第3話【limited express panic-ハンキュウジヘン-】(10)

 つい先日、襲撃を受けた敵魔術師である膜間まくまへと似たような選択を問うた際の事を、ねねは思い出す。



 結果として情報を漏らすことになった(最後まで情報を得られなかった)が、その時ねねはあくまで「この人は自身の痛みに敏感そうだから恫喝どうかつすれば大丈夫だろう」という思い付きで言っただけで、拷問を実行する気はさらさらなかった。



 が、目の前にいる女は違う。



 言うだけで終わらず、を肌で感じ取れた。




「あぁそうそう。ワタクシもそこまで気が長い方じゃあないから、ジャリガキが選ばなければ両方するし」



 ライダースーツの胸元よりハサミとペンチを取り出し、それらを両手に持ちながらゆっくりと蚊脛かけいがねねの座り込んでいる場所へと近付いてくる。



「くっ……来るなっ……」



「だぁめ♡ イクから~」



 ねねは後ずさろうにも、黒泡を受けた足は依然として感触が無く、重すぎるが故に動く事が出来ない。




 冷や汗をダラダラと流しながら、ねねは必死に雑念を振り払おうとしていた。



(爆弾で吹き飛ばされた永渦えいかさんが援軍として来るにはまだ時間がかかり過ぎる、だから期待はするだけ無駄だ……)



(どうにか、どうにかこの場を切り抜ける為の何か……策を、考えなければならない――ッ!)




 しかし、一向に打開策は浮かんでこない。



 湧き出る焦燥しょうそうが冷静な判断を失い、ともすれば叫び出しそうになるくらい、ねねは恐怖に支配されていた。




 その場しのぎの痛みであれば堪え切れる自信は少なからずあったねねだが、こと今回においてはその限りではない。




 目か指かを蚊脛かけいへと差し出したとしても、がまだ控えているのだ。




(言動から察するに、相手は甚振いたぶることにかけては熟練している。だからこそ……ここで受け入れてしまったら、もっと酷い目にあってしまう……。それは嫌だ……絶対に嫌……)



 それこそ死んだ方がマシかと思わされるぐらいには、生かされ続けながら拷問を受けてしまうという地獄を、ねねは認めたくはなかった。




 そうこうする間に、蚊脛かけいはすぐ目の前へとやってきていた。



「決断の時よぉ~。さぁ、どっ・ちにっ・するっ?」



「あっ……あのっ、えっと――」



「時間を稼ごうったって無駄よ無駄。何故ならこの辺りには既に人払いの結界をほどこしているんだからさぁ~」



「いや、というか、本当……すみませんでした許してください! 殺さないでください!!」



 声を張り精一杯懇願こんがんするねねを見下しながら、蚊脛かけいは嘆息し目を細める。



「たまんないわね。ついさっきまで素っ気なかった奴が、手の平を返してしょんぼりする様ってのは。安心しなよ~、ワタクシは簡単に殺さないから。じっくりコトコト煮込んだカレーの仕込み以上に、時間をかけて楽しんであげるのよ~~。ひひひっ」



「あっ……あぁあああああぁあああ――!! うっ……ぐすっ……うぅう……」



 ついにねねは耐え切れず、か細い叫びと共に涙を流した。



「ひひ、ひひひっ! いい、イイわそれ。最高に心地良い声を聞かせてくれて感激しちゃう! さて、それじゃあまずは目からいただきましょうか」



 身体を小刻みに震わせながら、蚊脛かけいはペンチを地面に落とし、空いた右手でねねの首を掴んだ。



「大丈夫よ~、動かなければ一瞬で済む……貴方が想像しているよりかは痛みはマシになるでしょうから――」



「あの……な、なんで目からなんですか……せめて指がよっ、良かったんですけど……」



「時間切れだからよ。ジャリガキ、クソするよりも簡単な問いに対して、テメェは答えるのに時間がかかり過ぎた。ワタクシは左利きサウスポーで、そしてたまたまそっちにハサミが握られていた、たったそれだけの理由よ」



「そう、ですか……って、ん?」



「何よ。これ以上の問答は不要いらないから、じっとしていなさい」



「いや、違いま……違くて。そうか、そういうことか」



 涙で目を赤くらしていたねねは、突然納得したような表情へと変わり、頷きながら呟いていた。



「ここまで追い詰められるまで気が付かなかっただなんて、いやはや、あたしもまだまだ未熟だったってことね……良かった、本当に」



「何を言っている?」



 蚊脛かけいいぶかしみながらねねへとたずねる。



「魔術を込める武器を全て失って、逃げる事すらままならなくて。でも、そうじゃなかった。あったんだよ、




 おびえは消え去り、どこか達観した様相であるねねの双眸そうぼうが、蚊脛かけいへと向けられる。



「はぁ? ならやってみろよ。こんだけ至近距離で、出来るもんならさっさとやれよ! 動いた瞬間、てめぇの身体全てを泡で覆い尽くしてぶっ潰してやんからよぉ!!」



 追い詰められているのは相手で、追い詰めているのは自分だという確信があった蚊脛かけいは、気分を害され自然と語気が荒くなるも、しかし心中では至極冷静であった。



 眼下で動けないこの未成年は、魔術を行使する際には歌を歌わなければならない。



 加えて、投擲とうてきし得るモノは見当たらないし、万一衣服に隠していたとしてもそれを取り出すまでには時間がかかる――故に虚勢ハッタリに違いないと。



 ねねが行動を起こそうとも、一瞬でねじ伏せる自信が蚊脛かけいにはあったのだ。




 だが――彼女は思い知る。




「礼を言うよ、蚊脛かけいさん。諦めかけていたけど、あたしは今を以て成長出来た。感謝してる、ありがとう」




「ごちゃごちゃウルセぇんだよこのジャリガ――」




 ある程度の時間を有すると踏んでいた、詠唱代わりの歌だったが、




「ターンターンターンッ――“You Suffer But Why ?”」





 1を、蚊脛かけいは知る由も無かったのである。





「ッッッッ!? ぁぐっ――――」




 蚊脛かけいは今度こそ白目を剥いて、意識を失った。




「……はぁ、死ぬかと思った。って、何回目だよこれ。同じこと言ってばっかだな最近のあたしは。はぁ……しんど……」



 引きずる事さえままならなかった右脚の黒泡が消え失せていることに気が付き、ねねは相手がもう立ち上がってこない事を理解した上で、やれやれと溜息をつく。




「あたしの魔術は基本生き物には効かないし、それこそ両手で持てる物しか効果を及ぼさないんだけど、かといって持ち上げれるかどうかは重要じゃないし。そもそもあれだもんね」




 たとえ自分の身体といえども、と。




 右脚をさすりながら、言った所で聞こえていない蚊脛かけいへ向かって、ねねは説明を続ける。



「貴方の利き腕が左だったからこそ、閃いたってのもあったかな、うん。動かないように右手をあたしの首に添えたことで、あたしから見て右側のスペースがガラ空きだったから、イイ感じに決まった。まぁ結果論だけど」



 ねねの魔術である重速加射手アーク・アクセラは歌唱量によってその威力が左右される。



 長ければ長いほど、速度や重量を付与することが出来、且つ複雑な運動性を物体に込める事が可能である。



 とはいえ、地面に亀裂が走る程の重さを付与された右脚には、そのいずれかをも必要性は見当たらなかった。




 だからこそ、重くなった右足を真上に1メートル程上昇させるだけの単純な動きだけで事足りたのだともいえる。




「童謡がメインで、Jポップとかはからっきし。だけども一応、押さえておいてよかったよ。殆ど時間のかからない、一瞬で終わる歌の履修って奴をね」




 イギリス出身のハードコア、ヘヴィメタルバンドであるNapalm Deathナパーム・デスの楽曲である“Your Suffer”。



 ねねがワンフレーズで終わらせたこの曲はとしてギネス認定がされており、演奏時間は1.316秒と至極短いものであった。




「つっても今回はマジに危なかった……かな。魔術が奥深いものだってのは実感できたけど、如何せん地力だけではどうにもならなくなってきたってのが素直な感想。刑部おさかべ姉様のところで、柄にも無く特訓なり修行なりをする必要があるかもしれないっぽいわね……」




 これ以上無駄足は不要、一刻も早く滋賀県へと向かわなければならないと再認識したねねは、早々に永渦えいかと合流すべくその場から去ろうと辺りを見回す。




 そして、視界の端に一人の男の姿を捉えたところで、目をつぶる。





「あーあーそりゃないよ。流石に三連戦はキツイって……」



 



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