悪役皇女の名のもとに

天川 七

第1話 埃にまみれた悪役皇女

「……ケホッ、くひゃい(臭い)」


 ほこり臭さに目を覚ました私、早咲湊はやさきみなとはクモの巣だらけの薄暗い天井を見て、思わず固まった。しかも空気が埃っぽい。なんで私こんなホラーじみた部屋で寝てるのよ? たしか、バスに乗ってたら、急に急ブレーキが鳴って、すごい衝撃が……。


 起きあがろうとしたら、身体が重力を上乗せされたように重くて上手く動かせなかった。待って、本当にどういうことなの? 起き上がるだけで息が乱れてしまう。


「どきょなにょ、きょきょは?(どこなの、ここは?)」


 舌の回らない口を気にしながら苦労の末に身体を起こし、周囲を見回すと、埃だらけの部屋の中は、高そうな調度品で整えられていた。机と椅子にチェストはそれぞれ白とピンクの色彩でまとめられており、チェストの上には宝石がついている花瓶と枯れて原型をとどめていない花の残骸、その隣に金の髪飾りとウサギの人形が置かれている。


 自分の身体を見下ろせば、色あせた白いナイトドレスと首に赤い宝石がついた指輪がつけられていた。それよりも気になるのは埃まみれのこの身体よ! 私は頭と身体を手ではたいて埃を落とす。しかし身体の大きさは明らかに違う。十八歳の身体が小さくなっているし、前髪どころか全体の髪がベッドに広がるほど長い銀髪だ。


 自慢にもならないけど、私は髪を染めたことが一度もないのよ。生活態度をよくして内申書をよくしとかないといけなかったから。私は長女で、下に姉弟が四人もいる。だから、親に負担を書けないように、進学する大学は返済不要の奨学金制度がある場所にしようと決めていたのだ。


 なのに、銀髪ということは、この身体は自分のものではないのかもしれない。どちらにしても、顔を見ればはっきりするわ。


 パニックになっちゃダメよ、湊。落ち着いて、周囲と自分の状態をよく見るの。力の入らない手を握れば、感触がはっきりと伝わってきた。夢じゃないのは確実ね。私は現状把握をするために、ベッドから落りようとして、ずり落ちた。


 手足に上手く力が入らないので、ベッドを支えにふらふらと立ち上がり、震える足で一歩一歩前に進む。


 ドレッサーの前に置かれた大きな鏡の前に近づいて行く。徐々に明らかになる姿は想いもかけないものだった。薄汚れた鏡に映ったのは、妖精のように美しい少女である。輝くような銀の髪に、妖しい引力を秘めた緑の瞳。薄く色づいた唇が目を引くほどに、肌が白い。将来は傾国の美女になりそうなその容姿には、私の要素は一つもなくて手が震えた。


 ……人を探すの。そうすれば、わかることがあるはずよ。ほら、小説やゲームでもまずは第一村人、もとい住人と会って情報を得るでしょ?


 私は扉を薄く開いて外をちらちら確認する。人気もないようなので、今度は大胆に開いて広くて豪華な装飾が施された壁をつたいながら左側に歩いていく。ここは埃っぽくないみたい。


 はぁはぁと荒い息をつきながら人を探して歩き続けていると、ガシャーンとなにかが割れる音が近くでした。驚いて顔を上げれば、黒いドレスに白いエプロン姿の外国風の顔立ちの女性達が、真っ青な顔でぶるぶる震えていた。


「きゃああああ─っ、人形姫が動いてるわ!!」


 私はその悲鳴に衝撃を受けて気絶した。……体力的にも限界だったのよ。




 二度目の目覚めは心地のいいものだった。花の香りのようなものを感じて、薄く目を開けると、清潔なベッドに寝かせられた私の顔を、金髪の少年が紫色の眼光を細めて睨んでいた。なんだかデジャヴを感じる。冬の夜のように冷たく端正な顔立ち……誰かに似てるわ。


「じゃ、じゃあえ……?(だ、誰?)」


「……よわい七歳にして言葉も知らぬとは哀れだな。いっそ死ぬまで眠り続ければよかったものを」


 幼さの残る皮肉なその声を聞いた瞬間に、頭が真っ白になった。思い出した! この顔って、私がひそかにはまってた乙女ゲーム『ディマイズ─黎明のカノン─』の登場人物じゃない!? この子は中学生くらいだからゲームより若いけど、外見的特徴がそっくり。これはただの偶然なの? 


 瞬きも忘れて見つめていたのがよくなかったのか、絶対零度の眼差しを返されて心が凍えそうになる。目の冴えるような美しい顔立ちなのに、かけられるのは心ない言葉だし、泣きたい。なんでこんなに嫌われてるのよ、私がなにかした!?


「ライディス殿下、今の姫様は赤子と同じですよ。これから言葉も心も成長なさいましょう。そのために私達がお手伝いいたします」


 そう声をかけたのは、柔らかな水色の髪に琥珀の瞳の優しい顔立ちの二十代くらいの騎士だった。しかし、問題はその言葉である。今、【ライディス殿下】って言ったわよね? 同じ名前に同じ顔ってことは、やっぱり私は乙女ゲームの中にいるの? もう本当にどうなってるのよ!


「あるいは、オレが今殺してやるべきか……お前は実母をとうに失い、父であることを放棄した陛下がオレに下げ渡した存在だ。死んだところで誰も気にかけかけはしまい」


「お待ちを! 姫様は今日お目覚めになられたばかりです。そのような無垢な方を手にかけるのは……っ」


「黙れ、ロバンク。その無垢な魂がこの世界で汚れる前に、実母の元に送ってやるのが兄たるオレの情けだ。我が妹リージュよ、痛みを感じる間もなく首をはねてやろう」


 ……待って、ライディスが私のことを【ルージュ】と呼んだわ。それってまさか、主人公にあらゆる方法で嫌がらせをして命まで狙ったあげくに、主人公が選んだルートによって消滅・毒殺・終身刑などなど、バッドエンド一直線で、唯一の生存エンドが攻略キャラクターが全滅しちゃう【悪夢の女帝エンド】しかなない、あの【悪役皇女ルージュ】のこと!? 


 抜き身の剣がギラリとこちらに向けられる。今は自分の名前を気にしている場合じゃないみたい。この人は本気で私を殺す気ね。私を庇っていた水色の髪の青年が叱られた犬のように引き下がってしまう。私が自分でどうにかするしかないようね。でも、どうしたら……はっ、そうよ! 


 私は悪意のない目で無防備な好奇心を装って、剣に指を伸ばす。多少の怪我は覚悟のうえよ。死ぬよりましだもの! 途端に男が息を詰まらせて、咄嗟に剣を引いた。


 私が無防備全開の反応をするとは思わなかったでしょ? 迷わず切られる可能性もあったけど、私を妹と呼ぶあなたの良心にかけて正解だったわ。


「しゃくちぇんかちゃにぇ(作戦勝ちね)」


「……恐れもせずに剣に触れようとするとは。これが自分を害するものだということさえわかっていないのか」


「怖れながら申し上げます。姫様は今日まさに生まれたばかりと相違ございません。しかし、剣に興味を持ったということは少なからず自我がおありなのです! 今はまだおわかりになられないかもしれませんが、きっとすぐに理解出来るようになりましょう」


「ふん。ならば姫の意識を育ててみせろ。一週間後に見にくる。そこで目覚ましい成長が認められなければ終わりだ。だが、もし姫に変化があるなら──……」


 あるならなによ!? ライディスは言葉を切ると、品定めをするように私の顔を眺めてロバンクと呼んだ男を流し見た。


 はぁ、なんとか今は生き伸びたけど、一週間でライディスが満足するレベルまで頑張らないといけないようね。しかも悪役令嬢ルージュとして。じゃないと、さっくり殺されそう。そんなの冗談じゃないわ、絶対に成長を見せつけて、驚かせてやるわ! 


「ライディス殿下、ルージュ姫は必ずご成長なさいます。専属の侍女を新たに手配してご成長を促しましょう。ところで、こちらの者達はどう処分いたしますか?」


 ロバンクが青い目を冷やかに細めてひざまづく十数人の侍女を手で指し示す。ライディスはブーツを踏みならし侍女達の前に立つと剣先を床にたたきつけた。


「オレは姫の身の回りの世話をせよと命じたはずだが? 何年も目を覚まさないからと掃除もせずに放置とは、侍女風情がよほど死にたいと見える。姫の侍女頭は誰だ?」


「わ、わたくし達でございます、ライヴィス殿下! 申し訳ございません、どうか、命ばかりはお助けを……っ」


 名乗り出た侍女頭にライディスが剣を振り上げる。このままじゃ、切られちゃう!


「それぞれに選ばせてやろう。手を切るか、足を切るか、それとも首がいいか」


 選ぶ余地なんかないじゃない! そりゃあ掃除をさぼったことに罰は必要なのかもしれないけど、命を奪ったり、手足を切るのは重すぎるわよ。目覚めて早々スプラッタも嫌だし……もうっ、仕方ないわね!


「あにぉ……もうちゅこぉかゆくにゃい?(あの……もう少し軽くしない?)」


「侍女達を処分するまで大人しくしていろ」


「ひいいっ、殿下、お許し下さい!!」


「私共は侍女頭様がお世話をしなくてもいいと言われたので従ったのです!」


「けして職務を放棄したわけでは……っ」


「誰が口を開く許可を出した?」


 声が大きいわけでもないのに、ひりつくような冷たさがある声だ。侍女達が腰が抜けた様子で身を寄せ合う。このままじゃいけないわ! 私は慌てて動いたはずみでベッドから落ちた。く……っ、失敗ね。ダイブしたように落ちたせいで、全身が痛い。


「姫様! 大丈夫ですか?」


 ロバンクが手助けしてくれる。ベッドに戻さなくていいのよ! 私はあっちに行きたいんだってば。ライディスに両手を伸ばしてもぞもぞと腕の中で身を捩る。


「うむ~んぅ」


「姫様は殿下のもとに行きたいのですか? 処分が終わるまではお待ち下さいね。危ないですから」


「よく理解出来るものだ。ルージュ、オレになにか言いたくば、人間の言葉を話せるようになれ」


 今すぐ!? 無茶無理がすぎるわよ。あんた達の会話からわかったのは、私が悪役皇女ルージュになってて現在七歳ってこと。それなのにずっと眠っていたんでしょ? そりゃあ、手足に力も入らないし、舌も回らないわけよね。それで生きられていたことが不思議。


 重くて仕方のない両手を伸ばすとため息をついて剣を納めたライディスに軽々と抱きかかえられた。今の年齢は十四歳よね? それにしては身体が大きいし、力も強いわ。この世界の基準が大柄なのかしら?


「なんなのだ? 侍女を切るなとでも言いたいのか?」


「そのようなタイミングでしたね。それに、無垢な姫様に惨殺現場を見せるのは教育上よくありません。血なんて見せてトラウマを植えつけたりしたら、悪影響です。兵に牢獄に連れて行かせましょう。処罰はそれからでよろしいかと」


「ふん……ならば、そうしろ」


 以外とあっさり剣を納めてくれたわ。ロバンクの助けのおかげね。よかった、これでこの人達が殺されることはないわよね? 


「では鞭打ちにいたしましょう。見張り兵よ、姫様に無礼を働いた侍女たちを牢屋に連行しろ」


「はっ!」


 鞭打ち!? 優しいと思ったのにこの人も怖いじゃないの! 真っ青な顔をした侍女達が引っ立てられていく。唇を両手で押さえて嗚咽を押さえている。ここで反抗したら今度こそライディスに切られるとわかっているからだろう。どうやら私は恐ろしい世界で目を覚ましてしまったみたい。


 ライディスが私をベッドに下ろしながら、に命じる。


「一週間後だ。それまでに姫を心身ともに磨き上げておけ」


「すぐに手配いたします。姫様、侍女にお風呂に入れてもらいましょうね。ドレスも宝石も愛らしい姫様に一番似合うものをご用意しますから」


 部屋を出ていくの背中を睨んで私は決意した。死ぬ気で頑張って、一週間後も生き残ってやる!

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