15 怪しすぎる届け物、ふたつ
ロルフがエディットとの買い物を終えて帰宅すると、いつものようにトシュテンが出迎えてくれた。
「旦那様、先程マリア様の家政婦が遣いに参りました」
それは珍しい報せだった。確かあの家では一人の家政婦を雇っているのだが、わざわざ遣いを出すとはどうしたことだろうか。
「何の用だった」
「はい、マリア様より伝言を仰せつかっております。『林檎をたくさん貰ったからお裾分け。この間は迷惑かけてごめんね』とのことです」
自室へと廊下を辿りながら、ロルフは思わず眉をしかめた。あんなことがあった上での差し入れに、疑惑を抱くのは当然と言える。
「それは生の林檎か?」
マリアからとはいえ、そこにヨアキムが関与していない保証はどこにもない。手作りの菓子なら絶対に食べないと固く心に誓ったロルフだが、トシュテンの答えはごくあっさりとしていた。
「はい。10個ほどもくださいましたよ」
「……それだけか? アップルパイなりジャムなり、何か加工されているということは」
「いいえ、生の果物のみでございます」
そうかと慎重に相槌を打ったロルフは、ごく短い時間思考に没入した。
食べ物を粗末にしないことを叩き込まれたのは士官学校でのことだ。貴族の暮らしとはあまりにも違う生活様式に戸惑うことも多かったが、今では自己を形成する大事な要因の一つとなっている。
しかも生の林檎とくれば何かしらの薬剤を仕込むのも難しくなるだろう。たとえそれがどれほどいわくつきの林檎であろうとも、死ぬような毒が仕込まれているわけではないと断言できるのであれば。
「怪しいが、流石に食べないわけにはいかないな。あとで自分で剥いて食べることにする」
「かしこまりました」
もしも林檎に怪しい点があるのならば、自分で剥けば流石に気がつくはず。そう納得した頃になって自室の前にたどり着いた。
トシュテンも一緒に入ってきて主人の鞄をクローゼットに収める。いつもならすぐに退出していくはずだが、今日の彼は少し違っていた。
何かを言いたそうに口籠ると、やがて意を決したように視線を合わせたのだ。
「旦那様。もしや、メランデル様はもういらっしゃらないのですか?」
どこか想像がついていたことをそのまま言われてしまい、ロルフは思わず眉を寄せた。
トシュテンはエディットのことをそれは気に入った様子だった。もてなしの茶菓子を選んだのはこの執事の仕事だし、対面した時は孫に接する祖父のような顔をしていたものだ。
年齢的にも引退を考える時期、しかしそれを勧めると「旦那様が心配なので」と断るトシュテン。いい思い出のない実家では、マリアと彼だけがロルフを守ろうとしてくれた。
「来ない。もう治療は終わったからな」
「……そうですか。最後にお礼を申し上げたかったのですが」
あんな大騒動があったせいで、トシュテンはエディットに会えず終いになってしまった。
親代わりともいうべき存在が悲しそうな顔をしている。いつしか白髪の割合が増えた髪を見ていたら、ロルフは何だかいたたまれなくなった。
「トシュテン、土産だ」
「これは……?」
トシュテンはロルフから差し出された紙袋を慎重に受け取ると、中身を確認して目を丸くしたようだった。箱を抱えた両手をぶるぶると振るわせて、青くなった顔を主人へと向けてくる。
「サリアンのケーキではありませんか! 旦那様が買ってこられたので?」
「ああ」
「そんな、どうやって⁉︎ あの店は女性の巣窟ですぞ、旦那様が入店などされては一瞬で卒倒してしまわれるはず……!」
お前は俺をどれほど軟弱者だと思っているんだと言い返したかったが、トシュテンの言うことはあながち間違っていなかった。
店に入った時は耳鳴りがして血の気が引き、倒れる寸前かと思うほどの吐き気がしたのだ。エディットが庇うように前に出てくれたおかげで、情けないところを見せるわけにはいかないと己を奮い立たせることができた。
「……メランデル魔術医務官に付き合ってもらった」
「!!!」
トシュテンは天地がひっくり返ったような顔をして絶句してしまった。
やがて意識を取り戻したらしく、じわじわと頬が紅色に染まっていく。最終的には両の瞳から涙を溢れさせたトシュテンは、感無量とばかりに嗚咽を漏らした。
「そうでしたか……! おお、なんということでしょう。あの坊っちゃまが、ついに……!」
「お、おい、トシュテン?」
「いつかこんな日が来ることを夢見ておりました。この老ぼれめにここまでの幸福がもたらされるとは……神よ、感謝致します」
「トシュテン、大袈裟だぞ⁉︎ ただケーキを買ってきただけだろう!」
全く話を聞いてくれないただの老人と化した執事は、モンスにも知らせねばと早口につぶやいて奥へと駆けて言った。モンスというのはこの家の料理人で、気のいい中年男だ。
——もしや、妙な誤解を与えたか?
不穏な想像が頭の中を掠めていったが、すぐに考えすぎだと首を振った。
そう、ロルフは女嫌いなのだ。使用人の2人だってそんなことは百も承知なのだから、いまさら誤解などするはずがない。
自室に入ったロルフは食事の時間まで鍛錬でもするかと思い立ち、身軽な服装に着替えて廊下へと出た。
すると先程別れたばかりのトシュテンがやって来て、手紙が届いたと封筒を差し出してくる。
「このような素晴らしい日にお渡しするのもどうかと思いましたが……」
「何だそれは。別に手紙を読むのに相応しい日など」
その封筒を受け取って、トシュテンが口籠った理由がわかった。
赤い封蝋に押されているのはダールベック伯爵の紋章だ。差し出し主の正体を察したロルフは、不快を隠しもせずに眉を顰めた。
トシュテンに礼を言って部屋へと戻る。封を切って中を改めれば、そこには想像を悪い意味で超えた内容が記されていた。
差し出し人はフィリップ・ダールベック伯爵。
そしてその内容はといえば、ロルフの伯爵家への帰還を促しゆくゆくは爵位の譲渡をしたい、というものだった。
最後に父親の名が署名されているところまで確認したロルフは、煙草用のライターを手に取ると、その場で火をつけて冷えた暖炉に放り込んでやった。
「……ふざけやがって」
静かに灰になってゆく紙片を睨みつけながら、やりきれない思いで吐き捨てる。
あのろくでなしは一体何を考えているのだろう。世間体でも気にし始めたのか、それとも名が売れた息子を跡取りにしたくなったのか。
後妻が産んだ次男に爵位を譲渡すればいいものを、今になって擦り寄ってくるなど厚顔無恥もいいところだ。
——あの子供は……どう過ごしているのだろうか。
ロルフは弟のヴィクトルについてだけ、時折思い出して複雑な気分になる。
家を飛び出したきり一度も会ってない弟は、今頃14歳になっているはずだ。まさに生き別れた時のロルフと同じ歳。
あの女も流石に自分の息子に襲いかかるようなことはしないだろうが、まともな人格形成が期待できる環境ではないように思う。ましてや何故か父がロルフを後継にと考えているらしい現在、肩身の狭い思いをしていないと良いのだが。
もしかすると一度確認してみるべきなのかもしれない。今度マリアに相談するかとため息を吐いて、ロルフは今度こそ部屋を出た。
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