第20話 買取に行こう



 千種古書店には、店用の車がある。オンボロのワゴン車で、年式がかなり古い。もちろん、店を任された時に俺も乗れるように手配済みだ。

 単車を乗り回していた頃を思い出すと、えらい違いだった。ガタガタと今にも壊れそうな車は、メンテナンスをしていると分かっていても怖い。


「新しいのを買うって言ってもなあ、今のところはこれで足りてるし。店用の車を俺が買うのは、ちょっと違うような……」


 道の悪さがダイレクトに伝わり、痛さに顔をしかめながら呟く。


「榛原と四万に用事があって良かったなあ。絶対着いてくるって言ったはずだし。そうなったら、説得するのは骨が折れたな。でも、用事って一体なんだろう。教えてくれなかったし、なんか暗かったんだよなあ」


 この年齢になると、独り言が零れてしまう。誰もいないのに、会話みたいに話している自分がいて、年をとったと感じる。


「何も無いといいけど……あー、暗くなるな。これから客のところに行くのに、暗い感じでいったら余計に怖がらせる」


 暗い不審者よりは、明るい不審者の方がまだマシだ。……マシじゃないか?

 どちらにせよ、今さら見た目は変えられない。依頼人が怖がらなければいいと願いつつ、教えられた住所へ向かった。



 ♢♢♢



「……ここ、だよな?」


 大きな屋敷を見上げながら、俺は合っているかどうか不安になる。

 話を聞いて、ある程度大きな家を想像していたが、それを遥かに超えてきた。


「え……入って大丈夫か、これ。通報されないか?」


 セキュリティがしっかりしていそうなので、敷地内に入った瞬間、アラームが鳴り響きそうな雰囲気がある。下手に入れないから、俺は依頼人に聞いていた番号に電話をかけた。


『……はい』

「あ、もしもし。千種古書店です。出張買取で、教えられた住所にきたのですが……」

『ああ、どうぞお入りください』


 くぐもった声が電話の向こうから聞こえ、俺は愛想良く対応した。どうやら間違ってはいないようだ。


『そのまま入ってくださって構いません』

「は、はい」


 自動で門が開いていく。ハイテクに感動していると、まだ繋がっていた電話から声が聞こえた。俺はなんとなく姿勢を正して、車で中に入っていった。


 そのままでいいと言ってきたのだから、俺の姿をどこかで見ているに違いない。屋敷の窓を確認するが、それらしき人影はなかった。


「匿名希望か?」


 もしかしたら、かなり面倒な事態に巻き込まれたのかもしれない。今さら引き返すわけにいかず、俺はため息を吐く。

 切れた電話の相手。くぐもった声だったせいで、性別も不詳だった。声の高い男性、声の低い女性。どちらでもありえる。


「どうか、俺を怖がってくれるなよ」


 会う前から大変だと、俺は頭を抱えたくなるのを必死で我慢した。



 ♢♢♢



 駐車場らしき場所に車を停めて、俺は屋敷の入口に来る。重厚な扉は、たぶん高い素材で出来ている。金額にしたらいくらだろうか。

 俺ではとても払えない金額のはずだ。中に入ったら、下手に物に触れないようにしよう。


 違う意味で緊張してきて、俺はすでに疲れていた。これで鑑定が出来るか、物凄く不安になってくる。

 でも引き受けたからには、最後まで責任を持たなくては。自分に出来ることを、とにかく全力でやるだけだ。


 扉の脇にあるベルに気づき、ゆっくりと押す。鳴ったかどうか確認できず、俺は緊張しながら待った。人の気配を探ってみるが、何も感じない。

 狐に化かされているのではないか。そんな阿呆みたいな可能性が出てきて、電話すらも幻覚かと不安になってくる。


「すみませーん」


 とりあえず声をかけてみた。でも気配は無い。やはり騙されていたのだ。

 一応、扉を開けようとする。なんとなくだ。開いたらどうしようか、何も考えていなかった。そもそも鍵がかかっていると思っていたのだ。


「……うそ、だろ」


 開けてどうするんだ。中に入るのか。それこそ不法侵入になる。

 さすがに駄目だろう。閉めて、この場から立ち去ろうとした時、タイミングよく電話が鳴った。


「もしもし」

『……どうぞ中へ』

「えっ、は、はい」


 相手は依頼人で、それだけ言うと切られる。俺はスマホを持ったまま、しばらく固まった。

 本音を言うなら入りたくない。でも先に言われてしまったら、このまま帰れなくなった。


「……入るか」


 俺は息を吐いて、まるで侵入者になった気分で中に入った。



 ♢♢♢



「……どこにいるんだ?」


 広い屋敷の中を、俺はあてもなくさまよっていた。もう何分も歩いているのに、誰とも会わないのはどういうことか。ここには誰もいないのか。

 目的地が分からず、とりあえず手当り次第扉を開けようとするが、どこも鍵がかかっていた。進んでいくうちに、迷わされている錯覚に陥る。

 このまま出られなくなる。俺は屋敷に飲み込まれてしまうのだ。永遠にさまよい続けるのかもしれない。


「……なんて、馬鹿なことを考えるな」


 俺はどこまでも続く廊下を歩きながら、依頼人に電話するべきかと考えていた。すぐに電話した方が良かったけど、何故かタイミングを逃してしまった。

 向こうからかけてくると、そうなることを待っているのか。


「電話、するか。このまま歩いてても埒が明かないよな」


 もし部屋の扉が開いても、そこに依頼人がいるとは限らない。もしプライベートな空間に入ってしまったら、後でクレームがあっても弁明できない。

 俺は立ち止まって、スマホを取り出した。履歴から、すぐに依頼人の電話番号は出てくる。



「――つかまえた」


 電話をかける。ちょうどその時、後ろから抱きつかれた。耳元で囁かれた言葉を、誰が言ったのか分かる前に、体に衝撃が走った。


「ぐっ」


 衝撃とともに、意識が闇に沈んでいく。でも体を受け止められて、床に激突するのは回避された。

 俺は抱きしめられながら、目を閉じた。最後の瞬間、唇に触れた感触はいったいなんだったか。俺には分からなかった。



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