第16話 懐柔できるものならしたい
どうせ、俺をまた殺そうとしているのだろうな。俺は背後の殺気を、鼻歌を奏でながら無視する。気付かないふり。それに今、大事なところだ。こっちに集中したい。
フライパンの前で俺は、じっとその時を待つ。グツグツと煮込まれていくケチャップに、いつ麺を投入するか。焦げ付かないように。そこが大事。
タイミングを間違えたら、美味しさが変わってしまう。食べるなら美味しいものを。それが俺のモットーだ。
出来たら、いつでも相手にしてやる。少しだけ待ってくれ。そう心の中で言い聞かせるが、相手に届くわけがない。
ジリジリとこちらに近づく気配に、俺はどうしたものかと息を吐く。
「ケチャップのいいタイミング。そろそろだなあ。この時に麺を入れないと、焦げ付いちゃうからなあ。美味しいナポリタンが食べたい」
独り言に見せかけて、わざと大きな声で言った。そうすれば近づいていた気配が止まる。
現金だと笑いそうになる。でも笑ったら、台無しになるので我慢した。
固まっている間に、ぱぱっと作ってしまおう。また来られたら、それこそ焦げてしまう。炒め始めれば、後はそう時間がかからない。
皿に盛り付けると、俺はようやく振り返った。
「作りすぎたから、一緒に食べてくれないか。余らせるともったいないし。あ、そうだ。フォークとってくれ」
そう言えば、少し後ろにいた筑紫が素直にフォークを運びだした。
人間、空腹には勝てない。これは真理だ。
♢♢♢
「どうだ。美味かったか」
ナポリタンを食べ終えて、俺は筑紫に感想を聞く。完食しているので聞かなくても分かるが、とりあえず確認したかった。
お茶を飲んでいた筑紫は、目線をそらした。
これは言ってくれないか。別にそこまで期待していなかったから別にいい。
片付けてから話すか。食器を持ってシンクに行こうとした背中に、小さな声が聞こえる。
「……かった」
あまりにも小さかったが、俺にはしっかり伝わった。
嬉しくて口元が緩んでしまう。照れを隠しながら、早足でキッチンに行った。その後ろから筑紫がひよこみたいに、俺が持ちきれなかった食器を運んでくれる。
「さっきは殴ってごめんな」
「別に、油断した俺が悪い」
洗い物をしながら謝れば、ぶっきらぼうな返事がある。会話を続けてくれそうな気配に、俺は手を止めずに話す。
「俺も大人げなかった。仲間思いを茶化したら駄目だった。怒るのも当然だ。でも暴力は良くない」
自分のことを棚に上げつつ説教をする。なんでも力で解決できると思ったら大間違いだ。仕事をしているなら余計に、行動に気をつけなければいけない。周りに影響を与えてしまう可能性もあるのだから。
「手、止まってる」
思考を別に飛ばして、洗うのが止まっていたらしい。服の裾を引っ張られ、注意を促される。
「あ、ああ。悪い。ちょっとボーっとしてた。えっと、俺が言いたいのは……そうだな。危害を加えるつもりは無いから、そこだけでも信じてくれるとありがたい」
慌てて洗うのを再開しながら、どうにか信じてくれと頼めば、沈黙が流れる。そう簡単に受け入れてはくれないか。諦めずに、何度も説得すればいい。
「……少しでも変な真似したら、その時は容赦なく潰すからな」
決心を固めていた隣で、筑紫が呟いた。目線を向けると、不機嫌そうな顔でそらされた。顔は怖いが、それが照れ隠しだと分かる。
「ああ、潰されないように気をつけるよ」
「勘違いするな。別にお前を信用したわけじゃなくて、佳人が懐いているみたいだから保留にしとくだけだ。飽きられた時は笑ってやるからな」
「うん。それでもいい」
早口でまくし立てるところも、必死にごまかそうとしているようにしか見えない。俺はふっと笑う。洗い物もちょうど終わった。
「そうだ。デザートに食べようと思って、プリンを冷やしてあったんだ。何個か作ったから味見してくれないか?」
実は甘いものが好きなことを、俺は知っている。現にプリンという言葉に顔を輝かせているので、見ていないふりをして冷蔵庫から取り出した。
♢♢♢
こいつには、警戒心がないのか。
すやすやと寝息を立てている奴に、俺は今ならなんでも出来るチャンスだと思うが実行に移せなかった。
最初から変な男だった。
弱そうな見た目をしているくせに、生意気に意見を言ってきた。しかも何故か、榛原や四万、佳人まで懐いている。
あの人を忘れたのか。探さなきゃいけないのに、なんで。
一人、置いていかれたような気分になり、余計に奴が憎くなった。
そんな時に、ちょうど店が休みで誰も行かないという話を耳にした。
これはチャンスだ。俺はすぐに思った。奴がいるにしてもいないにしても、弱みを握れるチャンスである。変な性癖でも見つかれば、それで脅せるだろう。
まさか、またピッキングの技術を使うことになるとは。昔取得したが、もう使いたくなかったのだけど仕方ない。
絶対に、みんなの目を覚まさせてやる。そう決意して来たのにも関わらず、気絶してご飯を一緒に食べて、デザートまで食べてしまった。
その後、何故か風呂まで入る流れになり、無理やり風呂場に放り込まれた。着ていた服を洗濯されたせいで、渋々入って出てきたら、家主がぐっすりと寝ていた。
「は?」
すぐには状況が理解出来ず、とんでもなく低い声が出てしまう。声を聞いて奴が身動ぎしたので、口を手で抑えた。
待て、どうして俺が気を遣わなければならないのだ。別に起きようと構わない。いや、今こそチャンスじゃないか。
俺は、うつ伏せで寝ている奴の首元に手を伸ばした。細い首は簡単に折れそうだ。力を入れればすぐだ。
あと少し、力を入れれば。
分かっていたが、結局首から手を離した。
「……まだ、その時じゃないだけだ。殺そうと思えば、いつでも。そうだな、みんなに見放されてボロボロの時がいい」
絶望しているところに、追い打ちをかけてやる。そうなったら、一体どんな顔をするのだろう。想像しただけで、胸の奥がザワザワと騒ぐ。嫌な感じではない。むしろ快感に近い。
俺はにやりと笑うと、その隣に横たわる。隣で俺が寝ていたら、きっと驚くはずだ。
今回のところは、それぐらいで見逃してやる。
久しぶりにいい気分だった。
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