第5話 策略と薔薇の香り
ライディスがじぃーっと音が聞こえそうな眼差しで私を見ている。紫の目が冷静に細められる。これは威嚇? 目を逸らしたらまずいかしら? 私はにこにこと一点の曇りもない笑顔を返しておく。敵対する意思はゼロよ。武器も敵意も持ち合わせていないわ。
「マリン、ルージュには基本の礼儀作法は教え込んだな?」
「はい、殿下。姫様はとても覚えがよろしいので、そちらはご年齢分にもう追いついていらっしゃいます」
「いい頃合いだな。ルージュ、外に出たいか?」
「出たいですっ!」
私は身を乗り出すように勢いよく返事を返した。あまりにも素早すぎて、ライディスが僅かに目を丸めている。皇女としてはしたない反応だったかしら? このくらい大目にみてよ。だって、目が覚めてから一度も外に出てないんだもの。
たまには新鮮な空気に触れたいって思っても、マリン達は断固として首を横に振るし、隙を見つけて廊下に出ても今度は衛兵達に阻止されるのよ。宮殿内は広いから探検するだけで十分遊びにはなっていたけど、さすがに一月も経てば飽きるわ。
大喜びしている私に対して、ライディスから返事が返らない。どうしたの? 周囲からも視線が集中してるわよ?
「お兄様?」
「……あ、ああ、今日から庭園まで移動することを許可しよう。その内、お前にも騎士をつけてやる。それまではこの宮殿の敷地内で我慢しろ」
「すごく嬉しいですっ、ありがとうお兄様!」
本当に嬉しいわ。上手くいけば、他の宮殿の侍女達から情報が手に入るかも。私はさっそくソファから立ち上がった。久しぶりに心が浮き立つのを感じていると、ロバンクに呼び止められた。
「姫様、お一人で散策するのは寂しくはないですか? それならライディス殿下とご一緒なさっては?」
「えっ? あの、でも、お兄様は忙しいんじゃ……」
「別に忙しくない。今日の予定は午後に剣術を習うだけだ。それともオレが一緒では不満か?」
冷えた声と目が私を貫く。なんでそうなるのよ! だって皇子なんだから学ぶべきことがたくさんあるでしょ? 私はまだ目覚めたばかりだから加減してくれてるんだろうけど、それでも大変だったもの。頭を下げる角度とか手の先まで美しくみせる所作とか細かいマナーが多いのよね。だから、皇子ならもっと大変だろうと思って、気遣ったつもりなのに。
ライディスってば、私が嫌がってるとでも思ったのかしら? 私はなぜそんなことを聞かれているのかわからないというように首を傾げて、それはもう嬉しそうに、ライディスの手をきゅっと握ってみせる。
「ううん! 初めてのお散歩だけど、ライディスお兄様が一緒なら怖くないです。ルージュと庭園に行ってくれますか?」
「いいだろう。庭園の温室で一休みする。二人分の飲み物を用意しておけ」
「ルージュ、お菓子も欲しいなぁ~」
「……それも準備してやれ」
「うふふっ、はい、ケーキをご用意いたします」
ちょっと大胆におねだりしたら、ライディスの冷えた声が僅かに温度を取り戻した。ふぅ、やれやれ。誤解は解けたようね。まだ七歳なのに、気苦労が絶えないわ。せめて、ティータイムで甘いものをちょうだい。疲れには甘いものよ!
私達の様子を見守っていたノアムが胸元に手を当てて深く頭を下げる。
「姫様の診察も終わりましたので、私は失礼させていただきます。これまでの診察で姫様のお身体の状態は良好であることが確認できておりますし、次の診察は間を開けて、三か月後といたしましょう」
「それでいい。──ノアム、これからお前の元にルージュの状態を探ろうとする者が近づくだろう。もしルージュのことを聞かれたら、目覚めて二週間後の情報をわざと流して、オレに知らせろ」
「承知いたしました。しかし、高貴な方々に直接尋ねられたらそのような嘘は通せませんぞ。私が罰されてしまいますからな」
「その心配はない。お前を呼び出したり直接尋ねれば悪目立ちする」
「ふむ、なるほど。それを避けるために手の者を使うと。もしや、殿下が今まで姫様をこの宮殿内にとどめられていたのは──……」
「余計なことは言うな」
「これは失礼いたしました。殿下のおっしゃる通りにいたしましょう。姫様のお身体に異変がございましたら、すぐに私をお呼びください」
「ああ。マリン、聞いていたな? 普段は侍女の方がルージュと接する機会が多いだろう。よく見ておけ」
「承知いたしました」
「はい、殿下」
「お任せくださいませ!」
マインが丁寧に、アンがきっちりと、メアリが元気よく返事を返す。……いきなり策略の香りが漂ったわね。高貴な方々って言い方をしてたけど、あれは皇帝達のことを指してる。つまり、ライディスが警戒しているは親兄弟に当たる皇族。私にとっても実の親と義理だったり腹違いだったりする人達よね。
でも、どうしてその人達が私のことを気にするの? だってゲームシナリオに入る九年後ならともかく、今の私は利用価値だってそんなにないはずよ。シナリオ以外の部分で死亡フラグが乱立してる、なんてことはないわよね? 頭が痛くなってきた。私がひそかに怖れ戦いていると、ノアムが細々とした注意を言い聞かせてくる。
「姫様も痛いところや苦しいところは隠したり我慢してはいけませんよ。必ず侍女にお伝えください」
「うん、マリン達に言うね」
私は傍に控えているマリン達を見て、純度百パーセントの笑顔を向けた。お願いだから、味方でいてね? 出来ることなら、九年後も!
「今の話は外部に漏らすな。行くぞ、ルージュ」
ライディスが私が繋いだ手を放さずにソファを立ち上がる。私は手を引かれながら部屋を出ることになった。ちらっと振り向くと、マリン達が笑顔で見送ってくれていた。
手が離れない。ぶんぶん振りまわすわけにもいかず、私は素直に煌びやかな廊下を歩き続ける。見れば見るほど細工に凝った宮殿よねぇ。白と青が基調となっているこの宮殿は天井がとても高いし、ぴかぴかの廊下は馬車で通れそうなほど広い。海の底みたいで落ち着くわね。
通路の先に立っていた騎士が扉を開いてくれる。私達はそこを通って光零れる外に足を踏み出した。眩しさに目を細めていると、その先には淡い色合いの花々が鮮やかに咲いた庭園が待っていた。
甘い花の香りが私まで届く。優しい色合いね。白と青と紫の薔薇の花で纏めているようだ。この宮殿にぴったりだわ。生まれ変わって初めての太陽も気持ちがいい。私は目を閉じてじっくりと温かな日差しと薔薇の香りを味わう。うん、なんだか元気になれそう。
「なにをしてる?」
「太陽の力と花の香りを味わってます。いい天気でとても気持ちがいいですし、いい香りですね。そうだ! 今度はルージュが手を引くので、ライディスお兄様も目を閉じてください」
「まったく、おかしなことを言う奴だ」
「お兄様もやってみてください」
呆れたような物言いだけど、私が目を開けて笑いかければ、ライディスは以外にも素直に目を閉じた。まだ十四歳なのにイケメンの片鱗を感じる。ゲームの人気投票で一番を取っただけあるわ。
「どうですか? なんかこう、ほわ~ふわ~としませんか?」
「とくに変わりはない。お前はそのように感じるのか」
「はい、元気になります!」
ライディスがゆっくりと目を開く。美しい紫眼が私に向けられる。宝石みたいに綺麗な瞳ね。私はライディスの手を引きながら庭園をのんびりと見て回る。葉の長さが均一だし、美しい薔薇しか見当たらない。手入れが行き届いているのがよくわかる。触ってみたくて手を伸ばすと、ライディスに制された。
「触るな」
「あっ、ご、ごめんなさい、お兄様」
冷えた声だった。庭園を大事にしてるなら、勝手に薔薇に触られるのはイヤだったのかも。機嫌を損ねちゃったかしら? 顔色をうかがうように見上げると、ふいっと顔を逸らされた。ライディスに嫌われたら死亡フラグが……っ! 私は慌てて言葉を重ねる。
「お兄様、許してください。もう庭園の花にはぜったい、ぜ~ったいに触りませんから!」
「…………」
ちょっとした好奇心でこんなことになるなんて。もう花なんか嫌いになってやるわ。ライディスから重く漂う沈黙に、頭の中では死亡フラグの字でいっぱいだ。涙が出そうになっていると、ひょいっと青い薔薇が私達の視線の間に差し出された。
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