第6話


 腫れぼったい目と重たい頭を抱えたまま、午後の仕事を無心で終えた。


 午後五時。終業のチャイムが鳴り響き、更紗の周りでもザワザワと各々帰り支度を始めていく。

 しかし止まったラインを前にしても、更紗は梱包の手を止めず、震えるように作業を続けていた。


「島田さん、終業ですよ。今日は定時の予定ですよね?」


 背後から、穏やかな声が聞こえる。


 振り向かなくてもその声の主を悟り、更紗は「はい。」と消え入るような声で答えた。


 変に気を回しても、周りの邪な視線を打ち消すことなどできない。それは更紗にもわかっている。それでも、堤下に迷惑はかけられない。


 更紗は背後の堤下を避けるように、一度も振り返らずにラインから離れた。


     ※ ※ ※


 ロッカーを開けて私服を掴むと、着替えることもなくそのまま駐車場へと走った。

 背後でクスクスと笑う声が聞こえた気がする。それが気のせいなのか、確かめるために振り向くこともできなかった。


 愛車のラパンに乗り込むと、作業着のままエンジンをかけて車を走らせる。


 しかしそのまま家へと向かう気にはなれず、心を殺してハンドルを握り、アクセルを踏んだ。




「…こんなところまで来るなんて。」


 気がつけば、父の眠る樹木葬を管理する寺の近くまでやってきていた。


 既に辺りは薄暗く、ヘッドライトに照らさなければ駐車場の停止線さえよく見えない。

 のろのろと車を走らせながら、駐車場の一番奥に停めて、エンジンを切った。


 一気に闇に飲み込まれる。

 更紗は堪えきれず、ハンドルにもたれ掛かった。

 

 しばらく静かに、だが無慈悲に時は流れていく。


「…誰か、…助けて…」


 不意に、吐息のように漏れた悲鳴。


「………」


 更紗には、身寄りもなく、愚痴を溢せる友達もいない。


 その事実が、今はとても重かった。


「………っ」


 刹那、脳裏を過った一つの思いに誘われ、顔を上げ、スマホを開く。


 そしていつものサイトを開き、唯一フォロー

している人物の名に触れた。


 その指は震えていた。



     ※ ※ ※


 長江洸様


 はじめまして。

 このようなコメントを書くのは初めてなので、上手く書けなかったらすみません。


 長江さんの作品を、いつも楽しく読ませていただいています。

 楽しく、というか、興味深く、というか。


 正直、とても考えさせられる内容が多くて、明るい気持ち、とは言いがたいかもしれなけど、でも、とても面白いです。


 気持ちが沈むことの多い日々を、ほんの少し忘れることができます。


 ありがとうございます。


 これからも応援しています。

 頑張ってください。



               サラサ



     ※ ※ ※


「………」


 更紗はただ、誰かと繋がりたかった。

 この暗いばかりの夜の中で、怯えながら縮こまっている自分を、欠片ほどでかまわない、誰かに知ってもらいたかった。


 深い深い闇の中。

 更紗はスマホを胸に抱き、ひたすら奥歯を噛み締めた。目を固く閉じる。

 

 そして再び時間は静かに流れていった。




 どれほどの時が経過した頃か。

 辺りは既にとっぷりと暮れている。

 

「………!」


 無限にも思えた静寂と暗闇の中で、不意に、胸に押し当てていたスマホが小さく震えた。


 更紗は恐る恐るスマホに視線を落とす。

 そしてそっと電源を入れると、スマホ画面は煌々と目に眩しく光だし、メールの受信を知らせるアイコンが小さく点滅したように見えた。


 導かれるようにメールのアイコンに触れる。

 すると、小説投稿サイト【LABIY】から一通のメールが届いていた。


     ※ ※ ※



 サラサ様


 初めまして。

 コメント、有り難うございます。

 率直なご意見、痛み入ります。

 今後も、「明るい気持ち」は提供できないかもしれませんが、

 自分の作品が、

 少しでもサラサ様のお気持ちの逃げ場となれれば幸いです。


 今後とも、応援宜しくお願い致します。


               長江洸


     ※ ※ ※


「ウソ、…嘘でしょ…」


 更紗の、スマホを握る手が激しく震えた。


 呼吸が乱れ、強い拍動に痛みすら覚える胸をギュッと掴む。


「ああっ、…ありがとうございますっ、…ありがとうございますっ、…う、うう、」


 飲み込まれそうな暗闇にあって、更紗は何度も頭を下げながら、ただ、いつまでも咽び泣いた。


 




 

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