第二話― 落ちこぼれたちの主張(3)

「え、生徒たちが姿を消した!?」

 派茶目茶高校の教務室で上擦った声を上げたのは、唖然とした顔の二年七組の担任である斎条寺静加だ。

「た、反之宮さん……。どこかで、頭でも強打したんですか?」

「な、何を言っている斎条寺さん! あんたのクラスの連中が人っ子一人いないんだ! 俺様の授業を放棄しやがったんだよ」

 怒り心頭の反之宮は、教務室内に割れんばかりの怒号を響かせる。ざわつき出す室内で、返す言葉のない静加はただ押し黙るしかなくヤクザ教師に対して頭を下げるしかなかった。

 何よりも彼女にとって一番ショックだったのは、あの優等生である由美までもが姿を消していたことだった。

「斎条寺さん。言っておくが、俺様の数学は全員赤点、さらに俺様の鉄拳制裁をお見舞いしてやるから、そのつもりでな」

 いくらなんでも厳し過ぎると、静加は恩情を求めるが反之宮は頑固として首を縦に振ろうとはしない。それどころか、鉄拳を素振りしながらほくそ笑む顔はどこか喜んでいるように見えなくもなかった。

 そこへ駆け込んでくる二年七組の生徒。クラスメイトみんなの意思を一手に背負った拳悟が、戸惑う静加のところまで駆け寄ってくる。

「シズカちゃん、ヘンタイだ……じゃなく、タイヘンだよ!」

「ケンゴくん! いったい何があったというの?」

 この非常事態について説明しようとする拳悟に、ここぞとばかりに噛み付いてくる反之宮。彼の表情から笑みが消え失せて、まさに阿修羅のように怒り狂っていた。

「ケンゴ! てめぇ、どうやら今日も遅刻してきやがったようだな」

 いつもの拳悟ならのらりくらりと冗談半分でかわすところだが、今は一刻を争う事態だけに、彼は冗談一つもない真剣な顔つきでそれをやり過ごそうとする。

「悪いけどよ、今はあんたにかまってるヒマはないんだ。こっちの話が終わるまで、どこかに引っ込んでくれねーか」

 拳悟のあしらうような捨て台詞に、反之宮は血管をぶち切らんばかりに憤慨し暴力という名の握り拳を大きく振りかざす。

「このヤロー、俺様にどういう口を利いてやがる! てめぇは地獄巡りバスツアーにでも行ってこいやぁ~!!」

「教務室ではお静かにっ!!」

『ゴッツーン――』

 阿修羅と化した教師の頭上に、静加の聖なる鉄槌が振り下ろされた。その渾身の制裁をもろに受けた彼はというと、教務室の床の上で完全にノックダウンしていた。

 木槌をハンカチで丁寧に拭き取る彼女。その冷め切ったドライな面持ちは、教え子代表の拳悟に彼女の恐ろしさを飢え付けるには十分過ぎるほどの迫力があった。

「さぁ、ケンゴくん。続きを話してくれる?」

 拳悟はハッと我に返ると、勝たちから聞かされた由美の失踪など静加に事の次第をすべて打ち明けた。

「まさかとは思ったけど、これは一大事ね」

「今、スグルたち全員で彼女の行方を捜してますよ」

 担任でありながらも、事情を察した静加は授業よりも由美の捜索を優先することを了承し、ここにいる拳悟にも何とか彼女を見つけて連れ戻してくるよう厳命を下した。

 彼は敬礼のポーズで了解を示すと、駆け足でその場を後にする。静加はざわめきが残る室内で吐息を漏らし、祈るようなポーズで天井を見上げるのだった。


* ◇ *

 二手に別れた夢野由美捜索隊の一同。みんながみんな目を皿にしながら、思いつく限りのエリアを捜し回っていた。

 クラス委員長の勝が仕切る捜索隊の一つは、派茶目茶高校の周辺にある住宅街地域へとやってきていた。

 住宅街をのんびり散歩する人たちを見つけては、由美の服装や印象などを伝えて、足取りの軌跡を追いかけていくクラスメイトたち。しかし、思いのほか有力な情報を得ることはできなかった。

「そんな感じの女の子なんて見てないよ」

「おい、てめー。やけに簡単に答えるじゃねーか! ちゃんと、思い出してるんだろうな、このやろう!」

「ぎゃぁぁ! キ、キミ、ぼ、暴力はいかんぞぉ!」

 住宅街を歩いていた中年男性相手に、勝は凄みを利かせて胸倉に掴み掛かる。焦りが募るあまり、彼はすれ違う人たちに行き場のない苛立ちをぶつけていた。

 喧嘩腰の勝はそのたびに、同行している勘造や他の生徒たちから落ち着いてくださいと宥められる始末であった。

「どうどう、スグルさん。ここからは、いたって冷静沈着な俺に任せてくださいよ」

 モヒカンの髪の毛をクシでとかしながら自信ありげに胸を張った勘造。猛獣のような勝に成り代わって、彼は次なる通行人を見かけるなり由美のことを尋ねる。

「黒髪を肩まで伸ばした、制服を着たかわいらしい女の子、この辺りで見なかったかい?」

 勘造の物腰の柔らかい問い掛けに、呼び止められた通行人は少しばかり首を捻って、過去を振り返るような仕草をしてみせた。

「う~ん、女子高生っぽい子なら、今しがた、その角の店舗に入っていった気がするなぁ」

「その角にある店舗の中だな? よし、行くぜっ!」

 俺に任せろとばかりに、血気盛んに駆け出していく勘造。彼は脇目も振らずに、通行人が指し示した店舗“矢釜の極楽湯”へと入っていった。

 それから数秒後、その店舗から大きい物音や甲高い悲鳴が轟いた。

「キャー、女湯に男が入ってきたわよー!」

「早く出ていけー、このスケベやろうー!」

「うそぉー!? コイツ、モヒカン頭よ~!」

 それから数分後、たんこぶだらけの頭に顔をぼこぼこに腫らした、モヒカンの髪を乱した勘造が姿を現した。彼はフラフラとよろめきながら勝たちのところまで何とか辿り着いた。

「ス、スグルさん、すみません。あ、後のことは、よ、よろしくお願いします……。がくっ」

「アホか、おめーは」

 結局のところ、女湯に由美の姿はどこにもなかった。そもそも、涙ながらに学校を飛び出した女子がのんびりと銭湯に行くはずもないだろう。

 それでも勝たちは諦めることなく、彼女の消えた足取りをひたすら追いかける。大切なクラスメイトを救い出すその時まで――。


* ◇ *

 その頃、もう一方の捜索隊である拓郎たち一行は、学校の最寄り駅である矢釜中央駅周辺を捜索していた。

 いくつかのグループに分かれて、ファーストフードショップやコンビニエンスストア、さらに本屋やレンタルビデオの店などに立ち入り、由美の行方をがむしゃらに追いかけた。

 その甲斐も空しく、彼女の姿を目に捉えることができなかった捜索隊の面々は、賑わっている矢釜中央駅の構内で合流するのだった。

「タクロウさん。由美ちゃんは確か電車通学でしたよ。もしかしたら、電車に乗って家に帰っちゃったのかも」

「参ったな。そうなると、見つけること自体面倒になっちまう」

 拓郎と志奈竹は電車の時刻表を見ながら焦りの表情を浮かべている。その不穏な空気を察してか、同行している他のクラスメイトたちにもにわかに不安な顔色が見え隠れしていた。

「とにかく、駅の中を徹底的に捜すぞ。由美ちゃんらしい女の子を見掛けたらすぐに呼び止めるんだ、わかったな!」

 拓郎の指令に大きく頷く一同。みんなバラバラに散らばって、制服を着た黒髪の女子高生の捜索を再開する。

 そのすぐ直後だった。志奈竹が突然大きな声を上げて、傍にいた拓郎のことを呼び止めた。

「タ、タクロウさん! あれ見てください、あのアイスクリーム屋のところ!」

「何だよ、いきなり? アイスなんて食ってる場合じゃねーだろ」

 大きく首を横に振る志奈竹は、駅構内で営業しているアイスクリーム屋の店舗前を指差している。彼の指し示す先には何と、黒髪を肩の辺りまで下ろした紺色のブレザー姿の女子高生が立っていたのだ。

「おい、あの後ろ姿はまさか!」

「由美ちゃんですよ、きっと!」

 ここであったが百年目。拓郎はこの好機を逃すまいと、猛ダッシュで制服姿の女子のところへと駆け出していった。

 たった一人で佇んでいたその女子の正面へ回り込み、拓郎は息を切らせながら由美の名前を叫んだ。……ところが、彼の期待を裏切るかのように、由美とは似ても似つかない不気味な笑みが返ってきた。

「あら~、もしかして、俗にいうナンパってヤツ~?」

「ゲッ、思いっきり人違いじゃねーか!」

 目が離れたニキビだらけの顔をしたブサイクな女子。あまりにも由美とかけ離れたその容姿に、拓郎は思わず吐き気を催さずにはいられなかった。

「う~ん、困っちゃったわ。わたし、そんなに軽い女じゃないけど~、あなたなかなかいい男だから誘いに乗っちゃおうかしら~」

 カッコいい男子からのお誘いに、その女子は躊躇いつつもニキビが目立つ頬を緩ませてまんざらでもないご様子だ。

「ちょ、ちょっと待て。これは人違いなんだ。決してナンパ目的で声を掛けたわけじゃねーんだ。だ、だから、勝手な勘違いはやめてくれ」

 だが時すでに遅し。拓郎は女郎蜘蛛の巣に掛かった虫のごとく、不気味な彼女の力強い腕に摘まれたまま駅構内の奥へと連れ去られていく運命であった。

「離せ~、バケもんがぁぁ~! やろー、ボウズ! てめぇ、後で覚えてろよぉ! こてんぱんにぶん殴ってやるからな~!!」

 断末魔の叫び声を残し、そこから姿を消してしまった拓郎。それを遠巻きで見ていた志奈竹はどうすることもできず、背中にビッショリと汗を滲ませながら呆然と立ち尽くすしかなかった。


* ◇ *

 学校近くの住宅街を走り回っていた勝たち捜索隊は、それらしい収穫もないまま、いったん拓郎たちと合流しようと矢釜中央駅付近まで到着していた。

 学校を離れてから一時間ほど経過したものの、由美を見つけ出すどころかその行方すら掴めない状況に、勝や他のクラスメイトたちはやり切れない焦燥感を抱くばかりであった。

 丁度、勝たちが駅前口から駅構内へ辿り着いた頃、それを見計らっていたかのように、もう一方の拓郎たち一行も駅前口を目指して構内から駆け込んできた。

 勝はその瞬間、ギョッと目を疑った。パーマの髪の毛を乱して、さらに顔に引っかき傷を負っている拓郎と、頭に大きなたんこぶができている志奈竹を目撃したからだ。

「おまえら、どうしたの、それ? 何か事故でもあったのか?」

「ああ、気にするな。ちょっと化け物と遭遇してな。ついさっき悪戦苦闘の末、何とか退治したところだ」

 拓郎は案ずるなと手を振りながら、志奈竹のことをチラッと一瞥する。その一部始終を知っている志奈竹は、そうそうと頷きつつ気まずそうにただ苦笑いを浮かべるだけだった。

 そういう拓郎の方も首をコクリと捻った。勝が率いる捜索隊の面々をおもむろに見やり、その中に一名だけ欠員がいることに気付いたからだ。

「それはそうと、モヒカンの姿が見えねーな。アイツに何かあったのか?」

「ああ、アイツなら途中でリタイアした。連れてっても足手まといだから、途中の路地裏に捨ててきた」

 風呂場の女湯でチカン扱いされた上に桶やら石鹸やらの攻撃を受けた勘造は、完全に機能を停止してしまい役立たずの烙印を押されて捜索隊メンバーから除外されてしまっていた。

「いずれにせよ、こっちはまるで収穫ゼロだ。悔しいけどな」

「こっちもだ。駅の構内を隈なく捜したが、見つからねーよ」

 手詰まり感を表情に映し、肩をすぼませている勝と拓郎の二人。他の生徒たちも同じ心境なのだろう、沈んだ気持ちをそのまま表情に示していた。

 果たして、逃避行した由美はどこに行ってしまったのだろうか?その行き先を知る者はいないのだろうか?手掛かりのないまま、時間だけが空しく流れていく。

 その時、駅の構内をしなやかに歩く一人の女の子がいた。彼女は色っぽく振舞いながら、捜索隊の面々のもとへと近づいてくる。

「ふぅ、やっと見つけたわよ、もう」

「……何だ、アサミかよ」

 勝たちの前に姿を現したのは、束ねた茶色い髪の毛を撫でている和泉麻未であった。彼女は彼女で、単独行動しながら由美の捜索に当たっていたはずだ。

 由美を発見できていない現状を知るや否や、その不甲斐なさに麻未は呆れた眼差しでクラスメイトたちを見据えていた。

「アサミ、そういうおまえはどーなんだよ? おまえなら、ユミちゃんがどこにいるのかわかるってーのか?」

 勝は口調に苛立ちを込めて、偉そうな麻未のことを問い詰める。すると彼女は、麗しいウインクを一つ零して由美の居場所について持論を展開し始めた。

「いいかね、諸君。ユミちゃんがどこにいるか? 冷静に考えればわかることよ」

 まるで私立探偵のような口振りをする麻未。彼女の言い分はこうだ。

 逃げ出したか弱い女の子の場合、真っ先に自宅に帰ってもただ辛いだけ。だから、傷付いた心を癒してくれるような静かな場所へ行くだろうと。

 では、その場所とはいったいどこか?そういう観点から思いつくのはただ一箇所、ここ矢釜市を北東から南西に蛇行する一級河川“矢釜川”の河川敷である。

「ほう、なるほどな。で、その推理の根拠は?」

「ない。女の勘っていうヤツ」

 クスクスとはにかむ麻未を見つめて苦々しく舌打ちをする勝だったが、じっとしていても無意味と判断し、彼はクラス委員長らしく全員を引き連れて河川敷を目指すことを決意した。

 がんばってらっしゃいと、ハンカチ片手の麻未に見送られる勝と拓郎、そして二年七組の生徒たちはいよいよ由美の捜索の大詰めを迎えようとしていた。


* ◇ *

 ここは、由美がいると予想される矢釜川の河川敷。

 矢釜市を流れるこの矢釜川は、このまま南の方角へ下っていくと夏に賑わいを見せる観光名所“矢釜海岸”へと繋がる。

 河川や海岸といった水資源に育まれた矢釜市。市内や県内の人たちは、この矢釜市のことをそれっぽく“水の都”と呼んで親しんでいるのである。

 そんな川沿いの道路をてくてくと歩いている男子学生が一人。彼こそ、鬼教師の静加の命を受けて由美の捜索に繰り出していた拳悟であった。

「おーい、ユミちゃーん、どこにいるんだーい? 取って食ったりしないから怖がらないで出ておいでー」

 拳悟は両手を拡声器のようにして、由美の名前を繰り返し叫んでいた。叫んだところで簡単に見つかるわけもないと思いつつ。

「あらら? もしかして、見つけちゃったりして」

 雑草が生い茂る矢釜川の河川敷にぽつんと座り込む女生徒の姿。体育座りで佇んでいるその子は穏やかな川面をじっと眺めていた。拳悟は運良くも、捜し求めている由美をいともあっさり発見したのであった。

 その彼女はというと、これでもかというほど表情を曇らせてどうしてみようもない現状を憂い途方に暮れていた。

「……わたし、どうしたらいいのかな。あの学校には戻れないし、他の学校に行くなんて今から簡単にはいかないだろうし」

 由美は独り言を呟き葛藤している。自分自身に置かれたあまりにも残酷な仕打ちに打ちひしがれて、独りぼっちの寂しさもあってか彼女の胸はより一層苦しめられていた。

『ピュ~~!』

 それは突然の出来事だった。しゃがみ込んでいる由美の脇をロケット花火がどこからともなく通り過ぎていった。

「え、えっ!?」

 驚きを隠せない由美の見つめる中、そのロケット花火は低空飛行を続けた後、川面のすぐ上で高々な爆発音を鳴らす……と思いきや、スポンといった不発音とともに無残に散ってしまった。

「ありゃりゃー。あの花火、どうやら湿気てやがったなぁ」

 河川敷の雑草を掻き分けながらロケット花火を放った人物がやってくる。言うまでもないが、ジャケットのポケットに手を突っ込んだ、由美のクラスメイトの拳悟その人である。

「ゆ、勇希さん――!」

「ははは、ユミちゃん。俺のことは気軽にケンゴって呼んでくれって言ってたのにな」

 きっと自分のことを連れ戻しに来たのだと思い、由美は身を縮こまらせて警戒心を強める。そんな彼女を刺激しないよう一定の距離を保って、拳悟も雑草の上にどっかりと腰を下ろした。

「なぁ、ユミちゃん。俺と一緒に学校に戻ってくれないか?」

 案の定、拳悟の口から出てきたのは思っていた通りの言葉だ。由美は頑なにそれを拒み、艶やかな黒髪を大きく横に振り乱した。

「わたしは戻りたくありません。勇希さん、お一人で帰ってください。もう、わたしのことは放っておいてください」

 そうはいかない事情を説明する拳悟。由美は歴としたクラスメイトなのだからと、彼は困惑しながらそう付け足した。

 彼女はどんなに説得されても、学校へ戻ることを拒否し続ける。些細なことで言い争う人たち、そしてやたらと殴り合う人たちのことを見るのはもうたくさんだと、彼女は悲観するあまり瞳を涙で潤ませてしまう。

 それからほんの少し、二人の間に沈黙の時間が流れた。その間、乾いた暖かな春風が二人の隙間を静かに掠めていく。

 一分ほど経過しただろうか、唐突にスクッと立ち上がる拳悟。彼は押し黙ったまま川面の方へと足を進めていった。

「ユミちゃんの言う通り、派茶目茶高校にいるヤツらはみんな、勉強もろくにできないバカばっかりだもんな」

「あ、あの、わたしはそういうつもりで言ったわけじゃ!」

 由美が慌てて失礼を詫びるも、拳悟は振り向きざま気にするなといった感じで微笑んだ。

 彼は再び振り返って矢釜川の雄大な流れに目を移す。そんな彼の後ろ姿を彼女は口をつぐんだまま見つめていた。

「俺たちはいつも口喧嘩したり、小突き合ったり、先生を困らせるようなバカなことばかりしてるただの落ちこぼれだけどさ、俺たちには俺たちなりの生き様ってヤツがあるんだ」

 学もなければ常識もない、類い稀なる才能もなければ明るい将来すら見通せないと、拳悟は先行きの暗い自分たちの人生観を語り出した。

 所詮、一人では何もできないバカの集まり。頭でっかちが敷いたレールから逸れて、なるようにしかならない人生をただがむしゃらにひた走る落ちこぼれなのだと。

「そんな、ろくでなしの俺たちだけど、気遣ってくれたり、励ましたりしてくれる仲間がいる。怒ったり、笑ったり、泣いたりしてくれる親友がいるんだ」

 同じ志を持った者同士が集い、誇りのある生き方を共感し、こんなろくでなしでもいつかは夜空を彩る大花火を打ち上げてみせる。さっき不発したロケット花火のようにはならないと。

 拳悟は言い淀むことなく熱弁を振るった。彼が言う落ちこぼれの主張に黙ったまま耳を傾けている由美。

「ユミちゃんは成績もいいし、お利口さんだから派茶高じゃなくてもやっていける。もし、このままここを離れたとしてもさ、親友と呼べる仲間たちの存在を絶対に大切にしてくれよな」

 伝えたいことをすべて伝え終えると、拳悟は矢釜川に背中を向けるなり、しゃがんだままの由美の隣を通り過ぎていく。彼はもう、躍起になって彼女を連れ戻そうとはしなかった。

「勇希さん……」

「だからー、ケンゴでいいってば」

 立ち止まることなく、あっけらかんと笑って離れていく拳悟。

 はてさて、静加ちゃんへの説得が大変だぞぉーと言い残し、彼は川のせせらぎが聞こえる中、一人の少女を置いて去っていくのだった。

 河川敷でまた一人きりとなった由美は、遣る瀬無い思いのまま体育座りを続けていた。

 風で揺らぐ雑草が涙で赤らんだ彼女の頬を優しくくすぐった。せせらぐ川の音に耳を澄まし、一人の女子高生は現在の自分自身を見つめ直す。

 友達や親友を作るのが苦手な人見知り、そんな引っ込み思案な臆病者から一刻も早く卒業したい。この街にやってきた時、そう自分に言い聞かせていたのではないか?

(……親友と呼べる仲間の存在を大切に)

 拳悟が残してくれた言葉が由美の頭の中に蘇ってくると同時に、彼女の瞑った瞳の奥に二年七組のクラスメイトの姿が浮かんできた。

「ユミちゃーん!」

「ユミちゃ~ん!!」

 耳鳴りのように聞こえてくる勝や拓郎の叫び声。由美はそれを振り払うように、埋めていた頭を大きく振り乱していた。

 振り払っても、どんなに振り払っても、由美の耳にこだまするクラスメイトたちの叫び声。次第に大きくなっていくその声に気付き、彼女はガバッと顔を持ち上げる。

 河川敷沿いの道路を全速力で走っている若い男女。それは由美にとって、見覚えのある顔ぶればかりだ。そう、彼女のことを捜してくれた二年七組のクラスメイトたちだった。

「うそ……。どうして、みんなが?」

 由美は両手で口を覆いながら愕然とする。

 彼女の名前を呼びながら駆けてくる仲間たち。緑深い雑草を足蹴にして、仲間たちは彼女の周りを取り囲んでいった。

「はぁはぁ、ユミちゃん。や、やっと見つけたぜ」

「それにしても、ほ、本当に川沿いにいたとは驚きだよ」

 大きく息を切らせて安堵の吐息を漏らす勝と拓郎の二人。他のクラスメイトたちも彼らと同じようにホッとしたような表情だ。

 由美はこの時ようやく知った。この連中が汗ビッショリになってここへやってきた理由が、逃げ出した自分のことを捜していたということに。

「ま、まさか。みんなも、このわたしを連れ戻そうと……?」

 わずかながらに警戒する由美を前にして、勝と拓郎は清々しいぐらいの明るい笑みを零す。

「当たり前だろ? 俺たちはユミちゃんのクラスメイト。一緒に遊んだり、勉強もしたりする仲間だもんな」

「ユミちゃんはそう思ってなくてもさ、俺たちにとっちゃ、クラスメイトはみんな友達、親友なのさ」

 みんなもそうだろう?と拓郎が他の連中に問い掛けると、誰一人として首を横に振ることなく由美が友達の一人であることを笑顔で意思表示した。

「……みんな」

 仲間たちは純粋無垢なまでに、由美に優しい眼差しを向けてくれる。その偽りのない真心が彼女の心をガードしていた何かを吹き飛ばした。

 手を取り合って喜びを分かち合い、男女の垣根を越えた友情の証を垣間見せる仲間たち。この友情の輪の中心で、由美はかけがえのない本当に大切なことに気付いた。

(わたしにはもう、こんなに友達ができていたんだ……。それなのに、わたしは自分のことばかり考えて逃げ出したりしてしまった)

 派茶目茶高校は不良ばかりの悪の巣窟。ただそれだけの先入観で逃げ出してしまった。こんなに心配してくれるクラスメイトがいるにも関わらず。今になって考えてみたら、自分の方が余程子供だったのではないか。

 いつまでも子供のままではいられない。立派な大人になるためには幾度とない試練が待っている。どんなに辛くても、どんなに悲しくても、現実から逃げてはいけないのだ。

 由美はもう迷いを断ち切った。派茶目茶高校二年七組の一員として、ここにいる大切な親友たちと一緒にその試練を乗り越えていく覚悟を胸に誓うのだった。

「みんな、学校飛び出しちゃって、本当にごめんなさい」

「いや、謝るのは俺たちの方だ。もう下らない小競り合いは極力しない。だからさ、俺たちのこと許してくれないか」

 勝はクラスを代表して、誠心誠意をもって由美に謝罪した。そんな彼を気遣うように、彼女は大きく首を横に振って謝らないでほしいと訴える。

「全部、わたしが悪いんです。こんなわたしのことを心配してくれる人がいるのに、それを知らず身勝手な行動をしたわたしが悪いんです」

「ユミちゃん」

 勝に拓郎、そして他の生徒たちは、由美のやり切れない表情につい口ごもってしまう。しかし彼女は何かを吹っ切るかのように、控え目ながらもみんなの前で小さく微笑むのだった。

「あ! もうこんな時間だったんだ。急がなくちゃ」

 由美の腕時計の短針は午前十一時を過ぎたばかり。

 さぁ、行きましょうと、彼女はクラスメイトたちを促しその場から駆け出そうとする。

「お、おいユミちゃん、いったいどこに行くんだよ?」

 勝と拓郎が唖然としながら問い掛けると、由美は決まってると言わんばかりにかわいらしい笑顔を振り向かせた。

「もちろん学校だよ。ほら、まだ三時限目の英語が始まったばかりだし、みんなも急ぎましょう」

 念願がなかったはずなのに、勝と拓郎の二人は呆けた顔を見合わせてしまう。他のクラスメイトたちも予測していなかったのか、それぞれがポカンとした顔をしている。

 雑草が生い茂る河川敷から走り出していく若き学生たち。その先頭に立つ由美はどこにも逃げることなく、横道にも反れることなく、帰るべき学び舎へと真っ直ぐに前進していった。


* ◇ *

 ここは派茶目茶高校の教務室。ただいま授業時間のせいか、教師の姿も生徒の姿もほとんど見られない。

「……そう。ダメだったのね」

「会うには会ったんですけどね。ほら、美少女を無理やり連れていくといろいろヤバイでしょ」

 静かな教務室で会話しているのは、二年七組の担任の静加と、由美を連れ戻せなかったことを報告する拳悟の二人。歯がゆさもあってか二人とも落胆の顔色を浮かべていた。

 静加は担任という立場だが、大学時代の後輩の妹である由美を大切に預かるという立場でもあっただけに、それを守ることができず頭を両手で抱えて辛い心境を吐露していた。

「まぁ、俺なりに説得はしてみたんで。あとはユミちゃん自身が判断することだよ。俺たちが決めることじゃない」

「そうね……」

 今は彼女のことを信じるしかない、静加は溜め息をつきながらも気持ちを前向きに切り替えることにした。そうだそうだと、担任のその姿勢に声援を送った教え子の拳悟。

「それよりシズカちゃん。三時限目は英語だったよな? 授業やってくれよ」

 教室がもぬけの殻だというのに授業を開始する意味があるのか?と、静加は教師らしくない台詞で問い返した。すると、拳悟はエッヘンと偉ぶった顔つきで自分の胸に親指を突き立てていた。

「何言ってんのさ、俺だって二年七組の生徒だよ。生徒が一人でもいりゃ、授業を始めるのが教師の務めじゃないのかい?」

「フフフ、言ってくれるわね。よし、今日はマンツーマンでみっちりしごいてやるとするか」

 そーこなくちゃ!と威勢のいい声を上げた拳悟。わざとらしく明るく振舞う彼の本心は、もしかすると、失意にあった静加のことを励まそうとしていたのかも知れない。

「それはそうと、あなた、英語の単位ヤバイわよ。どうするつもり?」

 教務室を出てから二年七組の教室へ向かう途中、拳悟は遅刻常習犯の悲しい定めか、英語担当の静加から厳しいお言葉を頂戴した。

 この授業を出席したら単位を五回分にしてもらえない?と、そんな無理難題をお願いしてみる彼だが、彼女の左手にあった出席簿の角っこを頭上にゴツンと叩き落されてしまった。

「アホ。そんな調子よくいくか」

「……いたた。やっぱ、ダメっすよね」

 実際のところ、拳悟にとって単位が足りないのは英語だけではない。数学や理科といった科目も、落第ギリギリのラインにいることに違いないのだ。

 担任である静加は当然それを知っているだけに愚かな教え子のことが気が気でならないというわけだ。

 また来年も二年生をやる気なの?と、それはもう教え子の不甲斐なさを厳しく叱責する彼女。まさかそんな気は毛頭ないと、彼は自信ありげに自らの胸をドンと叩いた。

「心配しなさんなって。こーみえても俺は“崖っぷちのケンちゃん”と異名を持つ男。落第ギリギリになればなるほど燃える男なのだ」

 ヘラヘラ笑っている崖っぷちのケンちゃんに、静加は凍り付くような冷凍目線を突き刺した。

「今年、留年した男の言う台詞か?」

「……ごもっともですね」

 廊下を歩き続けること数分、静加と拳悟の二人は二年七組の教室が遠目で見えるところまでやってきた。すると、静寂の中にあるはずの教室からガヤガヤと騒がしい歓声が廊下まで漏れていた。

「あら、教室がずいぶん賑やかね」

「スグルたちが帰ってきたのかな」

 静加は担任でありながら教室のドアを恐る恐る開けてみた。そこに広がる光景は彼女を唖然とさせるものであった。

 クラス委員長はもちろんのこと、クラスメイトたち全員が席に座り英語の教科書を机の上に並べているではないか。まぁ、うるさいぐらい雑談していることだけは見逃してやってほしい。

「よー、シズカちゃん! そんなとこから顔だけ出してないで早く入ってくれよ。授業とっくに始まってんだぜ」

「だ、だって、みんなまだ戻ってきてないと思ってたからさ」

 勝や拓郎たちに手招きされて、静加は驚きを隠せないままに教室へと入っていく。彼女のすぐ後ろから、拳悟もひょっこりと顔を覗かせていた。

「おいおい、みんな一斉に戻ってきたのかよ」

 拳悟の呆気に取られる顔を見るなり、勝は勝ち誇ったかのような含み笑いを浮かべると自分の席の真ん前にいる女子生徒に目配せした。

「戻ってこれる理由があるから戻ってきただけさ。なぁ、ユミちゃん」

 由美は勢いよく立ち上がり、教壇に立つ静加に大きくお辞儀をした。

「せ、先生。ご迷惑をお掛けして本当にごめんなさい! わたし、もう逃げたりしません。だ、だから、これからもよろしくお願いします」

 由美が無事に帰ってきてくれたことに心から喜びを表現する静加。拳悟の方へチラッと顔を向かせる彼女は、良かったわねとウインクを一つした。

「よし、もう一度みんなでユミちゃんを拍手で歓迎しようか!」

 静加の鶴の一声で、クラスメイトたちが一斉に手を打ち鳴らした。みんなの暖かくて優しい笑顔に包まれて、照れ笑いしながら大きな喜びを感じる由美なのであった。

「さー、ユミちゃんも帰ってきたことだし、みんなで英語やろーぜー。ほらほら、おまえら席につけよー」

「アホ! 席立ってるの、おめーだけじゃねぇか。さっさと座りやがれ!」

 勝にツッコまれてしまい、大笑いしながら着席する拳悟。そして、拓郎も交えて口の悪い雑談を始めてしまうハチャメチャトリオの三人。

 授業もそっちのけで、賑々しく沸き立つ二年七組の教室内。それは優等生の由美にとって、これまで慣れることのできなかった光景そのものだ。しかし、もう彼女は悩んだり悔やんだりはしなかった。

(ありがとう、ケンゴさん。わたし、派茶目茶高校のこの教室でこれからもみんなと一緒に学園生活をがんばってみます。……素晴らしい親友たちと一緒にこれからもずっと)

 由美の眼差しの先にいる拳悟はというと、そのやかましさから静加のお怒りの標的とされてしまっていた。

「こら、ケンゴ! さっきまでのやる気はどこに行ったの!? そんなに聖なる鉄槌が欲しいの?」

「わーわー、すんませ~ん! 俺、英語大好きだからしっかりがんばっちゃいま~す!」

 二年七組の教室に、先生と生徒たちの和やかな笑い声が飽和していた。

 季節は桜が咲き乱れる穏やかな春。この日本一ハチャメチャな学校で、一人の少女と一風変わったクラスメイトたちのドタバタしながらも青春を謳歌するストーリーが今、ここに幕を開けたのである。

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