★恋心⑥

 私が次に気が付いた時は、太陽はもう高く昇った後だった。部屋の時計を確認してみると時刻は正午を回ろうとしていた。私は昨日、あのまま泣き疲れて眠っていたようだった。

 のろのろとベッドから身体を起こして、私は机の上に置いてある鏡を覗く。


(ヒドイ顔……)


 私の目は真っ赤になっていて、少し腫れているようだった。頬には涙のあとが残っている。

 私はそのまま椅子に座る気が起きず、ずるずるとベッドを背にして床に座り込んだ。頭の中は昨日よりは多少マシになっている気がするが、それでもやはり最後に見た隼人先輩の後ろ姿と冷たい声を思い出すと、それだけでまた涙がこぼれそうになる。


(参ったな……)


 これでは部屋から出て顔を洗いに行くこともままならない。私がどうしたものかと悩んでいると、突然部屋の扉をノックされた。私は急いで目元をこすると扉に向かって声を出す。


「はい」


 その声はいつもの声とは違い、少し鼻声だった。そんな私の声に扉の向こうから返事が返ってくる。


「俺だけど、入るぞ?」

「お兄ちゃん?」


 私の疑問に答える代わりに部屋の扉が開く。そこに立っていたのはお盆を片手にしたお兄ちゃんだった。

 お兄ちゃんは私の顔を見て一瞬驚いたような表情をしたが、すぐにいつもの穏やかなものに戻った。そして私の顔には触れずに明るい声で私に言う。


「昨日から何も食べてないだろう?父さんも母さんも心配してたぞ?ほら、お昼」


 そして昼食を私の学習机の上に置く。私はそんなお兄ちゃんを目で追っていた。その視線に気付いたお兄ちゃんが振り返って、


「どうした?由菜」


 その声があまりにも優しくて、私はすがるようにお兄ちゃんを見上げてしまう。するとお兄ちゃんはゆっくりと私の隣に腰を下ろした。そして私の頭を無言でぽんぽんと撫でてくれる。それだけで私はまた泣きそうになってしまうのだが、ぐっと我慢した。

 お兄ちゃんはそんな私から視線を外すと、宙に視線をさまよわせながら口を開いた。


「あー…、これは俺の独り言なんだけどな」


 そんなお兄ちゃんの様子を、私はじっと見つめていた。お兄ちゃんはそんな私の視線を受けながらも、私から目線を外したまま続ける。


「人生って、後悔と反省の繰り返しだと思うんだ」


 お兄ちゃんの口から出た『後悔』と言う単語が意外で、私は驚いて目を見開く。

 私にとってのお兄ちゃんはいつも完璧だった。優しくて、完璧なお兄ちゃん。お兄ちゃんが選択を間違えることなんてないと思っていた。そんなお兄ちゃんからまさか『後悔』と言う単語が出てくるなんて。

 驚いている私をよそに、お兄ちゃんは続けた。


「後悔して、反省して。でもそれがあるから、人間は成長することが出来ると思うんだ」


 同じ過ちを繰り返さないようになれるんだと、お兄ちゃんは言った。私はじっとお兄ちゃんの言葉に耳を澄ませていた。


「何が言いたいかと言うとだ。俺は、後悔からのやり直しは何度でもきくって信じてるってこと」


 そこでお兄ちゃんが私の方を見た。その目はどこまでも優しくて、私はそんな優しいお兄ちゃんの視線を真正面からしっかりと受け止める。そんな私に、お兄ちゃんはふっと力を抜いて笑うと、また私の頭をぽんぽんと撫でてくれた。


「今はさ、頭ん中ぐちゃぐちゃで訳が分からない状況かもしれない。けど、時間をかけていいから、少しずつ整理がついたらさ、きっとやり直すための手段が見つかるから」


 だから、と言うとお兄ちゃんは立ち上がった。


「まずはちゃんと食って、頭に栄養を与えないとな」


 そう言ってニヤリと笑うお兄ちゃん。私はそんなお兄ちゃんにつられて不器用に笑顔を返した。


「お昼、冷めたかな?」


 お兄ちゃんが学習机の方を見ながら言う。私は、


「大丈夫、このまま食べる」

「そっか。じゃあ、お兄ちゃんは退散するから。しっかり食べろよ?」

「うん、ありがとう、お兄ちゃん」


 私の言葉を受けたお兄ちゃんがひらひらと手を振って部屋を出ていった。私はお兄ちゃんが出ていった扉をしばらく見つめていたが、昼食を摂るために立ち上がる。そして学習机の前に座ると、お兄ちゃんからの言葉を噛みしめるように、目の前のご飯を食べるのだった。




 お昼ご飯を食べながら、私は1つ気にかかることがあった。それは、私に隼人先輩への恋心を気付かせてくれた悠真くんのことだった。


(悠真くんの気持ちに、ちゃんと応えてあげないと)


 真っ直ぐなあの告白に、ちゃんとした返事をしなければと言う気持ちになる。

 お昼を食べ終わった私は、食器を持ってリビングへと向かった。リビングに入るとそこに居たお母さんが私の顔を見て驚いた声を上げる。


「由菜?どうしたの、その顔!」

「お母さん。心配かけてごめん。でももう大丈夫だから」


 私の答えを聞いてもなお心配そうに声をかけてくれるお母さん。


「本当に大丈夫なの?」

「うん、大丈夫。私、シャワー浴びてくるね」


 私はそう言い残して着替えを取るために再び自分の部屋へと戻った。部屋で着替えを用意している時、ふと机の上の鏡が目に入る。何気なくその鏡を覗くと、そこに映った私の顔は相変わらず目元は少し腫れていたものの、先ほどよりも顔が引き締まって見えた。

 そして1階へと降りてシャワーを浴びるために脱衣所へと向かう。服を脱ぎ、浴室へと入ってから、シャワーを出して身体にお湯をかける。そして私は髪を洗うために浴室の椅子へと座った。髪を軽くお湯で洗い流してからシャンプーを手に取る。

 シャカシャカと頭を洗い始めたところで、考えることはやはり悠真くんの告白についてだった。

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