第21話 拉致されるという経験




 どこかでピアノの旋律が流れている。曲名は分からないが、雰囲気からしてクラシックか。

 俺はまどろみながら、その音楽に聞き入っていた。

 落ち着く。ずっと聞いていても飽きない。CDだろうか、それとも誰かが弾いている? 一体誰が?


 寝ている場合じゃないと、俺はまどろみから抜け出す。

 頭がぼんやりとする。なんだか体が痛い。特に首辺りが。触ってみると、少し盛り上がっている。まるで火傷したみたいだ。


「……スタンガンか?」


 やられたのは初めてだ。意識を失うレベルなら、外国製だろうか。そんなのを人に使って、後遺症が出たらどうするつもりだったのか。それとも、俺がどうなろうと関係ないわけか。


「……いたた、誰がこんなこと」


 考えているが、まったく心当たりがない。昔ならまだしも、今の俺は恨まれる理由なんてないと思うのだが。どこでどんな恨みを買うかなんて誰にも分からないから、知らないうちになにか仕出かした可能性もある。


「依頼も罠か。そうとも知らず、まんまと引っかかったわけだ。くそ。昔だったら気づいたのに、すっかり腑抜けたな」


 とりあえず反省するのは後だ。やっと状況を確認する余裕が出来たから、そっちを優先するべきだ。


 まず、ここはどこだ。

 目覚めたのはベッドの上。スプリングのきいた高そうなベッドで、ご丁寧に羽毛ぶとんまでかけられていた。見ただけで豪華だと分かる内装は、まだ屋敷にいると考えて間違いはないだろう。

 スタンガンを受けたところ以外に痛みは無いから、他に攻撃はされていなさそうだ。意識を失っている間は、なんでもやりたい放題だった。それなのに手を出していないのは、目的が別にあるからか。


「ベッドまでわざわざ運ぶなんて、俺をどうしたいんだよ」


 普通なら、もっと雑に扱う。だからこそ意図が読み取れない。今のところ、俺には丁寧に扱う価値があると思われている。


「……人質?」


 これまで集まった情報から推測すると、そんな考えが浮かぶ。俺が人質としての役目を務められるとは考え難いが、現にこうして手の込んだ真似をしてまで、ここに連れてきた。

 もしこの考えが当たっているとするならば、誰に対する人質かは分かってしまった。


「あいつらだよな」


 榛原、四万、筑紫、佳人。誰かまでは言えないが、敵対しているグループか会社が引き起こしたに違いない。


「……遠ざけなかったからか」


 つまり、曖昧な態度をとった俺のせいだ。毎日のようにあいつらが手伝いに来る店を、他人がどう見るのかきちんと考えなかった俺の責任。


「それなら、自分で始末つける必要があるってことだ」


 俺が拉致られたと知って、どう行動するかは未知数である。見捨てられるかもしれないし、助けに来て暴れるかもしれない。どちらにせよ、いい未来では無い。


「あいつらが動く前に、何とか脱出するか」


 大きく伸びをしてストレッチをする。寝ていた時間はそれほど長くなかったみたいで、そこまで凝り固まってなくて助かった。

 ピアノの音色はまだ聞こえている。俺が起きたのは気づかれていない。いつ様子を見にこられるか不明なので、今が逃げ出すチャンスである。


 俺はベッドから出ると、慎重に扉へ向かう。できる限り静かにしても、逆に軋んだ音を立ててしまい、そのたびにヒヤヒヤした。

 ピアノに集中して、音に気づかないでくれ。そう祈りつつ、やっと扉の前に着く。


 鍵がかかっていた時は、音を立ててもいいから壊してしまおう。

 ドアノブに手をかけた俺だったが、向こう側から開いたせいで体勢を崩してしまう。


「わっ、とと」


 中腰だったおかげで大きな怪我をせず、床にぺたっと手をつけた状態になった。ドアノブだけが支えになっていて、俺は扉を開けた主を見る。


「……え」


 それは知っている人だった。とてもよく知っている。でも信じられず、ちゃんとした言葉が出ない。

 ―嘘だ、ありえない。

 とにかく、それだけしか考えられなかった。



 ♢♢♢



 千種さんの身に危険が迫っている。

 それは確実なのに、でも何が起こるか俺はまだ分かってない。

 四万さんと一緒に守ると決めた。あの人も大事だけど、千種さんも同じぐらい大事になっているから。

 ただ、佳人さんにされた命令も背かず守っていた。どっちつかずだけど、その方が千種さんを見ていられると思った。


 それから入れ替わりで、千種さんの傍にいたのだけど、佳人さんに集合かけられたら無視できなかった。

 千種さんには気をつけるように忠告したが、警戒心がないからちゃんと聞いてくれたかどうか分からない。たぶん分かっていない気がする。


 佳人さんの話を聞きながら、俺は焦れていた。隣に立つ四万もそうだ。

 千種さんが心配でたまらない。早く顔を見なければ安心できない。佳人さんの話よりも、今は千種さんが大事だった。


「――やっと準備が出来た。今から決行する。目的地は……千種古書店」

「はっ!?」


 思わず声が出てしまった。佳人さん以外に話していなかった中で、それはとてつもなく目立った。視線がこちらに集中して、とりあえず目をそらす。

 でも頭の中はパニックで、それどころでは無かった。


 佳人さんは、今なんと言った。

 千種古書店と言ったのか。聞き間違いじゃないのか。

 千種古書店を目的地として、一体どうするつもりだ。


 俺は信じられない気持ちで、佳人さんを見た。向こうもこちらを見ていて、そして目が合うと笑われる。

 宣戦布告された。何も言われてないけど、そう感じてしまった。

 俺は拳を握りしめて、睨み返した。でも涼しい顔で流された。


「あ、あの……千種古書店に、何があるんですか?」


 そんな中、話についていけない誰かが恐る恐る聞いた。佳人さんの視線が俺からズレたおかげで、ほっと力を抜く。


「……四万さん」

「分かってる」


 名前を呼んだだけなのに、四万さんは分かってくれた。それで少し安心できた。

 きっと大丈夫。そう考えていたところで、誰かが勢いよく入ってくる。


 筑紫さんだ。姿が見えないと思っていたが、佳人さんに何か頼まれていたらしい。

 焦った様子の筑紫さんは、不穏な様子に気づかずに叫ぶ。


「おい、あいつがいねえぞ!」

「なんだって?」


 その言葉で緊急事態に気づいたのは、俺と四万さん、そして佳人さんだった。

 千種さんに何かあった。とにかくそれだけは分かった。



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