第2話 七歳児はタイムラグに気づく

 あれから私には新しい侍女達がつけられた。


 侍女頭はマリンという柔らかな茶色の髪に太陽に照らされた若葉のように美しい緑の瞳の若い女性で、私をお風呂にいれたり髪を整えてくれたりと、なにくれとなく細やかに気遣ってくれている。


 でも、侍女の中には私のことを怖がったり気味悪がる人いるみたい。マリンもそれをわかっているようで、側に控える侍女達の中に絶対に私のことが平気な人を混ぜているようだった。


 皇女に対して表立ってなにかを言ってくるような侍女はいないが、その態度を見ていれば恐れや不満があるのはわかるわよ。ルージュわたしの目覚めを喜んでくれる人なんてほんの一握りみたいね。ルージュが悪役皇女になった理由には、ああいう侍女達の存在も大きいんじゃないかしら? 私がルージュのままなら、関心や愛を求めて嫉妬心を暴走させたりはしないけど。


 ……状況的に考えて、おそらく元の世界の私はバスで事故に巻き込まれて死んだのね。そうして、原因があるのか、それとも偶然なのかはわからないけど、ルージュに転生した。


 よりよって転生先が悪役皇女ルージュだし、夢も未来も家族も友達も奪われて、泣かないのは無理だった。だけど、夜の間にベッドで隠れて泣いても朝は来るわ。窓から差し込む朝日を見たら、泣いてる時間がもったいなく思えちゃったのよね。


 私の心は案外タフだったみたい。元の世界のことはずっと忘れられないし、思い出すことも多いと思う。それでも、この世界で生きるしかないのなら、せめて今世は幸せになりたいじゃない! そのためにも、必要なのは私の成長よ。 


「ルージュ様、最後にご挨拶の練習をしたら昼食休憩にいたしましょう。さぁ、ドレスの裾をお持ちください」


 食後の運動も兼ねて、趣向が凝らされた煌びやか過ぎる室内で歩行練習をしていた私はマリンに言われるがままにドレスを指先で摘んで礼を取る。


「ぎょ、ご、ごきげんよ」


「最後にがついたら完璧ですよ。淑女の礼の形もとてもお上手ですわ。ゆっくりで構いませんので、発音を意識しながら言ってみましょうね」


「まりー、んと、ごきげんよう」


「素敵ですわ。よく出来ました!」


「お上手でしたよ、姫様」


「もうお出来になられるなんて、姫様は努力家ですね」


 侍女のアンとメアリが拍手してくれる。アンは茶髪に薄い灰色の瞳のクールな侍女で、メアリは赤茶色の髪と熟した蜜柑色の瞳のおしゃべりな侍女だ。この三人が基本的にルージュの傍つきで、私が暮らす宮殿の侍女頭マリンの指示に従って他の侍女も動いている。


 だけど……恥ずかしい! これでも高三だったのに、今は幼児みたいな扱いを受けているんだもの。本当はもっとうまくしゃべりたいけど、この身体は五年間眠っていたからその後遺症で今は筋肉が動かしずらいのよね。ゲームのキャラクラー情報を見たから覚えてるわ。


 この身体の持ち主の名前はルージュ・ブレア・イシュタナ。彼女の母親は、イシュタナ帝国の伯爵令嬢エナミで、本当は公爵家の嫡男の婚約者だった。けれどその美貌が皇帝の目にとまり、半ば無理やり娶られた末に生まれた子供がルージュだ。そして、ルージュが二歳の時に事件が起こる。当時十一歳だった第二皇子の魔法が暴走し、その魔法が二歳のルージュに向けられたのだ。そのため、彼女は三年間・・・眠り続けることになる。ただし、魔法の暴走というのは表向きの理由で、本当は第二皇子の母親・側室サラマが命令してわざと魔法で攻撃させた、というのが真実だ。


 ルージュはその魔法によって眠りについたまま目覚めなくなる。日に日に衰弱していく娘を見て、エミナは皇帝に魔法を解く方法を探してほしいと頼む。しかし、皇帝は姫には関心を抱かずなにもしなかった。だから、エミナは娘を救うために自らの命をかけて魔法の指輪を作り出し、それが原因で消滅してしまう。その指輪があったから、ルージュは三年もの間、眠りながら生き続けることが出来たのだ。

 

 これが公式設定の【悪役皇女ルージュ】の生い立ち。


 でも、今のルージュわたしは七歳。つまり五年間・・・眠っていたということよね。なにもしていないのに、現時点で変化が生まれてるのが気がかりだけど、ライディスが皇帝から眠り続けるルージュを下げ渡されて目覚めるという部分はシナリオと同じだから、おおまかな運命の流れは変わらないのかも。


 私が知っているゲームのシナリオだと、オープニングは影が五人順番に浮かんできて【この日、周辺諸国を飲みこみ長きに渡り戦乱を呼び起こしたイシュタナ帝国の支配者、皇帝ジュナスが鼓動を止めた。だがそれは、三人の皇子達による皇位争いが始まりを意味していた】っていう字が表示されて始まるのよね。


 そこから一年後、孤児院生まれの【主人公カノン】が登場する。彼女は公爵家の侍女を助けたことで、公爵家に気に入られて引き取られるのよ。そして、その噂を聞いた第一皇子が興味を持ち、城に招くところで顔を合わせる。次期皇帝となるには公爵家と繋がりを持つのが有利だから、それが理由なんだけど、彼等は次第に彼女自身に惹かれていく。カノンがどのキャラクターを選ぶのかによって話が変化するから、その度にルージュはあらゆる手を使って二人の仲を邪魔して悲惨な最期を遂げる。これがおおまなかストーリー内容。


 この世界がもし、ゲーム通りのシナリオで進むのなら、主人公が現れるのは十年後。だけど、その一年前に皇帝が崩御して皇位争いが始まるから、私に与えられた実際の猶予は九年ってところね。目覚めた時間に二年のタイムラグがあるから、出来るだけ早く自分が生き残れる道を作らないと。


「さぁ、休憩いたしましょうね、ルージュ様。こちらにお座りくださいね」


「あいぎゃ……んん、ありがぁとう、まりー」


 マリンに手を引かれて、私は長椅子に腰を下ろした。ふぅ……歩くだけでこんなに疲れるなんて。体力をつけることとしっかり話せるようになることが今の課題ね。コソ練しよう。


 私がそんな計画を立てていると、マリンの目が潤み出す。えっ? いきなりどうしたのよ?


「ルージュ様がわたくしにお礼を……っ」


「感動しますね。本当に目覚ましいご成長ぶりです」


「私達の姫様はこんなにもお優しいって、他の侍女に自慢したくなっちゃいますよ。もう誰も姫様のことを人形姫なんて呼べませんね!」


「口には気をつけなさい。姫様に失礼よ、メアリ」


「あっ、申し訳ございません。私、姫様が目覚められたことが嬉しくてつい……」


「マリン様、この子はずっと姫様のお側でお仕えしたがっていたのです。長年の願いがかなって舞い上がっているのでしょう」


 落ち込んだように肩を落としたメアリを見て、アンがフォローする。私に仕えたがるなんて、どうしてかしら? 私は無邪気な振りをして、メアリに笑顔を向ける。


「めありぃー、りゅーじゅ、しゅき?」


「はうわぁっ! も、もちろん好きです、姫様! 一度だけお世話させて頂く機会がございましたあの日から、ずっと麗しい姫様のお側で仕えることを夢見ていました!」


「りゅーじゅも、めありぃーと、まりーと、あんのこちょ、しゅきよぅ(ルージュも、メアリと、マリンと、アンのこと、好きよ)」


「姫様、わたくしも大好きですよ。そのようなお言葉をいただけて、とても嬉しゅうございます」


「……姫様にお仕え出来て幸せです」


 三人が感動したように両手を握り合せて目を潤ませる。大げさな反応にも思えるけど、人形姫と揶揄されるほどただ眠り続けていた私に、好意をもってくれているんだから、ありがたいわ。


 彼女達は味方と考えてよさそうね。なにも知らない振りをするのは良心が痛むけど、精神年齢がバレないようにちょっとずつ成長してるように見せかけよう。あまりにも出来過ぎると天才児として過大評価を受けてしまうだろうし、かといって遅すぎるのもよくない。三日後にライディスに切らないように、周囲の様子を伺いながら小出ししていくしかないわね。それにしても言葉が通じることと、絵本の文字が読めたのには助かったわ。なぜなのかは気になるけど。


 にこにこと笑顔を振りまきながら考えていると、扉をノックされた。


「失礼いたします、マリン様、姫様の昼食のご用意が出来ました。こちらにお運びしてもよろしいでしょうか?」


「ええ。──姫様、昼食になさいましょう。たくさん食べて丈夫なお身体をおつくりしなくては」


「昼食!」


 周囲から微笑ましそうな視線を向けられる。嬉しさのあまりに、やっちゃったわ。恥ずかしながら、はっきり言える言葉がこれだけなのよ。一日の一番の楽しみがこの時間だからね。プロのシェフが作っているから本当に料理が美味しいの。元の世界では姉弟が多かったから、食事時はすごくにぎやかだったのよね。


 ふと、元の世界が恋しくなる。……お母さんの甘い卵焼きが食べたいわ。なんて言ったら、私らしくないわよね。甘えたことを言っちゃダメよ。頼れる人も本当に信用出来る人もいないんだから、しっかりしないと。


 気を取り直してテーブルに並べられた料理に心をときめかせる。白身魚にキノコにパプリカを綺麗に盛り合わせた一品と、コーンポタージュのスープにサラダとパンもついている。初日に残してしまってから、量は抑えてくれているようだった。残しちゃ悪いから無理して食べようとして気分が悪くなっちゃったのよね。


 料理のセッティングが完了すると、アンが私の手を濡らした布きんで拭いてくれる。本当に子供扱いされてるわ。


「いいですか、姫様。お腹がいっぱいになったら食べなくてもよろしいですからね? さぁ、よく噛んで召し上がれ」


 初日の失敗のせいで、私が満腹になる感覚を理解していないのだと思われているようね。大丈夫よ、同じミスは繰り返さないわ。まだ感覚の鈍い手で、私はたどたどしくナイフとフォークを握った。

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