においては商人を脅して取り立てるなどの強引な資金集めをする。当然、守護職にとっては悩みの種であり、あまり好ましく思われていないだろう。
「流石、浪士組に参加する前、強引な資金調達活動で牢に入ったただけはあるな」
「ええ!芹沢の野郎そんな黒歴史持ってやがるのか。やるなあ。奴の悪行は藩のお墨付きかよ」
「爽葉……感心するところじゃねーだろ」
「最近土方さんはお梅さんも少々邪険にしていると聞いたが」
まるで悪者のように
「あー。芹沢さんの妾になって、浪士組のことにまで口を出してくるからじゃねぇの」
「お梅がか?」
笑うのをやめた爽葉が、くるん、と首を向ける。
「お梅は優しいぞ」
「お前は可愛がられているからな。局長副長あたりの役職となるとそうはいかない。俺も、外部の人間が浪士組に関してとやかく言うのは感心しないな」
「それとなく忠告しておくか……。確かに個人的助言ならまだしも、発言力があると勘違いして口を挟んでくるとなると厄介そうだ」
ふむ、と爽葉は顎を引く。
「爽葉って、何でそんなにお梅さんと仲が良いんだ?」
「へ?そ、そう?」
「うん。お梅さんも芹沢さんも、お前のこと気にいるのは分かるけどさ」
口許が引き攣るのをどうにか誤魔化して、なんでだろな、とどうにか言葉を絞り出した。
女風呂を借りています。さらしを洗って貰っています。月役の時は本当、女神に見えます。ましてや、着物も着ちゃいました、などと口が裂けても言える訳がない。
「えーと、おやつくれるから、かなぁ?」
「お前は食い物に釣られ過ぎだ」
斎藤が呆れるのを聞いて、内心胸を撫で下ろす。
「借金を返せと屯所の門を叩いていた最初の頃は土方さん狙いかと思ってたけど、芹沢さんを落とすとはなぁ。昼間っから八木邸のあそこだけは遊郭みたいだぜ」
「トシ狙い?」
舌を出し、器の形を作った右手を顎下に添えて、げえ、と爽葉は吐く真似をする。
「土方さんは江戸でもこっちでも、絶大な人気だぞ。役者のようなあの端正な顔立ちに惚れない女はいないと噂の的だ」
「ええー。あんないっつも怒ってるのに?」
「あの冷酷そうな感じがいいんだとよー。でも左之助と
あ、山南さんも結構人気ある、と付け足す藤堂を笑って、斎藤が爽葉に言う。
「平助こそよく女達の話題に上ると聞く」
「え、やだ、
「あと、人前に滅多に出ないから騒がれることは少ないが、烝さんは男も惚れる色男だ」
「何どさくさに紛れて褒め合ってるんだ、気持ち悪い……」
顔の良い奴ばかりじゃないか、と吐き捨てて、顔に関してはやや劣等感のある爽葉は、腕組みをして、ふんっ、と顔を背けた。
「爽葉は包帯外したら可愛いよ」
「なんだよ男に可愛いって!嬉しくないぞ」
「その包帯を外して、爽葉が堂々と白昼にその青い目を晒して歩ける日が来ると良いんだがな。お前は包帯さえなきゃ土方さんに並ぶ麗人だ、勿体無い」
「いつになることやら……」
自分で言っておきながら、爽葉は溜息を吐いた。
「その割には、皆想い人とかいないのな。好い人がいるって話すらあまり聞かん」
「見てくれが良いと持て囃されるとは言えど、俺達は壬生狼と恐れられる一面もあるからな」
「しかも、剣術馬鹿がこの男所帯に
確かに、とげんなりした顔で爽葉も頷いた。四六時中、男だけで汗塗れになって剣の腕を磨いているのだ。剣に生きる覚悟をした者しか集わず、惚れた腫れたなど二の次だ。爽葉も勿論その考えであるし、そんな事よりも自分の性別を隠すので手一杯である。
「近藤さんだけがつねさんを妻に娶っているな」
「そっかー。まあ、トシと山南と烝は、もう適齢期だから焦っても、僕等は余裕だな」
「所帯を持つ前に御陀仏って可能性も否めないがな」
「えっ、それだけは……」
やや現実味を帯びた斎藤の言葉に、藤堂と爽葉は身を寄せ合って震えた。
「でもうかうかしてると、気付けば周りが軒並み所帯を持っているかもしれないよ。ほら、あれ聞いた?愛次郎に想い人ができたんじゃないかって噂!」
ええ!と爽葉が身を乗り出した。彼は爽葉達三人と同い年である。思いもよらぬ同世代の浮いた話に、爽葉は気が気ではない。
「気になる!どこの誰だ?」
特に意味もなく、藤堂は手の甲を反り返らせて口に添え、二人に身体を寄せてわざとらしく小声になる。
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