9 それ程の女嫌いとはこれ如何に(過去4)

 魔力が尽きたエディットは、マットソンと共に休憩を取ることにした。


 作戦は成功したとの一報はつい先ほどもたらされた。いつになく開放感に満ちた野戦病院では、疲れた様子で中庭のベンチに腰掛ける二人を気に留めるものは誰もいない。


「俺も詳しいことは知らない。けど、あれは嫌いというよりも恐怖だ。何年も部下をやっていればわかるさ」


 マットソンはホーロー引きのマグカップでコーヒーを飲んでいて、エディットもまた神妙に頷いて同じものを喉の奥に流し込む。

 妙に苦い。ロルフに対して怒りを抱いていたことが情けなくて、苦味を増幅させている。


「中佐殿は先陣を切って負傷したんだ。いつも率先して危険な橋を渡ってくれる。そんな人だからこそ俺たちは中佐殿を尊敬しているし、これからも付いて行きたいと思う。……だから、君がいてくれて本当に助かった。恩にきるよ」


「……私は、仕事をしたまでですから」


 エディットは俯いて、低い声で言った。

 知っていたのだ。ロルフがそういう人であることを、ほんのわずか接した中でも読み取ることができたのに。

 酷いことをしてしまったのかもしれない。治療のためとはいえ押さえつけて、ずけずけと他人の領域に入り込んで。


「中佐殿相手に一歩も引かなかった女の子なんて初めてだ。君の勇気と責任感に敬意を表する」


「いえあの、それは恥ずかしいので忘れていただけると」


 真顔で言われた言葉に忘れたい記憶を掘り起こされて、エディットはうなだれた。


 どうしてあんなにカッとなってしまったのだろう。

 女嫌いに対する憤りがあったことは確かだが、胸の内には確かに嘆きがあった。ロルフが自らの命を顧みないことに。


「気にしているみたいだけど大丈夫だよ。君は君の言う通り、仕事をしただけだ。中佐殿だってわかっておられるさ」


「……そうだと、いいのですが」


 なんだか胸の中がもやもやする。正体不明の感情に振り回されて、時間を追うごとに絡まっていくみたいだった。

 エディットはあえて笑みを浮かべて、気のいい副官殿を仰ぎ見た。忙しいであろうこの人をこれ以上付き合わせてはいけない。

 時間は大丈夫かと問うと、マットソンはそろそろと言って立ち上がった。


「それじゃ、本当にありがとうな。中佐殿のことを頼む」


「はい。ご助力を頂戴し、ありがとうございました。ご武運を」


 笑顔を浮かべて腰を折れば、マットソンもまた爽やかに笑って踵を返す。すると彼の懐から一枚の紙が舞い落ちていったので、エディットは手を伸ばして拾い上げた。

 それは写真だった。とても綺麗な女性が微笑みを浮かべてレンズを見つめており、その細い腕には女の子と思しき可愛い赤子を抱いている。


「マットソン少佐殿。こちらを落とされましたよ」


「……ん? ああ!」


 マットソンは顔を青くして戻ってきた。半ば叫ぶようにありがとうと述べ、宝物でも取り戻したみたいにそっと写真の表面を撫でる。

 そのデレデレとでも表現すべき表情を見ていたら、写真に写る人物の正体には自ずと察しがついて、エディットは小さく笑った。


「奥様とお嬢様ですか? 女神みたいにお綺麗な方ですね」


 二人が並んでいるのを想像すると、まるでそうしているのが当然というように良く似合う。時折泣き出す娘をあやして、代わる代わる抱っこをする様子が目に浮かぶようだ。


「ああ、本当に綺麗なんだうちの奥さんは! 見てくれ、娘はまだ1歳でさ……可愛いだろう?」


 何のてらいもなくマットソンは微笑む。エディットが本当に可愛らしいと返すと、ますます笑みが深くなった。

 こんなに愛おしい人たちを置いて行かなければならないなんて、戦争が始まった時は本気で軍を辞めようかと思った……というようなことを熱く語った彼は、最後に快活に笑って言った。


「まあ、そうは言っても辞めないけどな。この仕事には誇りを持っているし、尊敬すべき人の元で働くことができる。こんなに恵まれたことはない」


「それは、ダールベック中佐殿のことですか」


 問いかけながらも、エディットには答えなんて分かり切っていた。案の定躊躇いなく頷いたマットソンは、新緑色の瞳を信頼に輝かせていた。


「もちろん。……中佐殿は、俺が結婚するって報告した時、自分のことみたいに喜んで下さったんだ。

 ずっと片想いしていたのを知っていたから、戦に勝った時よりも喜んで、高いウイスキーをご馳走してくれた。ご自分は女性を苦手としているのにな。価値観を押し付けるようなことは絶対にしないんだ、あの方は」


 生きていてくれて良かった。本当に。

 そう締めくくった声には実感が滲み出ていて、エディットは返す言葉すら出てこなかった。


 手を振って立ち去るマットソンを見送った時、既に覚悟は決まっていた。





「治療を継続させてほしい、だと?」


 ベッドに横たわったままのロルフは、相変わらず顔色を紙のように白くしていた。

 声にも何処か覇気がなくエディットを睨みつける瞳も輝きに乏しい。やはり運び込まれてきた時は空元気であったことを心苦しく思いつつ、そうですと頷いてみせる。


「治癒の魔術は被術者に大きな負担がかかるため、1週間に1度しか施せません。中佐殿の怪我を完治させるには、目算であと4回程度の治療が必要かと」


「……随分腰が低いな。昨日までの威勢はどうした」


 不信感を詰め込んだ視線を向けられると、なぜか胸がざわめいた。理由の見つからない痛みは無視をして、エディットは灰色の瞳をまっすぐに見つめ返した。


「私はただ仕事を果たしたいだけです。此度の戦争終結の大きな力となった貴方様には、なるべく早く職務復帰して頂くようにと、軍総司令官ユングストレーム元帥閣下より仰せつかっております」


 言ったことは全て真実だった。エディットは昨日マットソンと別れた後に、軍総司令官に呼び出されるというとんでもない目に遭ったのだ。


 緊張でガチガチになったエディットに、ユングストレームは気さくな笑みを浮かべて見せた。あのダールベック中佐に治療を受けさせるとは素晴らしい、今後もよろしく頼むと。聞くところによれば此度も武勲の数々を打ち立てたロルフが怪我で式典その他に出席できないとなると、色々と体裁が悪いらしい。


 それに、エディットは個人的な理念においても彼を治したいと考えていた。


 この方を待っている人は沢山いる。ならばいくら嫌われていようとも、早く元の場所に帰れるように力を尽くさなければ。

 それこそが魔術医務官の仕事。怪我や病気が治って元気になった姿を見たいと、この職業を志した理由の一つはそこにあるのだから。


「私のことは女だとお思いになりませんよう。ただ怪我を治す人、くらいに捉えて頂ければ良いのです。どうか治療を受けてください。お願いします」


 エディットは直角に腰を折った。少しの沈黙の後に顔を上げるよう促されたので、恐る恐る身を起こす。

 するとロルフは呆れたように目を細めて、どうやら笑みらしきものを浮かべているではないか。


「あれだけ迷惑をかけられて、まだそんなことを言うとはな」


 どくり、と大きく胸が鳴った気がした。

 何故だろう。この方の笑みを見ていると、胸の奥が引きしぼられるように痛くなるのは。


「わかった。メランデル魔術医務官に、この傷の治療を頼みたい」


「……はい! こちらこそ、よろしくお願いします!」


 望んだ返答を得れば目の前が明るく開けたような気がして、エディットはロルフの前で始めて笑った。

 その表情に彼が眩しそうに目を細めていたことなど知る由もないままに。

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