青眼
「僕の……僕のわらび餅に何してくれてんだゴラァ!」
一瞬で抜き払われた脇差によって、男は脳天から足元まで、見事に真っ二つに裂けた。鮮血が一気に噴き出し、見る間に血溜まりが広がった。その途轍もない量に、土が血を吸い込みきれずに、
瞬く間の出来事。
「もっと早く参戦してくれよな」
藤堂が、頬の血を雑に拭いながら言う。
「一人で事足りそうだったからな。だが、もう……わらび餅の仇を取らないと、僕の気が収まらない」
「よし。じゃあ俺の背中、預けたぜ!」
やけに楽しそうにする藤堂に、爽葉は頭を後方に少しだけ反らせて、
「預ける?」
と問い返した。言葉の意味が、わからなかった。
「仲間ってのは、お互いを信頼して背中を預け合うもんだ。な、
「ああ」
なかま。
「ふむ、悪くない響きだ」
「なんなのその上から目線は」
その三文字を
軽く地を蹴る音を立て、捲き上る粉塵を残して、背中の温もりが離れた。一瞬の素早い動き。それでも、爽葉は何もせず、棒立ちしていた。爽葉の右後方では藤堂の怒濤の剣が敵を薙ぎ倒し、左後方では、斉藤の敏速の剣が血煙をあげている。
感じてるのだ、彼等の剣を。音に耳を
「爽葉ぁ! 来いよ!」
長州相手に人斬りをするよりも、仲間と共に背を預け合った方が、断然楽しいじゃないか。そんな思いが胸中で膨れ上がって、己の名を呼ぶ声に呼応するように、爽葉は笑った。
「仕方ないなあ……」
爽葉は、風にたなびく白い布にその手を添えた。
また一人袈裟懸けに斬りつけて、滴る鮮血を振り落とし、斎藤は振り返る。その先には、佇む藍の少年の姿。その小さな手に布が握られていることに気付いて、ゆっくり、視線を彼の
新雪のように白い肌に、少々淡い桃色をのせた頬。ふくらとした柔な唇と大きめの口、すっと通った鼻筋に、長い睫毛が伏せられた両目。そして、その瞼の上には、一線の刀創。愛らしい顔付きにはそぐわない、痛々しい痕であった。
驚きに爽葉の顔を注視しつつ、背後から迫った敵を、斎藤は振り返りもせずに片手で斬り伏せた。
睫毛が震え、その瞼の下から覗いたのは、髪色と同じ、澄んだ青だった。いや、太陽の下で見たら、髪色よりももっと、透き通った明るい色かもしれない。これほど美しい色彩の瞳を、斎藤は見たとこがなかった。戦闘中ということも忘れ、迂闊にも見惚れてしまっていた。それほどに、魅力的だった。藍で染めた反物よりも鮮やかで、夜空よりも神秘的なその色合いは、不思議と惹かれるものがある。
爽葉は懐刀を取り出すと、鞘を捨てた。脇差と懐刀を両手に、風を切り裂いて駆け出す。
斎藤は男の首を斬り落としながら、爽葉の動きを追った。速い上に、隙がない。
降り注ぐ敵の刀を、全て弾き返す。走りがけに、爽葉の刃が敵の急所を勢い良く刺し貫いた。寸分の狂いもない、美技。
血が舞う。彼の白布がたなびく。笑っている。返り血に濡れた唇が、弧を描いている。
全身を使い、両手に携えた刀で敵を叩き斬っていく姿は魅入らざるを得なかった。なるほど、土方が危険性を十分承知した上で、隊士に引き込んだ訳だ。最後の一人の心臓を、藤堂の鋭い突きが貫いて、戦闘は呆気なく終了した。
そこに在ったのは、返り血で染まった三人と、不意に訪れた
「それって……」
鞘に刀を納め、藤堂が喉に突っかかった言葉を吐き出すように、口火を切った。
二重のぱっちりとした大きな瞳の上に、無残に走る
「お前等が僕の仲間ってのなら、こういうのも、まあ……いいかなって」
これが意味するのは、つまり。
「僕は盲目だ。目が、見えない」
藤堂が悲痛な表情を浮かべる。
「その瞳の色は」
斎藤が訊ねる。
「これな、凄えだろ。菌が入ったとかで、色が変わった。医者も良く分からないって言ってた。ま、藪医者かもしれなかったけどな」
爽葉は何でもない事かのように、さっぱりと笑い飛ばす。
こんな告白をするには、勇気が
「なかなか良い色だろ?」
「綺麗だ」
斎藤は、本心からの感想を述べた。
「へへ。綺麗な色を付けて貰えて、運が良かった。傷痕だけじゃあ、味気ないしね」
自慢気にそう言う爽葉の頭を撫でれば、くすぐったそうに、彼は無邪気な笑い声をあげた。
「お前等! どうしたんだよ、その格好!」
素っ頓狂な大声をだして、門をくぐったばかりの三人を出迎えたのは原田だ。持っていた槍を投げ捨てて三人の前まで駆けつけると、心配そうな表情からすぐさま、怪訝な表情へと顔付きを変えた。
「……なんだ、楽しそうだな」
爽葉達は顔を見合わせて笑う。斎藤が頬を緩めたのを見て、原田は口に手を当ててわざとらしく唖然とした。何か変なものでも食わされたか、と言われ、斎藤の面持ちはいつもの無愛想なものに変わってしまったが。
そして、爽葉の目元にいつもの布が巻かれていないことに気付くと、今度は棒立ちで
「平助、ハジメ」
爽葉はふわりと顔を綻ばせる。
「ありがとな」
「何言ってんだよ!」
藤堂が爽葉の肩に腕を回し、髪を掻き回した。優しい眼差しと、嬉しそうで少し泣きそうにも見える表情。素直で感情を隠さないところは、藤堂の美点である。斎藤や原田にも頭を撫でられ、初めての仲間の温もりに、爽葉は酔いしれた。
緩く和やかな空気が流れていたが、突然背後に迫った気配に彼等はピシリと動きを一斉に石化させた。
「楽しそうなところ、失敬」
「トシィ!」
振り返った満面笑顔の爽葉の頭を勢い良く叩いて、凄い形相の土方がぬらりと現れた。藤堂はあわあわと口を開閉させて慌てるが、後の祭りである。
「やっべえ、無断でこいつ連れ出したんだった……」
「上等だ。それ相応の覚悟はあるんだろうな?」
土方の握った大きな拳にメキ、と血管と筋肉が浮き上がり、にやけ面は尚の事不気味に映った。
「ひえ」と慄く藤堂は、その場にいた原田を巻き添えにして一目散に屯所の中へと逃げ込んで行く。斎藤もいつの間にやら姿を消しており、その場には土方と爽葉だけが取り残されていた。
「ったく」
ドタドタと廊下に五月蝿い足音を響かせ、姿を消した彼等の方から視線を外した土方は、すぐ傍に立つ、返り血でずぶ濡れの爽葉を、腕組みして見下ろした。彼の碧眼を目にしても、ちらとも態度を変えず、言及すらしない。
「汚ねえ
「……なぁトシ。いいこと教えてやるよ」
頬に赤を散らせたまま不敵な笑みを広げる爽葉に、土方も口の端を持ち上げて、目を険しく
「申し上げる、の間違いだろうが。チビ助」
その日のうちに、爽葉は目の件について、浪士組幹部に説明することとなった。戦いにおいての最大且つ致命的とも言える弱点を曝け出したことにより、一応の疑いは晴れ、隊士として受け入れられたと考えて良いだろう。その上、爽葉は驚くほど素直になった。何が彼の引き金を引いたのかは不明だが、剣術を介して、浪士組の皆と通じ合い始めたのかもしれない。
爽葉は、ひどく淡々と語った。聞いている側の皆の方が、
幾ばか
「やはり、な」
土方は最初からそう睨んでいたようで、彼の創を見て納得したように満足気な笑みを浮かべて頷いた。立膝をついた格好で手にする
「なんで土方さん、分かってたんだよ」
藤堂が目を丸くすると、彼は鼻を鳴らし、人差し指を一本立てた。
「第一に、俺の身内には盲目の男がいる」
そして、と無骨な中指をピンと立てる。
「こいつの行動がおかしかったからだ。特に、動き始めの些細な所作を見りゃ、一目瞭然だぜ」
「動き始め?」
首を傾げる藤堂と原田に、土方は頷いて、爽葉に視線を投げやった。
面白くない、とばかりに爽葉はべー、と土方に舌を出す。彼の隣に座っていた沖田が調子に乗って、一緒になって舌を出してくるので、土方は思い切り彼の頭を叩く。舌を噛んで悲鳴をあげる沖田を見て、ざまあみろと土方は内心ほくそ笑んだ。
「最初に通る場所や触るものには、比較的慎重だった。人が先に通った場所を通るか、触って確認をしていた」
そうだな、と確認するように土方は爽葉をちらりと見て、悔しそうに頷くのを横目で捉えると、顔を皆の方へと戻して再度口を開いた。
土方の語り口調はもう、確信していることを物語っている。
「一度歩いたり触ったりして位置を把握すれば、後は自由自在に動けるって訳だ」
「匂いと音を拾って、適宜動きを修正すれば、状況に合わせて動くのも余裕だぞ」
爽葉が自慢げに付け足す。
「それにしても、目視なしにこれほど動けるのか」
「普通は無理だ。こいつの運動神経がイカれてやがるんだ」
嘆息を洩らす近藤は、隣に胡座をかく小さな爽葉を見やった。
近藤の大柄な体格とは真反対に、小柄な体躯。その彼が抱えていたのは、あまりにも大きく、酷な事実だった。それでも独りで耐え忍び、乗り越えて、自分のものにして生きている彼は逞しい。この世はまだ、世知辛い世の中である。食えずに死ぬものもいるし、思うがまま生きられずに苦しむものもいる。二十にも満たぬこの男は、どれ程過酷な道を歩んできたのだろうか。
近藤の視界が、歪んだ。涙が流れたのだ。隣の土方がぎょっとして近藤を見る。
「近藤さんよぉ。大の大人が、しっかりしてくれ」
「す、すまん。冷静に聞いてられんくてな」
「近藤さん、泣いているの?」
彼の声が心配そうに訊ねる。
その言葉に更に嗚咽が出そうになって、近藤は喉に力を入れた。扱いやすいという理由以外に、彼が太刀ではなく包丁などに近い短刀を用いたのも納得がいく気がした。剣を習いたい、武士になりたい、そういう想いを抱いて刀を握ったわけではないのに、どうしてここまで強くならざるを得なかったのか。
近藤は咄嗟に、何かをしてあげたい、と思った。何をだろう。何をあげられるんだろうと逡巡した近藤は、彼を呼んだ。名を呼ばれて、爽葉は近藤を見上げた。
「一つ、尋ねることを許してくれ」
優しいだけの声ではなかった。組織を束ねる筆頭格としての、威厳と正大に満ちた声で爽葉を貫く。
「君は、俺達の敵ではないね?」
どうして嘘など吐けようか。爽葉は生唾を飲み込んだ。
近藤の純粋に問うてくる眼差しと真摯な心は、見えずとも解る。
これが、近藤勇か。
「はい」
ならば、紛うこと無き純真の情意で応えよう。
「君を、壬生浪士組の仲間に歓迎する」
これからの僕の命は、彼等に預けた。人生、何があるかわからないものだ。だから、面白い。
爽葉は手をついて、低頭する。布の奥で静かに目を伏せ、口元は緩んでいた。
「ありがたき幸せ」
その答えは、深い声音で。
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