★二兎追う者は④

「座りなよ」

「あ、うん」


 私は凛ちゃんに促されてベッドの前にあった小さなテーブルの前に座る。凛ちゃんもテーブルを挟んで私の前に座った。そしてお茶をテーブルに並べてくれる。


「凛ちゃん、あのね」


 私は凛ちゃんに謝りたいことがたくさんあった。ありすぎて、何から話したらいいか分からなくなった。そして結局出た言葉は、


「ごめんなさい!」


 そう言って頭を下げる。そんな私に凛ちゃんからの冷ややかな言葉が降ってきた。


「それは、何に対しての言葉なの?」


 私は頭を上げることなく続ける。


「今までのこと、全部、です」

「全部って?」


 そこで私は昨日までに考えていたことを話した。


「私、本当に自己中だった。凛ちゃんの気持ち、全然考えてなかった」


 初めてライブに行った時、隼人先輩を一緒に探してくれた時。


「私、1人で傷付いたり、舞い上がったりしてたんだ」


 だから、ごめんなさい、と再度深く頭を下げる。すると凛ちゃんからは思わぬ言葉が出てきた。


「それもまた、佑希さんに相談して出した答え?」

「違うよ。1人で考えて出した答え。だから間違っているかもしれないけれど、でも私が凛ちゃんの気持ちを考えてこなかったことは謝りたいから」


 私が即答すると、凛ちゃんは何も言わなくなった。少しの間、重苦しい沈黙が落ちる。その沈黙を破ってくれたのは凛ちゃんの方だった。


「顔上げて、由菜」


 私はその言葉にゆっくりと顔を上げた。そして驚いた。目の前の凛ちゃんは笑っていたから。優しい笑顔だった。


「1人で考えて出した答えなんだね」

「うん」


 今度は凛ちゃんの目を見て真っ直ぐに答える。私の答えを聞いた凛ちゃんは満面の笑顔になった。


「良かった。いつもみたいに佑希さんに頼っていたら、ぶん殴ってやろうかと思ってたから」

「凛ちゃん?」

「私ね、由菜に悪気がないんだって分かってたつもりだったんだよ」


 でもね、と凛ちゃんは話を続ける。

 凛ちゃんは一人っ子で、凛ちゃんの両親は共働きだった。小学校の時からなかなか親と会話をする機会がなかった。凛ちゃんは悩み事が出来ると、それをいつも1人で抱えて、1人で消化してきたのだった。


「そんな時は、やっぱり分かっていても由菜の家が羨ましくてね。いつも家にお母さんがいて、何でも相談できる優しいお兄さんがいて」


 そこで凛ちゃんは少し言葉を飲み込んだ。


「だけど今回、由菜が誰にも頼らずに1人で考えて答えを出してくれたことが嬉しいよ」


 凛ちゃんはそう言ってにっこり笑ってくれた。

 私はそこで改めて自分の置かれた環境が恵まれていることを痛感した。

 凛ちゃんの言う通りだった。小さい時から疑問に思ったことがあったら何でも口に出していた。そのたびにいつも傍にいたお兄ちゃんが答えてくれていた。お兄ちゃんが答えられないことは、お母さんが教えてくれた。


(あぁ、そうか……)


 そこまで来て、私はようやく隼人先輩の言葉に納得した。

 誰もが皆、自分のように聞けば何でも答えてくれる環境にいるわけじゃないんだってこと。


(私と同じと思い上がるなって、こう言うことだったんだ……)


 先輩の言葉がすっと自分の中に入ってきていた。だから今度は気負わずに伝えることが出来た。


「凛ちゃん、本当に今までごめんね」

「もういいよ」

「今度はさ、一緒に考えていこう?凛ちゃんがこれから悩むこと、抱えること、半分こしていこう?」

「由菜……、うん。ありがとう」


 凛ちゃんは私の言葉ににっこり笑って答えてくれた。私は嬉しくなって一緒に笑うのだった。


 これで一件落着かと思っていたのだったが。


「で、由菜。『隼人先輩』って誰……?」

「うっ……」




「それで?これはどう言うことか説明してくれるかな?由菜ちゃん」


 次の月曜の昼、私は凛ちゃんを連れて視聴覚室へとやってきていた。

 あの後結局、隼斗さんが隼人先輩であることを凛ちゃんに説明してしまった。すると凛ちゃんは、


『隼斗には悪いウワサもついてるから、本当はどんな人なのか会って確かめたい』


 と言い出したのだ。

 そして今私は凛ちゃんと一緒に隼人先輩の前に立っている。先輩の顔を見るのが怖くて視線を下げていると、隣から、


「ちょっと由菜、本当にこの地味な先輩があの隼斗なの?」

「凛ちゃん!」


 歯に衣着せぬ凛ちゃんの表現に思わず声を出してしまった。すると目の前の先輩が盛大なため息をつく。


「はぁ~……。その子が、凛ちゃんなの?」

「初めまして!鈴木凛です!由菜がお世話になってまーす!」


 凛ちゃんは屈託のない笑顔で元気に隼人先輩に自己紹介をしていた。凛ちゃんの笑顔を見た先輩は再びため息をつくと、


「今回は、不可抗力ってヤツか……」


 そう独り言のように呟く。そして凛ちゃんに向かって、


「凛ちゃん、俺がバンドやってるってこと……」

「もちろん、誰にも言いませんよ!佑希さんに迷惑はかけられませんから」


 にっこりと笑って答える凛ちゃんは私の方に向かって、


「じゃあ由菜、邪魔者は先に教室に戻っておくね~」


 そんなことを言ってくる。

 ご機嫌な様子で視聴覚室を出ていく凛ちゃんを見送った後、私は恐る恐る後ろに立っている隼人先輩の方を振り返ってみた。私と目が合った先輩は、ニヤリと笑う。私はその笑顔に引きつった笑顔を返すしか出来なかった。

 そのまま先輩は少しずつ私に近付いてくる。私は思わず後ずさりをしていた。気付くと背面黒板に背中をぶつけてしまう。びっくりして後ろを確認している時だった。




 ドン!

 



 先輩の両腕が私の視界に入り、私は隼人先輩の腕の中に閉じ込められてしまう。


「先輩……?」


 怖いやら、恥ずかしいやらで何とか声に出して先輩を呼ぶ。隼人先輩は、


「どうしてやろうかな?由菜ちゃん」


 そう言って顔をどんどん近付けてくる。私は早まる心臓の音の中、


「ご、ごめんなさい」


 消え入りそうな声でそう言うのが精一杯だった。

 よくよく考えてみると、隼人先輩には何か事情があって学校でバンドをやっていることを隠しているのかもしれない。そんな事情も知らない状態で、私は仕方なかったとは言え凛ちゃんに先輩のことを話してしまった。

 そう考えると、なんだか罪悪感に押しつぶされそうになる。


「本当に、ごめんなさい」


 私は自然ともう1度謝っていた。

 隼人先輩は黒板から手を放し、顔を離す。


「まぁ、今回は仕方ない展開だったってことで、許してあげる。だからそんな泣きそうな顔、しなくていいよ」


 先輩の言葉を聞いて、私は自分が泣きそうになっていることに初めて気づいた。そして先輩の顔を見上げる。隼人先輩はそっぽを向いたまま、腕を伸ばして、私の頭をぽんぽんとしてくれた。

 その瞬間ドクン、と跳ねる心臓。


(あ、まただ……)


 私は赤くなってくる顔を逸らすこともできずに隼人先輩を見つめていた。先輩はしばらく私の頭をぽんぽんとしていたが、


「チャイムまでまだ時間あるけど、そろそろ戻ろうか」


 そう言って私の頭から手を放す。


「今度は由菜ちゃんの読みたい本、考えておいてね。この間の続き」


 隼人先輩はそう言い残すと自分の教室に向かって視聴覚室を出ていってしまった。


(この間の、続き……)


 ゴールデンウィーク前の出来事が蘇ってきて、私の顔は今まで以上に赤くなる。そしてドキドキとうるさい心臓の音を聞きながら、私も自分の教室へと戻っていくのだった。

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