第7話『最後の夕食』

「えっ? 何の音?」


 トイレの穴からガァコンという変な音が聞こえて来ました。

 セレナはお祈りをやめると、トイレの便座の穴を恐る恐る見てみました。そこには……。


「ウォルター? ウォルターなの⁉︎ どうして……」


 セレナは慌てて床にしゃがみ込むと、トイレに穴に向かって声をかけました。

 トイレの中には、両腕を上に伸ばした状態で、通路に嵌まって動けなくなったウォルターの姿がありました。


「お母様? お母様なの⁉︎」

「待って! 動かないで! 直ぐに引き上げてあげるからね!」


 手と頭をジダバタと振って、何とか上に登ろうとする息子をセレナは急いで止めました。

 そんな事をしても登れるとは思えません。身体が傷つくだけです。


 セレナはトイレの便座を押したり引いたりして急いで壊すと、両腕を伸ばして、ウォルターの両手を掴んで、力一杯引っ張り上げました。


「んんんっ~~~~‼︎」

「痛い、お母様、痛いです!」

「我慢して、ウォルター。もうちょっとだけ我慢してね!」

「あうっっ……」


 痛がるウォルターに優しく声をかけながらも、セレナは力一杯引っ張り上げます。

 痛がっている息子にこんな事をしたくありませんが、このままにしておく事も出来ません。

 ズルズルとウォルターの身体が動いたかと思ったら、一気に穴からウォルターが飛び出しました。


「きゃあ……はぁはぁ、ウォルター、大丈夫? どこも怪我はしていない?」


 セレナは息子の両手を握ったまま床に倒れてしまいました。

 身体の上にはウォルターが覆い被さっています。そんな息子にセレナは優しく話しかけています。


「お母様、お母様……僕、お母様のいない場所になんか、頑張って泳げないよ!」

「あらあら、小さな赤ちゃんに戻ったみたいね。でも、お母さんもウォルターにもう一度会えて、とっても嬉しいわ。ごめんね。ウォルター、怖かったよね。ごめんね。ごめんね」

「うぅっ、ぐっす、お母様、もう一人は嫌だよ。死ぬなら一緒がいいよ」


 胸の中で声を殺して泣いている息子の頭を何度も何度も謝りながら、セレナは優しく撫で続けました。

 でも、いつまでもこうしてはいられません。海賊に見つかってしまったら、ウォルターが何をされるか分からないからです。


「ウォルター、よく聞いて。お母さんは逃げられないの。だから、朝になったら、ウォルターは一人で逃げるのよ。お腹空いたでしょう? しっかりと食べて寝れば、もう一度泳げるようになるわ。それまでしっかりと休みなさい。いいわね?」

「でも、僕はお母様と一緒に家に帰りたい。二人で逃げたら駄目なの?」

「嗚呼、ウォルター。お母さんはその気持ちだけでもう十分幸せよ」


 セレナを強く息子を抱き締めました。王宮から一緒に出て行ったのは、やっぱり間違いではなかった。今も昔も胸を張って、そう言えます。

 この子さえ生きていれば、それだけで幸せだと言えるぐらいに、今のセレナの胸には幸せな気持ちが溢れ続けています。


「お母様、苦しい~~!」

「あらあら、ごめんなさい! それはそうと、ウォルターはどうやってここまで来たの? もしかすると、誰かに送ってもらったの?」


 ジダバタと胸の中で踠いている息子を急いで解放すると、セレナは疑問に思っていた事を聞きました。

 いくらスキルが泳ぐといっても、船に追い付くのはまず無理です。でも、誰かと一緒に助けに来たのならば、甲板の上が静か過ぎます。


「うううん、僕が泳いで来たんだよ! 頑張って頑張って泳いでいたら、船が見えたから、お母様がいると思って、入れそうな所を探して入ってみたんだよ! 凄いでしょう!」

「ええっ、そうね……」


 もしかすると、二人で逃げられるかもしれないと、セレナは思ってしまいました。でも、ウォルターが一人で来たのならば、やっぱり一緒に逃げるのは無理です。

 それに朝になるまで休ませるなんて、甘い事も言ってられません。海賊の見回りが朝まで来ないなんて、どこにも保証はありません。見つかれば、それこそ二人一緒にどうなるか分かりません。


「さあ、ウォルター。たくさん食べなさい。ちょっと苦いかもしれないけど、お酒も飲むのよ。身体が温まるはずよ」

「うん! お母様も一緒に食べよう!」

「ええっ、そうね。一緒に食べましょう」


 セレナはウォルターと一緒に最後の夕食を楽しく食べました。

 パサパサのパンと硬いチーズは、お世辞にも美味しいとは言えません。

 でも、きっと息子にとって忘れられない味になるはずです。


「すぅー、すぅー……」

「ウォルター、幸せになるのよ」


 ウォルターは食事が終わると、疲れ果てて直ぐに眠ってしまいました。

 セレナは膝の上で眠っている幸せそうな息子の寝顔を忘れないように、静かに見守り続けました。

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