起首

 どちらかが問いかければ、直ぐ呼応してくるそれは、さなが阿吽あうんの呼吸。


「一組が二つ、二組が一つってのは、どうだ?」


 そう提案してきたのは、芹沢一派の一人、平山ひらやま五郎ごろう。爽葉は彼の動きと気の張り巡らせ方に違和感を感じ、不躾なまでにじろじろと観察して、直ぐに納得した。


「お前、隻眼か?」

「よく分かったな。昔遊びでちと、な」

「馬鹿だな」


 ちょっとだけ仲間意識が芽生えたのは、否定しない。


「俺は平間ひらま重助じゅうすけ。誰と誰が組む?」


 そう名乗ったのはもう一人の芹沢一派の男。剣士なのだからそういう訳ではないだろうが、少し気の弱そうな印象受ける。論理的な口ぶりで、やたら芹沢と話し込んでいたので、頭が良いのだろう。


「爽葉と平山さんにしましょう。では、十分に時間を空けて潜入しましょうね」


 そう言うが早いか。沖田は懐手しながら散歩でもするかのように、ふらっと行ってしまった。爽葉は面倒臭そうに頭を掻いて、平間の背中を小突く。


「次はお前な。僕の容姿は、一芝居うつのに不向きだからな」

「そういや、そうだな」


 平山は片方の眼で、包帯を巻いた藍色の髪の少年を見下ろした。平山も、屯所内で何度も目にしていた所為で、彼の髪色や目元を覆う、珍妙な白い布にも、すっかり見慣れていた。しかし、一歩外に出れば、やはりその容姿は奇態なものとして警戒されてしまう。そして、その噂は既に町中を駆け巡っているはずである。壬生の狼、壬生浪士組の一員であると。

 かと言って、平山と爽葉は、今の今まで接点が一度もなかった。芹沢お気に入りの。突然入隊してきた、問題児。腕だけは滅法良い、自由人。芹沢の側にいるからか、彼の話題だけは逐一耳に入っていた。未だ幼い顔の彼に、御用改めなどできるのだろうか、些か気掛かりではある。

 

「ほら、行けー」


 拳を突き上げながら、平間の背中を押し出す爽葉に、平山は苦笑して、自分達はどう入ろうかと思案し始めた。残った選択肢は二つ。


「忍び込むか? 殴り込むか?」


 平間を送りこんで満足している爽葉の、美しい髪が、視界の端に映り込んでいる。藍染あいぞめを凌駕する、艶やかな色彩。天然のものだとは、にわかに信じ難い。


「奴らも、下手に尻尾は出さないつもりだろうから、大丈夫。堂々と行こう」

「あ、ああ……」


 爽葉は、その外見で平山を驚かせるだけに留まらず、剣士としての力量で魅せてきた。彼の刀捌きは、刀を携える者として抗えぬ魅惑である。盲目の彼だからこそ、天性の運動能力と小柄な体躯を持つ彼だからこそ、成し得る刀の扱い方は、思わず見入ってしまうものがある。それに戦術も悪くない。彼の戦い方を見ていると、天性の戦頭脳が生かされている事を端々に感じた。


「僕等が到着する頃には、総司の下ごしらえも終わってるだろうよ」


 悪戯小僧のような笑い声をたて、爽葉は歩き出した。醤油造りの生業としている為か、通りにまで、醤油の芳ばしい香りが漂っている。


「御免くださーい」


 暖簾をくぐり、爽葉が店内へと姿を消した。平山も慌てて後を追う。


「おこしやす」


 奥から顔を覗かせたのは、ここの店の主人、佐々山ささやま喜一郎きいちろう。丸みを帯びた面輪に、肥えた体つき。手拭いで手を拭いながら出て来た。肉に埋もれた小ぶりな眼は、商売上手にも、あくどいようにも映る。


「おや、君は」


 と言って、佐々山は言葉を濁した。どうやら爽葉のことを認知していたようで、心情を隠すことなく顰めっ面をしている。


「ご主人、僕に醤油を売ってくれ。一つでいい」

「君は、噂の……」


 あからさまに煙たがる様子の佐々山に対し、足を一、二歩踏み出して、爽葉は距離を詰めた。店の間の帳場から立ち上がった彼を見上げ、不敵に片笑む。平山は爽葉の背後に立っていたが、彼のそれの意図するところが嘲笑であると、手に取るように理解できた。


「おいおいご主人、あんたは商売人だろ? 客を選べんのかい。多少の金でも貰っとくのが利益の為、いては今後の為、ってな。あーあ、残念だなぁ。明日には、ここの主人は客を選ぶって噂が町中と言わず、市中に広まっているんだろうなあ」


 それを聞いて渋面になった佐々山は、無言で醤油の入った小さめの壺を爽葉に手渡した。


「ありがとさん」


 ひょこり、と背中を小さく丸めるようにしてお辞儀をしつつ、丁度沖田が店の奥から出て来た。にこやかな、偽物の笑顔が張り付いている。こうしていれば、彼は人当たりの良さそうなただの好青年である。


「すみません、厠を借りさせて貰っちゃって。ありがとうございました」

「毎度おおきに」


 沖田と爽葉がすれ違った。視線が交わされる。

 途端、代金を渡そうとした爽葉の手が、いきなり佐々山の手首をギリギリと締め付けるように掴んだ。

 小さな手からは想像のつかない程の強い力で、骨を砕こうと掴むので、思わず佐々山は声を洩らした。指の隙間から銭がばらばらと床に零れ落ちてゆく。


「それじゃあ」


 沖田の薄い唇から、白い歯が覗いた。尖った歯は、今にも獲物の喉笛に喰らいつきそうだ。


「あんたの首も、頂戴してくよ!」


 それは、振り向きざまの、目にも留まらぬ一線。

 血飛沫を襖にぶち撒けつつ、佐々山の首は床に落下し、磨かれた黒塗りの綺麗な床を汚しながら、鞠のようにころころと転がった。


「……おい総司、わざとだろお前」


 沖田の薙ぎ払った刀を避けるため、軽くしゃがんだ爽葉は、頭から血を被っていた。髪の先まで、赤い水滴が伝い、落ちた。

 爽葉はぶつくさ文句を言いつつ、腰を伸ばし、立ち上がった。佐々山からその手を離せば、支えを失った彼の胴体はたちまち崩れ落ちる。深い影茶色をした木目の床に、屍を中心に赤黒い血溜まりが、ゆっくりと広がった。


「爽葉の瞬発力だったら避けられるでしょ。少し遅くしてあげたんだから」

「そりゃどーも。お陰で、避けても頭からこんなに血を被ったよ。ほら、見てよ! こんな汚れた!」


 ぷっくりと不満気に頰を膨らませる爽葉を見て、平山は驚いていた。沖田の剣は言わずもがな、速い。佐々山が、声すらあげることを許されず、一刀の下殺されるのは当たり前だ。しかし、それを盲目の爽葉が、最小限の動きで避けるなど。

 侮っていた。いや、違う。ここまでだとは、予想できなかったのだ。


「沖田さん、武器はありましたか」


 店内の向こうにいた平間が、相手をしていた番頭を気絶させ、身動き取れないようにしして立ち上がる。その音を聴いて、「甘いな」と爽葉が呟くのを、平山は聞き逃さなかった。


「ありましたよ。ご丁寧に、蔵に地下室を作って隠していました」


 その答えに頷きを返し、平間は店の奥に消えた。それに爽葉、平山、沖田、と順に土足で屋敷に上がり込み、続く。

 途中騒ぎを聞きつけて部屋から出てきた男は、平山に殴られ、呆気なく気絶した。廊下を移動していると、向かいから慌てた様子で駆けつけて来た女が二人、先頭を行く爽葉に飛びかかった。


「先行ってろ」

「了解」


 先に行った二人を他所よそに、爽葉は全身を盾のようにして体当たりした。力業で、女達をまとめて廊下に面した部屋に押し込んだ。襖が一枚、大きくたわんで弾け飛んだ。


「何するん!」


 気の強そうな女が声を荒げた。きちんとした身なりと、上等な香の匂い。彼女は力一杯に反抗するが、爽葉の手と足が動かないようしっかりと急所を抑えているので、全く身動きが取れないようであった。爽葉の細い腕からは想像できないような、素早い荒業である。


「お前が女将か」

「そやけど、何か?」


 苦しそうに呻きながらも、女将は顎をぐいと上げ、そう答えた。眉を釣り上げ、少年に押し倒されていても尚、毅然とした態度だ。

 女将と一緒に抑え込まれているもう一人の女は、女将の着物の端を引っ張って、震える小声で「やめとぉくれやす」と懇願している。この状況下での、彼女の身の安全を考慮してのことだろう。


「ふむ。おばさん、いい度胸してるね」

「女やからって、舐めんといて。うちはここの女将やで」


 それを聞き、この状況下でにこにこと相好を崩した爽葉を見て、女将はびくりと肩を揺らした。彼は頭からその女の旦那の血を被っているのだ、底気味そこぎみが悪い。


「頭が良いのに、何故こんな危険な役割を引き受けた。武器庫として蔵を貸す……。見つかる危険性も、見つかった後の処罰も、承知だろうに」


 白妙の布を顔に巻いた、爽葉の本懐を垣間見る事は不可能である。その狂気の片鱗を目にして、女中などは合わせた歯が鳴ってしまっている。爽葉の大きな口からは、乾いた笑いがからからと落ちてゆく。まるで木枯らしに吹かれた、萎れた花弁のよう。


「まあ僕だって人にあれこれ言えた立場じゃないからな。でもね、女将さんよ。このご時世、敵か味方か二者択一」


 爽葉の右脚が勢い良く振られ、女中の鳩尾に思い切り食い込んだ。


「おとみ!」


 悲鳴をあげる女将の横に、彼女は骨の折れる鈍い音を立てて崩れ落ち、血を吐いた。


「おとみは関係あらへん!」

「行っちゃだーめ」


 駄々を捏ねるかのような声。

 女将が彼女の傍に行こうとするも、爽葉の足が彼女の肩を畳へと縫い付けて、離さない。


「残念だね。でもね、おばさんは僕の敵だった。それだけの理由で十分なんだ」


 赤い華が畳を鮮やかに彩った。血に濡れた絶叫をあげた女中に、何の感情の変化も読み取れぬ、無機質な少年の顔が向けられた。たなびく白布、藍の髪、華奢な体躯に似合わぬ血を吸った刀。その小さな左手は、こと切れた女将の首にかけられていて。


「すぐに、楽にしてあげるからな」


 女中のまなこは、目の前に迫る白刃と少年の美しい顔だけを映して、色を失った。






「ふあぁぁ」

「間抜けな欠伸だな」


 爽葉の大欠伸を馬鹿にしたのは、言うまでもない、土方だ。

 爽葉は仕事をする土方の傍らで寝転がり、両肘をつき、両手で頬を支えて外を眺めていた。彼の脚がぱたぱたと呑気に動く。

 梅雨に入ったからか、天気の悪い日が続いていた。こうも雨ばかり降られると外に出かける気力も失せて、部屋と稽古場と食堂の行き来が増える。そして爽葉には、天候と気分の他に、大きな問題があった。


「……いて」

「なんか言ったか」

「なんでもない」


 梅雨は古傷が疼くのだ。じわじわとした痛みが一月程も続くかと思うと、いい加減うんざりしてくる。

 右手だけ顎の下から外して、両目を包帯の上から覆って温めてみるものの、効果は一向に感じられなかった。


「トシぃ。梅雨ってなんか、面白いものないのか?」

「知らねえよ」

「うーん、仕方ない。蛞蝓なめくじのむにゅむにゅ感を存分に楽しむか。トシんとこにも持ってきてやるからな」

「絞め殺すぞ」


 土方はいつも通り、爽葉のちょっかいを適当にあしららう。仕事もひと段落ついたのか、向かっていた机から離れ、煙草を取り出しているようだ。彼から香ってくる、ちょっと大人な匂い。臭いと言って疎む人も多いこの匂いを、爽葉は全く嫌っていなかった。と言うよりも寧ろ、好んでいた。


「トシの太刀筋って、どんなのなんだ」


 ふと、興味が湧いて、爽葉は突然浮かんできた疑問を、そのまま土方に投げかけてみた。

 雨脚が強くなった。地面や植物の花や葉が雨の粒を弾く、軽快な音が聞こえてくる。


「んなの聞いてどうするんだ」

「うーん。試合した時の対策用? だって、トシが全然相手してくれないんだもん」


 「なんだそれ」と溜息に似た呟きを洩らす、土方の表情はきっと、いつもの呆れ顔か馬鹿にしたような顔。そんな腹立たしい表情も、彼にはお似合いなんだろうなと考えて、そんな思考を巡らせた自分自身に、爽葉は苦笑した。

 土方の剣には、以前から興味があった。爽葉も、試合や稽古を沖田達と日々行っている。そんな彼等との会話の中で、彼の名はよく上がる。

 原田の槍を難なく弾き返すことの出来る力業に、沖田の三段突きをもその刀で受け止めてしまう、卓越した技術。永倉の粘りにも持ち堪えられる体力と、藤堂の素早い動きにも対応できて、斎藤の癖のある剣とも互角にやりあえる柔軟性。そんな興味唆られる話を常々聞かされたとあらば、対戦したくなるに決まっていた。


「なあ、どんなのなんだよ」

「ちょ、危ねえ。離れろ」


 爽葉が着流しの袖口を掴み、揺さぶるものだから、火薬を落としそうになった土方は慌てて彼の頭を鷲掴んで押し戻した。

 近藤に聞いても、「あれはうちの流派の出だが、トシの流派と言うべきか?」と、彼自身悩みだし。山南も、「対戦しなきゃ彼の剣はわかりませんよ」と頭を撫でてきて、爽葉を子供扱い。山崎に至っては、「ありゃあほぼ喧嘩だ」と言って、お終い。そのまま屋根の上での晩酌が始まってしまう。それで結局、分からず終い。


「お前に俺は倒せねえよ」

「うるさい。やってみなきゃ分かんないだろ」


 自信満々で断言する彼に噛み付くものの、確かに爽葉との対戦で勝率の多い総司や斎藤と互角なのだから、勝てる見込みは低い。それでも、爽葉の負けん気は雑草並みであった。断言するなど聞き捨てならん、とばかりに爽葉は土方に詰め寄る。


「なあなあ。試合しようぜー」

「しねえよ。非番の奴捕まえてやりゃあいいだろ」


 永倉とか、と他人をあっさり差し出す土方に、相変わらずのしつこさで、尚も爽葉はにじり寄る。


「永倉とも何度もやった。試合してないのはトシだけなんだ」


 永倉は本当に面倒見の良い男だった。試合しようと言えば、出来る限りの範囲で都合をつけてくれるし、遊んでと言えば甘味処に連れて行ってくれる。甘味処に行く時は、いつの間にか必ず沖田も一緒について来ているが。最初の仲の悪さが嘘だったかのように、今では彼と一緒に、二人で居ることも多くなった。


「原田と藤堂もどっかにいるだろ、捕まえて来いよ」

「今日は二人とも用事に外に出てまだ帰って来てないし。ねーえー、一回だけ! 一回でいいからさぁ!」


 膨れっ面で抗議しまくった結果、「ったく」という呟きが、溜息と一緒に放り出された。


「……少しだけな」

「やった!」


 飛び跳ねる爽葉の頭を上から再度、慣れた手つきで抑えつけ、土方は「うるせえ」と叱る。煙草を口に咥え、真面目に聞こうとしない爽葉の頭を掴む、掌の力を強めれば、悲鳴をあげて彼は口をつぐんだ。


「もうすぐ用事があるんだ。この格好で行くから、汚さねえ程度に相手してやる」

「はーい……」

「これで不服なら、試合しなくたっていいんだぜ?」

「はい。いいです」


 元気に返事したと思った次の瞬間には、爽葉は素早く立ち上がり、土方の袴の腹の辺りの生地を掴んで引っ張って行く。鼻歌でも歌い出しそうな上機嫌ぶりで、自然と道場に向かう足取りは軽い。あれほど駄目だ嫌だと言われてきた念願の試合に、爽葉がたかぶりを抑えられないのも、致し方ないことであった。

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