第22話 犯人とは
脱出には見事失敗し、俺はベッドに逆戻りさせられた。持ってきたココアを渡されたが、湯気の出るそれをなかなか飲めずにいた。
毒は入れてないと、渡された時に言われた。でも本当かどうか分からない。
だから一人になっても、見つめるだけで口をつける勇気が出なかった。
「……どうして」
まさか、こんなところで再会することになるとは。まだ信じられない。夢だったらいいのに。そう現実逃避するぐらい、予想だにしていなかった相手だった。
「……こんなこと、している場合じゃない」
落ち着いてココアを飲む時間なんて、俺にはなかった。とにかくここにはいられない。それだけ考えた。
「鍵は開いてるはず」
かけている様子はなかった。部屋を出て、後は外に出られる場所を探す。早く早く。
俺は力が抜けそうになる足に鞭打って、なんとか歩いた。
でも扉に行く前に、また向こうから開いてしまう。
「何してるの、まったくもう」
部屋の真ん中で固まる俺に、まるで子供が悪い事をしたかのように表情を浮かべる。
俺は蛇に睨まれた蛙みたいに、相手を見つめたまま動けない。
見られたくない。一緒の空間にいると息が苦しくなる。消えてしまいたい。
そう願っている俺に対し、笑いながら近づいてきた。
「あーあ、せっかく淹れたのに冷めちゃったね。ココア」
その途中、テーブルに置かれたカップを目ざとく見つけられる。俺はいたたまれなくなって、自分で自分の体を抱きしめる。
怖い。怖くてたまらない。
震えが止まらず、俺は泣きそうだった。
「そんな顔しないでよ。まるで僕がいじめているみたいじゃないか」
いつの間にか目の前に立たれ、頬に手が添えられた。優しい手つきだ。でも怖さは増していく。
何を考えているか全く分からない。ずっと分からなかった。
こんなことは言いたくないけど、人生で一番苦手な相手。ずっとずっと避けていた。
そして俺の罪。
「久しぶりだね、兄さん」
「――
何年かぶりに名前を呼ぶと、弟はにっこりと笑みを深めた。
♢♢♢
俺には五歳下の弟がいた。
名前は継成。産まれた時は嬉しくて、猫可愛がりした。ふにゃふにゃと頼りない体に、ミルクの匂い。俺が守らなきゃって思った。思っていたはずだった。
俺の家は、どちらかというと富裕層の位置にいた。父親は会社を経営していて、何も無ければ跡継ぎは俺に決まっていた。継成は補佐として、一緒に経営をしていく予定だった。
でも、継成が神童と呼べるレベルで賢かったため、その予定が崩れる。
小学生に入る前から、すでに大学で教わるような内容を理解し、分野問わず全てのことが簡単に出来た。
すぐに俺と同じぐらい、いやあっという間に追い抜かれてしまった。
跡継ぎが俺のままでいいか考え直す必要があると、徐々に声があがった。俺に擦り寄っていた人も、継成の元へ行くようになった。
決定的だったのは、父親の言葉だ。
「継成が先に生まれていれば良かった」
直接ではないが、そう言っているのを偶然聞いてしまい、俺の中で何かが崩れた。
これが原因で、俺はグレて夜の街で暴れるようになったのだ。
継成を恨みたい気持ちはあった。継成がいなければ、こんな風にはならなかったと何度も思った。
でもそれ以上に、継成が可愛かった。大事な弟だった。
だからどこにもぶつけられなかった鬱憤を、暴れることで晴らした。
それから佳人や筑紫、四万や榛原と出会い一緒に行動するようになった。
俺をただの俺として見てくれる、そんな空間が居心地よかった。
特に榛原は、どこか弟の代わりとして可愛がっていた。継成を普通に可愛がってやれなかった分、全てを榛原に注いだ。
家には一応帰った。でも夜遅く帰って、朝早く出て、誰とも会わないように気をつけた。
顔を合わせれば、絶対に小言を言われる。品行方正ではなくなった俺を、すでに見放しているはずだから、決定的な言葉をかけられたくなかったのかもしれない。つまり逃げていたのだ。
跡継ぎになるための勉強も、全てを放置して外で暴れ回る俺のことを、おそらく周囲は馬鹿にしていたはずだ。
継成ほどの才能も持たず、ついにはおかしくなった。
でもこれで継成が跡継ぎになれると、みんな喜んだだろう。俺はどこまでも平凡で、なんの取り柄もなかったのだから。
こうして父親や継成を避けての生活が何ヶ月も続いた頃、家に帰ると継成が暗がりの中で待っていた。
誰も起こさないように忍び足で移動していた俺は、驚いて飛び跳ねた。声が出なかったのが不思議なぐらいだ。
「っ、驚かすなよ」
「おかえり、兄さん」
「……なんでこんな暗い場所にいたんだ。電気ぐらいつければいいだろ。何してたんだよ」
「ただいまって言ってくれないの?」
継成と顔を合わせるのが気まずくて、俺は早く部屋に行きたかった。それなのに話しかけられ、無視することも出来ずに相手をしてしまう。
おかえりと言われても、素直にただいまなんて返せなかった。たかが挨拶ぐらい、そう思われるかもしれないが俺には無理だった。
何も言わない俺に、継成が近づいてくる。電気をつけていないせいで、その表情は読めなかった。
後ずさりすると、すぐに背中が壁に当たってしまう。逃げる場所は無い。
「どうして逃げるの、兄さん」
継成は俺の顔の横に手をついた。まるで壁ドンされているようだ。まったくときめきなんて感じない。ただただ恐怖だった。
「は、なれろよ」
強く拒否できない。俺は胸を手で押すが、力が入っていないので、すがりついているようだった。
継成はふっと笑う。吐息がかかった。俺は呼吸さえも出来なくなる。
「僕はね、兄さんが好きだよ。兄さんが僕に劣等感を抱いているのは知ってる。僕なんか見たくないでしょ。死んでほしいって思ってるんじゃない?」
何も言えない。死んでほしいと思わないし、劣等感を抱くのは俺が弱いからだ。
言葉が出なかったのは、好きというのが家族愛に聞こえず、欲を向けられた気がしたせいである。
「兄さんには僕だけがいればいい。俺以外いらないだろ?」
その言葉にも、恐怖で何も返せなかった。
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