第6話 ヴィオラ町 ラッテラパンの病院とシャグリーブロンのお母さん
ラッテラパンの女の子、メアリー・ホワイト。
彼女はヴィオラ町の病院近くに姉と一緒に住んでいる。
姉が「一緒にこの家を出よう」と言うまで彼女は病院と同じ敷地内に建つ家で祖父母と両親と姉妹の六人家族で住んでいた。
祖父母が営む病院は常に人が沢山来ていた。
「子供は入り込むな‼」との祖父母の厳しくしかりつける声がするので、病院へはよほどの事が無い限り踏み入らなかった。
今は父の弟家族の物となったが、父も歯科医として同じ敷地内にある建物内で働いている。
病院は診察時間が終わると一旦閉める。そして再び父と母が出入りし、どこか暗い表情の患者が入ってくるが入った患者は出てくる事は無い。
“昼間は良いが、夜の方は恐ろしい”
いつからか、こんな噂話が近所中を駆け巡っていた。
話は何年か前まで遡る。
メアリーがまだ幼く、家族で住んでいた頃、夜に病院を閉めたにも関わらず患者が入ってきた。
メアリーは何事かと思ったが姉に「部屋から出ちゃだめだよ、きんきゅうじたいだって」と言われ姉と一緒に居た。
静かな夜に女性の叫び声が響いた。
「お願いします。開けてくれ‼」との男性の声。
メアリーは状況を知らないが、その女性の叫び声を聞き、怯え、男性の声に緊張したのを覚えている。
姉の方も、いつもとなんだか様子が違った。
メアリーは窓からそっと外を見た。
祖父母と両親が病院に駆け込んだらしい。
家の中は静かだが、病院では祖父母と両親の声、患者だと思われる男女の声が響いていた。
訳が分からず、メアリーは姉に抱き着いた。
姉が自分の体に腕を回し、ぎゅっとしてくれた。
それで少しは安心できたのだが、女性のうめき声や叫び声が外まで響き、恐怖心は一気に跳ね上がった。
ずっとこんな声は聞いていたくないと姉に訴え、二人は震えながら歌を歌ったが、女性の叫び声が響くたび、歌声は途切れてしまった。
“早く終われ、朝になれ”と、ずっと願っていた。
救急車のサイレンが外から聞こえてきたと思ったら自宅近くで止まった。
メアリーは恐ろしくなり歌を歌う事を止めてしまった。
姉も病院の方を見つめたまま黙っている。
女性の叫び声やうめき声は何時間も続いた。
二人は姉の布団の中に潜り、お互いを抱きしめあって時が過ぎるのを待った。
途中、見たいテレビもあったのに、とメアリーは思った。
しかし、恐怖でこの場を動けない。
後で聞いた話、姉も同じだったらしい。
二人で文句を言い合った。
結果として二人は今、病院を離れている。
最初の動機はその時だった。
その時からだ。“闇が深い病院”と言われ始めたのは。
それはもう、翌日から噂は広まった。
病院周辺の家に住む人もあの声を聞いたらしく、そこから町内へ広がって行った。
患者の年齢は分からないが、結婚できる年齢なのは確かだ。
夫は外で酒を飲み帰宅、家の中でも飲み足りなかった分を飲み、眠ってしまった。
妻は臨月で、お腹に赤ちゃんがいた。
初めての子供だったようだ。産気づき慌てて夫を起こしたものの、酒を飲み酔っ払い急に起こされた事で腹が立って怒鳴り車も運転出来ず、救急車も呼ばず妻は陣痛で動けずじまいだったらしい。
その後、妻の様子がおかしいと妻を近くの病院に連れて来て、夜の閉まっている時間に開けてくれと頼んだ。病院は開けたものの妻は陣痛で苦しんでいた為、そのまま床に寝かせ、ある程度処置と救急車の手配をしたという。
しかし、救急車が来ても難産なのか子が生まれず、挙句の果てに死産となり、妻もその後大きな病院に運ばれたものの亡くなったという。
メアリーがその事を聞いたのは、翌日の朝。両親から簡単に説明を受けた。学校へ行く為に家を出た所、近所の人が随分リアルに話しているのを聞いてしまった。
「あら、メアリーちゃんよ」という小声も聞こえた。
その後、近所の人は、何でもない話に切り替えていた。
お腹にいた子と妻を失った男性は毎晩、同じ時間に現れては、「この病院が、妻と子を殺した‼」と、大声で叫んだ。
その後、父と母が対応すると、その男性はこの町から消えてしまった。
それから、その病院は“人が消える”だの“恐ろしい”だのと噂が飛び交った。
父は当時、何も言わなかったが、いつしか『別世界がある』と言い出した。
男性は今、そこにいると。
そこから両親はおかしくなったように見える。
昼間はちゃんと仕事をするのに、夜は別人のようだ。
メアリーと姉も変わった。
祖父母は他界してしまった。
祖父母が他界してしまった件は、随分と早い様に感じた。
それから病院は、一旦封鎖され、今は父の弟家族の物となった。
メアリーは未だに怖い夢を見る。
内容はどれも、血まみれの妊婦が叫んでいる夢である。
それ以来、メアリーは妊婦が怖い。特に臨月の妊婦は恐怖がよぎり、近付きたくない対象となった。
“全く、悪い噂だらけだ”
しかし、真実である事はメアリーが良く分かっていた。
そして、この病院に新たな患者が来た。
今、この病院は新しく生まれ変わった。
元々、産婦人科はやってないが、内科はずっとやっている。
病気や怪我の人が来るが、ここは病院というより診療所である。
大きな病院へ行けば、産婦人科もあるが、どこに行ったら良いのか分からない人は、まず近くの病院に来る。
噂のせいで人は減っているがやはり近場という魅力は、大きな病院に勝てる唯一の魅力だ。
体調が悪い時、あまり動きたくない。
そんな人が今でも利用している。
噂を信じている人は、どんなに辛くても別の病院に行ったりしている。
しかし、大体が噂好きの人で、症状が実は軽い人が行っている、というだけだったりするのだ。
妊婦の話だって、本来はこの診療所が悪いわけではない。
診療所として、出来る事をしていただけだ。
夜の噂の方は、流石に反論出来ないが…。
状況を知っている人達は、消えた夫を責めた。
「消えてもしょうがない」という人もいた。
メアリー自身は、何とも言えないが、祖父母の働いた病院である以上、こうして患者が来てくれるのはありがたかった。
メアリーと同じ町に住む、シャグリーブロンの家族は、メアリーの家の噂を知らない訳じゃないが、一番近くて行きやすいという事で、ずっと利用してきた。
噂が出る前からの利用してきた為、信頼している、という気持ちもある。
メアリーの事は知らないが、そこはお互い様である。
接点はないので、しょうがない事である。
診療所とシャグリーブロン家族の家は、そう近くはない。
ただ、大きい病院や他の病院が遠いからこの診療所にしている。
子供はいるが、メアリーはインターナショナルスクールに通っており、姉は卒業生である。
シャグリーブロン家族の子供は、ヴィオラ町の学校に通っているか卒業生である。
シャグリーブロン家族は、シャは猫、グリーブロンは白灰を意味する言葉である。
白一色か、灰色一色の毛色が生まれる猫の種族である為、【シャグリーブロン】という種族名である。
顔や特徴はペルシャネコの獣人に近いので、【ペルシャグリーブロン】とも呼ばれることがまれにある。
シャグリーブロン家族は、両親共に教師だが、父が川の街こと「アスールクレロ町」の学校で、母がアーテル村の隣の村、グリューン村の学校で働いている。
自分達の子供が町の学校へ通っている為、この配属となっている。
この町にいるシャグリーブロン家族は、お父さんが灰色一色、お母さんが白色一色と、別れていて、子供達も男女関係なく灰色一色か白色一色に別れている。
家は川の街との境目近くになってしまうが、その土地に両親は家を建てた。
両親が結婚して最初の子は女の子で白色の毛並みの子だ。
その子は今、ルージュ市に住み、ルージュ市で働いている。
次に双子の姉妹が産まれ、灰色と白の毛並みである。
白と灰色は混ざる事は無く、どちらか一色に偏り、白なら白一色、灰色なら灰色一色の毛並みになる。
双子のうち灰色が姉で、白色が妹で、二人は小学校へ通っている。
次に男の子が産まれ、その子は白色の子で、現在幼稚園生である。
そしてまた、双子が生まれた。
こちらの子供も、灰色と白に別れている。
アーテル国では子沢山な家庭が多く、多産な事は珍しくない。
そんな家庭のお母さんは、現在、件の診療所にいる。
最近、調子が悪く、もしかしたら妊娠かも知れない、と思って診療所へ来た。
もし、妊娠なら六人の子供を抱え、さらに増える事となる。
現在、子育て中の為に仕事を休んでいる。
家計が苦しいが、しょうがない事だ。
それにしてもこの診療所はひそひそと噂話をしている人が多い。
“この診療所は、あまり来たくない”など。
確かにこの診療所には色々な噂はあるが、お母さんは全く気にしていなかった。
その噂の元となった母子について、お母さんは夫が救急車を呼んだり、奥さんが通院している病院にタクシーを呼んで連れて行くなりすれば良かったと考えている。
お腹が痛い妊婦を、わざわざ歩かせてこの診療所に来なくたって良いのに。
近いから連れて来たんだろうけど、噂によると酔っぱらっていたとか病院に行くのが遅すぎたとか、初産だったらしいが、言い方は悪いが夫が悪いとしか浮かばなかった。
運が悪いとか、認識が低いとか、初産のわりになんというか、しょうがないのかも知れないが、それなりにもう少しどうにかならなかったのか?と考えてしまう。
診療所は、閉まっている所をわざわざ開けてくれたり救急車を呼んでくれたのに。
その後、夫は夜になるとこの診療所に来て騒いだという。
関係者が出てきて騒ぎを沈めてくれたらしいが、その後の行方不明だって、騒いで警察を呼ばれたとかで、特に変な所はないだろう。
お母さんの考えはこんな感じだが、噂好きの人はあちこちに行って色んな噂を聞いたり、喋ったりしている。
話しが大きくなったり、聞かれたくない事を聞かれたりするのも嫌だった。
大きな病院は隣のルージュ市にある。
噂を信じる人、怖がっている人、または集めている人、喋りたい人はわざわざバスでルージュ市まで行く人もいるが、そういう人達は多分そこまで具合が悪くない人とお母さんは思っている。
現在、診療所はそれなりに人がいる。
皆、辛そうだ。
ある程度元気そうに見える人は、付き添いや薬を貰いにきた人だろう。
お母さんは、同じく噂を信じてない人がいるだろうと見ている。
気分が悪い中来ているのだから、嫌な話を聞かなくて良かったと思っていた。
しばらくして、自分の番が来て、お母さんは診察室へ入って行った。
医者に症状を話し、診察をしてもらった結果、医者は「妊娠の可能性がありますが、うちではこれ以上なにも出来ないので、産婦人科を受診する事をお勧めします」と言った。
子供を育てていて疲れが出たのかと思いたい時もあった。気のせいかもと、思った時もあった。
上の子が下の子の面倒を見てくれるが、小学生の子に出来る事と出来ない事があるし、お父さんは仕事が忙しいので、家族に頼める事には限度がある。
その中での生活に疲れているだけだと思いたかったが、妊娠してしまった。
うかつだったがしょうがない。
お母さんは、これが最後の妊娠と出産と決めた。
お父さんと話をして、子供達のさらに負担になってしまうがしょうがない。自分一人で抱え込んだりといったような無理は出来ない。
自分が無理をすると、他の人にまで迷惑をかけてしまうかも知れない。
それが原因で変な噂をたてられても困る。
この病院に行ったから…といった事が噂されると、病院にまで迷惑がかかってしまうだろう。
お母さんは気を引き締めた。
お母さんが家に帰ると、子供の泣き声が響いていた。
上の子二人が、甲高い声を出していた。
夫は職場である学校にいる。
一番上のお姉ちゃんは、仕事が忙しくなかなか家に帰って来れない。
小学生の双子の女の子に赤ちゃんの世話を頼んでいたはずだ。
色々と注意して欲しい事とかは、忘れないようメモを書いた。
何がダメだったのだろう?
多分、全てダメだったんだ。
しかし、病院に赤ちゃんを連れて行くのは、大変な事である。
丁度、双子の女の子がいた為、少しの間、と思って頼んで出てきてしまった。
それがまずかったと、お母さんは思った。
しかし、部屋を覗き込むとそうでもなかった。
「ただいま、泣き声とかキーキー声が響いていたけど、どうかしたの?」
「あっ、ママ!おかえりなさい」と言って、顔を輝かせたのは、双子の妹の方で、白一色の方である。
「お母さん、香月がじゃまするの!」と言ったのは、双子の姉の方で、毛色は灰色一色の方だ。
赤ちゃんの方は、おもちゃの取り合いで、負けた方が泣いているだけだった。
ちなみにこちらも双子である。
赤ちゃんは、おもちゃを取り合う事が多く、日常茶飯事な事が起きているだけだった。
ここへまた、赤ちゃんが増えるのかと思うと、大変だが、これで最後と自分の中で片付けた。
夜、お父さんが帰宅すると、お母さんはおかずをあっため直した。
大した物は作れないが、それでもお父さんは何も言わなかった。
お父さんは「病院はどうだった?」と聞くと、「いってきました、妊娠の可能性があるそうです。今度大きな病院の方へ行ってきます。」
「そうか、無理しないようにな」
「えぇ、そうします」
“無理しないように”という言葉だけでも、お母さんにとっては嬉しかった。
あの時、あの病院で亡くなった奥さんにも優しい夫だったら、多少、運命は変わっていたかも知れないのに。
お母さんは自分が妊娠するたびに、その事を考えていた。
見知らぬ人だが亡くなった後、呪いだのなんだの言われているが、自分が亡くなったからといって、浮かばれないのは嫌だとも考えていた。
もし本当に呪いが存在するなら、あの診療所ではなく、その女性の夫に対してでは?とも考えられる。
とにかく妊婦にとって大事なのは、病院もだが、力になってくれるパートナーこそ必要なのでは?と考えていた。
翌日になりお母さんは、一人大きな病院に来ていた。
こちらはなんとなく苦手だった。
なぜだか分からないが、大きいからこそ色んな人が来て、色んな感情をぶつけている。
年寄り同士は見知らぬ同士でもお喋りをしていて、少々うるさく感じる。
しょうがない事なのだろうが、何だか自分はそうなりたくないと思っていた。
しかし、自分もそうなってしまうのだろうか?という思いもある。
若い人は若い人で、子供を連れて来ているが、子供そっちのけで自分勝手に生きている風に見えた。
自分の子供達は、ベビーシッターさんに預かってもらっているが、とくにトラブルなく、預かってもらっている。まれにニュースなどでベビーシッターに関する事件を見ると、正直不安にはなる。
色々な事が起こるこの世の中、幸せばかりではない事なのは確かだ。
他人の見たくもない部分が見えてしまう。
お母さんは鬱々とした状態で待合室のイスに座った。
しばらくして自分の名前が呼ばれ、診察室に入った。
診察室で診察され、医者の言葉を聞いて、あぁ、やっぱりと思った。
お母さんは妊娠していた。
しかし、予想外の事が起きた。
「あら、なんだ?一人じゃないな、二人…三人かな?」
「えっ?」
その後、診察が終わり、お金を払って病院を出た。
母子手帳などを握りしめ、お母さんは絶望の顔で歩いていた。
“三つ子”三つ子だった。
まだ、双子の子がそこまで大きくなってはいないのに、三つ子を妊娠している。
授かった命なので、邪険には扱えないが、三つ子は正直、考えてはいなかった。
このお腹の中に三つの子が宿ったのか、嬉しいというよりもはや、絶望的な気分だった。
家計の事が頭から離れない。
子育て、お金、仕事、家事、出産費用、家の広さ、えーっとそれからっと、お母さんの頭は色々な事で一杯となった。
とりあえず一旦歩みを止め、手に持っている物をバッグにしまい、再び歩きだした。
“お姉ちゃんに相談して、なんとか手伝ってくれないかしら?”
お姉ちゃんというのは、自分が初めて妊娠して産んだ、長女の事を指している。
お姉ちゃんは今、ルージュ市にいる。
さすがにお父さんと二人では、問題が山積み過ぎて片付けられない気がした。
無償で働いてくれる、お手伝いさんなんかも欲しい。
ベビーシッターさんも常に傍に居て欲しいし、無限にお金が湧き出てくれればとも思う。
結婚前は夢見心地だったが、結婚してみれば、夢見心地だった自分はどこへやら、といった感じだった。
子を授かり、教師の仕事もそれなりにしてきた。
ごく普通の家庭だった。
しかし、いつの間にか子供が増えた。
一人を産んだ後、双子が産まれ、また一人生まれたと思ったら、次はまた双子。
そして今度は三つ子…。
もう、悩んだりする事にも疲れた。
お母さんは前向きに生きる事にした。
考えても始まらない。
とにかく今を生きなきゃ。
そう考えたら、ほんの少しだけ足が速く動いた。
家に入ると、ベビーシッターさんが出迎えてくれた。
ベビーシッターさんは相変わらずそつなくこなし、問題もなく帰って行った。
たまにどうする事も出来ない時に、頼むだけだが、少ない金額とはいえ出費がかさむ。
しょうがない事とはいえ、少々頭が痛い出費だった。
どうにかしたくとも、どうにも出来ない。
双子を連れて行くのは大変で、保育園へ入れるのもお金がかかる。
何かもう、宝くじでも当たれば、とも思うが購入した所で上手く行くわけがない。
お母さんはため息をつき、家事をしながらの子育てママに戻った。
夜、再びお父さんと話をした。
やっぱり妊娠している事、そして三つ子だったという事。
お父さんも驚きは隠せなかった。
「そうか」と言い、固まってしまった。
教職員の給料で家族を養うには、お母さんにも働いて欲しい。
しかし、今は無理な時期だ。
双子出産後、一年の産休を取っている。
再開させる話し合いの途中の三つ子妊娠は、お父さんの心にも応えるものがあった。
「三つ子か」というお父さんの声は、お母さんに届かないような小さい声だった。
数日後、いつものように家事をやったりしていると、家のチャイムが鳴った。
お母さんがインターフォンを鳴らした人物を確認し、その人物に声をかけ玄関まで行くと、チャイムを鳴らした本人は「ただいま」と母親に向かって声をかけた。
来客は「お姉ちゃん」と、呼ばれているこの家の長女だった。
「しばらく家から通う」と母に言い、自身の後ろには大量の荷物とお姉ちゃんの仕事仲間でもあり友人でもある人の姿があった。
前回も、お母さんが妊娠した際、お姉ちゃんはこうして手伝いに来てくれたのだ。
今回も「申し訳ないけど」というセリフから始まり、お母さんは自身の現状を話した。
仕事に差し支えないように、との事とお金問題で話し合いを行った。
しばらくそれで楽できそうだ。
子供が産まれ、ある程度落ち着いてきたら、お姉ちゃんはアパートへ帰る。
それまでは実家で妹達の面倒や、家事を手伝うのがお姉ちゃんの“仕事”となった。
そのかわり、家に居る間の生活費はお姉ちゃんの給料をほんの少し家にお金を入れるという事となった。
アパートでは、全部自分でやらなきゃいけないが、お母さんという存在と、実家というのが、大きな存在として、お姉ちゃんの中にあった。
仕事から帰って家事をしなくても、お母さんがやってくれる。
もちろんその分手伝う事は手伝うが。
お金も生活費として少し家に入れるのはしょうがないと思っている。
その分、母に“甘える”のがお姉ちゃんの目的だ。
小学生の双子の姉妹もいつも通り手伝ってくれるらしい。
一番大きなお姉ちゃんという存在は、双子にとって、母親の次にいてくれたら嬉しい存在である。
まだ甘えたい時もあるが、普段二人が大きなお姉ちゃん役をこなしている。
とくに双子の姉の方は、双子でありながら、「お姉ちゃん」として振舞わなくてはならず、その言葉が嫌いだった。
だからこそ“本物のお姉ちゃん”は、傍にいると嬉しい存在だった。
お父さん、お母さん、上の子と下の子…大家族の家庭はこうやって生活していかなければならない。
支え合い、助け合いが重要である。
しばらくすると、お腹が大きくなって目立ち始めた。
外に出て、町の診療所付近を歩いていると、噂話している人の姿が目につく。
相変わらずこの診療所の噂話をしているようだ。
最近では大きな病院の方に向けた噂話もあり。
大きな病院の待合室でお腹の大きな妊婦の幽霊を見たという噂があり、それを聞いた人も夜中にこの診療所の方から、生まれたばかりの赤ん坊の泣き声が聞こえると続く。
この周辺の病院を潰したい人達に思える噂話ばかりだが。
相変わらず信ぴょう性のない話だと思いながら、お母さんは耳を傾けたくないから足早に動こうと思うのだが、お腹が重たくて満足に動けない。
それでも早くこの場から逃げたくて、お母さんは苦しい思いをしながら、大きな病院を目指した。
お母さんには霊感が無い。
だからこそ、あの噂を話す人達は、本当に見聞きしているのだろうか?と思えた。
ただの噂話を喋っているだけで、本当の事だとは思えない。
噂話というより、作り話といった風にさえ感じる。
実際そうなら、実にくだらない話である。
今から行く大きな病院は何度も通院しているが、見た事が無かった。
霊感が無いからかも知れないが、喋っている声の方向を見ても、お年寄りが喋っているか、マナーが悪い母子やなぜか偉そうな男性ばかりだった。
先程の人達は、どのような世界を見ているのか分からないが、本当に見えているなら教えて欲しい、と、お母さんは思った。
まぁ、無理でしょうけど、とも。
お母さんは大きな病院の待合室で椅子に座っていた。
何列か前の人の背中が見える。
そういえばその人もお腹が大きく見えた。
手でお腹を包み込むようにして座っている。
顔は俯いているようだ。
一人分の隙間を開けて、隣は二、三歳の子と一歳くらいの子を連れたお母さんだった。
子供は椅子の上に立ち、キャッキャとはしゃいでいる。
ふとまた、隣のお腹が大きな女性の方を見る。
さっき、変な噂を聞いたからだろうか、考えなくていいような余計な事を考え始めてしまった。
もしかして、幽霊ってこうやっているのだろうか?
何気ない日常、普通の人だと思ったら実は…と思ったが、まさかね、と思い直しお母さんは俯いた。
お母さんは次に亡くなった人の事を考えていた。
ふと思い出したのだ。
あの時の妊婦は、ここを利用していたと。
しかし、この辺に住む人なら当たり前である。
前を見る。
先程の場所に、同じ背中が見える。
初めての子なのかしら?初めての子なら不安だらけよね。
二人目だろうと三人目だろうと、妊娠中は不安よね。
ちゃんと生まれて来てくれるのかとか、無事に育つのかとか、お金の問題とか。
普段、全く考えないような事を考えてみたり、今までと同じように動いてみようと思っても、全く動けなかったり。
良く分からない事だらけでね、大変よね。
人それぞれ違っていて、悩みを共有出来なかったり、嫌味を言われたりね。
そう考えていると、自分の数々の妊娠出産エピソードが蘇ってきた。
思い返すとあっというまに時間が過ぎた。
そんな事を考えていると、お母さんの番が来たが、気が付くとあの背中は消えていた。
大きな病院だと、診察室が数か所あり、ここもそういう所である。
それにトイレなどで席を外したなどもある。
実際、お母さんと入り違いでその人は元に戻って来た。
ハンカチを握っている。
トイレに行っていただけだろう。
再び先程と同じ場所に座り、同じようにお腹を抱え込むようにして座った。
その人は幽霊でも何でもない人だった。
目に見えない存在が立つのは、自分の噂話をしている嫌な人物の後ろだった。
自分の事を話され、悲しげにその人物の後ろに立っている。
悪い噂を流す人は悪い心を持った人のみだ。
その人の目には映らないだろうが、確実にそれは存在していた。
噂を流して欲しくてそこに居る訳ではない。
そのものはそっとしておいて欲しいのだ。
心の傷を癒したいのだ。
いや、心という物があれば、だが。
見える人がいるのは、事実だろうが、悪い噂を流すのは良くない事だろう。
見える人がいた所で、心穏やかに過ごしたい人もいる。
見えなくても見えても、悪い事は避けるべきだ。
嫌な者にならない為に…。
お母さんは、病院を出た後、同じ道を歩いた。
とくに何もない道である。
噂話をしていた人もいつの間にかどこかへ行ったらしい。
その道は穏やかな時間が流れていた。
途中、ラッテラパンの女性とすれ違った。
その服装から、この近くの病院の看護婦か歯科の方の受付兼衛生士の人である。
その女性は静かな声でお母さんに話しかけた。
「内科の方へいらしてくれた方ですよね。お体どうですか?」
「あら?あぁ、歯科医の方の…えぇ、順調です、ありがとう」
「お大事に」
「えぇ、どうも」
ワンピースのナース服姿とはうらはらに、物静かに歩き、声も冷静そのものといった姿のラッテラパンの女性は会釈し去って行った。
怖いという人もいるが、お母さんはなんとも思わなかった。
今だって目と目が合ってしまったから声をかけてくれたのだろう。
顔は冷静そのものだったが、薄っすら温かみも感じる顔だった。
あんな事があって以来変わった、とも言われているが、彼女は昔からあんな感じだった気がする。
物静かな方だっただけでは?ともお母さんは思っていた。
何か裏でやっているのかも知れないが、見た感じはそれなりに普通の人だった。
お母さんは、ふと何かに気が付いた。
あら?あっち側から歩いてきたわよね。仕事の合間に外にいるって事はもしかして、とお母さんは考え始めた。
その考えが当たっているかは分からないが、近くに娘が住んでいるという事は噂されている。
噂話に翻弄されたくはないが、もしそれが本当なら、娘の住む家に様子を見に行った、と考えると、ただの良いお母さんである。
あの事件さえなければ、あの診療所も普通の診療所だったはずだ。
お母さんはあの診療所を背に、思いを巡らせた。
家に帰ると、ほっと一安心出来る我が家である。
心安らぐ空間であり、大事な場所である。
これからもっとお腹が大きくなり、生まれたら生まれたで大変だろう。
しかしお母さんは、今日もお母さんとして生きている。
第六話 終わり
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