青眼

「袴なんて、どうでもいい」


 呟く彼は、本当に興味がないようで。まるで視線を寄越さないので、藤堂が代わりに悩んでは、店の女将と意見を交わしてはかま小袖こそでを数着見繕みつくろった。長襦袢ながじゅばんも数枚。何着か揃えれば、事足りるだろう。

 早々と会計を済ませ、二人は通りを肩を並べて歩く。藤堂は、隣で買ったばかりの着物を包んだ風呂敷を、ごそごそと漁りながら歩く爽葉を見下ろした。服を買って貰えたこと自体は嬉しかったようである。藤堂はそんな彼の行動を見て、静かに微笑んだ。


「それにしても、お前の格好は目立つなぁ」


 爽葉の容姿は、注目を集めすぎるようだった。周囲からの視線が痛い。そんな事は歯牙しがにもかけず、当の本人は好奇心の矛先をあらゆる方向に向けた。この匂いはなんだ、この店は何をやっているのか、それはどういう意味のものだ、と興味が底を尽きないようだ。くるくると表情を変えながら街歩きを楽しむ様子は、藤堂にとっては少し面白く、可笑しくもあった。


「平助、これは何だ?」

「嘘だ。それも知らないの……」


 正直なところ藤堂は、爽葉の無知さに衝撃を受けてもいた。

 「よくこれまで生活出来てたね」と言っても、「当たり前だろ」と期待した答えは返ってこない。話を聞くに、どうやら昔から、昼間の街を彷徨くのは控えていたようだ。彼の格好を見れば理解はできる反面、布を取れば良いのではないかと、納得のいかない思いもあった。


「爽葉、俺腹減った。飯食おうぜ」


 爽葉に付き合わされている間に、既に昼時を回っていたことに気付いた藤堂は、半ば強引に、爽葉を連れて蕎麦屋へと入った。店に入れば、そこには見知った背中。


「あれ、はじめ?」


 振り返った彼は、やっぱり。

 斎藤さいとうはじめ。彼もまた浪士組の一員で、凄腕の剣客。その腕前は沖田や土方、永倉と一、二を争うほどである。山口一刀流を修め、他にも津田一伝流、関口流など、様々な流派が入り混じり、彼独自の剣術を生み出している。そして世にも珍しい、左利きの剣士だ。

 彼は爽葉同様、浪士組が京に入ってから参加したうちの一人であり、江戸にいた頃からの知人である。とは言えど、その寡黙な性格からか、未だ藤堂も、彼を掴みきれない部分が多かった。ただ分かっているのは、義理堅く良い奴であることだ。

 今日も好物の蕎麦を独りで食べに来ていたのだろう。藤堂は爽葉を引っ張りながら店内を進み、斎藤の向かいに遠慮なく腰掛けた。そんな二人を目の前に来ても、表情を変えずに斎藤は無言で蕎麦をすすっている。


「俺、天ぷらせいろ。爽葉は?」

「何があるんだ」


 そう尋ねた爽葉の前に品書きを差し出すが、彼は困ったように逡巡している。


「えと、おすすめで」


 控えめな口調でそう言った爽葉に、「かけ蕎麦はどうだ」と声が掛かった。目の前の、斎藤の声である。


「温かいつゆに蕎麦が入っている」


 物静かで重みがあり、それでいて土方とはまた違った艶やかさがある、独特な声音。不思議と惹き込まれる、美しい声。

 良い声だ、と爽葉はにっこりと笑った。


「うん。それにする」


 藤堂は注文を終えると、運ばれて来た蕎麦茶を一口飲んだ。


「また独りで食いに来てたのか」


 手拭いで手を拭きつつ、藤堂は斎藤に問う。斎藤は丁寧な所作で箸を置き、湯飲みに手を掛けながら、


刀剣商とうけんしょうのついでだ」


 と静かに答えた。

 一方爽葉は、机に顎を乗せ、興味深げに斎藤を観察していた。あまりにも熱心に注視するもので、流石の斎藤も、「なんだ」と身動みじろぎする。


「左利きなのか」


 率直な質問だった。


「ああ」

「いいな、それ」


 その返しに斎藤は思わず手を止めて、蕎麦を今か今かと待つ爽葉を見た。彼にとってそれは、何気ない一言だったようだ。

 武士が左利きなど、と剣呑な目で見られることはあっても、羨ましがられるなどなかった。近藤以来の物好きだ、と斎藤は目を細めた。

 目の前に並ぶ藤堂と爽葉は、運ばれて来た蕎麦を嬉しそうに眺めている。お揃いの表情を浮かべる二人は、まるで本物の兄弟のようだ。


はじめは、爽葉に会うの初めてだっけ」


 爽葉。その名は無論、知っていた。

 幹部の一人である斎藤は、何度も議題に上っていた名前だと、再度彼をまじまじと見た。異様な出立ちは、町の蕎麦屋では随分と浮いている。華奢で小柄な体躯。非力にも思える細腕で、あの浪士組きっての怪力男、原田の剣をいなしたと言うのか。


「よろしくな。ハジメ」


 屈託無く笑って、蕎麦を食べる爽葉。聞いたところによると、爽葉は斎藤とも同い年だという。藤堂を上回る幼い容姿に、信じられない、と斎藤は若干頬を引きらせた。


「お前等、同い年には見えないな!」


 藤堂が笑うのも納得である。斎藤が無口な性格タチで、同世代に比べて大人びているのも要因だが、それが余計に二人の差異を引き立てた。


「お前とも剣を交えてみたいな」


 溌剌はつらつとした少々舌足らずな声は、斎藤への興味を強く示すが、当の本人は目の前の蕎麦に夢中。箸を必死に動かしている。圧倒的に食欲が勝った、そのちぐはぐな言動に斎藤は若干戸惑う。


「その前に俺とやれよ? 総司とばっか試合しやがって」

「僕に言わないでよ。あいつが捕まえに来るんだもん」


 小突く藤堂に、爽葉が暢気な声で言い訳をして、そこから話が二転三転。斎藤の前で、言い合いにも似たじゃれあいが繰り広げられる。

 しかし唐突に、藤堂の頬を摘んだまま、爽葉は突然動きを止めた。そしてまじまじと斎藤を見る。それにつられて、藤堂も斎藤を見た。


「笑った? お前、今笑っただろ」


 きゃははは! と大笑いではしゃいで、爽葉が机から身を乗り出す。がたがたと椅子と机が揺れた。驚いた藤堂も同様に、爽葉の耳を引っ張りながら身を乗り出して、斎藤の顔を穴が開くほど凝視する。


「おい、それ本当かよ? はじめ、もう一回笑え!」

「……無理を言うな」

はじめの笑顔は貴重だぞ! 爽葉、今のうちに見ておくんだ!」

「合点承知!」


 二人の視線に、斎藤は若干身を引く。


「笑ってない」

「いいや、笑った!」

「笑ってないって言ってるだろう」

「絶対笑ったもん」


 否定しても頑として引かない彼に、遂には斎藤が折れて、それでいいや、と蕎麦に逃げる。ついこの前まで人斬りとして追っていた下手人が、目の前で、しかも仲間の金で、蕎麦を旨そうに食っている。しかも、斎藤が笑うのが嬉しいようである。なんなのだ。


「あ!」


 今度は何だ、とばかりに眉を顰め、声を上げた藤堂に投げやりな視線を送った。


「土方さんだ」


 振り返った斎藤も、出窓の外に、歩く土方の姿を捉えた。黒い着流し姿で、堂々と道を闊歩する、背筋のよく伸びた男前。相変わらず目付きは悪いが、それすら魅力として活かした役者のような顔立ちで、しょっちゅう女から言い寄られるのも良く分かる。


「トシか!」


 爽葉は、弾んだ声で彼の渾名あだなを口にすると、凄い勢いで蕎麦を食べ終え、椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった。


「後を尾けよう!」

「いやおい、ちょっと待て!」


 意気揚々と店を出て行く爽葉を追って、慌てて二人は飯をかき込んだ。流石に彼を一人、ふらつかせる訳にはいかない。飛び出して行った藤堂に続き、斎藤は勘定を机に置くと、店を足早に出た。机には空になった三つの膳と、勢いが余ってくるくると旋回する銭が、残されていた。


「あいつ、本当に辻斬りの下手人か」


 ずんずんと人の間を縫って進んで行く爽葉の小さな背を追いながら、斎藤は隣を歩く藤堂に思わず訊いた。藤堂は眉尻を下げ、くしゃりと笑う。


「そうらしいけど……。俺も未だに疑っちまう」


 小柄な彼は、今にも人の波に呑まれそうだというのに、迷いなく進む。周囲の者が、彼を振り返る。ひそひそと言葉を交わしながら、彼を避ける者もいた。爽葉の歩く様子を見て、斎藤は説明のつかない違和感を感じていた。何なのだろうかと、その不明瞭な違和感に、内心首を傾げる。


「随分土方さんに懐いたもんだな」

「だよなぁ。よく言い合いしてるけど。部屋も同室だし、爽葉の性格的にも必然と言われれば、そうかもね」


 感心したように零す斎藤の表情を見て、藤堂はそう返す。いつの間に、彼も爽葉と随分と仲良くなっているようである。


「この前も、土方さんの服を散らかして怒られてた」

「何処ぞの子供の話だ」

「残念ながら、浪士組うちの子です」


 斎藤と藤堂の方が圧倒的に歩幅が広いので、早足の爽葉にも難なく追いつくことができた。


「ふぎゃっ」


 突如として、潰れた蛙のような声を上げて爽葉が視界から消えたと思いきや、派手に転んでいる。


吃驚びっくりしたー。何してんだよ」


 地面に転がった爽葉に躓いて転倒しそうになった藤堂は、焦燥の混じった声を上げつつも、なんとか体勢を立て直す。藤堂がほっと息を吐いて爽葉を引っ張り起こし、ついでに砂塗れになった彼の袴を叩いてやっている。

 道にあった窪みに、足を引っ掛けてしまったようだと、漠然と考えていた時、斎藤は幾つかの点にはた、と気付いた。

 彼が道の中央ばかりを歩いていたこと。

 背の高い土方は人混みで目立つはずなのに、彼の焦点は土方を捉えていなかったように思えたこと。

 例え抜けた奴だと言うことを差し引いても、これほど大きな窪みに嵌ったのも、少々腑に落ちない。

 斎藤の猫目が、緩い曲線を描いた。


「あーあ。見失っちゃった」


 爽葉は、残念そうに頰を膨らませ、唇を尖らせている。


「何しに来てたんだろうね」


 藤堂が悪戯に笑えば、口許から八重歯が覗いた。健康的で、綺麗に揃った白い歯だ。


「揶揄えるような、変なことでもやっていたら面白かったのに」


 爽葉が言う。


逢引あいびきとか?」


 顔を寄せ合った二人は如何にも悪そうに、にしし、と肩を揺らしている。そんな彼等の様子に呆れた斎藤は、黒い衣を着流した人物を見つけ、「あ」と声を洩らした。


「土方さん」

「え、嘘」


 斎藤の着物の襟首は爽葉に引っ張られ、袖は藤堂に掴まれて、不恰好な団子状態で家の陰から覗く。二人をはたき落そうとしても、もみのようにくっ付いて離れない。


「本当に、逢引……?」


 藤堂が手で目を覆い隠す仕草をしながらも、その指の狭間から凝視するのも仕方ない。斉藤の真下では、爽葉が奇声をあげて、何だ何だとやたらめったらに騒いでいる。

 土方は店の脇で女を捕まえて何やら話し込んでいた。見たところ、相手は三十代半ばの女。芍薬しゃくやくの如く、しゃんとした気品を感じさせる立姿。彼等は、談笑に華を咲かせている様子。土方も珍しく仏頂面を引っ込めて機嫌がいい。

 これは本当に親しい仲なのかもしれぬと、斉藤は顎に手を当てた。


「次は、熟女か」

はじめ、冷静に言わないでくれよ」


 暫し観察を続けていたが、突然爽葉は二人の間からするりと抜けだして、別の店へとふらふら近寄って行ってしまう。


「もう! 今度は何!?」


 藤堂が額に手を当て、困り顔をして、爽葉を追いかけて行った。土方の逢引という下世話な話を好みそうな性格をしているというのに、彼は観察よりも、良い香りのする店の方に興味が湧くようだ。この行動力は、爽葉の異常なほど旺盛な好奇心の賜物なのだろうか。斎藤も屈めていた腰を伸ばし、ゆったりとした歩調で、仕方なく彼の後を追った。







 屋根上を人目を避けながら疾風の如く駆けていた影は、その足をぴたりと止めた。小さないさかいの声を拾い、方向を変える。窺うように覗いた先には、よく知る男達が三人。


「あいつ等、何やってんだ」


 そう独りちて、顎から鼻にかけて顔を覆っていた布をずり下げた。細く鋭い目つきのお陰で怖い印象の彼も、布を剥ぎ取れば意外にも端正な顔立ちをしていた。その黒髪を風に揺らしながら、彼は楽しそうに彼等の様子を呑気に傍観し始めた。当の本人達は、突然の急展開に目を白黒させているようである。


「え、何、こいつ等」

「知らん」


 腕を組んで、どうでもいいと言うように、斎藤はすっぱりと言い切った。


「爽葉……。お前、菓子の香りに飽き足らず、争い事の香りでも嗅ぎつけたのか?」

「僕は餅の香りを辿っただけだぞ」


 彼等を取り囲むのは、大人数の武士。まだ道にはまばらながら、人も居る。大通りではないものの、大事になれば厄介だ。

 まともにやり合う気のない斎藤達に対し、男達は殺気を滾らせ、標的を目の前にして今にもその刃を振り下ろしそうな勢いだ。抜き払った彼等の刀身が、沈み行く夕陽を浴びて怪しく底光りしている。蛇の如く刃文が、刀身を美しく這い、これは以外と値打ちのするものなのでは、と刀好きな斎藤は場違いな推測を広げていた。


「こんなとこで決闘か? 他所よそを当たってくれよ」


 手をひらひらとさせて、追い払う振りをする藤堂が言う。


「俺らは貴様らに用があるんだ。壬生浪士組!」

「うるさいなぁ。短気かよ」

「貴様……愚弄するのか」


 男達から不穏な声が上がる。


「誰」


 爽葉は斎藤に身を寄せ、彼を見上げながらこっそりと訊ねた。爽葉の手にする沢山の土産の手荷物が、その拍子にごそりと擦れた音を立て、揺れる。


「粗方、攘夷志士だろうな。奴等にとっては、俺達浪士組が邪魔な存在なんだ」


 柄頭つかがしらに右掌を置きながら、答える斎藤。ふうん、と爽葉は唸る。


「興味なし」

「俺だって、折角の非番なんだ。邪魔されたくはない」

「ちょっと! 二人共俺に任せっきりにするなよ!」


 踊りかかった男が振り下ろした刀を、難なく片手で受け止め、藤堂が振り返って叫ぶ。


「平助。始めたなら、自分で始末をつけるんだな」


 何かと一人で斬り伏せて行く藤堂に、爽葉はもう見守り体勢で突き放した。斎藤も右に同じく、不干渉を決め込んだ態度で、手助けは期待できなそうである。藤堂は非協力的な仲間を嘆きながらまた一撃。見事な身のこなしで、相手の背中を取った。


「好きで始めた訳じゃねえよ! こいつ等がいきなり!」


 そう言いつつも、藤堂の剣捌きは玄人くろうとのそれであった。幾人をも一度に相手し、次々と討ち倒して行く様は、正に圧巻である。血飛沫が地面に散り、男達は瞬く間に歪な格好で地に伏した。

 ほほう、と口の端を持ち上げて笑う爽葉に、一人の男が迫った。気付いて咄嗟に避けるも、男の刀が、爽葉の土産を包んだ布を数枚切り裂いた。ぐしゃ、と音を立てて、地面落ちた土産は、男の雪駄せったに踏み潰される。


「ああ! わらび餅が!」


 悲しみに嘆く彼を見て、してやったりと卑下た笑いを湛えていた男は、俄然としてその面様を変えた。

 地面に膝をついたまま、爽葉の肩が震えていた。その背から放たれる、危うげな気配。痺れるような怒気が、びりびりと男の頬を叩いた。男の顔から、血の気が引き、肌が粟立った。男の震える脚が、意思に反して勝手に後ずさる。

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