5 最近の大佐殿は随分と丸いのです

「昨日は治療を行うことができずに申し訳ございませんでした。つきましては今一度治療を行わせて頂きたく、参上いたしました」


「……いや、帰れと言ったのは俺だ。貴女が謝るようなことではない」


 格式張った口上を述べて直角に腰を折り曲げると、少しの間を置いて答えが返ってきた。エディットが恐る恐る顔を上げた先には、やはり気まずそうに目線を逸らしたロルフの姿がある。


「こちらこそ、手間を取らせてすまなかった。入ってくれ」


 彼が謝ったことは意外な出来事ではない。

 ロルフは極度の女嫌いという一点を除けば、実直で誠実な人柄の持ち主だ。出会った当初はエディットに対する当たりは大変厳しいものだったが、現在においては愛想は無くとも普通に受け答えをしてくれるようになっている。


 一礼して入室すると、ロルフの性格を表すかのように飾り気のない部屋がエディットを迎えた。質実剛健を絵に描いたようなスチール製の棚と机は軍からの支給品なのだろうが、彼にはとてもよく似合っている。


 簡易的ながらも応接セットが備えられていて、促されるままソファに腰かける。ロルフもまたテーブルを挟んで向かいに座ったのだが、エディットはその距離感に困り果ててしまった。


「大佐殿、傷口を見せていただかねばなりません。隣に移動してもよろしいでしょうか」


 するとロルフはギクリと肩を揺らした。何故こんな失態をしたのかわからないとばかりに目を見張ったかと思えば、すぐに苦々しげな顔付きになって、無言でエディットの隣に腰を据える。


「……失礼した。よろしく頼む」


「はい、よろしくお願いします」


 何とか笑顔で応じながら、エディットは内心では後悔に揺れていた。

 ロルフの態度は前回の治療の時よりも明らかに余所余所しい。おまけに迷惑そうな顔までされてしまっては、仕事とは言え傷付くというもの。


 やっぱり昨日の別れ際に呼び止めて、気にしないでおきましょうと言えばよかった。そうすればこんな風に遠ざけられることもなく、治療が終わって会うことがなくなっても、すれ違えば挨拶くらいは交わせたかもしれないのに。


 ロルフが軍服の上着を脱いでズボンにしまったシャツの裾を引き出している。沈み込む心を引っ張り上げて集中力を取り戻したエディットは、晒された腹に顔を寄せてじっと観察した。

 鍛え上げられた腹筋の上には、縫った跡が赤みを残す大きな傷跡がある。


「本来なら治療を終えてから職務復帰して頂きたかったのですが……痛みが出ることはありませんでしたか?」


「問題ない」


 受け答えが短いのはいつものことなので、エディットは笑みを浮かべて安堵のため息をついた。

 爆風で飛来した金属片が突き刺さるという命に関わる大怪我だったが、殆ど完治したと言っていい状態だ。

 元気になってくれて本当に良かった。これなら予定通り治療を終えることができるだろう。


「……おい」


「はい、何でしょうか」


「近い。少し離れてくれ」


 冷たく突き放すような声に肩を震わせたエディットは、すぐさま体ごとソファの端に移動した。

 前回はこれくらいの近さなら許してくれていたはずなのに。やはり、嫌われてしまったのだ。


「……申し訳、ありません。ご不快にさせてしまい」


「ち、違う、不快などではない!」


 エディットは信じられない思いで顔を上げたのだが、ロルフは相変わらず苦々しげな顔をして目を合わせようとしない。不快ではないと言ってくれたのに、とてもそうは見えない態度だ。


「ご無理をなさらないでください。あんなに女性が嫌いだというのに、私の治療を受け入れて下さった……それだけで、とても凄いことです」


 エディットは切なく微笑んで、ソファの端から手を伸ばす。何とか治療可能な距離で脇腹に手をかざして、治癒の魔術を施していく。

 これはエディットだからできる離れ業。本来ならば治癒の魔術は触れなければ治すことができないが、膨大な魔力がこの方法を可能にしているのだ。


「これで治療は終了です。本当に、お疲れ様でした」


 もう怪我をするようなことがなければいい。願わくば戦争など起こらず、平和な時が続いてくれたなら。

 ロルフは無事でいるだろうかと心配しなくてすむ。健やかなることを信じていられる。

 これが最後の対面であったとしても。


「それでは、私はこれで。失礼いたします」


 エディットは立ち上がって静かに一礼した。

 ほんの少しだけ目の奥が痛むけれど我慢できないほどではない。魔術省に帰って、レーネに謝って、忙しいながらもやりがいのあるいつもの仕事の日々に戻る。

 大丈夫、苦しくなんかない。少なくともロルフの怪我は完治して、もう苦しむこともないのだから。


「……待て!」


 それは予想だにしない出来事だった。

 扉へと向かおうとした瞬間、無防備な手首を硬い掌が捕らえる。エディットはまずその大きく分厚い手をまじまじと見つめ、腕を辿って持ち主の顔を視界に収めた。


 部屋の中には二人しかいないのだから当然のことではあるのだが、それはロルフだった。

 女性に触れられたくないが為に自ら傷口を縫い付け、女性の魔術医務官を射殺さんばかりの瞳で一喝したあのロルフが。触れずに治療ができると伝えても警戒を解かなかった、傷を負った獣の如きあのロルフが、である。


 何が起きているのかさっぱりわからない。呆然としながらも彼の顔を見返すと、いつも強靭な意志を湛えていたはずの瞳が焦燥に陰っているように見えた。


「俺はまだ貴女に、礼も詫びもしていない!」


 何か謝られるようなことがあっただろうか。困惑を隠すことも出来ずに首を傾げると、ロルフは強大な敵を目の前にしたかのように唇をひき結んだ。


「命を救ってもらったこと、感謝する。そして昨日は迷惑をかけたな。すまなかった」


「えっ⁉︎ そ、そんな!」


 まさかロルフ自ら昨日の話を蒸し返してくるとは思わず、エディットは驚きの声を上げてしまった。

 彼は昨日の出来事をどう捉えているのだろう。そんな疑問が脳内に渦を巻いたが、実際に問いかける勇気を持てるはずもない。目を丸くしたままじっと見つめ返してくるエディットにどう思ったのか、ロルフは地に視線を落として言った。


「故に、俺は貴女に食事を提供する!」


「……は?」


「集合は本日の一九〇〇ヒトキュウマルマル、大噴水前だ! 異論はあるか!」


 相変わらずロルフとは目が合わなかったが、話す勢いは圧巻の一言だった。何故か軍隊式に宣告されたことによって、エディットは恐縮する間もないまま背筋を伸ばして敬礼してしまった。


「あ、ありません、大佐殿!」


「よし! 解散!」


「は……はっ!」


 鋭く返事を返して敬礼を解き、角ばった動作で執務室を後にする。

 扉を閉めて2、3歩と歩いたところで足を止めたエディットは、ようやく湧いてきた実感によって熱くなった頬を両手で覆った。

 何が起きたのかわからないのは相変わらずだが、ロルフの側にいることができる時間がまたしても伸びたのは確かだ。今この時を持って諦めるつもりだったのに、苦しいのに嬉しいだなんて矛盾している。


 あんなに女嫌いなのにわざわざ謝罪をしてくれようとは。食事を提供すると言っていたが、弁当でも買ってきてくれるのだろうか。


 ——気を使わせてしまって申し訳なかったな。何を下さるのかはわからないけれど、それを食べたら今度こそ諦めよう。


 再度決意を固めればロルフと出会った時から今現在までの思い出が湧き上がってきて、エディットは切なさの入り混じった笑みを浮かべた。

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