第3話 アスール クラロ町 マロンイヌの母子と父子

 マロンイヌの獣人女性オリヴィアは、アスール クラロ町に住んでいる。職場である個人経営の雑貨屋はヴィオラ町にあるのだが、場所はヴィオラ町の端で、海が近くすぐそこは海の街アズーロ町になる。

【ヴィオラ町 海辺の広場】という場所は、ヴィオラ町とアズーロ町の境目にあり、周辺にはプールがある施設やお土産屋さんなどもある。

広場周辺は、海水浴シーズンは賑わうがそうでなければ散歩する人がいる程度で比較的静かな場所である。

海の街と呼ばれるアズーロ町は、店と少しの民家、港があるだけで町としては機能していない。大半は市街地のあるルージュ市が管理している。

住所として、アズーロ町とあるだけだ。

しかしヴィオラ町とも隣接している為、一部ヴィオラ町が管理している所もある。

この広場から目と鼻の先の砂浜やその他周辺道路はだいたいヴィオラ町管轄内である。

その辺の詳しい事に関して頭を悩ませるのは、お役所の人達である。

町民はごちゃごちゃしたことを気にせず生きている。

この広場も海辺でありながら住所はヴィオラ町であり、ヴィオラ町の管轄内の広場や公園といった施設である。

そんな海辺でオリヴィアの住むアパートの隣人であり、最近趣味仲間となった「ブチウサギギ」という種族の獣人女性オータムが働いている。

オリヴィアはオータムの店によく行くのだが、オリヴィアが働く個人経営の雑貨屋さんは、広場から少し離れた場所にある。

オータムの妹が働くプールがある施設のほうが広場から近い。

オリヴィアの息子が広場近くにあるパン屋を好み、よく通っていた。その際にサイクリングで広場まで足をのばした所、オータムのジュース屋さんを息子が見つけ、飲んだことがきっかけになり通うようになった。

通っているうちにいつの間にか仲良くなり、同じアパートに住む隣人である事がわかった。

それから名前で呼び合うような仲になり、最近趣味仲間にもなった。

もう二人は主婦友達として申し分ない関係になっていた。

お互いの事をある程度話し、死別と離婚という違いはあるものの母子家庭である所が、お互いの心の隙間を埋めてくれていた。

夫婦揃っていない家庭の悩みを共有できるのが、オリヴィアとしてはとても嬉しかった。




現在、個人経営の雑貨屋で働くオリヴィアは、店内でレジ奥に座り暇そうにしていた。

海からも広場からもちょっと離れた場所にあるこの店は、商店街でもなく隣に大きな施設があるわけでもなく、路地裏のちょっと入った所にあり知っている人しか目の前の道路を通らない。

死んだような目でボケっと店内の出入り口のドアを見つめていた。

この店のオーナーだか店長だかのオバサンは、「ちょっとそこまで」と行ったきり、井戸端会議が忙しく帰って来ない。

「あなたも自分の雑貨を置きたいなら置いても良いのよ?」と言われたがスペースを開けてくれる事はしてくれず、もう諦めている。

雑貨は海が近いからか海に関するインテリア雑貨から謎の砂のような物まで、ごちゃごちゃと置いてある。

謎の砂というのはオリヴィアが勝手に思い込んでいるだけだが、昔からある子供向けのお土産として置いてありそうな見た目をしていた。

謎の砂は一応、三年に一回は売れるらしい。在庫が減らないように見えて一個は減る。

不思議と買う人がいるのだから、ここに置いてあるのだろうとオリヴィアは思っている。

それにしても客が来ない。

謎の砂を買い求める人が現れても良いのに、その砂を買う客まで現れないとは…。

お金を稼がなきゃならないのにこれじゃあ稼ぎどころではなさそうだ。夫が亡くなり途方に暮れていた時、この店を見つけ店の前を掃除していた店主に、張り紙を見ている所を捕まり「いいの、いいの、気にしないで!困っている時はお互い様よ」と甘い言葉をささやかれ、いざこの店で働いてきたが忙しい時はお土産を買いに来る客が二、三人。

騙されたと最初は思ったが今ではボランティアだと思っている。

一応、お給料はだいぶ少ないが貰っている。

だから文句はあまり言えないのだ。個人経営であるのも、オリヴィアが失敗した要因の一つだと、今では思う。

子供はまだ幼いのに、夫が早くに亡くなり、心の支えが必要だった。

しかし現実はそう甘くない。

オリヴィアはここで働きだした事を後悔しているが、辞められないでいる。




店が暇だと余計な事を考えてしまう。

子供の事、夫の事、家事の事など…。

余計な顔まで思い出してしまう。

この間、会ったばかりのマロンイヌの獣人男性の事だ。

彼も妻を亡くし子供と二人暮らしで生活が大変らしく、家事がままならないと話していたのを、オリヴィアは思い出していた。

そして、亡き夫の事も…。

“どこもかしこも大変なのね”

息子は母の気持ちなんて知らず、あの男性から貰ったおもちゃをとっても気に入り男性自体も好きなようだった。

おもちゃをくれたという事を抜いても息子はあの男性に懐いた。

笑顔で「パパ」と言ってしまう事もあった。

あの男性の飲み物を欲しがった事もあり、オータムが同じジュースを作ってくれたが、料金はあの男性が支払った。

オータムはサービスだからお金はいらないと、言ったのにも関わらず男性は財布からお金を出した。

「オータムさんだって商売なんですから、気にしないで下さい」と言っていた言葉は、変な意味がない様に聞こえた。

オリヴィアは“自分だって商売人で生活が大変だと言っていたのに…”と思ったが口には出さず、様子を窺っていた。

あの男性と一緒にいると亡き夫の事を常に思い出してしまう。

いなくなってしまったのが信じられずいつだってひょっこり自分の元へ現れる気がしてならない。

夫とは恋愛結婚だった。

子供も授かり、幸せな結婚生活だった。

『これから子供も成長してもっと大変になってくると思うけど、おまえとなら長い間一緒に頑張れるな』と言っていた夫の笑顔が脳裏に焼き付いて離れない。

夫の笑顔、ぬくもり、声、その存在全てが一瞬で失ってしまった。

声をかけることも子供の成長を一緒に喜ぶことも出来なくなってしまった。

なんて早すぎる別れなのだろう…。

オリヴィアは目に涙を溜めたが気にせずそれを頬に流した。

泣きたい時に泣けないのは、あまりにも辛い。

とくに生活していくのが忙しく子供の前では泣けないからか、こうして一人の時に泣くしかなかった。

「バカなあの人。死んだら一緒に居られないのよ。子供の成長も、あなたがいなきゃ一緒に見守れないじゃない!もう!」

片手で顔を覆い俯いて思いっきり涙を流した。




一方、マロンイヌの男性ことジョンは、ルージュ市の端っこで【トイショップ マロン】という店名の店で働いている。

ここは自分の店であり店名のマロンは、自身の種族名から取った。

そしてなによりその店名にしたのは、今は亡き妻である。

その時、自身の店の名前を考えたから意見が欲しと妻に聞いた時だった。

自分の考えた店名でどうか?との答えが『店名なんて、そんなの分かりやすいのが一番よ。子供向けなら特にね。【トイショップ わんわん】とか【おもちゃ屋 マロン】とかね』だった。

それで【トイショップ マロン】になった。

ちなみに、没になった店名は【Toy shop RAINBOW HOUSE】である。

様々なオモチャを販売するという意味で、虹のようなカラフルな感じをイメージして虹、おもちゃの家というイメージで家と、虹色の家という意味を込めた。

妻に『意味は悪くないかも知れないけど、アーテル語で書かれているとか、読みやすい言葉を使った方が良いわよ。マロンイヌのおじさんがお店にいるおもちゃ屋さんという方が子供は覚えるわよ』とも言われた為、素直に従う事にして【トイショップ マロン】という店名に決定した。

経営者である自分と妻、それと別の人で店は経営していた。

それが今、妻がいなくなり代わりがいない。

休みは一日貰い、息子との時間にあてている。

今までは平日だったが、妻が亡くなってからは、一緒に働く人が気を利かせてくれ学校が休みである休日が二日あるうち、一日だけ休みをもらっている。

そんな中ジョンはふとした瞬間、この間のマロンイヌの女性の事を考えていた。

妻が亡くなったからと言って恋心が消えた訳ではない。

妻の事はとても大事だったし、愛している。

今でも妻が一番だと考えている。

ただし、寂しさを埋めてくれる存在も恋しかった。

よく、男性が妻を亡くすとダメになりやすいとは聞いた。

色々な面でガタが来るのだ。

ジョンのインターネットで繋がっている友達も、妻に先立たれ一気に老け込んだという。それでこれではダメだと思いなんとか気を紛らわそうと、インターネットで「妻に先立たれた夫の会」という所へ登録して、会話する相手を探していたと言っていた。

『長年連れ添うはずだった女房が急にいなくなっちまってなんだか失意のどん底にいるみたいだ』と、その友人は言っていた。

ジョンも同じ想いだった。

仕事があるし子供もいるから頑張らなくては!と気合を入れて生きているが、ふとした瞬間、このまま命を失っても構わないと思うのだと、相手に話をした。

そんな姿を子供に見せられないから、今なんとか生きているんだ、とも話したがそれは自分へ向けての励ましの言葉でもあった。

そんな世界に希望は現れた。

その希望こそ、この間会ったマロンイヌの女性だった。

正直、彼女のたくましさを羨ましく思えた。

彼女も彼女で、亡き夫に対して思いを抱えているはずなのにとても強く見えた。

その姿は自分をより情けない男だと思わせた。

このままでは恥ずかしい、彼女のように強く生きなければと思ったのだ。

ジョンは女性の扱いが上手くなかった。

まず、自分の事ばかり喋ってしまう。それからダンスが下手だった。

ダンスが下手という事は、エスコートが下手という事だ。

喋りが下手だった為、誘い文句も、もちろん下手である。

デートコースはドライブでカーラジオ流しっぱなしで、沢山の流行りの曲を聞いた。

話題作りに丁度良いと思っていたのだが、古い曲の方が好きな彼女に振られ、色々な話をしたいという人に振られた。

そこを寛容に受け入れてくれたのが妻で、手綱を弾いてくれていた。

やっと手に入れた幸せだった。

ドライブでラジオを聞いて、たまに古い曲もかけて、ダンスでは妻に恥をかかせないようにと、言われた為、ぎこちないがエスコート出来るようになった。

妻相手ならお喋りも上手になり、店で働くようになっても、妻の存在があったからこそやって行けたように思う。

朗らかで優しく誉め上手。

たまに失敗したり、へたっぴな所も可愛い妻。

その面影が、あの女性にはチラホラしている。

「はぁ、かわいらしい人だったなぁ」

思わず口に出してしまったが、今現在、店は暇で一人だった。

その時、店の電話が鳴り、あわてて受話器を取ると、ジョンは仕事モードで対応した。

「えっと、その、ジョンさん…でよろしいのかしら?」

「えぇ、私がジョンです」

「ジョンさん、あの、その、お店は忙しいの?私、オリヴィアです、あの、オータムさんのジュースショップでお会いしたの覚えてらっしゃるかしら?」

「オリヴィアさん、えぇ、覚えていますよ、この間はどうも」

「あぁ、良かった。そちらはトイショップでしたよね。あの後、息子がおもちゃを気に入って、今度はジョンさんのお店に伺いたいと思っているの。今度、息子を連れてっても良いかしら?」

「えぇ!それはもう、大歓迎です!是非いらして下さい!お待ちしていますよ」

「あの、あなたのお休みはいつかしら?」

「私は、二日間の休日のうちの一日と、平日の一日です」

「そう」

「オリヴィアさんは、お休みいつなんですか?」

「私は、平日よ」

「そうですか、それでご用件は?」

「あっ、やだっ、用件は特にないの。ごめんなさい、今、うちの店があまりにも暇で、その、あれよ!その、あの、亡くなった夫との事を思い出しちゃうから、なんだか誰かに話を聞いてもらいたくて。その、あー、ついね、そう、ついつい、その、この間貰った名刺に書いてあったお店の電話に、あら、その、忙しいわよね、ごめんなさい、もう切るわ!」

「オリヴィアさん、落ち着いて!あの、嬉しいです。でも、これは店の電話なので、今、かけなおしますね。オリヴィアさんの携帯電話の方でよろしいですか?」

「えぇ、あっ、そうね、そうしてもらえるとありがたいわ」

「では、かけなおします」

「はい」

そこで通話は切れて、ジョンは自分の携帯電話から、この間聞いたばかりのオリヴィアの携帯電話の番号を探しかけなおした。

オリヴィアから電話が来るとは思っていなかった。

ビックリした半面、嬉しかったせいで変なテンションになってしまう。

オリヴィアは夫の事をジョンに話した。

毎日がピンク色のような日々だった事、夫と行ったデート、初めてのドライブで海辺を走った事、そしてキスの事。

何かも懐かしく色褪せずに記憶の一部として残っている事…。

その事を全て話した。

ジョンは、うなずくだけうなずいて、オリヴィアの言葉を聞いていた。

なぜだか自分がオリヴィアとデートしている気分だった。

大好きで大切な人の記憶…。

それはジョンに対しても同じであった。

亡くなった人への思いと癒えない悲しみ。

二人の大きな共通点だ。

オリヴィアはふと、電話口で「寂しい」と口にした。

それはジョンに向かって言われている気もしたが、亡くなった夫への素直な気持ちだろうと思い直し、ジョンは目を閉じた。

「ジョンさん、私、とても寂しいわ。なぜか分からないけど、ジョンさんと一緒にいた時、常に夫の事を思い出していたの…。なぜ彼は私を置いて先に天国へ旅立ってしまったのかしら?ジョンさん、私、夫に会いたい。こんな事いうの、変だけど、私はあなたにも会いたいわ。夫を思い出せるもの、夫と一緒にいるみたいだもの。あなたに会いたいわ」

「オリヴィアさん、悲しいけど、私はあなたの夫じゃありません。私に会いたいのは、あなたの夫の事を思い出すからですよね。私だってあなたに妻の面影を探しています。私達はそうやって、相手に亡くなったパートナーの面影を探しているだけですよ」

残酷だがその事に気付いてしまった。

そして口に出してしまった。

気付いた時は遅かった。

しまった!と思ったが、修復は不可能と思えた。

「…私達、お互いに同じ事考えていたのね。不思議」

「オリヴィアさん…」

「ジョンさん、やっぱりあなたに会いたいわ。ごめんなさい!とても勝手だけど、会いたい気持ちは抑えきれなくて」

「…寂しさから、人は恋しがります。誰かを探すんですよ。昔、妻がそんな事を言っていました。寂しさは、人と人を繋ぐ為に存在しているものだから、あらがっちゃいけないそうです。私も妻にそう言われてからは、あまり寂しさを我慢しなくなりまし。。けど、その妻はもう居ないんですけどね」

「…あなたも寂しがり屋さんなの?夫もだわ、似てるのね」

「あなたもですね、だから惹かれ合った…。寂しさを埋めるために…。悪い事ではありませんね。これは、何かの縁でしょうか?とても不思議な気分です」

「私もよ」

「分かりました、今度時間を作ります。四人で会いますか?それとも二人で会いますか?」

「二人が良いわ。海辺であなたともう一度会いたい」

「分かりました」

詳しい日時などは後日話すことにして、その日は電話を切った。

ジョンは一旦、目を瞑り頭の中をクリアにしてから携帯電話をポケットにしまった。

感情がコントロール出来なくなっている。

それはお互い様のようだ。

大切なパートナーを失い穴が開いてしまって、早くその穴を埋めたいようだ。

理性というのは簡単に外れるよう出来ているらしい。

寂しさという物は随分と厄介者なんだとジョンは思った。




いつもの店で、ブチウサギギの獣人女性、オータムは、店番しながら妹と話していた。

話題は「オリヴィアとジョン」についてだ。

「私は夫と離婚した身だけど、彼女達はそうじゃないし想像でしか言えないけど、多分私達が思っている以上に辛いのよね」

「でもいつかは乗り越えなきゃいけないんじゃないかって、私は思うわよ」

「でも、やっぱり、そのなんていうか…」

「姉さんは優しいからねー」

「でも、亡くなったのよ。数年しか経ってないとか、その」

「でも、好きになる事はいけない事じゃない。どうすることも出来ないわよ」

「寂しさを埋めたいだけみたいな所があって…」

「理由なんて良いのよ。そんなの考えたって無駄よ。好きならもう、なにも考えられなくなる時だってあるわ。冷静さを失っちゃうのよ」

「そうなのかしら?」

「まぁ、私の場合は結構そういう部分はあるかもね。まぁとにかく、暖かく見守ってあげましょうよ」

「そうね、ここでごちゃごちゃ言っていても仕方ないわよね」

「そうそう、二人の行方は二人次第よ」

オータムは目を閉じて気持ちを切り替えた。




何日か経ち、オリヴィアは海辺にあるオータムのジュース屋さんの所でジョンを待っていた。

子供はオータムが面倒見てくれるというので、そのままオータムの所にいてもらっている。

今日はこの間同様、オータムの店の後ろにレジャーシートを敷き、子供はそこで遊んでいる。

しばらくしてジョンが現れると、二人はその場を離れ、海の方へ向かった。

海水浴シーズンではない海は人気が無く静かだった。

浜辺を歩き、砂に足を取られる為、二人はおっとっと、あららと言いながら歩いた。

途中、オータムが転びそうになった為、ジョンが手を掴み、オータムを支えた。

「いやー、海なんて、良いけど砂浜は足が取られて歩きにくいですね」

「ビーチサンダルで歩く理由が分かったわ」

「慣れれば良いのかもしれませんがね。ほらよく、散歩とかするシーンあるじゃないですか。あぁやって普通に歩けるんだと思いました」

「私も」

「なんだか、全然歩いてないのに、靴の中が砂まみれですよ」

「そうね。足裏がなんだかじゃりじゃりしてるわ。でも、楽しい。普段子供を見てなきゃならないから、子供の方ばかり目が言って景色を楽しめなかったから、いい気分転換だわ」

「そうですか。気分転換が出来ているなら良かった」

「ジョンさんは?」

「えぇ、私も楽しいです」

「よかった、私ばかり楽しんでいたらどうしようかと思っていたの」

「寂しいと楽しいという感情は、随分罪な感情ですね。お相手により、自分が楽しいだけでもダメ、寂しいだけでもダメですね。こうして気持ちを共有出来るのが良いですね。お互い同じ気持ちってやつです」

「無理しないでいられるのが良いわ」

「それが一番ですよ」

「ジョンさん、再び恋をするには、次はどんなお相手が良いですか?」

「どうしたんですか?急に」

「なんかね。私、恋をもう一度してみようかっていう気分になる事が最近多くて」

「そうですか」

「それでね、相手はどんな人が良いかしらー?と思って」

「そうでしたか、そうだなー。私はやはり妻に似た女性が良いですね。朗らかで優しくて、時におっちょこちょいで、なんだか一緒に居て、気が休まるし、居心地の良い相手…、といった感じの方が良いですね」

「…私も、夫に似た人が良いです」

「どんな方ですか?」

「ドライブが好きで、よくドライブへ行きました、カーラジオを聞いて、二人で無言でいても、全く気にならず、むしろその瞬間さえ、とても大事な時間でした。彼もデートプランが下手でダンスが苦手で、学生の頃はダンスに参加出来なかったそうです。相手に恥をかかせるからと」

「どこかで聞いたような方ですね」

「あなたにとても似ているのだと思います。だからこそ、私はあなたと夫を重ねて見てしまいます」

「…困ったな、私もですよ」

「夫と結婚して、もう恋は卒業だと思っていました、それなのにこんなことになって…なんだか戸惑っています」

「それは私だって同じです。妻を亡くし、どん底にいました。けど、あなたと出会ってしまって、再び心がざわついています」

「どうして、こう、誰かのぬくもりを求めてしまうのかしら?親だったり、友人だったり、恋人だったり…」

「結婚相手だったり…?」

「誰か、大切な人、恋人や結婚相手、そういう人が亡くなったら、新たな恋をするのは罪なのかしら?忘れなくても良いと思うけど、会いたいと強く願うけど、もう会えないんだもの。寂しくて悲しいわ。だからその気持ちを埋めてあげたい」

「私は、誰かを好きになる事も嫌いになる事も悪い事ではないと思います。誰だって他の人を好きになったり嫌いになったりします。それが生きている者の感情だからです。なにも罪はおかしてないと思いますよ。だって、そんなの法律には書いてありませんから、それにこの国は結構な自由な国です。いろんな方が住んでいます。いけない恋に心奪われている人もいるだろうし、色々な恋を楽しんでいると思いますよ」

「じゃあ、私のこの気持ちも罪じゃないのかしら?」

「どの辺が罪だと?」

「夫の事を考えてしまって」

「旦那さんはなんて?」

「聞いても答えてくれません」

「私も妻に申し訳ない気持ちで一杯です。でも、誰かを好きになってしまったら、そう簡単にその気持ちを捨てる事は出来ません。出来ないからこそ悩みます。でも、悩んで正解だと思います。悩みますよ、そりゃ、沢山悩んで結論を出そうと焦ります。でも、必ず好きな人の事を考えてしまいます。手をつなぎたいとか、デートしたいとか、妻とはもう出来ないことを、もう一度体験したくて、あの気持ちに浸りたくて、そっちに感情が移ってしまいます。それだけその人も魅力的なんですよ、妻と同じくらいに」

「私の気持ちが罪なら私は逮捕されちゃうわね、そうよね、私もその事に同感だわ」

「恋に…いや誰かを想う事は罪ではありません、どうしようもない感情です」

「あの人はもう居ないから触れられないし、声も聞けないのね。寂しさから常にそう考えてしまうわ。けど、同時に別の人の事も考えてしまうの。まだ、会って間もないんだけど、なんだか心惹かれてしまうの。ずっと一緒に居たいって思ってしまうのよ」

「オリヴィアさん」

「誰かと手をつなぐって良いわね。寂しさが紛れるわ、でも嫌いな人とは勘弁よ」

「私もですよ」

「二人共さっきから同じ事しか言わないわね、なんだかおかしい」

「気が合うのでしょうか?」

「例えば?」

「大切なパートナーを亡くしたにもかかわらず、他の誰かに目を奪われてしまっているとか、その事で悩んでも答えが出てこないとか、出てきてもそれが罪な事と捉えてしまうとか、なぜだか共感出来てしまうとか…、そんな感じでしょうか?」

「そうですか、えっと、それはあなたと私は同じことを考えているって事かしら?」

「もしかしたらそうかも知れません」

「そう、あなたもそうかも知れないのね」

二人は黙ってしまった。

波がゆっくりと砂浜の所で行ったり来たりを繰り返している。

さざ波音が心地よく耳に入ってくるが、二人にはその音が届いても、波の音を聞くより心臓の音と思考回路が慌ただしく動いている。

カップルならキスぐらいしても良さそうな雰囲気だ。

しかし二人はカップルでも何でもない。

お互いに気持ちがあるようだがそれを言葉にすることは躊躇している。

「オリヴィアさん、そろそろ帰りますか?」

「…そうね、そろそろそんな時間よね」

二人は歩き出したが手を解こうとは思えなかった。

砂浜を歩くのが困難だからという理由だけでは無くなっていた。

二人はずっと手を繋いでいたいと思ったからそうしていただけである。




家に帰ったらいつもの日常に戻っていた。

それでも時より海での事を二人は思い出していた。

恋はもうしない。パートナーと出会えた幸せと共に残りの人生を歩んでいくと決めたあの日。

それが今は、また新たな恋に心を動かされていた。

久しぶりに誰かを好きになるという感覚…。

忘れていたトキメキ…。

今日は少年や少女に戻ったように恋に対して罪では?これはいけない事では?と考えていた。

それでも手をつなぎ、もっと抱きしめて欲しいとか、キスをしたいとか…、そんな感情が心の中に芽生えていた。

ふと誰かの気配に相手の名前を呼んでしまいそうになり、ハッと気付きその名前をどこかにしまいこみ、現実に戻った。

作り笑いをしてみたり、頭を振って忘れようとしたり、顔に手を当てて「あぁ、違う」と小さく呟いてみたり…。

何とかして一日の残りを乗り切った。

次の日からは、少しずつデートの余韻が消えて、普通の生活に戻って行った。

しばらくして、オリヴィアから再び連絡が来た。

今度は子供達も連れて四人で会わないか?という内容だった。

それならと了承し、ジョンは息子にその事を話した。

息子も喜びオリヴィアとジョンは再び会う事が決まった。

日時や場所はまた別の日に決める形になり、オリヴィアもジョンも連絡を取り合うのが楽しみになった。




運命の日が決まり、場所はカジュアルな子を連れて入れるレストランに決まった。

軽く食事をしようという事になった。

その日までオリヴィアは久しぶりにオシャレできるとウキウキしていた。

子供がいると、カジュアルな服装が多くなるが、こういう日は許されるだろう。

子供にもオシャレさせようと安くてもオシャレな服が買えるところで子供服を買って、自分も久々に服を買い、買った服を家で鏡の前で自分の体に合わせたりタンスにしまっても頭の中ではそれを着てレストランで食事している自分を想像しては、にやにやしていた。

一方、ジョンの方もタンスにしまわれていたお気に入りの服が着られるか試しに着てみたりして、その姿を見た子供に「珍しくオシャレしてる」と言われてしまった。

僕もなんかオシャレした方が良い?と聞かれ、そうだな、カジュアルではあるがレストランへ行くからな、ちょっといい服を着た方が良いかもなと答えた。




待ちに待った四人で会う日、オリヴィアは自身も子供もオシャレして待ち合わせ場所に着いた。

待ち合わせ場所にはすでにジョンは来ていた。

「オリヴィアさん、久しぶりです」

「ジョンさん、お久しぶりです」

親が挨拶すると、横にいる子供も挨拶し、四人はレストランへ入った。

子供が沢山、ワイワイしている声が店内に響いている。

どうやら店内に子連れグループが来ているらしい。

ちょっとカジュアルにしすぎたかな?とジョンは思ったが、オリヴィアは気にしていなかった。

席に案内され、四人は席に座った。

メニューを見て、お互いどの料理にするか話し合ったあと、店員にメニューを注文し食事が運ばれるのを待った。

子供同士がすんなり仲良くなり、二人は安堵した。

数回しか会っていないのにも関わらず子供同士の方がごちゃごちゃした気持ちが無い分、仲良くなりやすいらしい。

すでに楽しそうに笑っている。

小学生と赤ちゃんという年齢さだが子の面倒見てくれるのはありがたった。

ジョンが「ケンは、実の所、一緒に遊べる弟が欲しかったんですよ」

「そうなんですか?」

「えぇ、だからティモシー君に会うのをすごい楽しみにしていたんですよ」

「へぇ!」

「ケンの楽しそうな顔が見られたのが、すごい嬉しいです」

「私もよ」

二人は微笑み合い、幸せな雰囲気が漂った。

食事が来てからも、四人は本当の家族のような雰囲気を醸し出しながら、幸せで楽しそうに食事をしている。

オリヴィアはふと、このままこの四人で楽しい時間が増えたら良いと考えていた。

夫がいた時のように場の雰囲気が明るく楽しくなる。

そして暖かい気持ちが心に広がる。

それがオリヴィアは心地よかった。

ジョンも同じで、ぽっかり穴が開いていた場所に修復が入ったかのように感じる。

妻に申し訳ないという気持ちと、もっとオリヴィアと仲良くなりたいという気持ちが葛藤しているが、オリヴィアといるとどんどんオリヴィアが優勢になってくる。

ジョンからしてみればオリヴィアの気持ちが分からない以上、下手に動けない。

しかし、オリヴィアは食事が終わった後、ジョンに対して

「今日はごちそうさま、ジョンさん、あの、こんなお願いして良いのか分からないけど、もっとあなたとケン君に会いたいわ、あなた達はどうなのか聞かせてくれないかしら?」

「私達ですか?」

そこでケンが「僕はもっとティムに会いたい。もちろんオリヴィアさんにも」

「そうか、あの、息子もこう言っていますし、私も同じ気持ちです。もっと四人で会いましょう」

「嬉しい、ありがとうケン君」

「うん、ティム、また遊ぼうな!」

「うん!」

「ティムって呼んでくれるのね」

「あっ、ごめんなさい」

「いえ、良いのよ、嬉しいわ」

ティムとはティモシーという名の人に対する、仲が良い相手に対しての呼び名である。

オリヴィアはそれがとても嬉しかった。

二人がそれだけ仲良くなった証拠である。

四人は軽く雑談した後、別れて帰路に向かった。

オリヴィアの心にはジョンがどんどん入ってくる。

本当にこれで良いのかとも思うが、燃え上がる気持ちは抑えきれなかった。

“女は生涯、恋に燃えるのかしら?”

その時、息子から「ママ、ケンくんとは、いちゅあう?」と聞かれた。

「そうね、今度はいつ会おうかしら?」

「あした!」

「明日はさすがに無理よ」

「えー?」

「そうね、ジョンさんとお話してみないと、次はいつ会うか分からないわ」

「はやくあいたい、いっちょににあしょびたい」

「分かった、ジョンさんに話しておくわ」

「うん」

子供がそんな風に言うのは、それだけ楽しかったという事だろう。常にニコニコしてくれているのは、とても嬉しかった。

「パパ、パパ」と泣く子に、どうしたら良いのか分からない日が多々あった。

そんな中、笑顔で楽しそうにしている姿を見て、気持ちが楽になった。

「ママ、ケンくんのパパはしゅき?」

「えぇ、好きよ」

「ぼくも!ケンくんのパパが、ぼくのパパになっちぇくれたら、いいにゃー、ぼくのパパいにゃくにゃっちゃったから」

「いなくなったわけじゃないんだけど…そうね、パパ、いなくなっちゃったように思えるわよね」

今日は息子が良く喋っている。

元々、あんまりお喋りが得意な方じゃないが、夫が亡くなってからは今までよりさらに口数が減っていた。

子供は子供なりに何か感じ取っていたようだ。

子供は素直に感情を出しやすい。

とくにティモシーくらいの子は純粋で、感情をそのまま表現する。

口数が多いという事はそれだけジョンの息子、ケンの存在が大きいからだ。

一生懸命、喋りたくてしょうがないのだろう。

興奮冷めやらずというのが、ひしひしとオリヴィアに伝わってきた。




家に帰ると、ティモシーは直ぐに眠りについた。

遊び疲れのようにオリヴィアは捉えた。

あんなにはしゃいでいたのだ。無理もないと思え、そのまま寝かせておくことにした。

オリヴィアは一人、趣味である小物作りをしようと、それに使う物が入っている入れ物を取り、手元に置いた。

リビングのソファーに息子が寝ている為、その近くに座り、入れ物の中から編み棒と毛糸を取り出し、小物作りを始めた。

指を動かしていると余計な事を考えなくて済む。

冷静さを取り戻し、ふと顔を上げた。

「このまま、あの人と会うには、自分の気持ちにハッキリと向き合わなきゃね」

自分の心には、もうジョンに対する気持ちが広がり過ぎている。

ジョンの気持ちは分からないが自分の気持ちは否定すれば否定するほど心が熱くなるのを感じていた。

「もう後戻りは出来ないわね。後悔しないように進まなきゃ」

息子の思い、ジョンやケンの気持ち、そして自分の思いと気持ち。

その事に向き合っていかなくてはいけない時期に来たらしい。

オリヴィアは決心することに決めたのだ。

「いつまでも先に進まないなんて、私らしくないわ。」

オリヴィアは、今度ジョンに会うその時は、正式に恋する女としてジョンに会う事を決めた。

夫ももちろん大事な存在である。

でも、誰かを好きになる気持ちも間違った選択をしている訳ではない。

大人同士の恋愛は子供より複雑になりやすいのである。

それだけ生きて、色々な経験をしてきたからこそ、臆病になってしまったりする。

なかなか進展しない恋があったり、パートナーがいるのに別の人とくっついてみたり…。

大人だからこそ、色々悩んだりしてしまう。

ただ純粋に「誰かが好き」だけでは行動出来ないのだ。

傷つき、悩み、経験豊富な人生を送ってきたからこそ、オリヴィアはごちゃごちゃと悩んだ。

それでも前に進みたいと思えたのも事実である。

オリヴィアはすやすやと眠る子供の顔を見て、「ジョンさんがパパになってくれたら嬉しいわね、ママもそう思うわ」と小さい声で囁いた。


              第三話 終わり

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