第2話 突然の昔の知り合いが現れる





 嘘だろ。

 いつものように店の奥にいた俺は、誰かが来た気配に顔を上げた。

 そして顔をすぐに下げる。


 入ってきた人物には見覚えがあった。

 でも、その姿をまた見ることになるなんて、全く思っていなかったのだ。


 最後に会ったのは数年前だからか、思い出の中よりも随分と大人びている。

 背も少し伸びているし、前は細かったけど今はがっしりと筋肉がついていた。


 ――泣き虫は治ったのだろうか。

 もう関係の無いことなのに、俺は一瞬考えてしまった。



 入り口で一度立ち止まったかと思えば、店の奥にいる俺に気が付いて、バチっと視線が合った。

 自然と体は後ろに行くが、すぐに壁にぶつかる。

 後ろには扉があり、居住スペースにつながっているのだけど、今そちらに行くのは悪手だろう。

 まだバレていない可能性はあるから、俺はこちらに近づいてくるのを、瞬きをせずに待っていた。



 ここにいることを誰にも教えていない。

 家族にさえも伝えていないのに、バレるわけが無い。

 そう安心したいのだが、それならなんでここにいるのかの説明が出来ない。


 心臓がバクバクと嫌な音を立てて、冷や汗が流れる。

 震える手を押さえ、俺は逃げ出すべきか考えた。

 もし俺だとバレているのだとしたら、今すぐにでも逃げるべきだ。

 でも仮にバレていないのなら、その行動が不審に思われる。


 せっかく手に入れた静かな場所を、そう簡単に手放したくはない。

 どちらなのかを見極めて、分かってから行動に移す必要がある。


「……あの」

「は、い。何でしょうか?」


 言葉に詰まってしまったが、何とか持ち直す。

 バレているのだとしたら、こんな風に話しかけてくるはずが無い。

 今のところは、大丈夫だと判断してもいいだろう。


「聞きたいことがあるんですけど、ちょっといいですか?」

「ええ、いいですよ」


 あの時から見た目が変わっていたことが、吉となったようだ。

 髪は切りに行くのが面倒だから伸びっぱなしだし、前はコンタクトだったけど今は眼鏡をかけている。

 服装もこの数年で趣味が変わったから、たぶん昔の俺のイメージしか無かったら、分からなくても不思議じゃない。


 近所の子供達にはここで働いているのに、住所不定無職だと言われている。

 自分でも毎朝鏡を見て、一瞬不審者がいると思う時があるぐらいだ。


 自分の格好に無頓着で良かった。

 周りには気を使えと言われているけど、面倒なことに時間をかけたくなかったのだ。

 でも今はそのおかげで助かっている。

 これはもう、気を使うなと言われているのと同じだろう。


 何を聞きに来たのか、ここに来たのがたまたまかは知らないが、俺の静かな生活のためにごまかしきらなくては。

 気合を入れて口元に笑みを浮かべれば、目の前の顔が引きつった。


 初めて会う子供にも笑いかけると泣かれるが、そんなに笑顔が下手くそなんだろうか。

 自分の顔を触って見るけど分からなかった。


 顔を引きつらせながらも逃げようとしないのは、それだけ聞きたいことがあるということだ。

 もしかしたら、俺の心配も杞憂かもしれない。


「俺、ちょっと人を探していて、ここら辺んで似たような人を見かけたことがあれば教えてもらいたくて」


 違う話かもしれないと期待していた俺は、見せられた写真に希望を打ち砕かれる。


 若いなあ。

 自分の写真を見て、そう他人事のように思いながら俺は飛んでいきそうになる魂を必死に引き戻した。


 まさか探しているなんて思ってもみなかった。

 確かに誰にも別れを告げずにいなくなったけど、そういうのは別に珍しいことじゃなかった。

 何かの事情や事件に巻き込まれて、そっとあの世界から姿を消す。

 今まで同じような奴を何人も見てきたが、わざわざ追いかけて探したりすることは無かった。


 探される心当たりが、無いといえば嘘になる。

 でももしそれが当たっていたとしたら、俺は殺されるかもしれない。

 あの事件はただのきっかけに過ぎない。

 その後の対応が良くなかった自覚はあるし、逃げたのは自分の身を守るためとはいえ、誰にも言わなければ憎まれるのは当たり前だ。


 でも当時は、俺がいなくなるのが一番だと思っていた。


「……この人は家族とかですか?」


 知らないふり知らないふり。

 この写真を見たのは初めて。

 あえてとぼけていると、眉を下げて悲しげに呟く。


「違います。でも、とても大事な人なんです」


 前も可愛がっていたが、成長しても可愛さが損なわれていない。

 頭を撫でたい衝動を必死に抑えて、写真を手に取る。


 他の奴にはツンツンしていたくせに、俺には犬のように従順だった。

 逃げたのに、まだ大事だと言ってくれるのか。

 感動しつつ、写真に視線を向ける。


 写真は、喧嘩をしている時のものだった。

 相手をほとんど倒し終わった後で、汗を拭いながら笑っている。

 この頃は、自分を最強だと思っていた。

 チームだって最強と言われていたし、負けたことも無かった。


 若かったし、世間知らずだったのだ。

 懐かしさについ口元が緩みそうになったが、視線を感じて固く結ぶ。


「申し訳ないですけど、見たことありませんね」

「分かりました。……ここは古本屋ですか?」

「そうです。見ての通り、閑古鳥が鳴く店ですが」


 ここに来るのは近所の老人や、冷やかしにくる子供ばかりだから、今の状況は違和感がある。

 キョロキョロと物珍しげに店の中を見回しているから、俺は写真を返しながら笑う。


「なんか……落ち着きます」

「そうですか?」

「はい。ここ何年か大変なことばかりで、こんなに落ち着くのは久しぶりです」


 ほおっと息を吐き、そして俺のことをまっすぐ見てきた。

 その顔に嫌な予感がする。


「あの、また来ても良いですか?」

「はい? あー、ええ……ドウゾ」


 駄目だとは言えなかった。

 何度も来られたら、それだけでバレる可能性が高くなる。

 バレたらここにはいられなくなるとは分かっていても、邪険にすることは出来なかった。


「ありがとうございます。えっと、あなたのお名前は?」

千種ちくさです」


 千種は俺の本当の名前ではない。

 この古書店の、前の店主の名前だ。

 都合のいいことに看板の名前が変わっていないから、おかしいと思われないはずである。


「千種さんですね! よろしくお願いします!」


 パッと顔を輝かせた顔に少しの罪悪感は湧くが、自分の命の方が大事だから心の中で謝罪しておく。


「俺の名前は、榛原はいばらです!」


 知っている。

 その言葉も心の中だけにとどめておいた。




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