第一章最終話『海賊船からの脱出』

「起きなさい。ウォルター、もう行かないと駄目よ」

「……んんっ?」


 セレナはウォルターの身体を優しく揺すって起こしました。

 ウォルターが寝る事が出来たのは二時間程度の僅かな時間でした。

 セレナはトイレの穴から、早く逃げるようにウォルターに言い聞かせます。

 でも、ウォルターは一緒に逃げようと動きません。


「お母様も一緒に逃げよう」

「それは無理よ。ここはお母さんには狭過ぎるから通れないわ」

「でも、僕はお母様とまだ一緒にいたい。本当に逃げられないの?」

「ウォルター……」


 トイレの穴は子供が何とか通れる大きさです。大人のセレナでは絶対に無理です。

 困った顔でセレナは考えますが、トイレの穴から海面まではおよそ2メートル。トイレの板を壊せば、大人も通れるとは思います。でも、道具もないのに素手で壊すのは無理です。


「やっぱり一緒に逃げるのは無理かな……」

「お母様、そんなに簡単に諦めないでよ! 僕、頑張ったんだよ。お母様も頑張ってよ!」


 母親の諦めたような態度にウォルターは怒りました。

 そんな顔は見たくないし、一緒に楽しい事をもっともっとしたいからです。


「ウォルター……そうね。お母さんが間違っていたわ。一緒に家に帰りましょう」

「うん!」


 セレナは息子の言葉で目が覚めました。

 本当はこんな場所には、もうこれ以上、一秒だっていたくありません。

 ウォルターさえ生きていればいいなんて、本当は思っていません。

 まだまだ一緒にいて、大きくなっていく息子の成長を側で見たいと思っています。


 セレナは何とか脱出できる方法がないかと、檻の中を調べます。そして、一つの方法を見つけました。それは床板でした。


 痛んでいる床板を壊して剥がして、そこから床下の中に入り込んで、トイレの穴の海面ギリギリの壁を破壊する事が出来れば、外に出る事が出来るかもしれません。


「ウォルター、少し待っていてね。お母さん、頑張るから」

「うん! 僕もお手伝いするよ!」

「ありがとう、ウォルター。本当に良い子ね」


 セレナは息子の頭を一撫ですると、早速作業を始めました。

 痛んでいる床板の上で何度もジャンプして、壊れかけの床板を壊すと、バリバリと腕と足を使って、隣の床板も少しずつ引き剥がしていきました。


 何とか入れそうになるまで床板を壊すと、セレナはウォルターを連れて床下の中に入って、床上から海面へと伸びる筒状の壁に向かって行きます。この筒状の壁を破壊すれば、あとは陸地まで泳いで逃げるだけです。


「ウォルター、またいっぱい泳がないといけないけど、大丈夫?」

「うん、お母様と一緒なら、僕、大丈夫だよ。一緒だったら全然怖くないから!」

「そうね。でも、お母さんはウォルターの負担になりたくないの。いざという時はウォルターだけでも、一人で陸地を目指しなさい。いいわね? お母さんとの約束よ。約束できないなら、お母さんはここに残ります」

「う、うん……約束する。だから、早く一緒に逃げよう!」

「ええっ、そうね。逃げましょう」


 セレナは戸惑っているウォルターと笑顔で指切りで約束すると、壁を壊して海に落ちて行きました。

 セレナには分かっていました。自分には陸地まで泳げる力がない事を……。


 ♦︎


「お母様、しっかりして!」

「もういいわ、ウォルター。約束を守って……」


 真っ暗な海の真ん中で沈みそうになるセレナの身体を、ウォルターは必死に浮かべ続けていました。

 海賊船を脱出して一時間後は、セレナも泳げる力がまだ残っていました。それでも、ウォルターがゆっくりと隣で泳いで、元気付けてくれるという足手纏いの状況でした。


 海賊船を脱出して二時間後、セレナは体力的に限界を迎えていました。

 身体に力が入らずに、何度もこのまま海の底に沈みたいという気持ちが湧き上がりました。それでも、息子の声援に微笑みを浮かべて頑張ってみました。


 そして、四時間後……セレナはウォルターの力を借りて、海面に何とか浮かんでいる状態でした。


「ウォルター、約束したでしょう。お母さんは嘘吐きは嫌いですよ。お母さんに大好きなウォルターを嫌いにさせないで……」

「嫌だよ! 嘘吐きでもいいから、嫌いになってもいいから、死なないで! お母様が死ぬなら、僕も一緒に死ぬ。ずっーと一緒がいい!」

「ふっふふふ、ウォルターは本当に困った赤ちゃんね。ウォルター、お母さんを置いて行きなさい。そして、幸せに生きなさい。それがお母さんの一番の幸せよ。お母さんを世界の誰よりも幸せにしてね……」

「ダメ! お母様、頑張って、お願い、頑張って!」


 ズルズルと海の底に引き摺り込まれていく母親を、ウォルターは必死に繋ぎ止めようとします。

 でも、ウォルターも泳ぎ疲れていました。腕から抜け落ちた母親が海の底に沈んで行きます。


「あっ、嫌だ、嫌だ、お母様を連れて行かないで!」


 ウォルターは慌てて海に潜ると、セレナの左腕を掴んで、上に上にと引っ張り上げて行きます。


「ぷはっ! ごほぉ、ごほぉ、お母様? お母様、大丈夫?」

「……」


 海面に浮上すると、母親を小さな背中に乗せて呼びかけます。返事は何も返って来ません。


「僕が頑張るから、お母様は休んでいてね。絶対に助けるから」


 母親の冷たい身体に恐怖を感じながらも、ウォルターは真っ暗な海を夜空の星を頼りに進んで行きます。

 10分、20分、30分と時間が経つごとに、背中に乗せた母親の重みは増していきます。

 それでも、ウォルターは一度もセレナを置いて行きたいとは思いませんでした。


 何度も背中から滑り落ちて、海中へと沈んで行く母親を潜って引っ張り上げました。小さな身体で十分過ぎる程、頑張りました。

 でも、子供にはとっくに限界でした。ほんの僅かな時間、睡魔と疲労からウォルターは意識が飛んでしまいました。


「ハッ⁉︎ お母様、どこなの? お母様‼︎」


 ウォルターは慌てて海に潜りました。暗い海の中に母親の姿は見つかりません。

 もっともっと深い所に沈んでしまったと、ウォルターは海面に浮上すると、大きく息を吸ってまた潜りました。今度はもっと深くまで……。


【スキル『潜水』がLV3→LV4にアップしました。

 少しの深さと時間潜れる→まあまあの深さと時間潜れるに成長しました。】


「ぷはっ! はぁはぁ、嫌だ。お母様がいないなんて、僕、嫌だよ」


 何度も何度も潜っては、ウォルターはセレナを探しました。暗い海の上で「お母様ーー‼︎」と呼んでも、セレナからの返事は返って来ません。

 もう駄目だと、もう諦めようなんて、ウォルターは少しも考えもせずに、また、息を大きく吸って海の底に向かって潜って行きました。


 それでも、セレナの姿はどこにも見つかりませんでした。


「嫌だ、嫌だ、嫌だ、お母様ーーーー‼︎」


【NEWスキル『海洋探査』がLV1になりました。

 海洋探査の才能があるを習得しました。】


 ♦︎


 第一章・完

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