第12話 気がかりなもう一人
榛原は通常に戻ったが、これで安心とはいかなかった。
「……絶対避けてるよな」
俺は店番をしながらポツリと呟いた。
避けられている。誰に。四万に。
佳人が来るようになってから、四万の姿を見なくなった。初めは忙しいのかと思っていたが、それにしては一度も見ないのはおかしい。
あえて店に来ていないのだ。たぶん榛原と似た理由で。
佳人の存在は、それだけ影響力がある。いい意味でも悪い意味でも。
今のところ、佳人が俺に何か言ってくることはない。含み笑いをしてくるが、ただそれだけだ。不気味だが、薮をつついて蛇を出したくないので放置している。
「榛原に聞いてみるか?」
四万の様子を知るには、最適な人物だろう。ただ、素直に教えてくれるとは限らない。関係ないと言われてしまえば、それ以上深く突っ込めなくなる。
「連絡先聞いておけば良かったなあ」
最低限の繋がりを保っておきたくて、個人的に連絡先を交換しなかったのが仇となった。俺は毎日店にいるから、気まぐれに来られても対応できるとタカをくくっていた。自業自得でしかない。
「……どうしよう」
「なにか困り事?」
「っ」
悩んでいたせいで、店に人が入ってきたのも近づいていたのも気づかなかった。昔だったらありえない警戒心のなさだ。驚きながら、自分に呆れる。
うつむいていた顔を上げると、そこには佳人の姿があった。最近、ほぼ毎日のように訪れているが、仕事とか他にやることがあるんじゃないのか。
構われるのは居心地が悪い。おそらく、佳人は分かっているからこそ。どうして泳がされているのか分からない、未知の恐怖だ。
でもそれを見て見ぬふりをしている。いつ崩壊してもおかしくないのにだ。
「困っているなら相談に乗るよ。千種さんのこと助けたいし」
「いや……えっと」
「なに。俺には言えないこと?」
相談に乗ると言われたが、話すのを戸惑っていると佳人はすっと目を細めた。そうするだけで、冷たい雰囲気をまとわせる。機嫌が急降下してしまった。ちょっと迷っただけで。
何も無いと言っても、この様子では納得しない。こんなに情緒不安定だったか。もう少し大人びていたはずなのに。
それを深く追求しようとすると、俺の罪を自覚しなければいけなさそうだから止めた。代わりにへらっと軽い笑みを浮かべる。シリアスな雰囲気を出さないためわざと。
「ちょっと考えてて。そうだ。佳人さんって、四万と知り合いだよね?」
「そうだけど。四万が何かした? 内容によっては」
「違う違う。最近来ないから忙しいのかなって。連絡先知らないせいで、聞くことも出来ないっていう話」
すぐ不穏な方向に持っていきたがるので、俺は軌道修正する。納得いっていない顔をしているが、四万の安全を確保するために一歩も引かなかった。勘違いで制裁を加えられても困る。
「そんなに気になる?」
「急に来なくなったら、気になるに決まってる。もしかして仕事が忙しいとか?」
「それを知ってどうするの」
「どうするって」
「四万のこと、そんなに大事? 店の手伝いをしていただけでしょ。それとも他に理由がある?」
何もかもを見透かしたような、そんな目に居心地が悪くなる。俺が目をそらすと、くすくすと笑われる。
「気にする必要ないって。四万の代わりなら、俺がいくらでもするし」
「か、わりなんていない」
「そうだね。代わりはいない。誰の代わりも」
「……何が言いたい」
これまで俺の正体について匂わせるだけだったから、完全に油断していた。暴かれる。俺は未だに心の準備ができていなくて、震えを抑えるのに必死だった。
視界の端で、佳人が口を開くのが見えた。聞きたくない。耳を塞ぎたかったが、そんなことをできるはずもなく。
「いいよ。連絡が取れるように調整してあげる」
恐れていたのとは違った内容に、俺は一瞬固まる。望んでいた提案をスルーしかけそうになった。
「い、いいのか」
「調整するだけなら簡単だよ。でも、向こうが話したくないって言ったら、その時は諦めてね」
「……分かった」
思わぬ快諾。俺は狐につままれたような気分で、神妙に頷いた。
「心配事が無くなれば、俺に向き合ってくれるでしょ。その時にじっくりと話をしようね。色々と。もうごまかされてあげないから、そのつもりで覚悟しておいてね」
なんてことない言い方だった。聞き流しそうになったほどだ。でも、俺の頭にしっかりと刻まれて、思わず佳人を見た。
口角を上げているが、笑っていなかった。獲物を追い詰める表情だ。
息を飲んだ俺は、何も言葉を発せなかった。そらすこともできず見つめていると、手が伸びてくる。
ほっぺに触れられ、指でするりとなぞられる。背すじがゾクリと電流が走ったような感覚に襲われ、体が跳ねた。
顔が熱い。火照って、息を吐く。触られ続けたら、おかしくなってしまいそうだ。
「そんな顔しちゃ駄目だよ」
指でなぞるのを止めない佳人は、顔をとろけさせる。欲を向けられ、目が自然と潤んだ。
「悪い狼に食べられちゃうから」
その悪い狼は、佳人のことだ。頭からバリバリと食べられる。殴ってでも、この空気を破るべきか。でもそんなことをすれば、完全にバレてしまう。手遅れかもしれないが、もう少しあがきたかった。
「……ふふ、今日のところは見逃してあげる。ご馳走は最後まで取っておく主義なんだ」
漂っていた怪しい空気がパッと消えて、表面上は元に戻った。触れていた手も離れていく。無くなった体温に寂しいと感じそうになって、頭を振った。きっと気のせいだ。
「それじゃあ、ちょっとやることできたから帰るね。……その顔、他に見せたら駄目だから」
最後に俺の唇に指を押し付けると、佳人は身をひるがえして店から出ていく。一人残された俺は、座っていた椅子からずり落ちる。
「……他に見せるなって、お前にも見せたくない……ばーか」
顔が熱い。腕で隠すが、すぐには引きそうもなかった。
まだ誰も来ないでくれと願いながら、俺はしばらくその体勢のまま動けないでいた。
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