★2人の時間①

 隼斗さんから告白を受けて、2日が過ぎた。この2日は何もなかった。そう、何もなかったのである。お昼休みになると視聴覚室へ向かい、そこで隼斗さんと対面する。しかし隼斗さんは読書をしていて、手持無沙汰てもちぶさたな私との間に重苦しい沈黙が落ちるだけだった。私にとってお昼休みは、なんだか憂鬱な時間へと変わりかけていた。

 そんな3日目のお昼休み。


「由菜、今日もどっか行くの?」

「あ、うん。本当は行きたくないんだけどね」


 いつものように凛ちゃんと昼食を摂ってからお弁当箱を片付ける。

 凛ちゃんは私の行動について詳しく話を聞いてこなかった。聞かれても答えられない私にとって、その凛ちゃんの判断は嬉しく、そしてありがたかった。

 お弁当箱を片付け終えて、


「じゃあ行ってくるね、凛ちゃん」

「ん、いってらっしゃい」


 短い会話を交わしてから視聴覚室へと向かう。その足取りは重く、なまりでも履いている気分になる。相変わらずお昼休みの特別教室棟には生徒の姿はなく、私はすんなりと視聴覚室の前に辿り着いてしまう。

 扉をノックする。すると中から、


「どうぞ」


 くぐもった隼斗さんの声が聞こえてくる。これも変わらなかった。


「失礼します」


 私はそう言って中へと入る。これも変わらない。そして始まるのだ、重苦しい沈黙の時間が。

 今日も隼斗さんはいちばん前の席の窓際に座っていた。椅子に、ではなく机の上だったけれど。どうやらここが、隼斗さんの定位置のようだった。そこで毎日本を読んで過ごしている。読書中の隼斗さんは、私にはチラリとも視線を寄こすことはなく、集中して読んでいる。それが何かの壁のように感じて、私は話しかけることも出来ずにいるのだった。


(今日も隼斗さんは読書、か……)


 定位置で本を広げている隼斗さんの様子を見て、私は小さなため息をついて、隼斗さんとは少し距離を開けた席へと座る。

 席についてふと顔を上げると、隼斗さんと目があった。


(え?)


 驚いていると、隼斗さんはゆっくりとした足取りで私の前にある机の前に立つ。


「由菜ちゃん、これあげる」


 そして1枚のチケットを机の上に置いた。


「これは?」

「今度のライブのチケット。ゴールデンウィーク中にあるから」


 その言葉に驚いて目を見張る。私は真っ直ぐに隼斗さんを見つめて言った。


「行っても、いいんですか?」

「構わないよ」


 そっぽを向いてしまった隼斗さんの表情は分からない。

 それでも私は嬉しくて、またあの隼斗さんに会えると思うと自然と笑顔になってしまうのだった。


「ありがとうございます、隼斗さん!」


 私がお礼を言うと、隼斗さんはゆっくりと黒板の前に立った。


「あのさ、由菜ちゃん。その『隼斗さん』ってやめない?」

「え?」

「俺の名前は神谷隼人かみやはやと。普通に先輩として呼んでくれて構わないから」


 そう言って自分の名前を黒板に書いていた。


「『隼斗』って言うのは、先輩が決めた俺のステージネーム」

「じゃあ、隼人先輩……?」

「うん」


 隼人先輩は言葉少なにそれだけ言うと黒板を消してから定位置に戻り、読書を再開していた。私は貰ったばかりのチケットをまじまじと見る。ライブの日付は5月5日だった。今度もたくさんのバンドと一緒に出演するようだった。

 チケットを貰えて温かな気持ちになっていた時、私はふと気付いた。初めて隼人先輩と出会った時、この教室で脅されたあの時の恐怖心が全くなくなっていることに。今なら話しかけられるかもしれない。

 私は勇気を振り絞って隼人先輩へと言葉をかける。


「あの、隼人先輩」

「ん~?」


 隼人先輩は本から目を話すことなく返事をしてくれる。


「毎日、何の本を読んでいるんですか?」


 ブックカバーがかけられている文庫本の内容が気になり、私は質問を投げかけた。すると隼人先輩はそこでようやく顔を上げてくれる。


「知ってどうするの?」

「いや、あの。ちょっと気になっただけで……」


 私は自分の声が段々小さくなっていったのが分かった。視線も落ちてしまう。そんな私へ隼人先輩はぱたんと本を閉じると、


「ま、いっか。ただの小説だよ」


 そう言って文庫本にかかっていたブックカバーを外して表紙を見せてくれる。タイトルは『謎解きシャーロック』。ミステリー本のようだった。


「ミステリー小説が好きなんですか?」

「小説なら何でも読むかな。今はたまたまこれってだけ」


 そう言って隼人先輩は再びブックカバーをかけ直すと読書に戻ろうとした。私はこの会話の機会を逃したくなくて、慌てて声をかけた。


「あの!先輩のおススメの小説とかってありますか?」


 読書に戻ろうとしていた隼人先輩はこちらに視線を投げかけると、諦めたように本を閉じて、私の近くの席へ歩み寄ってきた。


「今日は良く話すね、由菜ちゃん」


 その声はどこか呆れているような、何かを諦めたような響きを持っていた。隼人先輩はそのまま私の隣の席の机の上に腰を落とした。その仕草だけで、私の心臓が突然うるさく高鳴りだす。


(ちょっと!心臓!)


 私は自分のことなのにどうしてこんなにもドキドキするのか分からず動揺した。先輩はそんな私に気付いた様子はなく、こちらに視線を向けると、


「それで?どんな本が読みたいの?」


 私は隼人先輩からの質問に答えようとするが、うまく言葉が出てこない。深呼吸をして、口を開こうとしたとき、


「もしかして由菜ちゃん。緊張してる?」

「え?」


 視線を上げると、そこには眼鏡を外した隼人先輩の顔があった。突然の問いかけに答えられずにいると、先輩はニヤリと口角を上げる。その表情を見た私はなんだか嫌な予感に襲われる。

 隼人先輩は前髪を鬱陶しいそうにかき上げる。するとライブハウスで見た端正な顔があらわになった。それだけで私の心臓はドクンと一跳ひとはねする。

 目が離せず隼人先輩を見つめていると、私の視線に気付いた先輩の視線とぶつかる。

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