誰何
「受けて立つよ。君なんかが僕に勝てるとは、到底思えないけど」
売り言葉に買い言葉である。川島との間をずいっと詰めた爽葉は、腹立ち紛れに吐き捨てた。布に隠れたその目で、下から川島を
「威勢がいいのはそこまでだ。礼儀の前に、剣士としての優劣を教えてやる」
「優劣がはっきりして恥をかくのは、お前の方だぞ。半人前が」
罵り合う二人の間で、「俺の試合……」と、原田が悲しがっている。
「左之助。すぐお前と試合するぞ、少しだけ待っていてくれ」
爽葉は慣れた手つきでくるくると脇差を手元で
川島は普通の竹刀を選んだようだ。野次馬の中からちらほらとあがる声には、彼の味方も多いようだ。爽葉も竹刀を握り直し、位置について合図を待つ。
とくん、とくん。心臓が正しい鼓動を打つ。
「おい、佐之との試合じゃねえのか?」
土方の声がした。原田が仕方なしに事情を伝えれば、「ま、やってみろ」と、さも楽しそうな声を洩らしている。
──不愉快だ。
爽葉は脇差を柔らかく握った。
「両者構え。始め!」
試合開始の号が響いた途端、声をあげて突っ込んで来る川島の竹刀を受け止め、力を横に流す。その勢いのまま、足を掬うように脇差を薙ぎ、体勢を崩した隙をついて加速。
一気に川島の懐へと飛び込んだ。
再び頭上から襲いかかる竹刀を、身体を小さく
力技で無理に押し込められた竹刀を、刀を引き寄せることで分散させる。空いた方の手で彼の手を掴み、小刀の柄をもう一方の手首に叩き込む。痛みに咽喉から苦しげな息を洩らした川島の足を払い、うつ伏せに地面に押し付けた。
膝を使って体重をかけると、川島の身体は床に縫い付けられた。爽葉は彼の背中の上に跨った状態で、くるりと手の中で回した竹刀の刃先を首筋に当て、すぅっと
はっ、と爽葉は嘲笑に似た笑みを零した。
「お前の剣はつまらんな」
一瞬の出来事に固まる川島の
「貴様の言っていた、優劣というものが、よーくわかったか」
沈黙が続いた。
開いた戸口から吹き込んでくる細い風の音が、やけにはっきり聞こえた。川島の背中を踏むようにして立ち上がった爽葉は、勝ったぜ、とばかりに腰に手を当て、にんまりと満足げに胸を張る。
状況を理解すると共に、周りが沸き立った。それはまるで、止まっていた時間が再び動き始めたかのような感覚。
「左之助ぇ。さあ、試合をしようぜ」
ざわめきが広がる円心で、爽葉は腕の腱や首の筋を伸ばして、大きくのびをした。本番勝負に珍しく心が踊っていた。その肩を何者かが強く掴む。
「ねぇ、俺とやらない?」
そう声をかけたのは、沖田だ。色素の薄い瞳を純朴に輝かせ、乱雑に爽葉を揺さぶった。あまりにも強く揺するもので、爽葉は目を回しそうになる。
「ちょっと待ったぁ!」
そこに、隊士達の中から飛び出してきた青年が、爽葉の肩をむんずと掴み、身体を盾にして沖田を押しやった。半ば無理矢理、沖田と爽葉の間に割って入り、引ったくるように話を攫っていく。
「俺、藤堂平助っていうんだ。総司とやるより、俺とやろうぜ!」
「俺が先ですよ。平助は引っ込んでて」
「やだね。総司は絶対何度もやろうとするか、長引かせるに決まってる。俺が先!」
「捕縛に貢献したのはこの僕なんですから、大人しく譲ってください!」
爽葉を置いてけぼりにして、小競り合いを繰り広げる二人に、負けじとばかりに原田も割って入る。
「おい、待てよお前等。先約は俺だよ」
「誰でもいんだけどなぁ」
呟く爽葉が、ぱっと背後を振り返った。明らかに敵意の篭った視線を感じたからである。視線に敏感な爽葉は顔を上げて、誰かが放つそれを真正面から受け止める。棘のある視線。そして、
「なんだ」
暫く受け止めていたその視線は、ふつ、と糸を切った時のように揺らぎ薄らいで、消えてしまった。何も言わず、ただただ嫌悪感を露わにする男は立ち去る。
「あれ、しんぱっつぁんは見ていかないのかな」
藤堂は姿を消した男の行方を眺めて、首を傾げた。
「とにかく、僕と試合するのは誰」
もう誰でもいい、と投げやりに零す爽葉。
試合相手が誰かという、再燃する彼等の論争に終止符を打ったのは土方だった。彼は原田に、やれ、と言うように顎でしゃくった。土方に指名された原田は、心底嬉しそうに破顔した。それを見て、沖田と藤堂はふくれっ面で文句を垂れて、終いには土方に怒られている。
原田は立てかけておいた竹刀を掴み、爽葉の待つ道場の中央へと足を運んだ。
少々引き延ばされた対戦。楽しませて貰おうじゃないか、と原田は心中で舌舐めずりをする。原田達には及ばぬものの、浪士組の隊士として毎日稽古を欠かさない川島を、爽葉という少年はいとも簡単に倒した。爽葉は相当な遣り手だ。沖田から上がっていた報告の通り、相手にとって不足はないようである。
原田は、目の前でにやにやと薄笑いを浮かべる少年を見た。小柄な体躯、細い腕と脚。そこから繰り出される剣技は、荒削りではあるが、目の
「待ってたぜ、ちびちゃんよ」
原田の冗談に似た挑発に、爽葉は好戦的な表情を浮かべて乗っかる。
「そのちびに倒される気分を味合わせてやる」
はじめ、という声が高らかに響いて、ピシリ。空気が変わる。まるで、冬に凍った川の
爽葉と向き合えば、彼の発する刺すような殺気に原田は自然と肌が
「こいつ……」
爽葉が原田の顔を見て、ぎらついた笑いを返した。
二人は相手の出方を読み合い、探り合う。下手に動くことができないのだ。周りの者も、先程とは打って変わって、押し黙っている。
「やるじゃねえか」
「お前もな」
爽葉が鼻を鳴らす。軽口を叩きながらも決して警戒は緩めず、互いに相手の隙を狙う。これがまた、楽しいのである。
触れれば弾けそうな緊張感の中、間合いを取りつつ、睨め付け合い、じりじりと
原田が眉を顰めた。爽葉が殺気をそのままに、臨戦態勢を解いたのだ。そして。
「なんだ、あの構え」
思ったことが口をついて出た。
爽葉の右手には、逆手にもたれた竹刀。左手は地面に軽くついている。両足は大きく開かれ、膝が曲げられて。目にしたことのない構えである。その姿は四足歩行をする動物のようだ。
力を溜め込むように、少し身体を縮こまらせたかと思った瞬間。
気付けば、間合いに入られていた。
「くっ」
原田は咄嗟に受け止めて薙ぎ払うも、思わず声が出た。ギリ、と噛み合った歯の隙間から軋む音が洩れる。
それを皮切りに、絶え間ない縦横無尽な猛撃が原田を襲った。弾いても防いでも、次から次へと斬撃が唸り声をあげて迫り来る。
攻撃の狭間から覗いた爽葉の口許は笑っている。それは、狂気と
「正気かよ」と、原田も笑い出したい衝動に駆られた。
爽葉の突き出した脇差が、剥き出しの原田腕を削ぐように掠め、チリ、と肌を焼いた。
「おっかしいな。今ので刺し貫くつもりだったんだけど」
風を切る音が耳元でやたら
「獣じゃねえかよ」
しかし、やられっぱなしの原田ではない。
力ではこちらが上、と見た原田は、少々強引に、竹刀で荒れ狂うように攻め抜く脇差を全て弾き、押し返した。爽葉は不安定な体勢になりつつも、空中で身体を捻ってすぐ様立て直した。
互いに床を蹴って間合いを詰め、何度も激しく刀を交えた。
二人の足が、床を
爽葉の刀は、
また、竹刀の撃ち合いにしては太い音が、道場内に鳴り響く。
原田は、爽葉の全体重をかけた攻撃を力を込めて薙ぎ払い、続けざまに連打する。
爽葉はそれらを小手先でそれを弾いていく。最小限の力で、身体から僅かに逸らして凌ぐが、流石に原田の打撃の重みは、受け流し切る事ができない。
ぐらりと揺れる隙を突きたい原田だが、爽葉の敏捷さはその上をゆく。
汗が散った。
一瞬でも気が削がれれば、
原田も爽葉も、それを知っていた。
意識の中に在るのは、己と相手。ただそれだけであった。無心で、本能のなすがまま、激しく刀を振るう。
強い斬撃を何度も受け続け、互いの竹刀から
汗みどろで戦う二人の口からは、荒い呼吸音が洩れる。交え、合わされた竹刀と竹刀の狭間が、ぎちぎちと悲鳴をあげていた。
それを押し合い、彼らは反対方向へと飛び
息を
殺気が場を制する。
床を蹴ったのは、同時だった。
ほんの瞬きにも満たぬ合間、気が付けば、竹刀を突き出した原田と脇差を突き出した爽葉は、互いに背を向けて立っていた。
余波が空気を伝う。二人の首筋を、雫となった汗が、つ、と流れていった。
「いってえええ!」
絶叫した爽葉が、痛みに疼く腹を抱え、ごろごろと地面を転げ回った。それを見た土方が原田の勝利を宣言しようとした途端。
「ったぁ! お前っ、胸突くことはねえだろ!」
大声をあげて原田が膝をついたのだから、挙げようとした土方の右手は、宙を彷徨った。衝撃を走らせるには、十分とも言える戦績であった。
ふふ、と小さな笑顔が、少年の顔に咲くように広がった。そして、爽葉は晴れ渡るような笑い声をあげながら、跳ね上がるようにして上半身を起こす。
「左之助、こんな楽しい試合は久しぶりだ。腹、いってえ……ははは」
渦巻く殺気の中心にいた二人からはもう、先程までの狂気は微塵も感じられなかった。
「俺もだ。いい試合ができたぜ」
原田もすっきりとした明るい表情をして立ち上がる。
土方が、両者引き分けの宣言をすれば、彼の隣にいた沖田と藤堂が、先を争うように飛び出した。爽葉と会話を交わしていた原田を突き飛ばし、爽葉に詰め寄る。「次は俺!」と懲りずに言い争う彼等の頭を小突き、「うるせえ」の
「合格だ。原田の
「わかった」
土方は爽葉の頭を叩いて、「わかりましたと言え」と眉を顰めた。そこに、沖田が「ちょっと」と割って入る。
「俺のところでいいじゃないですか」
爽葉を引き寄せ、小脇に抱えるようにして頭をぐりぐりと撫で回す沖田。やめろと騒ぐ爽葉など、お構いなしだ。
「一番隊にやるには幼すぎる」
この時代、一般的に男は十五から十八頃に
懐手をしながら土方がそう説明すると、爽葉が抗議の声をあげた。沖田のお陰で、すっかり藍色の髪の毛はぐしゃくしゃになっていた。爽葉は明らかに土方を包帯の下から睨め付けている。布で目は隠れているが、雰囲気で察した土方は、「なんだよ」と片眉を上げた。
「僕、今年で十九なんだけど。多分」
「え、俺と同い年……」
傍にいた藤堂が、驚愕の表情を浮かべた。土方含め、浪士組一同が驚いていることを感じ取った爽葉は仏頂面になった。しかし、すぐにその面相は苦悶の顔付きに変わる。
「じゃあ、俺のとこでいいですよね!」
「いや、だから。くっ、苦しい、腹……痛いんだって……」
「いいでしょ、土方さん。この子は絶対に先陣向きですよ」
原田の強烈な突きを受けたばかりの腹を、沖田がこれでもかと締め付けるので、爽葉は堪らず呻き声を洩らす。当の本人はすっかり
「稽古でたくさん試合しましょうねっ」
「それが狙いか」
爽葉は嫌そうに顔を歪めた。
元服…男子が成人になったことを社会的に承認し祝う通過儀礼の儀式
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます