第二話― 落ちこぼれたちの主張(2)

 この日、派茶目茶高校二年七組の一時限目の授業は英語であった。

 英語の授業を受け持つのは、このクラスの担任であり、ある意味クラスメイトの保護者でもある斎条寺静加だ。

「はい、それじゃあリッスントゥミー。アイ、ハブ、ア、ガン。キル、ユー」

 静加の流暢な英和文にならっていく生徒たち。彼女の指導の賜物か、この教室ではどこにでもよくある日常的な英語の授業が実践されていた。

 とはいえど、どこの教室でも授業に不真面目な生徒というものは少なからずいるもので……。

「おい、例の新作、手に入れたんだろうな?」

 ある生徒に、小さい声で耳打ちする生徒がいる。

「おう。昨日買ってきたさ」

 その生徒たちとは、授業などそっちのけでにやけた顔をしながらヒソヒソ話をする勝と拓郎の二人組だった。

「で、中身はどうだった?」

「ムフフな中身だった」

 何の話をしているのかはあまりにも不道徳なので省略するが、勝と拓郎の二人はいつまでもムダ話を続けていた。すぐ傍に、鬼教師が近づいてきているとも気付かずに。

『カッコーン、コーン――!』

 教室内に高らかに響く鈍い音が二つ。それはまさに、静加先生の愛のムチ“聖なる鉄槌”が振り下ろされた証しだった。

「ぐわぁ、いってぇ!?」

 悶絶しながら頭を抱える勝と拓郎。

「あなたたち、わたしの授業を舐めてるの? あなたたちがその気ならわたしもその気で臨むわよ?」

「そんな硬いトンカチで殴ってる時点で、もう十分にその気じゃん!?」

 鬼教師の右手には、“喝”という文字がくっきりと刻まれた木製のトンカチが握られていた。

 思い切り殴ったら記憶まで飛んでしまいそうな正義の鉄槌。この脅威こそが、この二年七組の秩序をギリギリ守っているといっても過言ではない。

「おしゃべりしてる方が悪いでしょう? お仕置きの方法は人それぞれよ。この授業中、もう一度でも与太話してごらんなさい。こんなもんじゃ済まないわよ」

 静加の不気味な迫力により全身が震え上がる悪い子二人。もちろん彼らだけではなく、その様子を傍目で見ていた他の生徒たちも同様であった。

 この教室で繰り広げられるさまざまな光景に、転校生の由美はただ困惑するしかない。彼女の揺れ動く戸惑いは、時間を追うごとに加速していくのだった。


* ◇ *

 時刻は午前九時四十五分。一時限目の英語の授業が滞りなく終了した。

 昨日と同様に、二年七組の遅刻組の拳悟と麻未はまだ登校していなかった。どうやらこの二人は、本日も遅刻の記録を積み重ねるつもりらしい。

 二時限目までのわずかな休み時間、生徒たちは息抜きがてら各々の楽しい時間を過ごしていた。

 トランプのポーカーに興じる者、花札でコイコイを興じる者、そしてコックリさんで下らない未来を占う者など、二年七組のクラスでも世間一般の高校でよくある(?)遊戯が見受けられた。

「スグルさーん、タクさーん。静加先生がお呼びですよぉー」

 二年七組の教室に入ってきた生徒が、うたた寝しているお馴染みの二人に声を掛けた。その二人こと勝と拓郎は、疎ましそうにしながらも逆らうこともできないとばかりに重たい腰を上げる。

「なぁ、タクロウ。おまえ、耳栓持ってる?」

「いや、持ってないわ。今日は覚悟決めようぜ」

 もう二人にはわかっているのだ。これから貴重な休み時間のすべてを担任からみっちりお説教されることを。

 勝と拓郎はガックリと肩を落とし、深い溜息をつきながら教室から姿を消していった。

 そんな彼らのことを気に留めつつも、次の授業で使う教科書を準備し始める由美。次の授業は数学。彼女は“楽しいすうがくⅠ”と記載されたテキストを机の上に広げた。

 準備万端の彼女のもとに、数学の教科書を手にやってくるクラスメイトが二人。彼らは姿勢を低くして、申し訳なさそうな感じの声で話し掛けてくる。

「ユミちゃーん、あのさ、ちょっといいかな?」

 いきなり呼び掛けられて由美はビクッと体を震わせたが、その二人が顔馴染みとわかりすぐにホッと胸を撫で下ろした。

「あ、ああ。えっと、モヒくんと、シナチクくん……だよね」

 モヒカン頭の勘造と、坊主をかつらで隠す志奈竹の二人。彼らは照れ笑いを浮かべながら、“楽しいすうがくⅠ”のテキストを指し示していた。

「ユミちゃんさ、数学って得意? 俺たち次の授業で問題の解答させられる当番なんだ。ズバリとは言わないけど、解き方でいいから教えてくれないかな?」

 数学を受け持つのが何と、あのヤクザと異名をとる暴力教師反之宮。この二人は体罰を恐れるあまり、藁にもすがる思いで由美に泣きついてきたというわけだ。

 最初こそ動揺を隠せない由美だったが、情けない表情をする彼らに同情してしまったのか、彼女はクスっとはにかんで小さく頷いた。

「……得意というほどじゃないけど、解き方なら教えられると思う」

「ホント? うわぁ、ありがとう。マジにマジに助かった」

 嬉しさのあまり手を握り合い、軽やかなダンスで喜びを表現する二人。

 髪型や衣装は奇抜でも、考え方までは自分と大きくかけ離れてはいない。由美はこの時、子供らしく振る舞う彼らを見つめて素直なままに頬を緩ませるのだった。

 だが次の瞬間――。彼女の安らいでいた気持ちをぶち壊す、雷鳴のような怒鳴り声が教室内を駆け抜けた。

 クラスメイトの怒鳴り声におののき、身構えるように拒絶反応を示す由美。彼女の傍にいた勘造と志奈竹は、煙たそうな顔をその怒号の発せられた方角へと振り向かせる。

 クラスメイトたちが注目する先で起こった騒動。それはあまりにも幼稚で、取るに足らないほど下らない口論であった。

「おい、おめぇ。俺の消しゴム勝手に使いやがって、何様のつもりだ?」

「だから悪いって言ったじゃねぇか。そんな些細なことで、いつまでも怒らなくてもいいだろぉ?」

 消しゴムの角を使ったぐらいのことで、男子生徒二人があーだこーだと言い争いを繰り返している。そのあまりの下らなさに、クラスメイトたちの失笑が漏れ始めていた。

「あー、やかましいな、ったく。脇役のくせに派手に立ち振る舞いやがって」

 勘造と志奈竹も苦笑しながら、救いようのない二人に捨て台詞を投げ付けていた。

 派茶目茶高校の二年七組ではよくあるこの光景。しかし、この空気に溶け込むことができない少女が一人だけいる。頭を抱えるようにうつ伏せて、両手で耳を押さえ続ける少女が一人。

 男子二人の怒鳴り声、はやし立てる他の生徒たちの叫び声が少女の繊細な心を激しく痛め付ける。

(もうイヤ――)

 口喧嘩はいつの間にかエスカレートし、とうとう取っ組み合いの喧嘩へと発展していた。まるでショーが始まったかのように、教室の中がますます沸き立っている。

 ガタガタと、机と椅子のぶつかる音が激しくなり、少女のひび割れたガラスの心をさらに崩壊していく。

(もうイヤ、もうヤメテ――!)

 その少女は心の中でひたすら悲鳴を上げる。しかし、彼女の悲痛の訴えなどクラスの誰にも届くことはない。彼女のやり場のない苦しみはついに限界を超えてしまっていた。

「おい、いい加減にしろっ。殴り合いがしたいなら外に出て気が済むまでやってこいよ!」

 苛立ちが限界に達した勘造が、暴れ回る男子二人に向かって怒鳴り声を上げた、その直後。

『ガタッ――』

 少女は苦渋の表情のまま席を立つ。瞳に涙を浮かべて。

「もう我慢できない――!」

「あら、ユミちゃん、どうしたの?」

 勘造の問い掛けに返答することもなく、由美は机の上の教科書もそのままにカバンを手にして教室から飛び出していく。

 彼女の突発的な行動に、勘造と志奈竹は唖然とした顔を突き合わせることしかできない。ただごとではないと思いつつも、どう行動してよいのかわからず右往左往するばかりだった。

 教室ではまだ揉め事が続いていた。その最中、静加に呼び出されていたクラス委員長の勝と彼の友人である拓郎が戻ってきた。こっ酷く説教されたらしく、二人とも疲労感たっぷりの顔つきをしている。

 ドタバタとやかましい教室に入るなり、勝と拓郎はいったい何事だと、この惨状について生徒たちに問いただしていた。

「あー、スグルさーん、タクさーん、大変だよぉ!」

 勝たちのもとへと駆け込んでくる勘造と志奈竹の二人。彼らは慌てふためき、由美が教室を飛び出していった事実をすぐさま伝える。

「んだとぉ! マジの話か、それは?」

 勘造は大きく頷くと、いまだに揉めている男子二人の方に目配せする。ヤツらが暴れたことが原因ではないか?と伝えるように。

 由美が暴力を毛嫌いしていることを知っていた勝。クラス委員長として彼女を守ってあげられなかった悔しさに、彼はこの上ないほどの怒りを表情に滲ませた。

 彼はブルブルと体を震わせて、握り拳に気迫のこもったオーラをまとう。

「こぉの、クソガキどもがぁぁぁ――!」

 勝はまさに鬼の形相で、乱闘している男子たちのもとへ猪突猛進に突撃していく。彼はダッシュの勢いのままに、その男子たち目掛けてドロップキックをお見舞いした。

「このバカども! ユミちゃんが学校出ていっちまったじゃねーかっ!」

 叱り付けるような勝の恫喝で、教室内が一斉に静けさに包まれる。喧嘩していた当事者のみならず、けしかけていたギャラリーたちも驚愕のあまり完全に押し黙ってしまっていた。

 まだ勝は収まりがつかないのか、原因であろう男子たちを徹底的に足蹴にしている。さすがにやり過ぎだとばかりに、拓郎が必死になってそれを止めに入った。

「スグル、もう止めろ! コイツら、いたぶっても仕方がねーだろ」

 拓郎に羽交い絞めにされること数十秒。少しずつ冷静さを取り戻して、勝はようやく猛獣の牙を仕舞い込んだ。

「そうだ、こうしちゃいられねーぞ。ユミちゃんを探すんだ」

 勝の委員長らしい鶴の一声に、彼の仲間である拓郎、そして勘造に志奈竹も声を揃えて賛同する。しかし、それ以外のクラスメイトは緊張が解けていないのか、躊躇いの表情を浮かべて足を動かせずにいた。

 それに痺れを切らした拓郎が、机を大きく蹴り飛ばしながらクラス全員に訴えかける。

「おまえら、クラスメイトだろ! 仲間が飛び出したのに素知らぬ顔してこのまま無視を決め込むつもりか!?」

 拓郎の勇ましい呼び掛けが、臆病風に吹かれていた生徒たちの心を揺れ動かした。一人、また一人と、生徒たちは互いに声を掛け合い、由美の捜索を手伝うことを誓う。

 床の上に倒れていた男子二人も、拓郎たちの手を借りて立ち上がると意を決したように一緒に探すことを申し出た。

「よし、俺のグループと、タクロウのグループの二つに別れよう。まだそんなに遠くには行っていないだろうから、学校近辺を中心に探してくれ」

 一つにまとまったクラスメイトたちは、了解を示しながら一斉に声を張り上げた。

 午前九時五十五分。二時限目の授業開始のチャイムが鳴り響く中、勝や拓郎たち二年七組の生徒たちは一人のクラスメイトを救うために無心になって教室を駆け出していくのだった。


* ◇ *

 相次ぐ騒動に耐え切れず、二年七組の教室を飛び出してしまった由美。そして、彼女の足取りを追いかけるクラスメイトたち。それはまさに、学園ドラマっぽい青春の群像劇のようなシーンだ。

 そんな事件があったことなど露知らず、気ままにのんびりと通学路を歩いている二人の生徒がいた。二人とも眠たい目を擦り、時折あくびをしながら気だるそうな顔をしている。

「ふわぁ~、ガッコ行きたくなーい。あたし、やっぱ帰っていい?」

「帰りたきゃ帰れよ。言っておくけど出席の代弁はお断りだからな」

 この二人の正体こそ、二年七組のドタバタ劇から完全に除外されている遅刻組、勇希拳悟と和泉麻未のコンビであった。

 どうやらこの二人、昨日の夜から一緒に遊んでいたらしく、朝になっても自宅に帰宅せず昨日とまったく同じ服装のまま派茶目茶高校へ登校するつもりのようだ。

「アサミさー」

「んー?」

 朝帰りの二人はボーっとした顔を突き合わせる。

「おまえ、口紅がちょっとずれてる。女の子として恥ずかしいぞ」

「そういうあんたもさ、上着、裏返しに着てるわよ。かなりダサくね?」

 お互いにけなし合いつつも、すぐさま手鏡を覗き込んだり、慌てて身だしなみを確認し合ったりするだらしない二人であった。

 気を取り直して歩き始めること数分後、彼ら二人は学校から一番近い交差点付近までやってきた。すると――。

 交差点の向こう側を駆け抜けていく一人の女子生徒。それこそ、学校から逃避した由美本人であった。

 丁度その時、交差点に視点を向けていた麻未。寝ぼけ眼だったが、由美らしき少女の泣き顔をわずかながらに捉えていた。

「ケンちゃん。今の見た?」

 麻未が交差点を指し示しながら尋ねると、拳悟はうんうんと一人納得したように頷いていた。

「ああ、見たよ。かなり速かったよな。やっぱりカッコいいぜ、あのバイク。貯金溜まったら絶対に買ってやる」

「違う、バイクの話じゃない。ついさっき、ユミちゃんがその交差点を走り抜けていったの」

 拳悟は呆気に取られて、こめかみに人差し指を突き立てた。

「ユミちゃん? ……幼馴染みの鈴木祐美? それとも、小学校時代の初恋の相手の佐藤夕実のこと?」

「どれもはずれ。だいたい、あんたの幼馴染みと初恋の相手の顔なんて、あたし知らないもん」

 麻未が見掛けたという“ユミ”がクラスメイトの夢野由美だと聞かされた拳悟は、さらに呆気に取られてあからさまに困惑めいた表情を浮かべる。

「おいおい、そんなわけないだろ。ユミちゃんはお利口さんだぞ。冗談は下半身だけにしろよ」

「下半身がふざけてんのはあんたの方でしょーが。はっきりじゃなかったけど、あの横顔、ユミちゃんだと思うんだけどなー」

 ただいまの時刻は午前十時を過ぎたばかり。二時限目の授業の真っ只中に、優等生の由美がこんなところをうろついているはずがない。

 見間違いだったのだろうという拳悟の指摘に、麻未は頬を膨らませて釈然としなかったが、物的証拠がない以上渋々ながらも納得せざるを得なかった。

「そんなことより早く行こうぜ。二時限目って反之宮の数学だぞ。あまり遅くなると粛清という名のもとに殺され兼ねないぞ?」

「ああ、くわばらくわばら。ガッコ行くっていうより死刑台に向かう気分だねー」

 身を縮ませながら、学校への通学路を進んでいく拳悟と麻未の二人。

 先を急ぐ二人が交差点に着いた途端、そこへドタバタとやってくる集団がいた。その容姿は紛れもなく、由美の行方を追いかける二年七組の生徒たちだった。

 勝に拓郎、そして勘造に志奈竹。そうそうたるメンバーたちを目撃して、拳悟と麻未は唖然とした表情を見合わせた。

 拳悟たちの存在に気付いたのか、彼らの周りを取り囲みながらわらわらと集まってくる同じクラスの生徒たち。

「おいおい、おまえら何してんだよ? いくら反之宮の授業が嫌だからって集団ボイコットは得策とは言えないぜ」

 息を切らせていた勘造が、ぶんぶんと頭を振りながら声を絞り出す。

「ち、違うんです、ケンゴさん! じ、実はた、た、大変なことが。ユ、ユ、ユ……」

 ここは俺に任せろと言わんばかりに、クラス委員長の勝が冷静さを失っている勘造を押しのけて前へ出ていく。

「ユミちゃんが教室を飛び出しちまった。だから、みんなで彼女のことを探してるってわけだ」

「飛び出した? おい、それはどーいうことだよ? まさかおまえ、彼女にやらしいことしようとしたんじゃねーだろうな?」

「テメェじゃねーんだから、そんなことあるか、アホ!」

 教室内で勃発した些細ないざこざ。それがエスカレートし、クラス全体を巻き込むほどの騒動に発展してしまった。

 由美はそれに耐え切れなくなり涙ながらに教室から逃げ出してしまったと、勝からそう聞かされた拳悟と麻未。

「ねぇ、ケンちゃん。やっぱり、あたしが見たあの子、ユミちゃんに間違いなかったのよ」

 つい先程、この交差点で見掛けた少女の面影、あれはやはり正真正銘の由美だったのだ。それを告げられた拳悟は、麻未のおでこ目掛けてでこピンをお見舞いする。

「バカもん、それなら何で彼女を呼び止めなかったんだよ!」

「無理言わないでよ! それにあんた、ユミちゃんのわけないって全面否定したくせに、よくそんな偉そうに言えるわね」

 内輪揉めしている場合ではない。口喧嘩する二人をそう諭した勝と拓郎は、一刻も早く由美を見つけ出すことを指示した。

「ちょっと待て、スグル。おまえ、このこと、ちゃんとシズカちゃんに報告してるんだろうな?」

 勝は力なく小さく首を横に振った。あまりに性急だっただけに、後先考えずに教室から飛び出してきたと呟きながら。

 由美を見つけるのも重要だが、担任の静加が把握していないのはさすがにまずい。というわけで、拳悟がその報告の役目を買って出ることにした。

「よし、スグルとタクロウは、そのままユミちゃんの捜索を続けてくれ。俺は学校へ行って、シズカちゃんに事情を説明してくる」

 静加への報告を拳悟に任せると、勝と拓郎はそれぞれ二手に別れて由美の捜索を継続することになった。勝の威勢のいい号令とともに、交差点から二手に散っていく二年七組の生徒たち。

 一方、拳悟と一緒にいた麻未はというと、自分なりに探してみると一言だけ言い残して彼のもとからフラフラと離れていった。

「派茶高にとってあの子は、狼の群れの中にいる子羊みたいなもんだろうな」

 拳悟はフーッと深い溜息を零し、彼としての使命を果たすため一人身を翻し、派茶目茶高校の方角へ足を速めるのだった。


* ◇ *

 ただいまの時刻は午前十時十分。二時限目がとっくに開始されている中、二年七組の教室に向かってゆったりと歩いている教師が一人。

 パンチパーマの髪型と偉ぶった鼻ヒゲ、それは何を隠そう、厳つい顔でほくそ笑む数学教師の反之宮である。

「フッフッフ、クソガキどもめ。俺様がこれだけ遅れたら自習だろうと思うはず。今頃、俺様が来ないことをいいことに調子に乗って騒ぎまくっているに違いない」

 この反之宮という教師、自他ともに認めるあくどい意地悪な性格で、生徒たちをいびることに快感を覚えるふざけた男だ。

 授業開始にも関わらず教室へ行くのをわざと遅らせて、つい油断して騒いでいた学生を徹底的に締め上げるという、見た目通りヤクザのような理不尽な性格の持ち主なのである。

 いよいよ、二年七組の教室まであと一歩のところまでやってきた反之宮。ところが、彼は耳を疑う事態に遭遇してしまう。

「どういうことだ? やけに静かじゃねぇか」

 反之宮は予想だにしないことを不審に思うも、ちょっとでも私語をしていた生徒には容赦なく鉄拳を制裁しようと不敵に笑っていた。

 生徒たちに気付かれないよう、抜き足差し足で教室のドアまで近づいていく極道教師。それはまさに、これが教員のやることか?と疑問を投げ掛けたくなる行動でもあった。

 反之宮は息を殺し、教室のドアノブにそっと手を忍ばせる。そして、ヒゲと一緒に口角を吊り上げて彼は不気味に笑った。

『ガララ――!』

 教室の扉はきしむ音を響かせて、鬼教師のすごい力で一気に開放された。

「コソコソしゃべってるヤツ! 歯を食いしばれぇぇ……って誰もいねーのかよっ!?」

 もぬけの殻である二年七組の教室で、一人っきりの反之宮はあたふたしながらノリツッコミのような台詞を口走るのであった。


* ◇ *

 二年七組の連中が血眼になって由美のことを捜している頃、その彼女はというと、学校から少し離れた小さな公園にいた。

 子供たちの童心をくすぐるジャングルジムやブランコといった遊具、足を休める人の心を癒す緩やかな水しぶきを上げる噴水、それらを取り囲むように並ぶベンチの一つに顔を俯かせて座っている少女が一人。

(どうしよう……。勢いよく飛び出しちゃったけど、学校に戻るなんてできないし、それにお姉ちゃんがいないんじゃお家に帰ることもできない)

 由美は頭を抱えて悔やんでいた。いくら衝動的とはいえ、学生ともあろう者が授業をボイコットしてしまったのだから。

 それでも彼女は、自らの突発的な行動を正当化しようとする。このままあの学校に通っていたら、自分自身の将来だけでなくその身すらも危うくなるに決まっていると。

(もう迷うことなんてないんだ。わたしは間違ってなんかいない。帰ったらお姉ちゃんと相談して、もっとちゃんとした学校へ転校できるようお願いしなきゃ)

 由美は力強く頷き、派茶目茶高校との決別を心に誓った。

 そんな彼女の頭の中に浮かんでくる、優しく接してくれたクラスメイトたちの顔。彼女はそれを振り払うように、しなやかな黒髪をぶんぶんと振り乱すのだった。

 その時、ベンチに腰掛けている女子高生を見つめる鋭い視線があった。

 角刈り頭と剃ったような薄い眉毛が特徴的なその男性。くたびれた上着を羽織り、肩叩き棒で凝った肩をコツコツと叩いている彼は、のんびりとした歩調で由美のもとへと歩み寄っていた。

「おーい、そこのお嬢ちゃん。こんなとこで何してんの?」

 男性から藪から棒に声を掛けられて、さらにそれが野太い声だったせいか由美は反射的に身を縮こまらせてしまった。

(え――!? な、何、この人……。まさか暴力団か何かかしら?)

 その風貌はいかにも暴力団の一員。男性は不敵な笑みを浮かべて、怯えている由美のことを鋭い目つきで舐め回している。

「キミ、女子高生だよね~? こんな時間に、どうしてこんなとこにいるのか、ちょっとばかし、お話聞かせてくれないかな~?」

 にやけながら近寄ってくる男性に恐れをなし、由美は全身を小刻みに揺らしつつベンチから腰を上げる。このまま誘拐なんてされたらたまったものではないと心の中で叫びながら。

「ご、ごめんなさい、わたし、先を急いでますから、これで失礼します! さようなら!」

 由美はこの危機から脱しようと、硬直した両足にムチを入れてその場から死に物狂いで駆け出していった。制止を呼び掛ける男性の声など聞く耳持たずといった感じで、彼女は振り返ることなく走り続けるのだった。

「……ふぅ、逃げられちまったか。こりゃ、生まれてくる娘にも泣かれるかも知れねぇな」

 肩叩き棒で頭をポクポク叩きながら、男性は恥らいながら苦笑している。

 そんな強面の男性の背後から、彼の傍へ駆けつけてくる男性がいた。それは何を隠そう、ビシッと紺色の制服に身を包んだ悪者たちが慌てて逃げる警察官だった。

「キビシ警部補、どうかされましたか?」

「いや、何でもねーよ。こんなのどかな公園にゃ、悪いヤツはいねぇだろうと思ってな」

 キビシと呼ばれた男性は、溜息を一つ零して胸元のネクタイをグイッと緩めていた。

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