第17話 突きつけられる
「千種さんの浮気者ー」
「い、いや。浮気って、おかしいだろう」
「まさか開き直るつもり。そんな酷い人とは思わなかったー」
「だから違うって」
なんで俺は、浮気を責められているみたいな状態になっているのだろう。
佳人に胸を叩かれて、俺は落ち着けと何度も声をかける。でも佳人は止まらない。
顔が笑っているから、どう考えても楽しんでいる。完全な悪ふざけだ。ただ俺を困らせたいだけである。
そもそも、どうしてこんなことになったのか。一つ言えるとすれば、俺は全く悪くない。それだけは確かだ。
目を覚ますと、すぐ近くに筑紫の顔があった。驚いたが、なんとか叫ばずに耐えた。大きな声を出していたら起こしていただろうから、よく耐えたと自分を褒めたい。
もしかしてやましい事態が起こったか。いや、どちらも裸じゃない。筑紫はちゃんと俺が用意しておいた服を着ている。体に異変もないから、そういった間違いはなかったようだ。
俺は昨夜のことを思い出す。
確か筑紫を風呂に無理やり入らせて、待っている間に眠ってしまった。気を張って睡眠時間が少なくなっていたせいだ。
筑紫が何かしてくるのは心配していなかったが、顔を見られたらまずい。物凄くまずい。
たぶん見られてはいないと分かっていても、心臓がバクバクとうるさかった。本当に良かった。
気が緩みすぎの自分に、内心で喝を入れる。いくら眠気に襲われても、寝るべきじゃなかった。乱れていた前髪を元に戻すと、俺は起き上がろうとした。
「お?」
でも起きられなかった。腰の辺りが重くて、身を起こせないのだ。
原因は、巻き付かれた筑紫の腕だった。俺の腰をしっかりと抱き、拘束している。
起こさないように気をつけながら、腕をなんとか外そうとする。
「……力が強いな」
寝ているにしては、強い力。起きているんじゃないかと疑ったが、寝息を立てている様子は演技している感じではない。無意識に力を入れているわけだ。
どうやって外そうか。悩んでいると、筑紫から振り絞るような声が聞こえた。
「――」
それは俺の名前だ。久しぶりに呼ばれた本名に、不意打ちだったから涙が出そうになった。
ほとんど捨てたような名前なのに、呼ばれたことに嬉しさを感じてしまった。
抜け出そうとしていた体の力が抜け、俺は筑紫の頭を撫でる。
「……ごめんな」
届かない謝罪を口にして目を閉じた。
「やっほー、千種さん元気だった? 昨日は会えなくて寂しかったよ」
もう一度寝かけたところで、入口が勢いよく開けられた。入ってきたのは佳人だった。
俺は目を開け、起き上がろうとする。筑紫も大きな音に起きたようで、目を白黒とさせていた。でも腰にある手は外れない。混乱して、存在を忘れているらしい。
抱き合って寝ている男二人。
しばらく沈黙が流れて、そして佳人が叫ぶ。
「きゃー、浮気者ー!」
その言葉に、俺達は飛び起きた。
♢♢♢
とりあえず筑紫は帰した。いると拗れそうな気がしたからだ。残ると言っていたけど、無理やり返したので後で怒られるかもしれない。
たぶん、俺が誤解を招くのでは無いか心配だったのだ。信用されていない。
佳人と二人きりになり、テーブルを挟んで向かい合う。幸い、店を開けるまで時間はある。すぐに何も無かったと分かってもらえるはずだったが、どうしてか苦戦していた。
ここぞとばかりに遊ばれて、俺は翻弄されている。満足するまで終わらなそうだ。それがいつか分からない。
「ねえ、千種さん。どうして筑紫を泊めたの。一緒に寝たの」
「それは流れでたまたま」
「流れでたまたま、ねえ」
なんだろう。佳人の気配が変わった。
ピリついた空気に、俺はついていけない。
目を細めた佳人は、指先でテーブルを叩き出す。一定のリズム。それが逆に息苦しくさせた。
「遠ざけたいのか、仲良くしたいのか、どっちなの。気まぐれに餌をあげて、あとは放置。何の責任も持たない。随分都合がいいね」
「そういうつもりじゃ」
「それなら、どうして俺達を追い出さないの。ご飯を作ったり、家に泊めたりまでするの。……俺達を、捨てたくせに」
ああ、ここで突きつけられるのか。
俺の正体を知っているのだと確信させる言い方に、何も答えられなかった。
「ねえ、黙ってないで何か言ってよ。どうしていなくなった。俺達と一緒にいるのが嫌になった?」
「……ちがう」
「それならなんで。なんでだよ。帰ってくるって言ったじゃないか。ずっと待ってたのに、ずっとずっと。嘘つき」
ボロボロと、佳人の目から涙があふれて止まらない。泣かせたくない、その涙を拭ってやりたい。でも、そんな資格が俺にはない。
腕を抑え、俺は目をそらした。
「……なんのことか分からないな」
俺はなんて酷い男だ。事実を突きつけられても、知らないふりを選んだ。
でも、みんなのためにはこうするのが一番いい。そうしないと……。
「……そう、俺に話してくれないんだ。分かった。……今日は帰るね」
さすがの佳人も、俺に呆れたのだろう。涙を乱暴に腕で拭くと、立ち上がって出ていった。一度も振り返ることなく。
「……これで良かったんだ」
俺はうなだれて、しばらく動けなかった。
♢♢♢
「あーあ、どうせ俺がもう来ないとか思っているんだろうなあ」
千種古書店からの帰り道、俺は一人呟く。
千種さんは、――は分かっていない。俺がどれだけ執着しているか。簡単に手放すと思ったら大間違いである。
「そう考えているのは俺だけじゃないけどね」
突然、俺達の前から姿を消した理由。それを教えてほしかったけど、あそこまで頑なな態度になるなんて、絶対におかしい。
「もう少し自由にしてあげようかとも思ったけど、そろそろ限界かな。理由はどうであれ、拒むなんて許さない」
俺はスマホを取り出すと、電話をかけた。ワンコールで相手はすぐに出る。
「もしもし。……ああ、その件はいいから。弁明とかいらない。それよりもやってもらいたいことがある。みんなを集めろ」
要件だけ伝えると、返事を聞かずに切った。スマホの待ち受けには、――が写っている。
「全てを元通りにする時間だよ」
そう言って、画面にキスをした。
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