第3話【limited express panic-ハンキュウジヘン-】(8)

(なんだこれ? 動かな……いや、重たくなってる??)



 黒い泡に濡れたねねの右膝から下の部分は、いくら力を込めようともびくともしなかった。



 アスファルトの地面に亀裂を走らせていることから察するに、数百キログラムどころか、下手をすれば数十トン単位での荷重がかかっているかもしれない。



 付着した泡を取り払うべく、ねねはポケットよりハンカチを取り出し、くるぶしの辺りをぬぐおうとする――も、紫の光沢を放った液体らしきものには触れる事さえ叶わなかった。



「無駄だってば。一度でも触れてしまったならば、他者には干渉できない様ワタクシの泡には魔術式プログラムが組まれているんだからさぁ」



 ケタケタと笑う蚊脛かけい



(しまったなこりゃ。風上を意識した位置に陣取っていた点に気を囚われ過ぎて、足元への注意が疎かになってしまった。結果、移動うごきは封じられ、加えて今のあたしが投げれるものは手持ちの大駒とぐらいっていう袋小路大ピンチ。やばいなぁ、まずいなぁ、どうしようかなぁ)



 もはや這う事すらもままならぬ状況へと陥ってしまったねねは、どうにかして窮地から脱するべく、反撃に転じる。



 デタラメな荷重によって足を封じられながらも、しかし淀みの無い動きでねねは得物である大駒――ディアボロを蚊脛かけいに向かって投擲とうてきした。



 最短距離で一直線に飛来してくるディアボロに対し、



「おほ^~怖いねぇ。こんなもん当たったら死んじまいそうだよ。まぁ――、だけどさぁ」



 蚊脛かけいは回避動作を行うことなく、黒い泡に濡れた左手を胸の前へと突き出し、口元を歪めて嘲笑あざわらう。




「てめぇの魔術ネタ




 本来であれば腕ごと粉砕する威力を秘めたディアボロは、しかし蚊脛かけいの腕に触れると同時に、見当違いあさっての方向へと飛んで行ってしまった。



「ワタクシの怠惰なる泡姫レイジィ・ソープは攻守共に無比無双サイキョーにさえ気を付けりゃ、なんだってつるつるっと滑らせて見せらぁよ。その気になりゃあ銃撃だってなせてみせるぜ」



 (ふぅん……術者本人は超重量の影響は受けず、身にまとえば摩擦係数すらも思いのまま、ってことね。ぽろっと弱点バラしちゃってるのは、それだけ自身の魔術に自信があるってことなのかしら。大言壮語たいげんそうごはなはだしいなんて……上から言いたい所はやまやまだけれど、正直今の私はそれなりにヤバい)



 (まだ右脚のみで済んでいるこの黒い泡が、とか……考えるだけでもぞっとしないわね)



(非常に危機ピンチなのは理解した。けれど、それでも――絶対に乗り切れないって訳じゃあない)



 意を決して、ねねはふところよりある物を取り出し、蚊脛かけいへと声を掛ける。



「銃撃だってなせてみせる? だったら、あたしはそれ以上に強力な攻撃を見舞うまでなんだなこれが」



 彼女の手に握られていたのは、なんの変哲もないお手玉であった。



「はあ~ぁん? 何ソレ? そんなキッタない道具ひとつで何が出来るのかワタクシは理解に苦しむんだが??」



「道具ひとつねぇ。それはどうだろう。これをこうして、こうするの。3、2、1……はいっ」




 ねねが手を振った後、お手玉はいた。




「はんっ! 質より量、ってか。浅はかな考えだねぇ。いかにもジャリガキっぽい、アホくせぇやり方だ」



「本当にそうかな。あぁ、先に言っとくけど、これ以上今のあたしに投げれるものはないし。実質、最後の攻撃になるでしょうね」



 地べたに座ったままテンポ良くお手玉を宙に放り投げ続ける行動ジャグリングに興じながら、ねねは至極つまらなさそうに言う。



「だからこそ、今からあたしはこれらをアンタに投げつける。手加減はせず、本気で殺す気でいく。当たり所次第では大怪我ぐらいで済むんでしょうけど、そうじゃないときはまぁ、恨みっこ無しってことで」




 認知心理学において、マジカルナンバーという専門用語があるのをご存じだろうか。



 いわく、人間が瞬間的に記憶できる情報の最大数は、一般に5〜9の間――すなわち7を中心とするという概念である。



 この「7±2」という数字は、近年「4±1」が正しいとも言われているが、あくまでそれは静止した物が観測の対象とされている。




 平面ではなく立体的に、かつ視界外から猛スピードで迫りくる複数の物体を、果たして蚊脛かけいは完全に把握した上で防ぎきれるのだろうか?



 人間が一度に知覚できる――同時に注意を向けることのできる情報の最大数を上回る数のお手玉をもってすれば、ねねは蚊脛かけいを無力化できる可能性が高いと判断したのだった。




 マジカルナンバーの定義を超えた10の凶器を用いるねねの重速加射手アーク・アクセラが勝るか、はたまた人間の瞬間的な情報処理能力の限界を補填カバーし得る蚊脛かけい怠惰なる泡姫レイジィ・ソープが勝るのか。



 勝敗という名の結果が、今まさに下されようとしていた。




「こわ~い脅しは以上かい? ジャリガキ」



「うん大丈夫。じゃあ、いくよ――全弾掃射オールショット



 掛け声から一呼吸おいて、ねねの両手より十のお手玉が蚊脛かけいを目標として弾ける様に飛び出した。



 先程のディアボロの直線軌道とは違い、速度もまばらに上下左右より迫りくる複数の飛び道具お手玉たち



 一つ一つであれば容易に対処出来た先刻の状況とは打って変わって、命中する順に連続で対処せねばならない蚊脛かけいであったが、しかし彼女は未だ余裕の表情を崩すに至らない。



「さっきよりも疾ェし多ィとはいえ――目視も回避も不可って程じゃあねぇなぁ!?」




 まず蚊脛かけいは、棒立ちであったその場から移動。



 体勢も体幹もそのままに、彼女はその場から真横に並行移動スライドする。




(あー、なるほど。初撃を喰らう前にいきなり後ろに回り込まれたのは、こういうことだったのね)



(黒泡の群であたしの注意を逸らしている間に、視界の外から音も立てずに文字通りって訳だ)



 そんな風にねねが納得している最中、直線距離を最短で飛来する3つのお手玉を躱して5メートル程真横に距離を取った蚊脛かけいだったが、次いで移動した位置の上方より隕石いんせきが如く落下してくる別のお手玉は、命中目前である。



「どうせ来てんだろ、上とか横からとかよぉ!」



 五指を大きく広げた両手にて、死角から襲来するお手玉を次々に払いのける蚊脛かけい



「四ぃ、五ぉ、六ぅぅ! あと4つだぜ、ひひひっ!!!」



 端から見れば腕を無茶苦茶に振り回している風にしか思えない蚊脛かけいは、しかし一発としてその身に致命傷を負うことなく、着実にねねの放った飛び道具を減らしていっていた。



 だが、それでも。



 持ちうる戦力を半分以下にされながらも、ねねの表情に焦りは見えない。



(そこそこに鋭敏である機動力スピードと、鉄壁とまではいかずとも堅牢な防御力ディフェンス。大したものだけど、これぐらいであればまだ想定外)



(問題はここから――で仕留めきれなければ、あたしに打つ手はなくなってしまう)




 少なく見積もっても5割、実践においては充分過ぎる勝率を見込んでいたねね。



 その目論見もくろみが砂上の楼閣が如く消え失せる現実を――数秒後に思い知ることになるなど、彼女が知り得る筈も無く……。



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