第11話 申し訳なく思っていたらしい
「千種さん、すみません」
「あ? 何のことだ?」
店で本を入れ替えていると、後ろから急に榛原が謝ってくる声が聞こえてきた。
上の段の整理をしていたせいではしごに上っていたから、俺は後ろを振り向くことが出来ずに、声だけ返事をする。
本を両手に持っているので、これをどうにかしてからじゃないと話が出来ない。
声色的に重要な話みたいだから、早く聞かなくてはと残りの本を簡単に片づけた。
「ちょっと待ってろ。今降りるから、っと、うわっ!?」
早く終わらせると決めて、焦りすぎたらしい。手から本が一冊すり抜けてしまい、俺はそれを追いかけるように動いてバランスを崩した。
ハシゴと共に倒れながら、少しでもダメージを軽減するために頭を守る。回復する間、しばらく使い物にならないかもしれないな。怪我を覚悟して目をつむる。
しかし痛みが一向に訪れない。それどころか、柔らかい感触がする。
恐る恐る目を開けると、榛原のドアップが視界いっぱいに広がり、思わず叫んだ。
「うおっ!? ビックリした」
叫んですぐ、距離が近いのは、落ちた俺を榛原が受け止めてくれたおかげだと気づく。意図せずお姫様抱っこみたいな体勢になっていて、気づいた途端恥ずかしさで逃れようともがく。
「あ、ありがとうな。助けてくれて。もう大丈夫だから下ろしてくれ」
こんな俺がお姫様抱っこをされている状況は、誰がいないとしても見苦しい。そう思って頼んでいるのに、榛原の力は逆に強くなった。
「……千種さん、このまま聞いて」
抱きしめられたまま懇願するように言われれば、俺は抵抗を止めるしかない。
「筑紫さんと、佳人さんが店に来たって聞いた。しかも一緒に出かけてるって。……俺のせいでしょ」
「いや、榛原のせいじゃ」
「俺のせいだよ。この場所が心地よくて、何もしなかった。こうなるかもしれないって分かっていたはずなのに……ごめん」
抱きしめる腕が震えていた。俺はそれに何を返そうか考えて、とりあえず榛原の頭を抱きしめる。子供扱いするなと言われそうだが、撫でてみると拒絶されなかったので続ける。
「俺は、もうここに来ない方がいいんだ。その方が千種さんに迷惑はかからないから」
「本当にそれでいいのか。たとえ榛原や四万が来なくなったとしても、佳人さん達は来ると思うぞ」
「……それでも俺が来なければ……」
「心細い時に傍に榛原がいてくれたら、俺は安心できるけどな。まあ、ここに来るのが嫌なら止めない」
ポンポンと背中を叩きながら言うと、榛原が頭を力なく振った。
「迷惑じゃない?」
「ああ」
「俺がいると安心する?」
「もちろん」
「……それなら、ここに来たい」
「遠慮せずに、これまでみたいに来ればいいよ」
大きく頷いた榛原から、ぐすっと鼻をすする音が聞こえた。しかし俺は気付かないふりをして、しばらく抱きしめられていた。
それから榛原は、いつものハイテンションに戻った。泣いていたことなど無かったかのように。俺もあえて触れずに、榛原の好きにさせた。
しかしその日を境に、榛原の距離感がさらに近づいた。
俺の現状を考えれば、来させなくするのが正解だった。せっかくのチャンスをみすみす逃した俺は、後で一人反省していた。
♢♢♢
千種さんは不思議な人だ。だからこそ離れるべきだと思った。
千種さんのところに入り浸っているのを、黙認されているが賛成されてはいない。それは分かっていた。
決してあの人を諦めたわけじゃない。焦がれて探し続けている。
それでも、千種さんと一緒にいると安心できた。情報を得るため店に入り込んで、作るご飯が美味しいから毎日のように会いに行った。
このままじゃいけないと分かっていたのに。ぬるま湯にいるような空間に、心地良さを感じてしまった。
四万さんが現れた時は、さすがにもう来られなくなると思った。でも四万さんも千種さんに懐いて、心地良い空間が壊れることはなかった。それで調子に乗ってしまったのだ。
筑紫さんから連絡が来た。そして千種さんについて色々と聞かれた。
顔色悪く話してきた四万さんに、俺は血の気が引く。
筑紫さんの命令は絶対だ。嫌だとしても話すしかない。それが分かったからこそ、千種さんの身が危険だと察した。
すぐにでも千種さんのところへ行きたかった。助けに行きたかった。
でも四万さんと俺に、千種古書店に来るなと筑紫さんから命令が出されてしまった。
大丈夫だろうかと一日中もんもんとして、何度も助けに行こうとした。それなのに結局行けなかった。千種さんよりも、仲間が大事だったのだ。見捨てたのと同じ。
その日、どういうことがあったのかは知らない。四万さんですら教えてもらっていないらしい。
千種さんは無事だった。そして、何故か佳人さんが店に何度か行っているとも聞いた。カフェでお茶をしている。その話に、嘘ではないか耳を疑った。
佳人さんは、あの人がいなくなって一番荒れた。人を殺さなかったのが不思議なぐらいだ。
あの人を見つけることだけを目標として、犯罪行為もいとわない覚悟を持っていた。
千種さんがあの人に関する情報を持っていると知れば、拷問だってするはず。それなのに、仲良く出かけているなんて。
千種さんには、やっぱり何かある。あの人に関係しているかどうかは分からないけど、隠し事があるのは間違いない。
佳人さんはそれが何かを知っている。俺には教えてくれなかったのに。その事実が、ちくりと俺の胸を痛ませた。
もう千種さんと関わるのは止めるべきだ。このまま一緒に居続ければ迷惑をかけるし、佳人さんといるのを目にしたらどうなるか自分でも分からない。
まだ引き返せるうちに、千種さんから離れよう。
俺はそう考えて店を訪れた。
でも、バランスを崩し俺の腕に飛び込んできた千種さんは、迷惑じゃないと、俺がいると安心すると言ってくれた。
こんなにも自分の存在を認めてくれた人は、あの人以来だった。
あの人が好きなことに変わりない。ただ、千種さんが占める割合が大きくなっているのも事実だ。
それがいいことなのか、まだ判断できない。
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