12 女嫌いを克服したいのなら
——何でこんな事になったの?
王都で最も格式の高いレストラン。有名俳優から政財界の大物まで名だたる顔ぶれが懇意にしていると言う名店にて、エディットは何故か腰を落ち着けていた。
軍服のロルフは何ら問題ないが、エディットの安物のワンピースはドレスコードギリギリと言える。落ち着かないのと緊張するのとで、出窓に生けられた花から目が逸らせない。
ベルベットの張り込まれた椅子に、純白のクロスが眩しいテーブル。格調高い壁紙と紺色のカーテンが相まって凄まじいまでの高級感を醸し出す個室を、絶対的な沈黙が支配している。
ああ、レーネと行った食堂のギンガムチェックのクロスが懐かしい。一体全体どうしてこのような事に……?
冷や汗をかきながらも対面に座る端正な面立ちを見上げる。ロルフはエディットと目を合わせるなり、バツが悪そうに顔を背けた。
「俺は若い女が喜ぶような店など知らん。まあ、味は悪くないはずだ。許せ」
「え……⁉︎ いいえ、そのような! 緊張しているだけですからっ……!」
そう、気にいるとか気に入らないとかそういう問題ではない。状況に理解が追いつかず、混乱しているだけなのだ。
確かに食事を提供するとは言われた。しかし女嫌いのロルフがわざわざエディットと席を共にするとは思いもしなかったし、何かしらの差し入れでも手渡してくれるのだろうと推察していたのだ。
最後に顔を見てこの恋を終わりにするのだと思っていた。降って湧いたような幸運に、なかなか頭が付いてこない。
「緊張しなくていい。礼と詫びを兼ねているからな、好きなものを好きなだけ食っていけ」
「お礼だなんて……。昨日のことも大佐殿のせいではないのですから、お気になさることはありません」
ロルフは事も無げに言うが、お礼にしてはいくらなんでも過剰すぎる。
エディットは仕事をしただけであり、しかも不純な動機を胸の内に同居させていたのだ。何だか申し訳なくて居た堪れない。
「いいや、俺だけでなく何百という部下の命を救ってもらった。それに昨日のことは詫びを入れるべき案件だ。職務に忠実な貴女の仕事を妨げてしまったのだから」
すまなかったとよく通る声で告げて頭を下げたロルフは、いつも通り軍人らしく機敏で折り目正しい動作をしていた。
この人は一体どんな人生を歩んできたのだろう。こんなに格好良くて誠実なのだから、普通にしていればモテモテで、本来ならとっくに綺麗な女性と結婚していて当たり前。それなのに極度の女嫌いとは、きっと相当に大きな理由があるはずだ。
「本当にお気になさらなくて良いのです。こうしてお元気になって下さっただけで、私には十分ですから」
エディットは首を横に振って、意識して明るく言葉を返した。
女嫌いの理由について知りたいとは思わない。人には言いたいくないことの一つや二つあるものだし、どんな理由であれロルフの人格が損なわれることは無いだろうから。
「……貴女は、生真面目が過ぎて酔狂な程だな」
「よく言われます。ですが、大佐殿こそたいそう真面目でいらっしゃいます」
おそらくだが、ロルフは真面目が高じて損をしてきたタイプなのではないか。確信に近い予感が形作られてゆくのを感じれば、少しばかり雑談に興じる余裕も得ることができた。
「私の場合、多くは褒められたニュアンスではありませんが、そうは言われても自分のために行動しているだけですから。
なりたくてなった職業で役に立てないなんて嫌です。せっかく魔術医務官になったからには、きちんと役目を果たしたいのです」
エディットには魔術医務官を志した明確な理由がある。その理由に恥じない振る舞いをしなければ、自分のことが嫌いになってしまう。
そう思うから頑張っているだけだ。そもそも頑張っているとも思っていないのが、エディットという人間なのである。
「自分のため、か。立派だな」
ペラペラと喋りすぎたことに気付いたのは、ロルフがどこか茫洋と呟いた時の事だった。
こんな話をされたら退屈に決まっている。エディットは青ざめて、すみませんと早口で言った。
「つまらない話を。緊張のせいです、どうかお許しください」
「いや、そんなことはない。どうして魔術医務官を志すことにしたんだ?」
「それは……それこそ、本当に面白くもない話ですが」
ロルフが構わないというので、エディットはおずおずと話し始めた。
親しい者にしか話したことのない、さして劇的でもない過去の出来事を。
「私の祖母は治癒魔術師だったんです。高齢なのに、現役でした。
ですが、私が子供の頃に病気で亡くなってしまって……その時とても悲しくて、たくさん泣いて。気が付いたら、すりむいた膝が治っていたんです。それが初めて魔力が発現した瞬間でした」
治癒の魔術を施せる者はなぜか女性しかおらず、全魔術師を通してもほんの数%程度の割合しか存在しない。奇跡的な力を得たエディットだったが、しばらくは戸惑いもあった。
「祖母はいつも、弱った人を助けられることが嬉しいと言っていました。この力は神様からの贈り物だと。
私はそこまで綺麗な考えを持つことはできなくて、働きすぎて疲れが溜まっていたのではないかと、憤りみたいなものすら抱えていました。
けど、落ち着いた頃に思ったんです。この力は神様じゃなくて、祖母が譲ってくれたんだって」
もちろん、力の出現自体はたまたまだ。魔力は遺伝しないと言われているし、エディットの同僚で身内に治癒魔術の使い手がいるという話もほとんど聞いたことがない。
けれどエディットはこの力を祖母からの贈り物と受け取ることに決めた。他でもない、自分がそうしたかったから。
「一度だけ、祖母がポツリと言ったことがあったんです。救えなかった命のことを思い出すことがある、と。
なら私は、祖母の分までこの力を使わなければ。目の前で苦しんでいる人がいたら手を差し伸べたい。元気だった頃の祖母みたいに」
最後の方の言葉はほとんど独白だった。エディットはクチナシ色の瞳を煌めかせて言い切ると、照れたように微笑んだのだった。
ロルフは一拍の間口をつぐんだ後、目を伏せて笑った。実感の篭もった、どこか寂しそうな笑顔だった。
「……そうか。貴女にとっては性別も立場も、僅かにも気にすべきことでは無いんだな。自身に恥じない己であることが最も大事なのだと、心の奥底にぶれない芯がある。俺もそうあれたら良かった」
自身を嘲笑う言葉の最後に明確な願いが滲んでいて、エディットは心臓が嫌な音を立てるのを感じた。
もしもロルフの女嫌いが治ったらどうなるのだろうか。
決まっている。きっとモテモテで、男女問わず大人気で、すぐに恋人ができて。エディットのことなどすぐに忘れ去り、手の届かない遠くへと行ってしまう。
「……あの。良かったら、今度ケーキを買いにご一緒させて頂けませんか」
ロルフがそんな提案を受けるとは思っても見なかったとばかりに、灰色の瞳を大きく見開いていく。
ああ、本当に馬鹿だ。
この方が苦しそうにしている顔を見たくないと、ほんの少しでいいから側にいたいと思うなんて。
「大佐殿が女性嫌いをなんとかしたいとお考えなら、僭越ながら協力させていただきます。女性だらけのケーキ店に入るというのは、第一歩としてはちょうどいいかと」
「いや、しかしな」
「私がいれば多少は入りやすいと思います。もちろん、無理にとは申しませんが」
「そうは言っても、ただでさえ面倒をかけているだろう」
「私もあのマドレーヌを焼いた店に興味がありますので、目的が一致したと思って頂ければ結構です」
冷静でない時に限って口はよく回る。今更気付いた自身の特性にほとほと呆れながらも力強く言い切ると、ロルフは少しばかり唖然とした後に苦笑を浮かべた。
「貴女は本当にお節介焼きで、お人好しだな。わかった、お願いしよう」
その時の笑顔は苦笑じみていたけれど、今までで一番優しかった。
ロルフが自身を変えようとしていることが嬉しい。その手伝いができるなら、卑怯で汚い自分には過ぎたる役目だ。
「ほ、本当ですか! 本当に、女性嫌いを克服しようと……⁉︎」
「ああ、腹をくくった。今宵を出陣祝いとするからどんどん食べるといい」
「大佐殿! 頂きます!」
これはもしや、部下——ひいては戦友のようなポジションを獲得したということではないだろうか。エディットは美味しい料理をたらふくご馳走になった上で、そんな結論に至るのだった。
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