第5話 アーテル村 ペルシャネコの男の子
アーテル村に住むペルシャネコの家族は慌ただしい一日を過ごしていた。
ペルシャネコの一家が住む家は、ココアウサギの家族と土地を共有して家を建てた。
土地代を所有者であるコアラの獣人一家に支払っている。
そのココアウサギの家族と共用で使っている庭があるのだが、そちらの方の庭ではなく、玄関側から出た所にある庭に女性の姿がある。
女性はこの一家のお母さんである。
掃除道具を持って小さな建物内へ入って行った。
その建物内は、男の子の部屋になっている。
お母さんはその部屋の持ち主の部屋を掃除する為にこの建物へ来たようだ。
心なしか嬉しそうに掃除して、愛おしそうに男の子の持ち物に触れていた。
一方、お父さんの方は、眉間に皺を寄せ二階のベランダで男の子の使っていた布団を干している。
家事を手伝うのは別に構わないが、この布団だけは出来ればずっと見たくない物だった。
最近、姉の子を面倒見る事になり、その子はかわいい姪っ子だ。なんとも思わない。
むしろ可哀想な子だと同情する部分もある。
言葉には出さないが、彼女は今、心に傷を相当負っているはずだと、お父さんはそう考えている。
しかし、この干している布団を使っていた人物は、実の息子ながらとても嫌な子だった。
今でもその思いは変わらない。
下にいるお母さんは、嬉しそうにその部屋を掃除している。
ベランダから見えるその部屋こそ、実の息子の部屋であるが、お父さんからしたらそんな部屋なんて壊したかったくらい醜い物だったが、お母さんがそれを許してはくれなかった。
“いずれ帰ってくるのだから”と言って、譲らなかった。
その、問題の息子は現在、別の場所にいる。
まともな施設にいるとか、寮生活しているという理由で家にいないならともかく、息子が現在居る場所はまともな場所ではなかった。
息子である翼は、小学校六年生でありながら、性犯罪で捕まった。
その界隈では“Sexy摩天楼”と呼ばれていた。
十八歳から二十四歳の女性をターゲットにし、夜のお相手をしていたらしい。
家では暴れたら手が付けられないかと思えば、夜は母のお乳を吸わなきゃ眠れないという子だった。
しかし、学校では成績優秀の優等生で教師には、家のことを言っても信じてもらえなかった。
ごく普通の子供のような時もある。
そんな息子に、お父さんは厄介に感じていた。
その息子が警察に捕まり、服役更生施設に入れられた。
しかし、今回帰ってくる事となってしまい、今はその準備中である。
自分の所に連絡が来てから、誰にも知られずに処理したかったのだが、いつの間にか妻と娘が知ってしまった。
娘は何も思っていないよう振舞っているが、元々、兄妹の仲は、はたから見る限り特に変な所は無かった。
仲も良好で勉強を教えたり、たまに喧嘩したりと普通の兄妹だった。
だからだろう帰ってくると知っても何も反応しなかった。
姪っ子にも一応知らせると、「あいつ帰ってくるんだ、ふーん」と言ったきり、いつも通りに過ごしている。
その他の人も特に問題とは思ってないようだ。
結局、自分だけが息子の存在を邪険に扱っているとお父さんは思っている。
布団を干し終えると一階に下りて玄関へ向かった。
一旦、息子の部屋の方へ行き、お母さんに声をかけた。
「じゃあ、翼を迎えに行ってくる」
「あっ、もうそんな時間?行ってらっしゃい」
奥から姿を現し笑顔で言われた。
妻を愛し家族になり、今も妻を愛しているし大切な存在だ。
しかし、最愛の息子となるはずの翼が自分達を壊そうとは…。
重苦しい空気を背負ったまま車を走らせ、翼がいる更生施設へ着いた。
施設の駐車場へ車を停め、歩いて施設の方へ向かい、中へ入って行った。
その時ずっと、頭の中には性犯罪を起こし、警察に捕まった時の翼の姿があった。
“このまま帰って来なければ良いのに”と思っていたのに、こうして迎えに来てしまった。
「子供だから」「子供といえども」と何度言われた事か。
妻からは「あなたそっくりね」と言われた。
現実から逃げるように近くにいた女性に癒しを求めた。
ダメだと分かっていても、手を出してしまった。
娘の友達の母親という立場の女性とダブル不倫という形になり、今も続いている。
妻も愛しているし、大事だし、ちゃんと夫婦としての生活もしている。
しかし現状、ダブル不倫も止められない状態で、止めたらきっと、自分が壊れてしまうだろう。
とくに翼がいれば尚更に…。
お父さんとしての自分、誠司という名の男としての自分…。
お父さんの心は、複雑に渦巻いていた。
目的地で待つと目の前に憎たらしい息子が現れた。
「お父さん、久しぶり」
「翼、帰るぞ」
「ママは?」
「家にいる」
なんとも言い難い空気が流れる。
かわいい子供が生まれてくるはずだったのに、初めての子供だったのに…。
“殺してしまいたい”ただそれだけしか頭に残っていない。
車を運転中もふと、理性が飛んでしまいそうな気になる。
そのたびに翼から「お父さん、お父さん」と話しかけられ、昔話まで話され、そう言われると昔の楽しい思い出が蘇り、あと一歩の所でどうにかなってしまうのを止められた。
翼が何かしら察して父親に話しかけているようにも感じた。
そう言うのを察して、上手くコントロールしたり交わしたりをするのが昔から得意だった。
勉強が出来るだけの頭の良さだけではなく、生きていくうえで上手く立ち回る事が出来る子だった。
捕まるのは想定外だったほど、動きが上手い子だった。
だからこそ、人を動かすのも上手ければ、立ち回りも上手くこなし、味方が増える。
今もきっとそうなのだろう。
お父さんはそう考えていた。
憂鬱な二人のドライブは、半分まで来た所で翼がふと、建物を見た。
まだここは、アーテル村ではなくヴィオラ町だ。
お父さんは町が二つに別れ、町名も新しくなったと話した。
「ふーん」という声が、助手席にいる翼から漏れた。
「そういえば、ここの病院の歯科医の先生とあと、先生の奥さん、今、変な噂が立っているって、施設で聞いたよ。なんか闇商売とか別世界とか、色々な話を聞いたよ。僕も入って見たかったなー、そうすればお父さんがボクと一緒に死のうなんて、考えないよね?それとも、一人で助かろうと思ってた?」
「止めなさい。そういう話は聞くのも喋るのもダメだ」
「はーい」
翼はやっぱり気付いて、いや、心の中を読んでいた。
翼一人、いなくなってくれれば問題は無い。
翼だけ消す方法はいくらでも考えた。
しかし、全て考えるだけで終わった。
全て無駄だからだ。
別世界、闇に包まれた村とも表現されている。
お父さんもその噂は確かに聞いた事があった。
実際、翼をこの病院へ連れて行こうとも考えたが、翼は入れても自分の元へ帰ってくる気がした。
平然とした顔で…。
なんとか息苦しいドライブを終えて、無事に家まで帰ってきた。
ようやく一安心した。
これからの生活、お父さんとしては苦しい生活に逆戻りだが、とりあえずは落ち着こう、そう思い二階の寝室へお父さんは向かった。
翼は家の中で待っていたお母さんの元へ駆け寄った。
久しぶりにお母さんに抱き着き、感触と匂いを確かめた。
翼が、「ママ、スキンシップしよ」と言うと、お母さんはぎゅーッと翼を抱きしめた。
そして、「翼、おかえり!!翼がいない間、ママはとっても寂しかったわ」と言った。
母の声はまるで、恋する乙女のようだった。
「ママ、翼の為におやつ用意しといたわよ。ママと一緒に食べましょう」
「うん」
翼とお母さんは、現在地から移動し、キッチンまでおやつを取りに行き、リビングへ移動した。
リビングに入るとテーブルにおやつを置きソファーに二人並んで座った。
赤ちゃんのように甘える翼と、それに従うお母さんはいつもの光景ではあるが、どことなく普段のお母さんとはちょっと違う人に見える。
それが翼といる時だけそうなるのだ。
普段はごく普通の主婦で母である。
お父さんは、まるで翼が何か魔法でも使っているように見えた。
翼ならなんだか、魔法が使えても驚かないかもしれない。
それが、翼という人物だ。
皆、その事に気付いて欲しいと思うが、多分、無理だろう。
相手が翼なら特に、だ。
一方、翼の妹、深雪は隣の家にいた。
ココアウサギの家族とペルシャネコの家族は、同じ土地の上に建つ家に住んでいる。
中庭を通じてお互いの家に行き来している。
普段はココアウサギの女の子、史織が深雪の家に遊びに行くのだが、今回は深雪の方が史織の家へ来ていた。
“家にいたくない“という理由で今日は一日、この家にいると決めたようだ。
二階の史織の部屋で二人は過ごしている。
史織の母は出かけていて、父は中庭のベンチの上で寝転がっている。
こうして深雪がこの家に来るのは珍しい事だったが、お泊り会として明日まで一緒に居られるのは結構楽しい。
二人は珍しくはしゃいでいた。
史織が「そういえば今日、チョンボが帰ってくるんだよね、もう家にいるのかな?」と聞いた。
チョンボというのは翼のあだ名で、小さい時からそう呼ばれている。
「あー、うん、もう帰ってると思うよ。朝からお父さんはすっごく不機嫌そうで、お母さんはすっごくうれしそうだった。チョンボはお母さん大好きだから、今頃はお母さんにべったりだと思う。今日は一日中、家の中はチョンボの事で大荒れだと思う」
「そっちはそっちで大変だね、最近、いとこのお姉さんまで家にいるんでしょ?」
「うん、元はどこにでもいる普通の人だったんだけど、最近はやたら大人ぶってたり、お母さんに対して、そくばくがはげしかったり、私に対しても色々と言ってくるようになって、ちょっときょりを置いてる」
「ふーん」
「今日もチョンボが帰ってきた事で色々バトルがくり広げられていると思う。お母さん辺りが主に」
「あー」
一旦、会話が途切れてしまい、深雪はふと部屋の中を見渡した。
「そうだ、ピアノひこう」
「そうだね」
史織と深雪は二人でピアノを弾く事にした。
今日はお泊り会で、沢山の時間を二人で遊べる最高の日だ。
二人は笑顔でピアノのイスに並んで座った。
深雪が家の心配していた丁度その頃、まさに深雪の家では小百合と彩芽と翼が母を巡るバトルを繰り広げていた。
元々親戚付き合いをしていた小百合は翼の事を知っていたが、彩芽は翼の事をよく知らず、さらに翼は単に普通のお兄さんだと思っていた。家の中でこんなママ大好きだとは、小百合は思わなかった。
しかも、普段なら平等に扱ってくれるお母さんも、翼の前では翼ばかり可愛がる為に、いつもの優しいお母さんは翼のみが味わえた。
三人…というより、小百合と彩芽のバトルは翼の存在に邪魔されて両方が敗者となってしまった。
父はすでに家にはいなかった。
小百合も彩芽も自分のテリトリーである部屋へ戻った為、リビングでは恋人同士のように翼とお母さんがべったりとくっついていた。
ルージュ市のデパートでは、史織の母、晶子がお気に入りの黄色い花柄のワンピースを着て、それに合わせた黄色いパンプスを履いてきょろきょろと辺りを見渡していた。
晶子が身に着けているワンピースとパンプスは、もちろん誠司からのプレゼントである。
そんな晶子の元に、甘くてとろけるような声で、「晶子さん」という誠司の言葉に反応して、晶子はその人物を捉え、「誠司さん」と、いつもよりワントーン声を高くして、晶子こと、史織のお母さんは相手の名前を口にした。
デパートで待ち合わせて、今日はここでデートらしい。
二人が見つめ合っているとアナウンスが入り『…より一階、イベントスクエアにて、赤ちゃんモデルの小島伽芽莉愛(こじまきゃめりあ)ちゃんと握手会が行われます』との放送内容だった。
“小島 伽芽莉愛”という名前の赤ちゃんモデルは、頻繁にテレビCMに出たりしている子で、今、一番人気の赤ちゃんモデルである。
誠司は、その子に興味は無く、特に何も思わなかったが、今はこれからデートである。
晶子を連れて、二階のファッションフロアへ向かった。
二階に着くと、イベント前にも関わらず、下から男性の声で「きゃめりあちゃーん」という声が響いてくる。
吹き抜けになっている為に余計聞こえてくるようだ。
誠司はふと下を覗き込むと、冴えなくて女性からモテなさそうな男性が、沢山の列を作りながら並んでいた。
その最前列辺りで並んでいる男性客が叫んでいるようだ。
黄色いTシャツを着て、【伽芽ちゃんは俺の最愛の天使であり娘♡】と書かれた何かを持っていた。
文字の色は蛍光イエローで板のようなものは黒色である。
赤ちゃん相手に何をそんなにアピールしているのか分からないが本人たちはそれでも真面目に“愛している”らしい。
誠司には理解出来なかった。
誠司の隣にいる晶子が「誠司さん、あの店に入りましょう?」と言うまで、誠司は嫌悪感丸出しの顔で見ていた。
誠司さん、晶子さん、と、お互いを名前で呼び合うのはとても心地が良かった。
いつも「お父さん」と「お母さん」といった親として呼ばれる言葉ではないのが、とても良いのだ。
なぜならば、そう呼ばれると、現実世界に引き戻されてしまうからである。
現実にはいない夢の中にいるような、そう思える世界が目の前に広がっているように思える。
だからなのか、必要以上に相手の名前を呼んでしまう、それが魔法の言葉のように。
一方、誠司の浮気をするようになってしまった原因の一つである息子、翼は、母と離れて部屋へ戻って来ていた。
自分の部屋は事件を起こして捕まる前のそのままになっていた。
母が掃除、父が布団を干したと聞いた。
「布団はもう少し干してから、取り込むわ」と母が言っていた為、布団は母屋の二階のベランダにあるが、何もかもが“そのまま”なのが翼は嬉しかった。
翼の部屋には本が沢山ある。
翼は家に居ない間、ずっと読みたいと思っていたが読めなかった為に、家に帰ったら読もうと思っていた事を思い出し、部屋に来たのだ。
一人になると落ち着いてくる。
さっきまでお母さんと一緒にいて、安心感や安らぎは感じていたが、一人になるとまた別な感情が湧いてくる。
自分一人の空間というのは、こんなにも居心地が良いのか。
誰も何にも気を使わなくて良い。
好きに振舞えて、好きな物を奪おうとする敵も現れない。
自分の部屋はお母さんといたリビングより快適だった。
翼はお気に入りの本棚から、読みたかった一冊の本を手に取った。
お気に入りのソファーに座り本を開く。
翼にとって、誰にも邪魔されたくない時間の始まりだ。
本のページをめくり、一話から読み進める。
とても至福の時間だ。
翼は本を読み進めるうちに、少しずつ自分の日常を取り戻そうと思い始めた。
部屋にある沢山の本を読み直す。
まずはそれからだ。
ダブル不倫中のカップルである深雪の父、誠司と史織の母、晶子は、一階のジェラートショップでジェラートを楽しんでいた。
知り合いに会うと、ダブル不倫である事がばれる為に、出来れば会いたくない。
ここでも知り合いに会う可能性は低くないが、それでもアーテル村やその周辺よりぐっと可能性は低い。
楽しめる間は楽しまないと、現実から逃れる為である事が意味をなさない。
お互いに家に帰ると見たくない存在がいる。
だからこそせめて、外ではその存在を忘れたかった。
とくに誠司にとって息子である翼がいなくなってくれた時、とても幸せだった。
忌々しい者が消えていくような感覚だ。
翼のした事はとても嫌な出来事で、頭が痛くなりそうだったが、内心、いなくなると思ったら気持ちが楽になったのを覚えている。
しかし今は全く逆だ。
あれが戻って来た。
また苦痛の毎日だ。
いっそのことまた何かやらかして警察に捕まって欲しいとさえ思っていた。
安らぎの時間を誰にも邪魔されたくないが、家族連れを見てしまうと、薄っすら思い出してしまう。
一緒にいる“彼女”もまたそうなのだろうか?
ジェラートを食べ終えた誠司はそれとなく聞いてみる事にした。
「晶子さんは、何かを見て思い出したりしますか?」
「私?そうね、あぁいう家族連れ見ると、子供が小さかった時とか思い出すわ。ダメね、夫の事は正直どうでも良いけど、史織の事を思い出しちゃうわ。あの子は私にべったりだったから」
「…私は、翼の事を思い出してしまいます。思い出したくはないんですがね」
「翼君、今日帰ってきたんでしたっけ?」
「えぇ、私が迎えに行きました」
「翼君はちょっと…育て…にくい所があるから、大変ですね。まぁ、うちの子もちょっと、いや、だいぶあれですけど」
ココアウサギの赤城家とペルシャネコの白川家は、同じ敷地内に建つ二軒の家に住んで中庭を共有しているいわゆるお隣さんとかご近所さんとして、ずっと家族ぐるみで付き合ってきた。
そのせいで普通の知り合いより自分の家の状況を沢山、知られている。
だからこそ、理解されやすく、今もこうしてダブル不倫という形にもっていってしまった。
お互いに惹かれ合っているが、離婚も考えられない。
この“普通じゃない感覚”から抜け出せない。
誠司は晶子の顔を見て落ち着きを取り戻せた。
別の人が不倫相手だったらこうはいかないだろう。
翼の事を理解してくれている感じが、やはり心地よかった。
妻より別の人の妻を愛し、安らぎを求めて居心地の良さを実感する。
当分、いや、一生このままの関係を続けたい気分だ。
相手も同じだと良いのだが…。
その頃、二人の娘は史織の部屋でピアノを弾いていたが、飽きてしまったらしく外に出ていた。
鍵は史織用の鍵を持たされていた為、家を留守にしても大丈夫である。
史織の父親は昼寝が終わった後には、ふらっと出かけてしまったし、多少遅く帰っても誰からも注意は受けない。
今日、史織の親は二人共どこかで泊ってくるだろう。
しかし、それでも夕飯までには帰るつもりだ。
いつも行く公園は誰も居なかった。
貸し切り状態である。
二人は羽根を伸ばすように遊び始めた。
遊具で遊んだり、ベンチに座ってお喋りしたり。
周りを気にせず、たっぷり楽しんでいた。
しばらく遊んでいると一人の人影が二人に近付いた。
「深雪、ここにいたのか、お兄ちゃんは本屋に行くけど何か欲しい本はあるか?」
声の主は翼だった。
相変わらず妹に対しては普通のお兄ちゃんである。
「いやべつに、チョンボは家から出ても良いの?今日帰ってきたばかりなんでしょ?怒られないの?」
「大丈夫だよ、そんくらい」
「ふーん」
「深雪は今日、家に帰ってくるか?久しぶりに一緒にテレビでも見よう?」
「今日は帰らないよ。史織の家でお泊り会なんだ」
「そっか、分かった。史織ちゃん、またね」
「じゃあね」と深雪、「さよなら」と史織が言った。
翼は二人に手を振ってから背を向き、再び歩き始めた。
二人は見送ってから、また遊びを再開させ、お腹が空いたら帰る事となった。
翼は二人と別れた後、何事もなかったかのように村の中を歩いた。
ごくたまにチラホラと見られている気がするが、大丈夫だろう。
この村の人達は、翼が歩いていようと、特には気にしないはずだ。
皆、自分の事で精一杯のようだ。
本屋に着き、店内を歩いても特に何も起こる気配が無かった。
翼が知っている“相変わらずの店内”である。
翼は自分が読んでいる本の続編などを探しに来た。
ある程度お母さんからお小遣いを貰い、欲しい本があれば何冊か買っていくつもりだ。
小さい本屋だが、それなりに充実したラインナップだ。
翼は何度も店内を行き来し、お小遣いでどの本を買うか悩んだ。
値段や内容を比較し、今買うべきか考え、悩みに悩んだ末、五冊くらい購入することにした。
店員のやる気無さそうな接客の声を聞いて店を出た。
翼はちょっと寄り道をして帰る事にした。
この時間、ブティックにいる伯母に会う為、その店がある方向へ向かって行った。
伯母の店の前で立ち止まると、中を覗いてみても店には客がいない。
しかし、伯母の姿は確認出来た為、翼は中へと入って行った。
「藍子さん、こんにちは」
「あら、いらっしゃい」
「翔平さんは?」
「今日は店へは来ないわよ。ほら、これの日だから」と言って、伯母は手で何かを掴む仕草をして、手首を左右に動かし、パチンコを意味するジェスチャーをしている。
翼はそれだけで察し、「あぁ、当たり日なんだ」と言った。
「翔平」という人物は史織の父親である。
伯母は名前で呼ばないと不機嫌になる為に名前を呼んでいる。
伯母は「生涯、女でいたい」というのを口癖にしていて、雇われスナックのママであった時も「ママ」とは呼ばせず源氏名に「さん」を付けて客に呼ばせていた。
店で働く「女の子」達もそう呼んでいたのである。
今現在、ブティックの客は「藍子さん」と本名の方で呼ばせている。
「チョンボは今日、どうしたの?家へ帰ってきたばかりでしょ?ゆっくり休んでいたら良かったのに、それとも、ここまで来るって事は、私に何か用事があったの?」
「ボクの新たなお客さんを集めようと思って」
「警察に捕まったのに、またやるの?」
「飽きるまではね」
「そう、分かった。探しておくわ」
「ありがとう」
「そういえばチョンボ、あの事本当なの?」
「何が?」
「警察に捕まって、少年院に入れられた後、同じく少年院にいた子の芸能事務所へ入るって話よ、その子と手を組むって話」
「あぁ、本当だよ。その後、施設をたらい回しにされた所を、その事務所の人が出してくれるよう裏で色々動いてくれたんだ。それでボクは出られたからね、感謝してるんだ。まぁ、活動とかはもう少し先の話だけどね。今はそれまでのんびりする期間だから、普通の日常を取り戻すよ」
「あらそう、あんたのママはなんて?」
「ママは別に構わないって、家に帰って来てくれれば何でもイイって」
「そう、まぁ、とりあえずは良かったわね」
「うん」
「じゃあ、チョンボの好きそうな子を用意しとくわ」
「ありがとう」
翼は伯母に手を振り、店を出て家のある方向へ向かった。
家に帰ってきた翼はそのまま自分の部屋へ行き、中に入ってソファーに座り、袋から先程買ったばかりの本をテーブルに置いた。
一冊ずつ本を手に取り、どれから読むか考えた。
少し考えた末に、本屋へ行く前に読んでいた本の続きから読み進める事にした。
夕飯の時間になったら母屋へ行き、夕飯を食べながら家族へ自分の口から今後の事をしっかりと説明するつもりだ。
妹は不在だろうから、また後で話すことにした。
夕飯の時間だと言われて母屋に行っても、父の姿は無かった。
母から「お父さんは明日にならなきゃ帰って来ないわ」と言われた。
父がいない…。
そうなると、あえて話をするのを避けたのかも知れないと翼は悟った。
父との関係が崩れてから、この家に居場所が無くなった気がした。
妹はまだしも、伯母や伯母の子供、そして新たに従姉妹も引き取った事を今回初めて知った。
そんなに本格的な活動はするつもりはないが、きっとこの家へいるより気が休まるだろう。
夜は必ず家へ帰ってくる。
警察に“わざと”捕まった甲斐があった。
精神異常者のように振舞い、刑を軽くしようとしてみたり、色々な施設をたらい回しにされたが、何とか帰ってきた。
今度は芸能界へ行ける。
そこでまた、父との距離を取ろう。
翼はそう考えていた。
部屋に戻ると小百合が顔を出した。
「お兄ちゃんに、言いたいことがある」と、言ってきた。
お兄ちゃん、と昔から小百合は翼をそう呼ぶのだ。深雪が昔、そう呼んでいた名残である。
何事かと思えば、翼に対しての愚痴や、今ここにはいない深雪へ対する事や、小百合から見て叔母の事だった。
それを聞いて翼は「そんなんで大人って言えるわけないだろ。大人はそんなこと言わないし、おまえは大人ぶりたいだけだ。子供なのにそう振舞っているだけだよ。深雪に対して、憧れとかそういう気持ちが大きい。コンプレックス丸出しの言葉もあったし、お母さんからの愛情不足だ、ただそれだけ、自分だけ愛してくれる、甘やかしてくれる人が欲しいだけだろ?」と言い返した。
「そんなの…」という所で小百合は言葉を詰まらせた。
黙って出て行こうとする小百合に「居場所は自分で作るもんだぞ」とだけ言い、翼は読みかけの本に手を伸ばした。
戸が閉まる音がしたが、翼はそちらを横目でチラリと見ただけで、紙の方へ直ぐに視線を戻した。
翼の部屋から出て、小百合は自分の部屋へ戻って来た。
その日は眠れず、何度も時計を見たが、時間の進み具合がものすごく遅く感じた。
夜中に母屋へ行くと、暗がりで何か小さいものが動いていた。
電気をつけると彩芽がパジャマ姿のまま突っ立っていた。
「あんた、そこで…」
何してんのよと言いたかったが、彩芽の姿から何が起きたのか把握できた。
「ばーか、全く何してんの、早くパジャマのズボンとパンツ脱ぎなさい、私、あんたの事嫌いだけど…私がそれを洗ってあげる」
「…だれにもいわないで」
「わかってる」
彩芽は濡れたパンツとズボンを脱ぎ、小百合に渡した。
小百合は洗面所でそれを洗剤つけて洗い、洗濯機に放り投げた。
「ねぇ、シーツとかは?」と彩芽に聞くと、
「ぜんぶ、ぬれた」と返ってきた。
「…私の布団で一緒に寝る?」
「いいの?」
「だって、寝るところないでしょ?たしか、二階には翼がいるし、あんたのあいこさんとかいう人が一緒に寝てくれるとも思えないし…あぁ、でも!おねしょはもうしないでよ!」
「そんなの!しない…もん」
「今、おねしょして起きたくせに」
「うるしゃい」
二人は母屋を出て小百合の部屋へ行く事にし、二人で歩いた。
自然と手をつなぎ、部屋に入ると眠気が襲ってきた。
小百合に妹はいないが、妹がいる感じってこういう感じなんだろうか?と思いながら彩芽を見つめた。
翼の一言が小百合の頭の中に浮かんでくる。
「居場所は自分で作るもんだ」
先程言われたばかりの言葉だった。
「翼の奴、バッカみたい」
そう小声で言うと、小百合は目を閉じて、夢の世界へ入っていった。
翌日
誠司は晶子と家に戻って来た。
翼の顔を見て、忌々しい顔だと改めて思うが、薄っすら自分の家族がちゃんと揃ったのだと認識した。
朝ご飯の時間に誠司は息子のこれからを聞いた。父からの言葉は「翼の好きにすればいい、お父さんからは何も言う事は無い」だった。
やはり現実はこの子供の父親なのだ。
それは紛れもない事実である。
息子と自分、血の繋がった親子である以上、その事だけは誠司の心に突き刺さった。
翼もまた、同じように感じているらしい。
「お父さんはやっぱり、ボクのお父さんなんだね、他の人が本当のお父さんだったら良かったのに、お父さんなんて、やっぱり大嫌い」
「翼、それはお父さんも同じだ、おまえを息子と思いたくないが、おまえは紛れもなく私の息子だ、お父さんも翼を好きになれない」
誠司と翼の言葉に対して、誰も口を挟まなかった。
皆、黙って朝食を食べている。
これから先、この家に再び翼という人物が生活するが、これがこの家の日常となって行くのだった。
第五話 終わり
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