16 驚きの辞令が出てしまいました

 楽しかった週末は瞬く間に過ぎ去り、月曜日がやってきた。


 今日のエディットはダニエラと共に第二医務室の当番をすることになっている。診療時間の前に到着すると室内に人気は無く、一人で準備を始めることにした。


 3床あるベッドを整えて応急処置用の道具や薬品を確認する。魔術医務官は養成学校に通っている間に基礎的な医療の知識を叩き込まれるのだが、それは魔力が底をついた時や、魔術で治せない傷を前にした時に使い物になるようにとの意味合いがある。


 準備が終わった頃になって軽やかな足音が聞こえてきた。ドアを開けて現れたのはダニエラで、その顔には朝にふさわしく何の憂いもない笑みが浮かんでいた。


 花のような香りがふわりと漂い、室内が一段明るくなったような気さえする。金色の髪を美しく巻いて化粧も完璧に仕上がったダニエラは、いつものことながらとても可愛らしい。


「エディットさん、おはようございます!」


「おはよう、ダニエラ」


 準備に間に合わなかったのは新人としては良くない行いだが、エディットはそういったことに目くじらを立てない性格だ。笑顔で挨拶を返すと、ダニエラはすっかり整った室内を見て目を丸くした。


「わ、すみません! 先輩に準備をさせてしまうなんて」


「早く着いちゃったからいいの。でも、本当はもう少し早く来ないと駄目だよ?」


「はい! ごめんなさい、次から気をつけます!」


 いそいそと白衣を纏ったダニエラだが、彼女が次にぶつけてきた言葉には、エディットも冷静を突き崩されることになった。


「ねえねえ、見ましたよおエディットさん。昨日、ダールベック大佐とデートしてたでしょ?」


 あまりの衝撃にステンレス製の膿盆を取り落としてしまい、派手な金属音が周囲に響き渡った。

 あからさまな失態に気を取られたエディットは、ダニエラが悪意を滲ませた笑みを浮かべたことに気付かない。


「わあ、わかりやすい動揺! やっぱりお二人、付き合ってるんです?」


「ち、ちが、違うから! 何言ってんの、あれはたまたまだから!」


 誰かに見られるという可能性について考えないわけではなかった。

 しかしいざこうまで綺麗に誤解されると動揺せざるを得ない。街でたまたま行き合っただけということにしようと思っていたのに、見事に失敗してしまった。


「ええ〜本当ですかあ? 怪しいなぁ〜?」


「ほ、本当だってば! 本当!」


「ふーん。じゃあ、ダールベック大佐の女嫌いって嘘だったんですか? だって女嫌いが本当なら、たまたま会ったくらいで会話なんてしないでしょ」


 鋭い指摘にエディットは思わず言葉に詰まってしまった。女嫌いは本当だとおずおずと伝えると、ダニエラは首を傾げて見せた。


「やっぱりエディットさんは特別なんじゃないですか?」


 確かに特別と言えばそうなのかもしれない。しかしそれはダニエラが思うような特別ではなく、ただ部下のように思ってもらえただけ。女性への恐怖心を克服するために協力している、ただそれだけのこと。


「そんなことないよ。何回も治療させて貰ったから、慣れて下さっただけ」


 痛みを堪えて微笑むと、ダニエラは何かを考えるように口を噤んだ。しかし直ぐに可愛らしい笑みを浮かべると、ぐいと距離を詰めてきた。


「つまり、ちょっとだけでも女嫌いが緩和されたってことですか?」


「え? ええまあ、そうね。そういうことなんじゃないかな」


 無事にケーキも買えたことだし、少しばかり克服できたのは間違いないだろう。


「じゃあじゃあ、紹介して貰えませんか⁉︎ 私、もろタイプなんですう!」


 無邪気な笑みで繰り出されたお願い事に、エディットはほんの一瞬だけ頭を真っ白にした。

 ロルフにダニエラを紹介する。二人が楽しげに会話しているところを想像するだけで、こんなにも胸がひどい痛みを訴えるのに。


「駄目ですか? エディットさんは大佐殿のこと、好きって訳じゃないんですよね?」


 違う、本当は好き。出会ってから少しずつ好きになって、今では心から好きなの。

 だけど諦めなくちゃと思ってる。あの方は今も戦っているのに、私は自分の気持ちから逃げた。

 そんな私に、女性を紹介することを嫌だと思う権利なんてない。


「……ええと。紹介できるほど親しくさせていただいてる訳じゃないから」


 しかしながらロルフは女性を前にすると自失するほどの女嫌いなのだ。紹介を無責任に引き受けるわけにはいかず、エディットは目を泳がせた。

 もっともらしい口実があったことに安堵している自分が嫌だ。胸が苦しい。痛い。


「ええー、そうなんですかあ?」


「うん、ごめんね。でも、ダニエラくらい明るい子なら……」


「ですよね? 私もいけると思うんですよお」


 確かにロルフも気兼ねなく喋れるかもしれない。こんなに可愛らしい子に言い寄られては、流石の鉄壁の英雄も悪い気はしないのではないだろうか。

 もしも本当に二人が上手くいったのなら、それはとてもめでたいことだ。その時は喜んで祝福しなければ。そう、嫌だなんて絶対に思ってはいけないのだ。


「まあ、大佐殿ってだけで雲上人ですもんね」


「……うん、そうね」


「でも私、女嫌いがそうでもないなら自信あります。頑張っちゃおっかなあ〜?」


 ダニエラが蠱惑的な笑みを浮かべたところで、ドアがノックの音を響かせる。

 患者がやってきたのかと思って居住まいを正すと、そこにはレーネの姿があった。


「エディット、室長がお呼びですって。急ぎとのことよ」



 *



 魔術医務室には女帝がいる。

 厳しい女の園を纏め上げる絶対的な能力と存在感、そして美貌。全室員憧れの存在の前にたった一人で放り出されたエディットは、緊張のあまり妙な事をしでかさないか心配になっていた。


「メランデル君、忙しいところをすまないね」


「いいえ、とんでもございません!」


 魔術医務室長シビッラ・ステニウス。齢50を超えるにも関わらず、独特の色香を持つ黒髪黒目の超絶美人だ。


 男勝りな口調で服装はいつもパンツにシャツ、その上から白衣を羽織った様は清潔感に溢れる。さらには長身かつメリハリの効いた魅惑のボディの持ち主で、誰しもが平伏したくなるような圧倒的なオーラを纏っている。


 今はもう前線に出ることはないが、かつては戦場で数え切れないほどの命を救ったらしい。治癒の魔術の第一人者、誰もが知る生きる伝説。それがこのステニウス室長なのだ。


「君は二年目だったな。最近の調子はどうかね?」


 執務机に腰掛けたステニウスが、組んだ両手に顎を置いてこちらを見据えている。麗しくも迫力ある佇まいに気圧されないように、エディットは腹に力を入れた。


「はい。戦地から戻ったばかりですので、平和すぎて不安になる程です」


「ははは、それはいい! 君が勇猛だというのは本当のようだ」


 ステニウスはさも愉快そうに高笑いをすると、一通の書類をエディットに手渡した。

 一体なんだろうかと訝しみながらも顔には出さないよう慎重に受け取る。しかしその内容に目を通した瞬間、全身が糸に巻かれたように動かなくなった。


「エディット・メランデル三等魔術医務官。君に新しく軍に創設する魔術軍医部への出向を命じる。おめでとう、出世コースだ。喜びたまえ」


 あまりのことになんの言葉も出てこない。にこにこと嬉しそうな笑みを浮かべる上司を前に、エディットは強引に震える口を開いた。


「わ、私が、軍に出向ですか……?」


「先の戦争での君の働きぶりは見事だったそうだな、各方面から推薦が上がっている。

 軍総司令官ユングストレーム大将閣下を始めとした御歴々から現場の軍医まで、並いる高官が太鼓判だ。いやはや、なんと素晴らしい。私としても大変誇らしいよ」


 確かに誇らしく有難いことだ。それなのに、鷹揚に笑うステニウスの言葉が頭を素通りしてゆく。

 まだまだ若輩の自分が軍に出向。荷が勝ちすぎるのもそうだが、何よりも困ることが一つある。


 これではロルフと職場で顔を合わせることになってしまうではないか。

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