第5話 見知らぬ枕に、気持ちをゆだねて
暦は、ナガローク第八王朝暦の三百年代。
第一王朝だけで九百年、続く王朝も、短くて数百年、長ければ数千年と続いている。それは、途方もない時間を、この土地の人々は、ナガローク王朝とともに過ごしてきたことを意味する。王朝の歴史はすなわち、人類の歴史といっても過言ではない。
過言だと、ギーネイは教わった。王朝による、ウソだと、偽りだと、
過去の歴史など、いくらでも作り出すことが出来る。選ばれた人物しか読むことが許されない歴史書、立ち入りを禁じられた土地の存在が、その証だと。
真実の歴史の露見を、恐れているのだ。古代王国ダーストが、一度は世界を支配した。この歴史を知られることを、恐れているのだと。
自分達『ドーラッシュの集い』こそが『古代王国ダースト』の継承者だと。
恩師でもあるユーメルは、続けて言った。自分達が正しい世界に導かねばならないのだと。そのために戦う力を高めて、その時が、ついにきたのだと。
秘密組織『ドーラッシュの集い』は、そうして世界に姿を現した。
そして、敗北した。
ギーネイの知る歴史とは、こういったものだった。
今は、記憶を失ったフリをして、ベッドに横になっていた。壁越しに、階下の会話が、かすかに聞こえてくる。この家の主たちの声、ギーネイが乗っ取ってしまった少年、サイルークの家族の声であった。
「――ククラーン姉さ………ごほん、ククラーンちゃん、いつもすまないな」
男性の声がする。落ち着いて見えて、焦りも感じる、紳士の声だ。どうやら少年サイルークの父親らしい。
そして、ククラーンと言う、娘年代の少女の呼び方に、何らかの迷いがあるらしい。ククラーンさんといいかけて、言いなおした。
ククラーンちゃんと。
「――いいえ、幼馴染の務めですし………」
こちらは、空中に仁王立ちをした荒縄使いのお姉さんの声だ。大人を相手にしているのか、大人ぶった物言いが、わざとらしい。
魔法使いのお姉さんで、名前はククラーン………なんとか。
ギーネイは、ベッドの上から動けない。頭が重いのは、突然の事態の連続のためなのか、長く宙吊りの刑に処せられたためなのか、分からない。
後者の気がするのは、なぜだろう。おかげで、何も知らないと言う事実は、事実として伝わり、今は解放されていた。
少なくとも、お姉さんの荒縄には縛られていない。腕は自由で、足も自由だ。
自由ではないのは、これからだ。
ギーネイがこれからどうなるのか、それを決めるのは、ギーネイではない。ギーネイは、サイルークと言う少年の寝室を、ゆっくりと見回した。
まだ、起き上がるほどの力は戻っていないが、何か情報が欲しかった。その間にも、声が聞こえてくる。今度は、母親らしい女性が、荒縄使いと話していた。
「――夜も遅いし………ククラーンちゃん、泊まってったら?」
「――気にしないで、それに師匠に報告もしなきゃだし………じゃぁね」
母親と言うものを知らないギーネイは、少しサイルークと言う少年に嫉妬した。
しかし、どこか違和感だ。息子の幼馴染というより、自らの幼馴染に向けるような物言いである。
ともかく、今は気にしても、気になるだけだと、天井を見上げた。
ギーネイの居場所、唯一知る住まいは、全てが直角で、硬い、整然としたコンクリートの世界であった。教育施設を兼ねていた基地では、常に正しい教育を受け、人類を救う戦士となるべく育てられた。
部隊の仲間たちも、年齢に数年の違いがあるだけで、似たような境遇だった。教育係でもあるユーメルに対する感情が、親に向ける感情に近いのだろう。
「家族………か」
ギーネイは、サイルークと言う少年の日々が、かなりにぎやかであることを、確信した。
そして、胸が痛んだ。
この幸せを、自分は奪ってしまったのだと。
ギーネイは強引に身を起こすと、部屋を見回した。この部屋は、五人ほどがゆったりと横になれる広さであるが、一人部屋のようだ。壁紙は優しいクリーム色の下地に、淡い赤と青による模様が連続している。子供部屋にしては豪華なのか、これが普通なのか、判断する知識はない。
分かるのは、ギーネイとは全てが違うということ。
再び、ギーネイはベッドに背中を預ける。
ギーネイの育った環境は、無彩色のコンクリートに包まれた、安全で快適な四角の空間だった。スイッチ一つで明りがつき、水が流れ出る高度な暮らし。『ドーラッシュの集い』の基地の暮らし。
遺跡と呼ばれている場所が、自分達の『ドーラッシュの集い』の基地であったのなら、どれほど時間が経過しているのだろう。
百年と言う単語が、脳裏をよぎる。
しかし、秋には遺跡を探るという話もしていた。いったいどういうことなのか、ともかく、水晶の謎も――
「さて、サイルーク君………君の記憶喪失のお話、お姉ちゃん、い~っぱい、聞きたい事があるから、逃げちゃいやぁ~よ?」
帰ったのではないのか。
というか、人の部屋に無断で入ることは、問題とされないのだろうか、逆さまのお姉さんの顔が見えた。
窓からぬっと、サイルークの部屋に侵入して、ベッドで天井を見上げるいたいけな少年の寝顔に、肉薄していた。
そして、脅された。
いたいけな少年に一体何が出来るだろう、コクコクと、ギーネイは枕を背に、うなずくしかできなかった。
お姉さんは、脅しをかけることが目的だったようだ。ギーネイの仕草に満足したのか、本当に退散した。
ギーネイは、必死にうなずいてみたものの、逃げるという言葉が、何を意味するのか、図りかねていた。まぁ、悪ガキとしては、話を聞く約束をすっぽかす――と言うあたりか。
しかし、ギーネイは、記憶喪失の少年として日々を過ごすことが、決定されたようだ。
すぐにでも正体を明かしたかったが、どうにも言い出しにくい。サイルークと言う少年は、ここにはいないのだ。その事実を告げることが、どれほど残酷なことだろうかと。
特に、サイルークの家族に向けて………
心優しいサイルークの両親、気のいい友人と、面倒見の乱暴なお姉さんには、果たして真実を知ると、どう思うだろうか。
「仲間………か」
この世界で、最初に知り合った少年の顔を、思い浮かべる。
サイルークの親友らしい、悪ガキコンビの片割れ、ルータック。軽口を言い合いながら、共にイタズラに精を出し、最後には荒縄使いの魔法使いの姉さんが現れるのだ。
どう言い逃れをしようか、いつもは二人で知恵を絞ったに違いない。考えるたびに、胸が痛む。
「仲間………」
得られるだろうか。
記憶を失ったと偽りながらも、友情を育むことが出来るだろうか。あるいは真実を明かし、この時代の同士として、正義を実現する戦いに参加してくれるだろうか。
疲れていたのは事実のようだ、ギーネイは様々に考えながら、気付けば眠りの世界へと向かっていた。
眠りに落ちる寸前に、思った。
過去から受け継いだ使命と、この肉体をサイルークに返したいという願い。どちらを優先すべきなのかと。
生まれ変わった世界での一日目は、こうして閉じていった。
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